Institute of Medicineが示した“To Err is Human,Building a Safer Health System”のように人はミスをするものであり,この原則を認識し,肺がん診療をより安全裡に行いたいものである.肺がん診療には,肺がんの発見,診断のための諸検査,そして外科的治療法,化学療法,放射線療法などの多様な治療法が含まれるが,予期しない医療事故やこれらの医療行為に伴う特徴的な合併症には充分な注意を払い,患者に対する充分な説明のもとに医療事故の予防と発生時の迅速かつ適切な対応に努めたいものである.そして未然に防ぐべく安全対策を組織的,個人的に立てておく必要がある.
 今日,コンピューターとITの急速な発展で医療の革新的進歩が遂げられており,診断・治療面においても技術は飛躍的に進歩してきた.それに伴って情報量の増加と複雑化する医療の中で医療従事者の過密労働と精神的抑圧,肉体的疲労が避けられないのが現状で,これによって生じる単純な錯誤や必要手順の欠落などによる医療事故や過誤も増えていることは否めない.しかしながら,適正にこれらの情報を処理することによって,安全で,しかも客観的なエビデンスに基づいた質の高い医療を施すこともできる.したがって医療事故(過誤)の抑制にはまずは医療環境の整備が必要であり,そのための職種や技能の分業は,作業の単純化に繋がり,医療従事者の時間的,肉体的,精神的なゆとりが得られる.しかしわが国の医療経済では容易なことではないので,わが国の医療事情に応じた現実的な対策をとらざるを得ないのが現状である.
 また,安全性はもとより,質の高い肺がん医療を国民に提供する必要があり,そのためには世界に共通するエビデンスに基づく技術や治療法を施す必要がある.2003年に厚生労働省医療技術評価総合研究事業研究班(藤村重文班長)は「EBMの手法による肺癌の診療ガイドライン策定に関する研究」をまとめ,同年に「EBMの手法による肺癌診療ガイドライン」2003年版が日本肺癌学会から発刊された.さらに,新規薬剤に関する大規模臨床試験や新規医療技術が次々と開発され,刻々と新しいエビデンスが示されるようになり,2005年にはガイドラインの改訂が行われた.医療の質はこのガイドラインによって確保されるので大いに参照されたい.また,検査(診断)技術や手術手技の未熟によって引き起こされる医療事故や過誤は,技術や手技の修練によって予防されるのでこの対策も必要である.今後,卒前教育や卒後研修医の修練センターなどの設置や整備が望まれる.
 本書では,増え続ける肺がんを背景に,肺がん診療において医療従事者の社会的責任として質の高い肺がん診療を安全に行うためのknow-howを解説した.検査に関しては,X線,核磁気,超音波,レーザー光線,内視鏡などの各種診断機器を用いて行う諸検査法と安全性確保のためのチェックポイントと合併症や事故発生時の対策について,治療面では各種処置法,手術法,内視鏡下治療,化学療法,分子標的療法,化学放射線療法,術前後補助療法,放射線療法,レスピレーター管理,輸血,血液製剤などの安全対策について記述した.また外来,手術室,病棟での安全管理や,インフォームドコンセント,各種承諾書についても解説した.さらに医療事故や過誤発生時の対策や実際の判例について法的な解釈を記述した.
 本書が日常の肺がん診療に際し,少しでも安全で良質な医療を国民に提供できるための参考になればと願う限りである.

