2005 年の厚生労働省人口動態統計概数報告によると,がんによる死亡者数は年間 32 万人にのぼり,その中で肺癌は最も多く 6 万人を越えている.人口 10 万人あたりの死亡率では,男性で,肺癌(73),胃癌(53),肝臓癌(37),女性では,大腸癌(29),胃癌(27),肺癌(26)という順になっており,男女とも,がんによる死亡者数の半数以上が,これらの癌腫で占められている.年齢層別にみると,40 歳から 90 歳以上までの男性肺癌は,死亡者数,死亡率ともに第 1 位となっている.肺癌対策は,医療の現場のみならず,社会的に見ても大きな課題となっている.

 検診,早期診断そして治療の各分野における数多くの成果にもかかわらず,疫学的に肺癌の罹患率と死亡率との年次推移をみると,死亡率プロットは右肩下がりに罹患率プロットと解離せず,いまだに平行線を示している.子宮頸部癌などの場合と明らかに異なって,診療成績の改善が死亡率の低下に必ずしもつながっていないことの証といわれている.本書は,現在までの肺癌診療における各専門領域での進歩を学び,今後,肺癌死亡率の大幅な改善を目指す方策に役立つことを目的とした.

 肺癌の高危険群を同定しうるリスク因子の研究,そこから肺癌の発生進展予防(1 次予防)と早期発見(2 次予防)につながる努力が期待されている

 日本で盛んに行われていながら,むしろ現在は逆風にさらされている肺癌検診の分野では,低線量 CT の方法論としての評価研究が世界で行われている.コンピューター診断支援(CAD)システムなど,診断環境の急速な進歩とあいまって肺癌診断の分野は大きな変革期を迎えている.これからは,検診フィールドを利用し,大規模に集積された試料を検討することにより,さまざまな高危険群の同定や 1 次予防対策などの研究を展開する必要がある.存在診断,良悪性の鑑別診断,確定診断,病期診断,治療後の経過観察における診断などに関しては,新たな機器性能の向上が目覚ましい.画像診断用ワークステーション・ソフトウェアの充実により診断環境は進化しているが,放射線診断部門だけでなく,腫瘍外科医,腫瘍内科医も診療の場で画像情報を活用できるような診断環境を構築すべきであろう.

 日本肺癌学会編集の肺癌診療ガイドライン(2003 年)は,アジュバント治療や分子標的薬の位置づけなど治療分野を中心に,既に 2005 年に改訂された.2 年ごとに改訂せざるを得ないということ自体は,肺癌患者にとって大きな福音であろう.すでに日本は高齢者社会に入ってきているが,臓器機能の保たれている低リスクの高齢者肺癌症例に関しては,若年者と同じ治療法によってベネフィットありとする報告が集積されている.ただし高齢者には併存疾患を有するものが多く,かつ治療による副作用の程度は,若年者よりも強く出る可能性があり,標準的治療方法とされたものが,一般診療でどの程度高齢者の治療に有用かということは吟味が必要である.

 今後の課題として,薬物治療や集学的治療の開発のための多施設共同研究体制を整備することだけでなく,昨今の分子生物学の発展を肺癌診療の突破口とするために,多施設からの多数検体試料を効率よく集積管理し,多くの研究グループが利用できるような全日本規模のシステムを構築すべきである.蛋白プロファイリング,遺伝子解析などからえた情報と,臨床的特性とを有機的につき合わせて解析することにより,腫瘍性格の解明が進む可能性がある.

 早期癌や低肺機能例に対する新しい低侵襲治療法は非常に魅力的であるが,治療法の評価は,技術の改良とともに,第 1 相・2 相試験のステップを経て,他の治療法の比較試験まで行って初めて,その意義と位置づけが明らかになる.方法論の合理的な評価を経ないで,日常臨床に持ち込むことは避けるべきである.喫煙と非喫煙,男性と女性,遠隔転移傾向と局所進展傾向,多発と単発,肺門発生と肺野発生など,臨床の際立った特徴を新たな分子生物学的手法で分析し,腫瘍の生物学的特性を同定することは,肺癌克服の突破口となる可能性がある.分子標的を利用したテーラーメードの治療法,低侵襲治療,さらに,リスクに応じた個別的な経過観察方法と再発に対する早期治療,第 2 癌以降の多発リスク例の 1 次予防対策など,今後の対肺癌戦略を考える上で,大規模で効率的な検体バンクの運用や,治療・診断分野における多施設共同研究グループを組織することが必要となる.

 単に知識の吸収に役立つということだけではなく,臨床研究での連携を模索している読者にとっては,多方面の専門家を知る機会にもなるということも,本書の狙いである.

