第 2 版の序
中外医学社から,「EBM(Evidence Based Medicine)に基づくパーキンソン病ハンドブック」という本を上梓して以来 6 年を経過した.初版の序に書いたが,EBM という言葉は,ふつう治療法の選択に関して使われる言葉である.しかし,疫学,臨床症候,検査所見,発症機序なども,できるだけエビデンスに基づいて,即ち科学的研究データに基づいて記載することが望ましいと考えている.
この 6 年の間に,パーキンソン病の遺伝に関し相次いで新しい遺伝子が発見され,孤発型パーキンソン病の原因についてもかなりの進歩があったことは特筆に値するであろう.臨床面でも,パーキンソン病の診断における心筋 MIBG シンチグラフィーの有用性が,本邦では広く認識されるに至った.余談であるが,これが欧米に行くと,殆どまだパーキンソン病鑑別診断の日常検査として使われていない.これには,いくつかの理由があるようで,まず123I−MIBG の入手がかなり困難であるらしい.また入手できても検査は極めて高価であり,保険でカバーされることがないために広まらないらしい.従って,日本からいくらその有用性を示すいいデータを出しても,彼らは素直には受け入れない.これが,西欧人の頑固さの一面なのかなと筆者は感じている.
また治療面でもいくつかの進歩があった.始めての非麦角系ドーパミンアゴニストのプラミペキソールが導入され,ロピニロールも使用され始めた.一方,麦角系アゴニストには,心弁膜での逆流という新たな副作用が認識された.一時は,これは大変なことだと思われたが,本邦ではアゴニストの維持量が比較的低いことが幸いしたのか,心不全にいたるような重篤な逆流は極めて稀であることが判明しつつある.しかし,その使用には注意が必要である.海外では,病気の進展予防をめざした基礎研究,臨床研究が盛んになってきている.しかし,臨床的に手応えのある進展予防薬はまだでていない.10 年前に,10 年たったらそのようなものがでるのではないかと期待したが,10 年経っても依然主流は,対症療法である.この研究がいかに難しいかを物語っている.比較的容易にみえるパーキンソン病ですら,この状態であるから,他の変性疾患の予防はもっと難しいであろう.
初版の時述べたが,パーキンソン病治療の標準化もめざしている.治療ガイドラインがありながら,パーキンソン病ほど担当医によって薬の種類や維持量に差がある病気は,他にないのではないかと思う.長年外来をやっていて,よくならないからということで,ご紹介いただいた患者さんは大勢おられたが,よくならない一番の理由は,維持量が低いか,L−Dopa の適応があるのに使用されておられなかったことである.L−Dopa は,未だに最も効果があり,最も重篤な副作用の少ない薬物である.これを上手に使用して,先生方の所を訪れる患者さんを少しでもよくしていただきたいといつも考えている.そのための一助ともなれば幸いである.
最後に今回は,始めての改訂であるので,前回同様執筆は,順天堂大学医学部脳神経内科教室及び関連施設の先生方に分担していただいた.EBM に基づいた書物であると同時に,順天堂で行っているパーキンソン病の臨床と研究を紹介したいとの意図も,理解していただけると大変ありがたく思う.筆者は,2006 年の 3 月で現役を退いたが,その後服部信孝新教授にパーキンソン病の研究・臨床が引き継がれている.また,本書の改訂には,中外医学社のスタッフの方々が献身的に努力を捧げてくださったことに厚く御礼を申しあげる次第である.
2007年2月
水野 美邦
はじめに
中外医学社から,パーキンソン病ハンドブック製作の依頼を受けて,本書の作成にかかったのは,1999年9月頃であった.どのような本を作ろうか暫く考えたが,次の2点を重視したいと考えた.1つは,パーキンソン病の全てを網羅する本であること,次はできるだけ客観的データに基づいた記載をこころがけ,エビデンスに基づかない主観的意見の主張は排除した本にしたいと考えた.そこで最初「EBM(Evidence Based Medicine)に基づくパーキンソン病ハンドブック」という本の題名を考えた.EBMというと普通は,治療法の選択に関して使われる言葉であるが,疫学,臨床症候,検査所見,発症機序なども,できるだけエビデンスに基づいて,即ち科学的研究データに基づいて,できるだけ定量的に記載することが望ましい.そういう点から本書は治療のみに限定したハンドブックではないが,EBMを使用させていただくことにした.
