刊行に寄せて
東京慈恵会医科大学・環境保健医学講座の縣俊彦助教授の編著による「EBMのための臨床疫学」が刊行された.
縣氏はこれまでEBM(evidence-based medicine)に関して,「EBMのための新GCPと臨床研究」,「EBM−医学研究・診療の方法論」,「EBMのためのPubMed,Impact Factor」,「EBMのためのクリティカルパス」,「基本医学統計学−EBM・医学研究・SASへの応用」,「EBM FAQで学ぶ理論と実際」など多くの著書を執筆しており,この分野で目覚しい活躍をしている研究者の一人である.
現在,医療のあり方が社会的に大きな問題になっており,患者さんが受ける医療の質が問われている.EBMは単なる個人的な経験に基づくこれまでの医療とは異なり,質の高い臨床疫学研究で得られた情報(根拠)に基づいて最適で最善の医療を患者さんに提供しようとするものである.EBMが広まるにつれ,その基礎となっている臨床疫学に対する関心が高まると同時に,わかりやすい著書の刊行が望まれている.
本書は18章から構成されており,各章はそれぞれの専門家の手によって平易に解説されているので,初心者でも理解しやすいと思われる.
東京慈恵会医科大学の創設者・高木兼寛は100年以上前に臨床疫学研究によって,脚気の原因が食事にあることを示唆した.これまで,高木の研究は社会的に広く認められていなかったが,近年,再評価されており,臨床疫学に対する関心が高まっている.
臨床疫学研究に携わる研究者,実践家,医療関係者は,具体的な臨床疫学的方法の使い方を知りたいと願っている.本書は系統的に書かれているので,読者が順次読み進んで読み終わった段階で,ほぼ臨床疫学の基礎が理解できることと思う.これまで縣氏によって刊行された著書と共に本書を読むとより理解が深まるものと思う.
この分野に興味をもっている多くの方に推薦したい.
2003年11月
東京慈恵会医科大学学長 栗原 敏
序
今や医療界はEBM(Evidence-Based Medicine)の大ブームといった感がある.編者らがEBMの紹介,啓蒙活動を始めた10年前には「つまり,EBMというのは単なる臨床疫学の言い換えね」といった批判が多く,カナダの地方都市の新興大学医学部で始められた運動が,現在のような世界的潮流になるとは誰も想像していなかった.EBMとはあやふやな経験,直感にたよらず科学的evidence(根拠)に基づく最適な治療,予防法等選択の方法論で,臨床疫学を患者個々の臨床問題解決のために再構成した実践活動と表現される.この活動はMacMaster Univ. Hamilton Canadaで 1991年に提唱され(Guyatt GHらに聞くと1990年には内科レジデントプログラムで実施されていたとのことである),1993年以降のEBM Working-GroupのSackett DL,Hyanes RB,Guyatt GHらの活躍で瞬く間に医療界を席巻した.
EBMとは,個々の患者のケアについての意志決定の場で現在ある最良の根拠(evidence)を良心的に,明らかに理解したうえで慎重に用いることであり,哲学的起源は19世紀中頃のパリやそれ以前にさかのぼるとされている(Sackett DL,1996).EBMの実践とは系統的研究や臨床疫学研究などより適切に利用できる外部の臨床的根拠とひとりひとりの臨床的専門技量を統合することと定義することができる.
この「EBMとは臨床疫学を患者個々の臨床問題解決のために再構成した実践活動」の「臨床疫学」という用語は,Paul JRが 1938年に米国臨床検査学会で,「clinical epidemiology」という題で講演した時に最初に使用したとされており,70年の歴史をもつ研究領域である.この臨床疫学という領域は,ある意味細々と,専門家によって研究を進められていたが,EBMと置き換えられたと同時に耳触りの良さ,学問の香りが世の医療関係者の好奇心をくすぐり,あっという間に全世界レベルで,医療界全体を席巻した.
疫学と臨床疫学の関連を見ると,疫学とは,人間における疾病の分布と頻度の決定因子を研究する学問,健康関連諸問題に対する有効対策樹立のための科学であり,英語のepidemiologyはepi=upon(〜の上に),demos=people(人),logos=study(研究法,学問)で「人の上に起こること(健康事象)の学問」と考えられよう.一方,臨床疫学とは,疾病の転帰の分布,頻度の決定因子を研究する学問で,疫学方法論の臨床医学への応用といわれるように,臨床医学と疫学を融合させた学際的研究分野といえよう.
