序
生殖（リプロダクション）とは，生命体がこの世に現れて以来，連綿と繰り返してきた生命の保持を目的としたきわめて重要な行為である．ヒトをはじめとする哺乳動物の生殖においては，卵および卵胞の成育，排卵および黄体の形成，受精および胚の発育，初期胚の着床および妊娠成立といった一連の現象が精緻な細胞機能により巧妙に営まれている．過去においては，生殖とは神が司るものであり，生殖現象の科学的解明がタブー視されていた時代もあった．しかし，近年の生殖医学の進歩には目をみはるものがあり，生殖医療の場にも広く応用されるようになってきている．
21世紀を間近に控え，分子生物学や先端技術の飛躍的進歩に伴って，医学の領域も革命を受けつつあるといっても過言ではない．今後10年間でヒトゲノム解析がほぼ終了すると予想されるような時代にあって，疾患，病態，生命現象などがこれら新しい技術により，DNA・RNAのレベルまで分析されつつある．すでに産婦人科領域の研究・臨床においても，分子生物学的手法が取り入れられており，これらの情報を理解したうえでないと，今後の研究，さらには臨床の向上は望めないといっても過言ではない．ヒトの生殖と初期発生の過程のどこかに異常があって不妊となる．
近年の生殖補助医療（ART）の進歩により，不妊症の治療も大きく様変わりしてきている．新しい排卵誘発剤の開発，内視鏡手術の導入に加え，体外受精や顕微授精の臨床応用など，従来妊娠を諦めざるを得なかったカップルでも挙児を得られる時代になってきた．しかし，これらARTの普及により新たな医学的・倫理的・社会的問題も指摘されるようになり，不妊治療のあり方も問われるようになってきている．また最新のARTをもってしても，少なからず原因不明不妊症は存在するし，顕微授精を行っても妊娠に至らない症例が多いことも事実である．
現在の不妊診療においては，治療内容の多様化により，治療方針は施設によって異なっており，定まったストラテジーがないのが実状である．したがって，本書では現在一般の不妊外来で行われている診断法・治療法を中心として，その原理・意義を系統的に整理するように試みた．不妊症の治療は画一的なものではなく，治療方針を立案する際，患者の個別化が要求されている．最先端の医療を提供するだけが不妊治療ではないことを御理解下さり，先人の努力により積み重ねられてきた従来の不妊治療の意義を再認識していただければ幸いである．
終わりに臨み，平素より不妊診療の御指導をいただいている恩師飯塚理八名誉教授ならびに本書の刊行に御尽力いただいた中外医学社の小川孝志氏に深謝いたします．
1999年6月
吉村泰典
目 次
1章 不妊症の診断
1．不妊患者の診察にあたって ＜吉村典＞ 2
A．不妊とは 2
B．不妊症の分類 3
C．不妊の病因別頻度 3
D．いつから不妊治療を開始するか 4
E．初診時の問診 6
F．不妊患者への対応 7
1．不妊の病因についての説明 7
2．検査についての説明 7
3．治療についての説明 7
2．不妊学級のあり方 ＜末岡 浩＞ 9
A．不妊に対する心構え 9
B．不妊原因 10
C．不妊検査 12
3．スクリーニング検査 13
a．基礎体温表 ＜宮崎豊彦＞ 13
A．原理 13
B．方法 13
1．器具 13
2．測定法 13
3．体温表作成 14
C．評価法 15
1．排卵の有無 15
2．排卵日の推定 15
3．黄体機能の評価 15
4．妊娠 15
b．精液検査 ＜佐藤博久＞ 16
A．精液の採取にあたって 16
B．精液検査の項目と方法 17
C．精液検査の評価 20
c．卵管疎通性検査 ＜宮崎豊彦＞ 22
A．一般的注意事項 22
B．卵管通気法（Rubinテスト） 22
1．方法 22
2．評価 22
C．卵管造影法 23
1．子宮卵管造影法 23
2．選択的卵管造影法 27
D．通水法 28
1．経腟超音波下通水法 28
2．子宮鏡下選択的卵管通水法 28
d．超音波検査 ＜石本人士＞ 30
A．経腟法と経腹法 30
B．経腟法による子宮・卵巣の描出法 30
C．正常子宮・付属器像 31
D．卵巣因子に関する超音波検査 31
1．自然周期における卵巣と子宮内膜の変化 31
2．卵巣に認められる主な病変 35
E．子宮因子に関する超音波検査 37
F．卵管因子に関する超音波検査 39
1．卵管疎通性検査 39
2．卵管に認められる主な病変 39
e．性交後検査 ＜持丸文雄＞ 40
A．検査日の決定 40
B．準備する器具 40
C．検査の手技 41
D．検査結果の判定 42
f．子宮内膜検査 ＜樋口泰彦＞ 44