ただ2000年8月から日本神経学会で主な神経疾患の治療ガイドライン作成がEBMに基づいて行われるようになったので,この本の企画の方が早かったのではあるが,神経学会の企画を前にして,似たようなタイトルの本を発行することに多少躊躇を感じたので,本書のサブタイトルは,最終的に「EBMのコンセプトを取り入れた」と変更させていただいた.神経学会の企画に多少遠慮をした点をくみ取っていただければ幸甚である.
本書は,パーキンソン病に関連した臨床・基礎の最新所見がほぼ網羅されるように配慮した.執筆は,順天堂大学医学部脳神経内科教室及び関連施設の先生方に分担執筆していただいたが,できるだけ記載方法の統一がとれるように心がけた.1つの施設を中心とした書物であるから,他の施設の方からみると,ご批判のある部分もあるかもしれない.それは甘んじて受けるつもりでいる.ただ我々はパーキンソン病をこのように理解し,このように治療し,このように研究しているという点を紹介したつもりであり,そのように読んでいただけると大変ありがたく思う.自画自賛で恐縮であるが,本書の分担執筆を依頼した,教室の人達は,臨床や研究の忙しい合間をぬって,文献を多数渉猟し,しかも,全体のスタイルを統一するよう最善の努力をしてくれた,十分読み応えのある原稿を書いてくれたと思う.
本書を出したもうひとつの目的は,むしろこちらの方が重要であるが,パーキンソン病治療の標準化である.欧米ではパーキンソン病の治療の進め方に関して,ほぼコンセンサスが得られ,70歳以下で痴呆を伴っていなければドーパミンアゴニストで治療を開始し,70歳以上か痴呆を伴っていればL-Dopaで治療を開始というのが,スタンダードになっており,パーキンソン病の専門家であれば大体誰に聞いても同じ答えが返ってくる.これは,大規模臨床研究の結果得られた成績から,ドーパミンアゴニストで治療した方が,wearing offやジスキネジアの発生頻度が低いというデータから導かれた結論である.ところが,本邦ではまだそこまではいっておらず,L-Dopaを年齢によらず第一選択としておられる方が少なくない.また各薬物の維持量も低く,そのために十分な改善を得られない患者さんも少なくない.これは長年外来をやっていて受ける印象である.これは一例であるが,L-Dopa治療に伴う種々の問題点の治療方法に関しても,大体コンセンサスが得られている.そのような治療に関しても,最新の動向を読者に伝えたいと考えた次第である.
本書の性格からして,4〜5年に1度は改訂が必要であろうと思う.万全を期したつもりではあるが,内容の偏り,見落としている部分,ミスプリントなど何でもお気づきの点はお知らせいただけるとありがたい.改訂の際の参考にさせていただきたく思う.
最後に,中外医学社のスタッフの方々が本書の製作に献身的努力を捧げてくださったことに厚く御礼を申しあげる次第である.
2001年4月
水野 美邦
目次
I.臨床編
1.Parkinson の生涯とパーキンソン病の発見 <水野美邦>
2.疫 学 <林 明人>
1.頻 度
2.性 差
3.年 齢
4.人種差
5.発症に関わる危険因子
6.危険因子の相互作用と疫学的アプローチの重要性
3.病 理 <森 秀生>
1.神経変性
2.レビー小体(LB)
4.病態生化学 <近藤智善>
1.パーキンソン病のアミン低下
2.TH 活性,AADC 活性,DBH 活性
3.DA 受容体の変化
4.神経ペプチドの変化
5.その他の神経伝達物質の変化
6.機能画像からみたパーキンソン病脳の病態生理
5.病態生理 <三輪英人>
1.大脳基底核の解剖・生理
2.無動・動作緩慢の病態生理
3.固縮・振戦・姿勢反射障害の病態生理
4.固 縮
5.振 戦
6.姿勢反射障害の病態生理
6.臨床症候 <田中茂樹>
1.運動症状
2.自律神経症状
3.非運動症状―精神症状/高次脳機能障害/睡眠障害
7.画像所見 <田中茂樹>
1.Structural imaging(形態画像): CT,MRI
2.Functional imaging(機能画像)
3.画像鑑別