本書は現在,医学界の大潮流となっているEBMの方法論の基礎をなす臨床疫学に焦点をあて,定義,歴史,現状,未来,診断のプロセス,N-of-1トライアル,頻度,疫学指標,統計,医学判断学,メタアナリシス,リスクなど18章に分け,日本の現状を充分考慮して,その領域の専門家にお願いし,解説したものである.軽く一読していただくと,臨床疫学の原則が理解できるよう記述してあり,詳細に検討しながら読み進むと臨床疫学の奥深さも理解いただけるよう記述してあるので,2通りの読み方が可能と思う.
また,本著は数名の著者で記載しているため,用語の統一,一冊の本としての流れの一貫性などには編著者,分担著者が細心の注意を払った.しかし,編集・校正期間が短かったため,不完全の部分があるやもしれない.この点に関しては読者の皆様方の忌憚のない御意見をいただきたい.
また,類似した図表が何カ所かにみられるが,これは1カ所にまとめるよりも,適宜必要箇所で参照できた方が煩雑さがなくなり,理解を助けるものと判断したので,そのような形式とした.これらの点に関しても読者の皆様方の御批判,御意見をいただきたい.
本書を執筆するにあたり,中外医学社の小川孝志氏に非常にお世話になった.また,東京慈恵会医科大学大学院松平透医師,西岡真樹子医師,佐野浩斎医師をはじめとする皆様にも多大な協力とご援助をいただいた.また,資料整理,イラスト作成などにおいては,縣千聖氏,縣賢太郎氏に大きな援助をいただいた.ここに記して感謝の意を表したい.
2003年11月
縣 俊彦
目次
1.臨床疫学: 定義,歴史,現状,未来 [縣 俊彦] 1
臨床疫学とは 1
疫学・臨床疫学の歴史 2
高木兼寛と脚気 5
スモンの原因究明 8
その他のわが国における疫学・臨床疫学が果たした役割 14
「21世紀に向けた今後の厚生科学研究の在り方について」のなかでの臨床疫学,EBMの位置 15
2.臨床疫学総論 [縣 俊彦] 21
臨床疫学: 疫学と臨床医学 21
疫学の中での臨床疫学の位置 24
臨床上の問題 29
臨床疫学の基本原理 31
3.正常か異常か [縣 俊彦] 36
異常? 36
異常,正常,参考値 48
4.診断用検査 [縣 俊彦] 55
診断用検査とは 55
診断用検査に求められる要件 57
検査結果の解釈・利用 58
黄金律 gold standard 60
敏感度,特異度 66
ROC曲線 68
5.診断のプロセス [岡山雅信] 70
診療上の問題解決の基本 70
さまざまな診断手法 71
診断のプロセスの基本 74
鑑別疾患リストの作成 75
鑑別疾患の優先順位 76
診断の決定 77
診断プロセスの落とし穴 80
6.研究計画─個人情報保護を中心として─ [縣 俊彦] 84
研究計画の方法 84
臨床研究とは 86
情報検索の重要性 89
臨床研究の倫理と科学 89
臨床研究,臨床疫学研究を進める際の留意事項 91
7.N-of-1トライアル [岡山雅信] 97
研究デザイン 97
実施条件 98
適応条件 99
実施方法 99
8.頻度,疫学指標 [金城芳秀] 101
割合か,率か 101
症例対照研究とオッズ比 104
コホート研究と率比,率差 106
9.統 計 [柳 修平] 112
基本統計用語 113
母集団と標本 124
推定と検定 126
多変量解析 130
医学統計における重要用語 133
10.医学判断学 [大澤 功] 137
判断樹を書いて決断分析を行う 138
「検査結果で判断」という選択肢を追加する 144
マルコフモデル 147
費用効果分析 149
決断分析の適用と限界 151
11.1次研究の批判的吟味 [縣 俊彦] 154
論文の批判的吟味はなぜ必要か 154
12.総括研究の批判的吟味 [縣 俊彦] 166
総括的研究の種類 166
13.メタアナリシス [柳 修平] 179
EBMとメタアナリシス 179
メタアナリシスの方法 181
14.リスク [西川浩昭] 187
リスクとリスクファクター 187
リスクの算出 191
リスクの程度とその利用法 196
まとめ 198
15.予後 [縣 俊彦] 200
予後 200
研究デザインと予後研究 201
16.治療 [大澤 功] 216
評価の指標 217
バイアスの除去 219
結果の提示 222
治験 225
ランダム化比較試験の限界 226
17.原因 [縣 俊彦] 230
原因 230
因果関係の判定 232
18.narrative based medicine(NBM) [縣 俊彦] 243
narrative based medicine(NBM) 246
索引 259