A．子宮内膜検査の目的 44
1．器質的疾患のスクリーニング 44
2．黄体機能のスクリーニング 44
B．黄体機能不全の診断 45
1．BBT 45
2．子宮内膜組織診による黄体機能の評価 46
3．血中プロゲステロン値 46
4．超音波断層法 46
C．黄体機能と着床に関する最近の知見 47
1．視床下部-下垂体-卵巣系以外の黄体機能調節機能 47
2．implantation window 48
4．内分泌機能検査 ＜小田高久，吉田丈児，郡山 智＞ 49
A．ホルモン測定法 49
B．正常月経周期のホルモン動態 50
C．排卵障害の内分泌機能検査 51
1．血中ホルモン基礎値 51
2．負荷試験 58
D．規則的に排卵のある不妊女性の内分泌機能検査 62
1．卵胞期初期の検査 62
2．卵胞期後期〜排卵期の検査 62
3．黄体期中期の検査 64
4．甲状腺機能 65
5．内視鏡検査 66
a．腹腔鏡 ＜関 賢一，小見由里子，岩田壮吉＞ 66
A．腹腔鏡検査に用いる機器ならびに方法 66
1．気腹に用いる機器 66
2．気腹法（クローズド法） 67
3．メイントロッカーの挿入 67
4．処置用トロッカーの挿入 68
5．腹腔内の観察 68
B．不妊原因による腹腔鏡検査の適応 69
1．機能性不妊 69
2．排卵障害 69
3．卵管因子 69
4．内膜症 70
5．子宮因子 70
6．卵管内精子輸送検査（腹水中精子回収試験） 70
b．子宮鏡 ＜林 保良，小宮山瑞香，岩田嘉行＞ 74
A．適応 74
B．機器 74
1．ヒステロファイバースコープ 75
2．硬性子宮鏡 76
3．拡張媒体 77
C．子宮鏡検査の禁忌と合併症 77
D．子宮腔内病変の子宮鏡所見 77
1．子宮内膜ポリープ 77
2．子宮内膜増殖症 78
3．子宮内膜異型増殖症 78
4．粘膜下筋腫 79
5．子宮中隔 79
6．子宮腔癒着症 80
7．子宮内異物 80
8．子宮内膜癌 80
c．卵管鏡 ＜澤田富夫＞ 83
A．機器および方法 83
1．卵管鏡の種類 83
2．観察方法 83
B．卵管内腔観察所見 85
C．卵管鏡の臨床応用と有用性 87
6．男性不妊症の特殊検査 ＜大橋正和＞ 89
A．男性不妊外来について 89
B．問診 89
C．視・触診 89
D．精液検査 89
E．ホルモン測定 91
F．視床下部-下垂体-精巣系 91
G．精液所見と精巣容積，血中ホルモン値 92
H．染色体検査 94
I．遺伝子検査 94
1．Y染色体の微小欠失 94
2．先天性両側精管欠損症と嚢胞性線維症 94
3．コマーシャルラボ 95
J．精巣生検 95
K．精管精嚢造影 96
2章 不妊症の治療
1．排卵障害 ＜北岡芳久，白石 悟，田辺清男＞ 100
A．病因，病態生理 101
1．視床下部性排卵障害 101
2．下垂体性排卵障害 103
3．卵巣性排卵障害 103
4．子宮性あるいは月経血通過路の異常による無月経 104
5．他の内分泌臓器の機能異常によるもの 104
B．診断，鑑別診断 105
1．血中プロラクチン（PRL）値の評価 105
2．ゲスターゲンテストと第1度無月経・無排卵周期症 107
3．エストロゲン-ゲスターゲンテストと第2度無月経 108
4．他の内分泌臓器の機能異常によるもの 108
C．排卵障害の治療 108
1．高プロラクチン血症 108
2．抗エストロゲン剤療法 109
3．ゴナドトロピン療法 109
4．他の内分泌臓器の機能異常によるもの 112
5．卵巣の外科的療法 112
6．漢方療法 112
7．カウンセリング 113
8．ステロイドホルモン療法 113
2．卵管性不妊 ＜澤田富夫＞ 115
A．卵管障害の原因の推移 115
B．卵管性不妊の診断法（HSG・laparoscopy・salpingoscopyによる診断） 116
1．卵管通気検査（Rubin test） 116
2．子宮卵管造影（HSG） 116
3．腹腔鏡検査（laparoscopy） 119
4．卵管鏡検査（salpingoscopy，falloposcopy，tuboscopy） 120
C．卵管性不妊の卵管障害部位による治療 121
1．卵管周囲癒着に対して 121
2．卵管留水症に対して 121
3．腹腔鏡下手術か開腹手術か 122
4．卵管内腔閉塞に対して 123
5．間質部閉塞に対して 124
D．体外受精か卵管機能回復手術か 125
3．子宮性不妊症 ＜和泉俊一郎，松林秀彦，牧野恒久＞ 126
A．不妊症における子宮因子とは 126