8.診断基準と評価スケール <平澤基之,金澤 章>
1.パーキンソン病の診断基準
2.パーキンソン病の評価スケール
9.鑑別診断 <卜部貴夫>
1.パーキンソン病の神経症状からの鑑別
2.パーキンソニズムを呈する変性疾患の鑑別
3.症候性パーキンソニズムの鑑別
10.治 療
A.Evidence based medicine による治療方針のたて方 <水野美邦>
B.レボドーパ <町田 裕>
1.レボドーパの有効性および安全性
2.レボドーパおよび末梢性ドーパ脱炭酸酵素阻害剤について
3.レボドーパ/DCI 合剤の長期投与による諸問題
4.レボドーパ製剤の開始時期について
5.レボドーパ投与とパーキンソン病の進行について
C.Dopamine agonists <大熊泰之>
1.各ドーパミンアゴニストの有効性と安全性
2.パーキンソン病進行抑制効果
3.最近の話題―ドーパミンアゴニストによる心臓弁膜症について
D.抗コリン薬 <波田野 琢,杉田之宏>
1.作用機序
2.抗コリン薬の種類と薬理学的特徴
3.Clinical studies
4.抗コリン薬と認知機能障害
5.結 論
E.塩酸アマンタジン <宮下暢夫>
1.偶然の発見
2.抗パーキンソン病作用のメカニズム
3.薬理学的特徴
4.Clinical studies
5.結 論
F.MAO−B 阻害薬(monoamine oxidase B inhibitor)―セレギリン <佐藤健一>
1.歴 史
2.薬物代謝
3.Clinical studies
4.セレギリンと死亡率の関係
5.結 論
6.副作用
7.使用指針
G.COMT 阻害薬 <野原千洋子>
1.カテコール−O−メチル転移酵素(COMT)
2.カテコール−O−メチル転移酵素(COMT)阻害薬
3.Clinical studies
H.DOPS <野田和幸>
1.パーキンソン病
2.起立性低血圧
I.アルゴリズム <水野美邦>
1.アルゴリズムとは
2.薬物療法の開始時期
3.パーキンソン病の進行を抑制できる薬物は存在するか
4.何から開始するか
5.パーキンソン病治療のアルゴリズム
J.レボドーパ長期投与に伴う問題点とその対策 <田久保秀樹>
1.レボドーパ長期投与に伴う問題点
2.運動合併症の発症機序
3.レボドーパ長期治療の対策
K.消化器症状への対策 <下 泰司>
1.便 秘
2.悪 心
3.嚥下障害
4.流 涎
L.自律神経系障害への対策 <下 由美>
1.排尿障害
2.インポテンツ
3.起立性低血圧,食事性低血圧
4.発汗異常,体温調節障害
M.精神症状に対する対処 <中村真一郎>
1.不安障害
2.気分障害
3.認知・行動の異常
N.定位脳手術と深部脳刺激療法 <横地房子>
1.パーキンソン病外科治療の沿革
2.大脳基底核機能と定位脳手術
3.手術方法
4.手術効果の評価
5.定位脳手術
6.脳深部刺激療法(DBS)
7.ガンマナイフによる治療
O.リハビリテーション <長岡正範>
1.障害モデルによるパーキンソン病患者の機能的評価
2.リハビリテーションで用いられる手法
3.リハビリテーションの有効性
4.結 論
11.予 後 <小宮忠利>
1.パーキンソン病の罹病期間,臨床経過,死亡率について
2.パーキンソン病における予後の多様性について
3.結 論
II.基礎編
1.パーキンソン病における神経細胞死
A.ミトコンドリア障害 <深江治郎,池邉紳一郎,服部信孝>
1.MPTP の発見
2.MPTP の代謝と酸化的リン酸化の障害
3.パーキンソン病における酸化的リン酸化の障害
4.パーキンソン病におけるミトコンドリア DNA
5.Cytoplasm hybrid(Cybrid)技術を使った研究
6.母系遺伝
7.α−ketoglutarate dehydrogenase complex(KGDHC)の障害
8.核にコードされるミトコンドリア蛋白遺伝子の関与
9.家族性パーキンソン病の原因遺伝子(PINK1,DJ−1)
10.パーキンソン病のミトコンドリア障害に対する治療
11.今後の展望