2006 年 9 月
東海大学医学部内科学系教授腫瘍内科
江口研二


目次

1 章 肺癌患者への接し方--診断・治療・療養指導〈児玉哲郎〉
   1.診断
   2.治療
   3.療養指導

2 章 肺癌におけるインフォームドコンセントとセカンドオピニオン〈澤 祥幸〉
   1.肺癌診療におけるインフォームドコンセントの心構え
   2.インフォームドコンセントのための準備
   3.インフォームドコンセントの実際
   4.セカンドオピニオン
   5.悪い知らせをいかに伝えるか(breaking bad news)
   6.インフォームドコンセント後の精神的反応と対応

3 章 肺癌の早期発見
 A.肺癌の早期発見における検診の役割〈長尾啓一〉
   1.肺癌発見の動機
   2.肺癌検診の概要
   3.肺癌検診の効果
   4.肺癌検診での問題点
 B.高危険群の考え方と喀痰細胞診〈佐藤雅美,高橋里美〉
   1.肺癌における高危険群
   2.日本人の喫煙状況
   3.禁煙と肺癌発癌リスク
   4.喀痰細胞診
 C.喫煙関連肺癌〈鈴木勇史,伊藤秀美,光冨徹哉〉
   1.喫煙による肺癌のリスク
   2.喫煙率と肺癌死亡率の推移
   3.受動喫煙と肺癌のリスク
   4.タバコ煙中の発癌物質
   5.遺伝子多型とタバコによる発癌
   6.喫煙と遺伝子異常
   7.ゲフィチニブと喫煙
   8.禁煙によるリスクの低下
 D.肺癌の疫学〈丸亀知美,祖父江友孝〉
   1.肺癌の記述疫学
   2.喫煙と肺癌
   3.喫煙以外の要因
 E.症状から疑う肺癌〈細見幸生,澁谷昌彦〉
   1.局所(胸郭内)病変による症状
   2.局所(胸郭内)病変の進行による症状
   3.遠隔転移による症状
   4.腫瘍随伴症候群

4 章 肺癌の診断
 A.X 線診断(単純,CT)〈栗山啓子〉
   1.胸部 X 線写真
   2.CT
   3.末梢型(肺野型)肺癌の HRCT
   4.肺野型肺癌各論--HRCT と学会組織分類との対比
   5.画像診断と確定診断の関わり
 B.核医学診断(PET)〈村上康二〉
   1.FDG−PET の基礎
   2.検査の実際と注意事項
   3.肺腫瘤の質的診断
   4.縦隔リンパ節の診断
   5.遠隔転移の診断
   6.治療効果の診断
   7.再発の診断
 C.MRI 診断〈大野良治〉
   1.肺結節の質的診断・肺腺癌の分化度の推定および予後予測
   2.TNM 因子診断
   3.治療効果判定
   4.肺機能診断
 D.内視鏡診断〈清嶋護之,朝戸裕二,雨宮隆太〉
   1.気管支鏡検査の手順
   2.気管・気管支の構造・正常所見
   3.肺癌の気管支鏡所見のとらえ方
   4.気管支鏡所見による組織型の鑑別
   5.組織採取の方法
 E.確定診断方法〈池田徳彦,林 和〉
   1.中心型肺癌に対する確定診断
   2.末梢型肺癌に対する確定診断
 F.縦隔鏡検査の利用〈加藤靖文,浅村尚生〉
   1.使用器具
   2.麻酔,体位
   3.手技
   4.合併症
 G.病期診断方法〈内藤陽一,大松広伸,西脇 裕〉
   1.病期分類の実際
   2.補助表記方法
   3.TNM 分類に基づいた予後
   4.小細胞肺癌
   5.TNM 分類のために行われる検査
   6.T 因子: 原発腫瘍
   7.N 因子: 所属リンパ節
   8.M 因子: 遠隔転移
 H.腫瘍マーカーの利用方法〈斉藤 博〉
   1.肺癌診療に用いる腫瘍マーカー
   2.腫瘍マーカーの臨床利用
 I.治療適応の診断〈橘 啓盛,奥村武弘,近藤晴彦〉
   1.肺機能
   2.心機能
   3.併存疾患の有無
   4.年齢,PS
 J.肺癌の病理組織分類〈森永正二郎〉
   1.扁平上皮癌
   2.小細胞癌
   3.腺癌
   4.大細胞癌
   5.腺扁平上皮癌
   6.肉腫様癌
   7.カルチノイド腫瘍
   8.粘表皮癌
   9.腺様嚢胞癌
   10.上皮筋上皮癌

5 章 肺癌の治療
 A.外科治療〈永井完治〉
   1.肺癌の手術適応
   2.肺癌手術の危険性
   3.完全切除
   4.肺癌切除例の治療成績
   5.手術術式の決定
   6.N2 肺癌の手術に関する考え方
   7.術後合併症
 B.放射線療法(胸部照射,PCI)〈早川和重〉
   1.肺癌放射線療法の基本原則
   2.放射線療法の適応
   3.切除不能非小細胞肺癌の放射線療法
   4.小細胞肺癌に対する胸部照射
   5.小細胞肺癌への予防的全脳照射(PCI)
 C.薬物療法〈瀬戸貴司〉
   1.癌化学療法の特徴
   2.抗癌剤の分類
 D.臓器機能低下例および末梢神経障害のある患者における抗癌剤の選択
   〈長瀬清亮,後藤功一〉
   1.腎機能低下例
   2.肝機能低下例
   3.肺機能低下例
   4.心機能低下例
   5.末梢神経障害のある患者
   6.まとめ
 E.分子標的薬とは〈福田 実,早田 宏,岡 三喜男〉
   1.ゲフィチニブ(イレッサ)
   2.エルロチニブ(タルセバ)
   3.ベバシズマブ(アバスチン)
   4.セツキシマブ(C225,エルビタックス)
   5.ZD6474
   6.ボルテゾミブ(PS−341,ベルケード)
 F.肺癌の治療効果判定と副作用記載〈手塚貴文,横山 晶〉
   1.治療効果判定
   2.副作用記載
 G.内視鏡的レーザー治療〈藤澤武彦,渋谷 潔〉
   1.高出力レーザーによる気道狭窄の治療
   2.内視鏡的早期肺癌に対する光線力学的療法(PDT)