B．子宮性不妊を引き起こす感染症について 126
1．結核菌感染 127
2．淋菌・クラミジア感染 128
3．その他の感染 128
C．子宮形態異常について 129
1．子宮形態異常の診断について 129
2．先天性子宮奇形における子宮形成術の適応について 130
3．子宮形成術 132
D．子宮筋腫核出術について 133
E．子宮内腔癒着について 133
F．インフォームドコンセントについて 134
4．免疫性不妊 ＜北井啓勝＞ 135
A．病態 135
B．診断 135
C．精子免疫による不妊 136
1．抗精子抗体による不妊機序 136
2．抗精子抗体の測定 136
3．抗精子抗体の頻度 140
4．抗精子抗体による免疫性不妊の治療 140
D．不育症と免疫 141
1．抗リン脂質抗体 141
2．習慣流産 142
E．その他の免疫異常 143
1．早発閉経 143
2．卵子免疫による不妊 144
3．子宮内膜症と免疫 144
5．子宮内膜症 ＜片山恵利子＞ 146
A．病因 146
B．病態と症状 146
1．病態 146
2．症状 147
C．診断 147
1．問診 147
2．内診 147
3．画像診断 147
4．CA125 148
5．腹腔鏡 149
6．子宮内膜症の進行度分類 150
D．頻度 151
E．治療 151
1．内膜症病変に対する治療 151
2．妊娠の成立を補助するための治療 153
6．原因不明不妊 ＜亀井 清＞ 155
A．頻度 155
B．病因 155
C．診断 157
D．治療 160
7．男性不妊症 ＜大橋正和＞ 164
A．男性生殖器の解剖 164
B．男性不妊症の原因 164
C．造精機能障害に対する治療 165
1．内分泌療法 165
2．非内分泌療法 165
3．精索静脈瘤に対する外科的治療 166
D．精路通過障害に対する治療 168
1．精管精管吻合術 168
2．精管精巣上体吻合術 168
3．ARTに供するための精子回収手術 168
E．副性器障害に対する治療 170
F．射精障害に対する治療 171
3章 生殖補助技術
1．生殖補助技術の取り扱い方 ＜久慈直昭＞ 174
A．生殖補助技術の適応（「体外受精・胚移植」に関する見解） 174
1．「被実施者は婚姻しており，挙児を希望する夫婦であること」 174
2．「これ以外の医療行為によっては妊娠成立の見込みがないと
判断されるものについてのみ行う」 174
3．医学的適応と生殖補助技術以外の方法 174
B．患者への説明とインフォームドコンセント 175
1．体外受精 175
2．顕微授精 177
3．凍結保存 178
C．その他 178
1．生殖補助技術の実施登録 178
2．胚凍結保存の際の注意 178
3．顕微授精臨床実施上の注意 178
4．生殖補助医療の適用範囲となる胚の時期・種類 178
5．ART治療による不妊形質の遺伝的危険性について 179
2．人工授精 ＜黒田優佳子＞ 181
A．適応 181
1．AIHの適応 181
2．AIDの適応 182
B．禁忌 182
C．手技 183
1．実施時期 183
2．実施方法 183
3．授精後の管理 183
4．副作用の管理 183
5．AID実施前に必要な手続き 183
6．AID精子提供者の条件 184
D．精液採取法 184
1．正常射精時の精液採取法 184
2．逆行性射精による射精障害時の精液採取法 185
3．脊髄損傷・骨盤内悪性腫瘍手術後の射精障害時の精液採取法 185
4．閉塞性無精子症の精液採取法 186
E．精子調製法 186
1．精子の濃縮を目的とする精子調製法 186
2．運動精子の分離・濃縮を目的とする精子調製法 188
F．精子凍結保存 190
1．凍結保存精子のAIH応用の意義 190
2．凍結保存精子のAID応用の意義 191
3．ヒト精子凍結保存法 191
G．成績 192
1．AIHの成績 192
2．AIDの成績 192
H．限界および問題点 192
1．AIHの限界 192
2．パーコール使用の是非 193
3．HIT法 ＜郡山 智＞ 194
A．適応 194
B．方法 195
1．器具の準備 195
2．施行日の決定 196
3．精子調製法 196
4．操作の実際 197
C．成績 198
1．妊娠率 198
2．妊娠成績の検討 198
3．合併症 199
4．体外受精・胚移植とその関連技術 ＜杉村和男，吉村典＞ 200
A．適応 200
1．男性因子 200
2．女性因子 200
3．機能性不妊 200
