はじめに

過去40年間,私は医学教育者・医学研究者として活動してきた.そのうち,1950年以降の16年間は,カリフォルニア大学サンフランシスコ キャンパスの大きな心臓血管研究所(Cardiovascular Research Institute)の所長を務めている.こうした立場から,研究を進めるにふさわしい環境について,ある程度まで考えもし,自信もないわけではない.しかし,絶対の自信がないことは,自信を持って言える(訳注).

ところで,職務がら「お偉方」と話す機会は多い.大統領やその取り巻き,国会議員連中,ノーベル賞受賞者,各種財団の理事長などである.こうした「お偉方」は,研究とは金をかければ成果が生ずるもので,投じた金が成果を生み大発見となる因果関係を正確に知っているつもりらしい.私は自分では自信がないつもりでいる.そもそも,「発見」の研究,つまりどうやったら「大発見」ができるかの研究なぞ,ありはしない.きちんとした論文も見当たらない.そこで自分で調べて事実を確認しようと考えた.出発点として,現代医学の画期的進歩が生まれた手順を調査した.この調査には,大体5年間かかっている.本書は,その調査結果の一部を利用している.

といっても,恐れるようなことではない.本書には統計データは載っていない.データそのものは報告書に述べ,別の本で発表することになろうが,この本では特殊な「装置」を一つ使っている.「レトロスペクトロスコープ」(訳注)という長い名前の装置で,これを使って過去をいろいろな方向から眺めるのである.輝かしい現代のレベルから,霧に包まれ暗黒の中にある何十年何百年何千年の過去を視る装置である.たとえば,大発見をした場合,現代ならノーベル賞で報いられるが,昔なら十字架にかけられたのだから大違いである.そうした昔を視るのがこの装置「レトロスペクトロスコープ」である.これを使えば,現代科学の奇蹟の「種」や「根」が見つかる.科学に全く無知だった昔から,多方面の知識をもつ現在に至る過程をたどることもできる.このレトロスペクトロスコープを,詩人サンタヤナにちなんで「サンタヤナの懐古鏡」と名づけてもいい.「過去を覚えていられない者は,罰として過去をもう一度実際に体験させるべきである」と主張したのは,ほかならぬサンタヤナだからである.

研究者は必ず他の研究者の仕事の上に立って仕事を進める.その他の研究者も,また別の研究者の成果の上に乗っている.「懐古鏡」の向きをかえて医学研究室から外を眺めると,医学と無関係な人が重要な医学的発見を行った例もずいぶん多い.発見の時点では,実用性なし,不可能,現実問題と無関係,ひどいときは「実に馬鹿げている」と,無視されたものも多い.

本書の冒頭の数章のテーマは一見医学と無関係だが,実は医学のヒントになっている.「空はなぜ青いか」も「真空ポンプで水をくみ上げる限界が10mなのは何故か」も「馬が走るとき四本の足が同時に地面を離れることがあるか」というテーマも,さらには「人間の糞尿を土の中に埋めたときに,ばい菌が死んでしまうのはなぜか」という疑問も,当初はどれも医学とは無関係だったが,最終的には医学の進歩に大きく貢献した.

医学上の発明発見を詳しく検討しても,発明発見への近道は見つからない.大発見は動機も目的も多彩である.やり方も多種多様である.ゴールに向って真っすぐ突き進んだ発見も,数多い研究の中には存在する.しかし,大抵はそうではない.科学者も所詮人間である.詳しい裏話しを調べると,真っすぐ進むべきところを曲り角を間違えて横道にそれ,運がよければ――もちろん賢明さも必要だが――ほかの人の推測や観察をもとにして,やっと正しい結論にたどり着いている.発見は立派だったのに時期的に早すぎて発見の価値が当人しか理解できず,しばらく捨てられていた例もある.事実はつかんでいたのに,発見者自身が重要性を把握しないこともある.お偉方・大先生・大科学者が,間違った意見を権威ある立場で述べて科学の進歩を何十年も遅らせた例もある.この場合には,随分時間が経過してから,若い大胆な科学者が権威に挑戦してはじめて正しい道に戻るのである.若者,特に医学生や医学進学コースの学生が重要な発見を行った例も多い.若い頃に正しいが風変りなアイディアを提出して,他人にせせら笑われて苦しんだ経験がありながら,その当人が年をとってからは他人の新しい発見を受け入れようとしなかった例もある.

本書の元になった研究で「科学上の発見」を検討したのは,研究費をどう配分したら有効かを知りたかった故である.もちろん,すべての領域を調べたわけではない.本書は癌の問題は扱っていない.精神医学の研究も載っていない.遺伝子工学も触れていない.それでも,発見がどう行われ,発見者がどう考え行動したかの感覚はつかめよう.自分用のレトロスペクトロスコープを手に入れ,研究計画を進めるにはどうすべきか認識する役には立つだろう.レトロスペクトロスコープは飾りの水晶玉よりはましである.

Julius H. Comroe, Jr.

訳注:「絶対の自信がないことは,自信を持って言える」.原文は,“I was sure that I didn't know for sure.”という韻をふんだ文章である.しかも最後の“for sure”がイタリックになっている.

訳注:「レトロスペクトロスコープ」は,テレスコープ・マイクロスコープと類語だが,「レトロスペクトロ(後を見る)」という言葉と「スコープ」とを組み合せたコムロウ教授の造語で,日本語に訳せば「回顧鏡」ないし「懐古鏡」ということになる.この本の原題である.

訳注:“サンタヤナ”George Santayana :アメリカの哲学者・文芸評論家・詩人.スペイン国籍.1863 年生まれ.1952年に死亡.引用のフレーズの出典は不明だが,他でも引用を読んだ記憶があるから有名なものらしい.

