プロローグ
私たちが古典を読むのはなぜでしょうか.なぜ,古典を読むのでしょうか.それは,自分の立脚点を知ること,「自分がどこで何をしているのか」をよく知りたいから,わかるからというのが私の回答です.外国旅行や外国生活は,その土地での見物や経験が興味深いだけでなくて世界における自分の位置づけができるのと同じです.
歴史そのものには若い頃から関心を抱いてはきましたが,医学の歴史に強い興味を抱くようになったのには明確なきっかけがあります.1980年頃,コムロウ氏(当時はカリフォルニア大学サンフランシスコ校の心臓血管研究所長で,Circulation Research の編集長でした)の著した名著 “Retrospectroscope”に触れ,結局翻訳出版しました.1984年のことです.この翻訳はさいわいに好評をもって迎えられ,15年後の1998年になって,完全に改訳したものを出版し直してもいます.『<新訳>医学を変えた発見の物語』がそれです.この本は翻訳前にも熟読しましたが,翻訳を繰り返す作業でさらに何度も読み,それが自らの人生をどんなにか豊かにしてくれたか計りしれないと感じます.
コムロウ氏の学識と能力には及ばないにしても,私の関心は同じ系統にあります.ですから,同じ系列のものを書いて読者の興味をかきたてたいと感じるようになりました.ここにまとめたのが,その回答です.
ここに紹介する論文や書籍には,正真正銘の「古典」以外に私が若い頃に出たばかりの論文としてリアルタイムで読んだものも含まれています.読者の方々が現時点で読んでいる論文や聴いている講演にも,やがて古典となるものがあると知っておいて欲しいと,これは大学病院に永く勤めて60歳を過ぎた医師から若い世代の方々へのお願いでもあり,本書をまとめたねらいでもあります.
2000年9月 著者
目 次
第1部 肺と血液ガス
1.表面張力と肺胞界面活性物質 2
表面張力の解説で始まる 3
表面張力の重要性を示す実験の部分 4
理論解析: モデルをやや精緻に 4
難解で読まれなかった 6
肺胞表面張力の研究のその後 7
時代に先行した頭脳の歓び 7
2.血液酸素解離曲線とボーア効果 9
なぜこんな研究が20世紀はじめに? 9
論文の内容 10
3巨人連名の論文 12
ボーアとの2点の接触 13
3.閉鎖回路と二酸化炭素吸収装置 15
論文の内容 15
潜水艦と宇宙船の関係 16
ウォータースについて 17
ヴォルピットの本について 18
4.人魚姫とオンディーヌの呪いの関係 19
抄録の内容 19
オンディーヌの呪いと睡眠時無呼吸症候群は同じ? 21
「オンディーヌの呪い」の命名は誤りであるという指摘 22
オンディーヌの伝説と原典に関して 23
5.実験は身体を張って --ホールデンの一生 25
本の内容 26
ボーア効果とホールデン効果 26
情報の根源性 28
6.酸素電極はどう作られたか 29
Critical Care Medicineの論文 29
FASEBミーティングでの評価: セヴリングハウス登場 31
酸素電極を開発した理由 31
原論文について 32
7.PCO2電極なしにPCO2を決める 35
アストラップ法の原理 35
アストラップ法の誤差と名前の誤解など 38
アストラップ氏のこと 39
8.人工呼吸の換気条件−ラドフォードのノモグラム 42
今は使われなくなったけれど 42
なぜ重要だったのか 44
ラドフォード氏とミード氏 45
あえて異をとなえるとすれば 46
ラドフォード氏との関係 47
第2部 循 環
9.脳血流の測定とPaCO2依存性の確立 50
論文の内容 50
脳血流量の測定法 52
ここからの道 52
脳血流に興味を抱いている理由 53
面識のないのが残念 54
10.細動脈の力の平衡 -- 臨界閉鎖圧の概念 56
血管壁の張力の生じ方に2種類ある 56
圧と張力はラプラスの法則で 57
弾性線維と筋肉のふるまいの差 57
臨界閉鎖圧の概念と現象 59
教科書のことと表面張力の問題 60
個人的な思い出 61
11.スワン-ガンスカテーテルはなぜ1970年か 62
ラテゴラとラーンの論文 62
ラテゴラからスワンまでに何が起こったのか 63
スワン-ガンスの原論文と熱希釈法 64
肺動脈圧測定用の他のカテーテル 65
ラテゴラとラーンのこと 66
スワン-ガンスカテーテルの表記について 66
12.分子病と化学者ポーリング 68
電気泳動が基本の解析装置 69
鎌状変化のメカニズムの仮説 71