2006年2月
 加藤治文


[目次]
§1◆検査を安全に行うには  1
 1.単純X線撮影  〈立石宇貴秀,佐竹光夫,荒井保明〉  1
 2.CT  〈立石宇貴秀,佐竹光夫,荒井保明〉  5
   1)部分容積効果  5
   2)アーチファクト  5
   3)造影CT  6
   4)造影剤の副作用  8
   5)高分解能CT  9
   6)multiplanar reformatting(MPR)画像  9
   7)有用性・確定事項  10
 3.MRI  〈中島寛人,村上康二,縄野 繁〉  12
   1)MRI禁忌患者  12
   2)造影剤禁忌患者  15
   3)撮像時の留意点  16
 4.気管支内視鏡  〈土田敬明〉  18
   1)気管支内視鏡検査におけるリスク要因  18
   2)気管支内視鏡検査に伴う合併症・事故発生要因とその対策  20
   3)安全な検査を行うために  25
 5.蛍光気管支鏡  〈本多英俊〉  27
   1)検査前の留意点  27
   2)手技における留意点  27
   3)レーザー製品としての留意点  28
 6.X線透視下肺針生検・針細胞診  〈平野 隆〉  31
   1)適応と禁忌  31
   2)検査の説明と同意に関しての注意事項  32
   3)準備すべき装置・器具  34
   4)実際の検査の手順  35
   5)細胞診と生検の選択  38
 7.CT下肺針生検・細胞診断  〈平野 隆〉  40
   1)適応と禁忌  41
   2)合併症  43
   3)肺小結節陰影に対する生検・細胞診の位置づけ  44
 8.肺動脈造影  〈内田 修〉  46
   1)手技  46
   2)造影所見  47
   3)合併症とその対策  47
 9.気管支動脈造影  〈内田 修〉  51
   1)手技  51
   2)気管支動脈造影所見  52
   3)合併症とその対策  54
 10.胸腔鏡  〈林 和〉  58
   1)適応疾患  58
   2)手技  60
 11.超音波検査  〈宮島邦治〉  66
   1)気管支腔内超音波断層法のプローブの挿入時の注意  67
   2)プローブの操作時の注意  68

§2◆治療を安全に行うには  74
 1.処置  74
  a.IVH挿入  〈坪井正博,加藤治文〉  74
   1)CVライン挿入の適応  74
   2)中心静脈到達経路  75
   3)中心静脈ライン挿入の合併症  75
   4)中心静脈ライン挿入後の管理  75
   5)インフォームドコンセント  81
  b.胸腔穿刺  〈池田徳彦〉  86
   1)胸水の鑑別診断  86
   2)胸腔穿刺の手技  89
  c.心嚢ドレナージ  〈渡辺俊一〉  90
   1)適応  90
   2)術式の選択と留意点  90
   3)術前検査と準備における留意点  91
   4)手技における留意点  91
   5)ピットフォール  94
   6)術後管理における留意点  94
  d.経皮的穿刺細胞診  〈梶原直央〉  95
   1)適応  95
   2)方法  95
   3)合併症  95
  e.胸腔ドレーン挿入術  〈梶原直央〉  96
   1)適応  96
   2)方法  97
   3)合併症  97
  f.気管切開  〈筒井英光〉  99
   1)適応となる病態  99
   2)術前検査  100
   3)インフォームドコンセント  100
   4)術前準備  101
   5)手術手順  104
   6)合併症とその対策  108
  g.CTガイド下マーキング  〈長束美貴〉  110
 2.手術  113
  a.開胸手術  〈永井完治〉  113
   1)インフォームドコンセント  113
   2)開胸  114
   3)癒着の剥離  115
   4)葉間の分離  115
   5)肺動脈(PA)および肺静脈(PV)の処理  117
   6)気管支の縫合,閉鎖  118
   7)リンパ節の郭清  120
   8)閉胸  121
   9)肺がんの手術を安全に行うための10の注意点  122
  b.胸腔鏡下手術  〈大平達夫〉  123
   1)胸腔鏡下手術を安全に行うために  124
   2)胸腔鏡下手術の麻酔  126
   3)インフォームドコンセントする際に  126
   4)胸腔鏡下手術のトレーニング  127
  c.縦隔鏡  〈渡辺俊一〉  128
   1)適応  128
   2)手術の手順  129
   3)体位における留意点  129
   4)手技における留意点  131
   5)ピットフォール  132
   6)安全な手技のコツ  132
   7)出血したとき  133
 3.内視鏡下治療  134
  a.PDT,Nd -- YAG焼灼  〈臼田実男〉  134
   1)PDT  134
   2)Nd -- YAG焼灼  136
  b.気道ステント挿入術
      〈古川欣也,柳田国夫,岩崎賢太郎,三浦豊章,齋藤 誠〉  139
   1)気道ステント挿入術の適応  140
   2)各種ステントの特徴と挿入手技  140
   3)気道ステント選択のポイント  143
   4)各種ステントの問題点とその対策  144
   5)高度気道狭窄の問題点とその対策  147
   6)食道気管気管支瘻の問題点とその対策  147
   7)硬性気管支鏡を安全に施行するために  148
 4.気管支動脈内抗がん剤注入  〈高橋 充〉  152
 5.化学療法  〈仁保誠治〉  155
   1)化学療法の適応,レジメンの選択  155
   2)化学療法の指示  156
   3)化学療法の施行  157
   4)化学療法施行後の副作用対策  159
 6.分子標的治療  〈後藤功一〉  165
   1)患者の選択  165
   2)適応疾患  166
   3)他の抗がん剤との併用療法について  166
   4)投与開始にあたって  166
   5)併用注意薬  168
   6)副作用対策  168
 7.化学放射線療法  〈関根郁夫,角美奈子〉  175
   1)適応  175
   2)治療変更規準  178
 8.術前術後補助療法  〈軒原 浩〉  180
   1)術前補助療法  180
   2)術後補助療法  183
 9.放射線療法  〈角美奈子〉  190
   1)肺がんの放射線治療の対象  190
   2)放射線治療装置と治療計画装置  191
   3)非小細胞肺がんの総線量と分割照射方法  193
   4)放射線による肺の有害事象  195
   5)放射線食道炎  197
 10.人工呼吸管理  〈菱田智之,吉田純司〉  202
   1)人工呼吸管理を安全に行うために  202
   2)肺がん治療において人工呼吸管理が必要となる状況  206
 11.輸血  〈山田公人〉  210
   1)赤血球製剤  210
   2)血小板製剤(血小板濃厚液:PC)  210
   3)新鮮凍結血漿(FFP)  211
   4)全血/新鮮血  211
 12.血液製剤および特定生物由来薬剤  〈山田公人〉  213
   1)アルブミン製剤  213
   2)生理的組織接着剤  213
   3)シート状生物学的組織接着・閉鎖剤  214