推薦の辞

1963年の夏,サンフランシスコの友人に招かれて,約3カ月をカリフォルニア大学の心臓血管研究所で過したことがあり,その所長であったカムロー教授と個人的な面識を得る機会があった.あと書きにもあるように,多少皮肉っぽく,時にはかなり辛辣ではあるが,どことなくユーモラスで,心の底には温かいものが流れていることを思わせる人柄であった.当時研究所にいた日本人の評判は抜群といってよかったが,不思議なことに米人である教授連中には,何となく煙たがられていたようである.

本書は平たくいえば医学研究逸話集である.著者が専門とする呼吸生理関係の部分を除けば,評者の年配のものにとって,特に目新しいことがあるわけではないが,本書の特色はまず第一にそのような話をバランスよく網羅していることにある.それよりも重要なことは,この書には,人を引きつけて最後まで読ませる何ものかがあることである.それは,何よりもカムローという人間の魅力に負うところであるが,また登場人物の多くが著者にとって身近な人々であるばかりでなく,そのいくつかが,著者の研究と交錯することが,その筆致に微妙な色合いを添えているためと思われる.

ちょっと余談になるが,外国での日本人の評判は,きまったように nice person で hardworker(あとの方は最近かなり怪しくなってきたが)だということになっている.しかし彼らは口にこそ出さないが,日本人をintellectualな国民とはみていない.その理由の一つは,このような逸話的な話に興味を示さない点にあり,いわばロボットのような余裕のない人間とみているのである.これはいささか彼らの身勝手な偏見で,大部分の登場人物に無縁の日本人が,そう華やかでもないゴシップに乗れないのはむしろ当然である.しかしそういった批判を,一概に見当はずれということは必ずしも当を得ない.科学がわれわれの血肉となるためには,そういった科学者を身近に感じることもまた重要な過程だからである.

そういう意味で,海外にこれから出かけようという若い医学研究者には,是非御一読をお奨めしたい.それも決して流し読みでなく,昔の受験勉強を思い起して,ある程度覚え込んでいただきたいものである.

この書に流れている一つの思想,「重大な発見は偶然に負っている」は,われわれ研究者にとっては常識であるが,学問は「頭」でやると誤解している一部の研究者や,一般人には意外なことかも知れない.

この基本的なモチーフの一つのバリエーションが,序文で強調されている.それは役に立つ研究の前段には,一見まったく役に立ちそうもないか,あるいはそのことを目標としない研究があるのだということである.これは,研究費獲得を意識してのことであるが,問題はどうしてこれを選挙民へ顔を向けた政冶家に納得させるかにある.ニクソン大統領は他の研究費を何十パーセントも削減して,すべて癌に廻すという荒業をやってのけた.ところが,観念的には米国よりアカデミックであった日本でも笑いごとでない御時世となってきたようである.本書の効用は,そういった面にもあるかも知れない.

またしかつめらしい権威や,もっともらしい常識が,いかに科学の前進を阻むかということも,断えず繰返される重要なモチーフである.そういった中には,たしかに独創的といってよい鋭い指摘があり,科学史家としての著者の資質を示している.

この書を通じて何よりも強く心を打たれるのは,著者の科学に対する信頼感とその将来に対する確信である.これこそ宗教およびその追随者との激しい闘争を勝ち抜いてきた西欧科学者の真骨頂であり,日本人にもっとも欠けているところである.しかしカムロー教授の場合は,それが宗教的な絶叫としてではなく,研究者を見守る先達の愛情として現われている.著者の呼吸生理に対する貢献は広範かつ実質的で,疑いもなく第一級の研究者であるが,この種の書にゴシップ的にとり上げられるような華やかなものではなかった.それだけに著者の態度は客観的であると同時に,偉大な業績に対する憧れ――いくぶんかのジェラシーを混えた――で貫かれ,本書を親しみやすい読み物としている.

日本人には決して知られることなく終ったはずの本書を,考えるだけでも寒気のするような労力をかけて訳出された諏訪博士には,心から謝意を表したい.訳文も平明で,ほとんど完全に博士自身の語り口になっている.適切な訳者注がついていて,おおいに参考になるが,あえて望葡の言を加えるならば,改訂の際に微妙な表現の原語をつけることと,日本人関係のパイオニア的な仕事を紹介する意味において,訳者注を一層充実されることを望みたい.

岡崎国立共同研究機構生理学研究部門 江橋 節郎

1.空はなぜ青いのか 1

2.「空気」という海 9

3.物の内部をのぞく話 14

4.大発見の人と背景 第1部 25

5.大発見の人と背景 第2部 37

6.足は地面を離れるのか 50

7.危険な一酸化炭素を「利用」する方法 57

8.基礎か応用か もちろん両方が必要である 65

9.赤ちやんの泣き声が歌になる 学生の発見 74

10.猪鍋で一杯やる方法 93

11.豚の丸焼きと科学の発見 第1部 102

12.豚の丸焼きと科学の発見 第2部 119

13.絶好のチャンスを逸す 143

14.学説の発表とその結果 163

15.出版に時間を要する問題:これはどうしようもないことだろうか 175

16.「珠玉の論文」について 184

17.実のところの話は 195

18.推論について 218

19.「遅れ」の問題 235

20.人工呼吸 1904年型 244

21.自分は何もしないで進歩を遅らせる方法 252

22.曇った水晶玉 266

23.世界史上の人名録 285

24.失敗を恐れない勇気 292

25.フランケンシュタインとピックウィックとオンディーヌと 引用の誤りについて 304

26.時代に先行し過ぎた発見と末熟な肺の話 第1部 時代に先行し過ぎた発見について 315

27.第2部 毒ガスと新生児との関係 333

28.第3部 未熟肺との闘い 360

索引 408