ポーリング氏の華やかな業績 72
何たる幸運 73
「分子病」の次の一歩は 74
13.手術で溺れる話 --経尿道切除術と水中毒 75
生理食塩水を使えない理由と水中毒 75
「溶血を起こさないとみえにくい」: 蒸留水で洗浄 77
対応とモニターと技術の進歩と 81
泌尿器科の独立は 82
第3部 脳・神経・筋肉
14.なぜ夢をみるのか --夢とレム睡眠 84
レム睡眠と夢 84
レム睡眠の記述と麻酔との関係 85
クリック氏の夢の仮説 85
なぜ,どのように「逆学習」するか 86
睡眠と夢と 88
15.絶好のチャンスを逃さなかった話 89
サクシニルコリンの使用と消滅への動向 89
主題はコリン誘導体の研究: アセチルコリン! 90
バイオアッセイの提案など 92
私の解釈の誤り 92
ハントの名も実は自分の訳書に 93
筋弛緩作用の論文 93
16.式の誤りにとまどった --神経筋伝達の「安全域」 96
論文の要旨は 97
小さいが重大な間違い 98
Patonの他の論文から 99
論文の間違いと読者の態度 100
論文が数値的に正しいかは別問題 101
17.装置は人体に似る --セヴリングハウスの業績 103
行った仕事の概観 103
本質をついた仕事 106
積極的な発言と重大発見の感知能力 106
もう30年のつきあい 107
生い立ちは 108
18.クラーレは脳に作用しない 110
ヒトで実験 111
被験者の報告 113
論文の特徴 113
その後にわかったこと 115
19.エーテルは飲んでも酔える 116
マニラのクーデターをきっかけに 116
エーテルを飲む事実の調査法 117
地理的分布と入手方法 118
摂取方法 118
急性作用 119
慢性作用 120
その他 120
20.エーテルの摂取 --1960年のファーマコキネティクス 122
論文の内容は 122
恩地裕先生について 124
論文を思い出した経緯 125
エーテル静注とエーテル麻酔との縁 125
ファーマコキネティクスと吸入麻酔 127
21.麻酔が脳に効く証明 --ベルナールの見事な実験 129
「第1章 麻酔の歴史」 129
「第2章 麻酔薬の摂取」 131
「第3章 麻酔のメカニズムに関して」 131
興味を引かれた点 133
第4部 薬剤と約理学
22.「受容体」存在を計算で証明 136
本書出版の時期と医学の段階 136
本書の特徴 --量の計算 137
受容体の提案 138
麻酔薬の特異性が計算できるか? 139
23.ホタルの光で吸入麻酔を分析する 143
麻酔のメカニズムに関して 143
ポイントは単純明快 144
日本の研究としての役割 145
一途にこの流れを 145
私自身の認識は 146
24.吸入麻酔薬の力価の表現 148
有名になるプロセスに2通り 148
テクノロジーと力価の比較 149
当時発見された類縁の現象 151
MACは線形か? 153
MACかMAPか 154
MACはばらつきが小さい 155
EgerとSaidman 155
MACへの反証 156
25.エフェドリンは長井長義氏の発見 158
発見のいきさつ 158
漢字とカタカナの論文 160
命名と再発見との関係 161
100年以上使われている薬物 162
26.サイオペンタルの創始 --合成・薬理・臨床 164
サイオペンタル生産中止か 164
開発はテイタムとアボット社の協力から 165
ランディとウォータース 168
原著論文をみつける苦労 169
27.薬物の作用消失は再分布による
--サイオペンタルのファーマコキネティクス 171
論文の要点 171
「覚める」のがなぜ重要か 173
Price氏について 174
早期のディジタルコンピュータ使用 175
プログラミングしてみました 176
28.モルフィン麻酔の創始 178
1960年代の心不全患者の麻酔 178
論文の内容 179
この論文の影響 180
“Give ten”のエピソード 181
29.大気汚染が妊娠異常を招く? 183
麻酔薬の「余剰ガス」とは 183
催奇性の研究 184
手術室の危険との結びつき 185
研究の波及効果と蛇足 186
研究者の横顔 187
第5部 統計学
30.t-検定と“Student” 190
最初の論文 190
2つ目の論文が本物 191
“Student”という渾名のこと 193
Paired-t検定のグラフ表示に関して 193
統計学の3巨人の関係 195
あとがき 199
索引 203