§3◆安全管理(リスクマネージメント)  216
 1.外来業務  〈河野貴文〉  216
   1)医療面談,個人情報取り扱いのマニュアルの作成と実践  217
   2)事故予防ならびに事故発生時における対策マニュアルの作成と実践  218
   3)インシデント・アクシデントレポートの集積と分析  218
   4)3)の結果に基づいたマニュアルの改訂  222
 2.手術室  〈永田まみこ,西村光世〉  223
 3.病棟  〈葉 清隆〉  229
   1)リスクマネージメントから患者安全管理へのパラダイムシフト  229
   2)医療安全管理  230
   3)国立がんセンター東病院における医療安全管理  231
   4)病棟での安全管理に関する事例  233

§4◆インフォームドコンセント  〈久保田馨〉  236
   1)インフォームドコンセントの成り立ち  236
   2)インフォームドコンセントの理論的背景  236
   3)悪い知らせの伝え方  237
   4)患者の希望をどこまで受け入れるか  239
   5)家族への対処  240
   6)医療上の責任とは何か  240
   7)医療事故/過誤の説明  241

§5◆承諾書(説明同意文書)  〈吉田純司〉  242
   1)文書の内容  243
   2)説明文書を渡すだけではすまない場合も  246
   3)同意文書について  247
   4)われわれの文書  248

§6◆医療事故(過誤)が起きたら  〈西内 岳〉  255
   1)はじめに(法的責任)  255
   2)患者側への説明  256
   3)警察への届出  258
   4)事故の公表とマスコミ対策  258
   5)事故検討会の実施  260
   6)カルテなどの診療記録の保管,保全  260
   7)カルテなどの診療記録の開示  261
   8)医師会,保険会社への報告  261
   9)患者側からの説明会の申し入れ  262
   10)賠償(示談,訴訟など)  262

§7◆肺がん診療における安全対策 -- 裁判例に学ぶ --   〈古川俊治〉  265
   1)検診  265
   2)良性疾患との鑑別  267
   3)手術適応  271
   4)抗がん剤による副作用死  272

§8◆Side Memo  274
 1.医療と法律  〈西内 岳〉  274
 2.医療事故と医療過誤  〈古川俊治〉  276
 3.異状死体の届出義務  〈古川俊治〉  277
 4.造影剤使用に関して  〈赤田壮市〉  279
 5.抗生剤テスト  〈長瀬清亮,久保田馨〉  281
 6.治験  〈金尾直美〉  283

§9◆今後の展望  〈西條長宏〉  285

索引  287