B．方法 201
1．卵巣刺激による排卵誘発 201
2．通院方式と入院方式 202
3．採卵 202
4．精子調整法 204
5．胚移植 204
6．luteal support（黄体機能補助） 205
C．体外受精関連技術 205
1．体外受精およびその変法 205
2．顕微授精 206
D．わが国における体外受精の治療成績 207
E．体外受精に伴う諸問題 208
5．顕微授精 ＜神野正雄＞ 210
A．適応 210
B．方法 212
C．成績 214
D．TESE 216
6．胚の凍結保存 ＜竹原祐志＞ 219
A．受精卵の凍結と解凍の概略 219
B．受精卵の凍結の手順 220
C．未受精卵の凍結保存 223
D．解凍の手順 223
E．受精卵の凍結と解凍の時期 224
F．凍結受精卵の妊娠成績 225
G．凍結受精卵の安全性 225
H．凍結受精卵の利点と倫理問題 225
7．受精卵の着床前遺伝子診断 ＜末岡 浩＞ 227
A．着床前遺伝子診断の概要 227
B．検体サンプリング 228
1．極体のサンプリング 228
2．胚生検 228
C．遺伝子診断 231
1．FISH法 232
2．PCR法とそのバリエーション 232
D．遺伝子診断の対象疾患とその現状 233
E．Duchenne型筋ジストロフィーの着床前診断 234
4章 不妊症の管理と治療方針
1．スクリーニング検査で異常を認めない症例 ＜久慈直昭＞ 240
A．スクリーニング検査の意義と原因不明不妊の考え方 240
1．スクリーニング検査の意義 240
2．原因不明不妊の考え方 241
B．スクリーニング検査 241
1．排卵性月経周期の存在 242
2．精子の妊孕性 242
3．卵管疎通性 242
4．着床能 243
C．原因不明不妊の治療の進め方 243
1．待機療法，およびその補助療法 244
2．人工授精 244
3．排卵誘発 245
4．腹腔鏡，大量通水法 246
5．生殖補助技術（配偶子操作） 246
2．子宮筋腫や子宮内腔の異常を認める症例 ＜小澤伸晃＞ 248
A．子宮筋腫や子宮内腔異常の診断 248
1．問診 248
2．内診，超音波検査 248
3．子宮卵管造影（HSG） 248
4．子宮鏡 249
5．MRI検査 250
B．当院における治療指針 250
1．子宮筋腫 250
2．子宮奇形 254
3．子宮内膜ポリープ 255
4．子宮内腔癒着症 255
3．卵管性不妊症 ＜末岡 浩＞ 256
A．診断 256
1．子宮卵管造影 256
2．通気試験（Rubin test），通水試験 256
B．治療 257
1．卵管形成法の変遷とカテーテル治療の開発 257
2．子宮鏡下選択的卵管通水法 257
3．X線透視下経頚管選択的卵管造影法および超音波断層法下
経頚管選択的卵管通水法 258
4．卵管鏡下卵管形成術 259
5．腹腔鏡手術，開腹手術 261
6．卵管形成治療法の選択とその適応 262
4．黄体機能不全症 ＜石塚文平＞ 264
A．黄体形成と消滅のメカニズム 264
B．黄体機能検査法 265
1．基礎体温測定 265
2．血中プロゲステロン値 267
3．子宮内膜組織診 267
4．超音波断層法 269
5．CA125 270
6．血中プロラクチン値 270
C．黄体機能不全症の治療法 270
5．男性不妊症 ＜黒田優佳子＞ 272
A．総論 272
1．原因 272
2．診察 272
3．検査 273
B．精子 274
1．精子の評価 274
2．精子の操作 279
C．治療（当科における治療指針を中心に） 280
1．薬物療法 280
2．ARTを含めた手術療法 281
資料 日本産科婦人科学会会告 285
1．「体外受精・胚移植」に関する見解 285
2．「体外受精・胚移植の臨床実施」の「登録報告制」について 288
3．ヒト精子・卵子・受精卵を取り扱う研究に関する見解 288
4．XY精子選別におけるパーコール使用の安全性に対する見解 290
5．死亡した胎児・新生児の臓器等を研究に用いることの是非や
許容範囲についての見解 290
6．先天異常の胎児診断，特に妊娠初期絨毛検査に関する見解 291
7．ヒト胚および卵の凍結保存と移植に関する見解 292
8．顕微授精法の臨床実施に関する見解 294
9．「多胎妊娠」に関する見解 296
10．「非配偶者間人工授精と精子提供」に関する見解 297
11．「ヒトの体外受精・胚移植の臨床応用の範囲」についての見解 299
12．「着床前診断」に関する見解 299
索引 305