6 章 進展度などを考慮した治療法
 A.非小細胞癌
  1.外科的治療〈坪井正博,加藤治文〉
   1.I 期非小細胞肺癌に対する治療
   2.II 期非小細胞肺癌に対する治療
   3.切除可能 IIIA 期非小細胞肺癌に対する治療
   4.非小細胞肺癌の切除成績の概要
   5.まとめ
  2.内科的治療〈根来俊一〉
   1.外科手術適応のない臨床病期 IIIA と臨床病期 IIIB NSCLC
   2.臨床病期 IV NSCLC
 B.I 期例の放射線治療〈馬場雅行,宮本忠昭〉
   1.末梢型 I 期非小細胞肺癌に対する重粒子線治療
   2. I 期非小細胞肺癌に対する炭素イオン線治療の将来の展望
 C.I 期例の縮小手術〈児玉 憲,東山聖彦〉
   1.縮小手術とは
   2.縮小手術における局所根治性の確保
   3.縮小手術の適応と成績
   4.今後の課題
 D.小細胞癌(ED,LD)
  1.外科的治療〈中山治彦〉
   1.小細胞肺癌における外科治療の変遷
   2.手術アプローチとその理論的背景
   3.外科治療を含む治療成績
  2.内科的治療〈倉田宝保〉
   1.病期分類
   2.限局型小細胞肺癌(LD〉
   3.進展型小細胞肺癌(ED)
 E.高齢者治療の注意点
  1.非小細胞癌〈斉藤春洋,野田和正〉
   1.高齢者とは
   2.高齢者肺癌の特徴
   3.治療における高齢者肺癌の評価
   4.高齢者の肺癌治療
   5.高齢者非小細胞癌の化学療法
   6.最善の緩和ケア(BSC)
   7.高齢者の治療の実際と注意点
   8.高齢者肺癌治療のまとめ
   9.今後の問題点
  2.小細胞癌〈岡本浩明,渡辺古志郎〉
   1.高齢者というサブグループは必要か?
   2.高齢者 SCLC において suboptimal な化学療法は予後不良である
   3.高齢者の標準的治療は何か?
   4.高齢者の限局型(LD)--SCLC のエビデンス
   5.高齢者に対する新薬の意義
 F.再発例の治療
  1.非小細胞癌〈峯岸裕司,弦間昭彦〉
   1.術後再発治療
   2.セカンドライン化学療法
 2.小細胞癌〈井上 彰〉
   1.再発 SCLC に対する化学療法
   2.化学療法以外の治療について
 G.緩和医療としての放射線治療〈中山優子,備前麻衣子〉
   1.肺癌に伴う苦痛症状と放射線治療の適応
   2.脳転移の放射線治療
   3.骨転移の放射線治療
   4.上大静脈症候群の放射線治療
   5.その他の症状に対する放射線治療
   6.再照射の適応
 H.合併症/緊急的治療
  1.上大静脈症候群,切迫脊髄横断麻痺〈橋本 潔,清水英治〉
   1.上大静脈症候群(SVC 症候群)
   2.切迫脊髄横断麻痺(脊髄圧迫症候群)
  2.悪性胸水貯留,心タンポナーデ〈高山浩一,中西洋一〉
   1.癌性胸膜炎の治療
   2.癌性心嚢炎・心タンポナーデの治療
 I .気道狭窄とステントの適応〈宮澤輝臣〉
   1.中枢の気道狭窄における気道ステント留置の適応
   2.方法
   3.気道ステントの種類
   4.ステント留置の合併症
   5.各種気道ステントの今後の展望
 J.腫瘍随伴症候群〈工藤新三〉
   1.内分泌的症状を呈するもの(paraneoplastic endocrine syndrome)
   2.神経学的症状を呈するもの(paraneoplastic neurologic syndrome)
   3.その他
   4.まとめ
 K.肺癌治療の副作用対策
  1.好中球減少症,末梢神経障害,抗癌剤血管外漏出〈大崎能伸〉
   1.好中球減少症
   2.末梢神経障害
   3.抗癌剤血管外漏出
  2.悪心・嘔吐,腎障害〈河原正明〉
   1.制吐
   2.腎障害

索引