B.酸化的ストレス <頼高朝子,望月秀樹>
1.ドーパミン代謝
2.鉄,鉄代謝
3.NO
4.スーパーオキシドジスムターゼ(SOD)
5.グルタチオン
6.脂質過酸化
7.8−ヒドロキシグアニン(8−OHG)
C.サイトカイン <後藤啓五,望月秀樹>
1.GDNF(glial cell line−derived neurotrophic factor)
2.ニューロトロフィン
3.その他の栄養因子
4.TNF(tumor necrosis factor)−αとインターロイキン(IL)群
5.パーキンソン病でのサイトカイン・ニューロトロフィンの変化
6.GDNF をはじめとした治療への応用
D.アポトーシス <望月秀樹>
1.パーキンソン病におけるアポトーシスに関連する病理所見
2.bcl−2 とパーキンソン病
3.カスパーゼとパーキンソン病
4.炎症に関するカスパーゼとパーキンソン病
5.NF−κB
6.Fas,Fas リガンド
7.オートファジーとパーキンソン病
E.α−シヌクレイン <西岡健弥,服部信孝>
1.シヌクレインの分子構造
2.α−シヌクレインと動物モデル
3.シヌクレインと遺伝性パーキンソン病との関係
F.ユビキチン−プロテアソームシステムとパーキンソン病 <志村秀樹>
1.ユビキチン−プロテアソームシステム
2.Protein quality control 蛋白質品質管理と神経変性疾患
3.ユビキチン−プロテアソームシステムとパーキンソン病
G.遺伝的素因 <深江治郎>
1.家族内集積
2.双生児研究
3.連鎖解析
4.Association study(関連分析)と遺伝的素因
H.神経毒 <中村範行>
1.MPTP
2.テトラハイドロイソキノリン(TIQ)誘導体
3.β−カルボリン類
2.家族性パーキンソン病
A.分 類 <服部信孝>
1.FPD の分類―優性遺伝形式
2.常染色体劣性遺伝パーキンソン病(ARPD)およびパーキンソニズム
3.その他(ジストニアを主要症状とする一群)
B.常染色体優性パーキンソン病 <久保紳一郎>
1.Park1(α−シヌクレイン遺伝子変異による常染色体優性パーキンソン病)
2.Park3〔2 番染色体短腕(2p13)に連鎖する常染色体優性パーキンソン病〕
3.Park5(ubiquitin carboxy−terminal hydrolase L1 遺伝子による
常染色体優性パーキンソン病)
4.Park8(LRRK2 遺伝子変異によるパーキンソン病)
C.常染色体劣性若年性パーキンソニズム(AR−PD) <服部信孝>
1.Park2 の臨床神経病理学的特徴とその原因遺伝子 parkin の機能
2.Park6(PINK1)
3.Park7(DJ−1)
4.Park9(ATP13A2)
D.家族性前頭側頭型認知症パーキンソニズム <本井ゆみ子>
1.FTDP−17
2.タウ以外の遺伝子に連鎖する家族性前頭側頭葉型認知症
3.二次性パーキンソニズム
A.進行性核上性麻痺 <森 秀生>
1.有病率
2.発症年齢,経過
3.家族内発症
4.病 理
5.臨床症候
6.診断基準
7.臨床症状の検討
8.認知症(痴呆)
9.臨床亜型
10.神経放射線学的所見
11.治 療
B.大脳皮質基底核変性症 <森 秀生>
1.臨床症状―古典型を中心に
2.臨床亜型
3.認知症(痴呆)と失行について
4.画 像
5.電気生理
6.病 理
7.遺伝学的素因
8.治 療
C.多系統萎縮症 <太田 聰>
1.疾患概念
2.臨 床
3.病 理
4.発症機序
D.汎発性レビー小体病 <高梨雅史>
1.歴 史
2.頻 度
3.臨床症候
4.病理所見
5.検査所見
6.生化学,分子生物学
7.治 療
E.その他の変性疾患 <山本剛司>
1.線条体黒質変性症
2.Shy−Drager 症候群
3.純粋無動症
4.進行性淡蒼球変性症
5.Hallervorden−Spatz 病
6.固縮型ハンチントン舞踏病
7.アルツハイマー病
8.Wilson 病
9.地域性のあるパーキンソニズム
10.本態性振戦
索 引