院内感染対策は病院の質そのものです.入院後新たな感染症にかかったり,術後手術部位が化膿したりすると,入院期間が延長となるだけでなく費用もかかり,患者自身が不利益を受けることになります.病院は感染症の患者も外来を受診し入院するのだから,また悪性疾患などの免疫抑制患者も多く入院しているのだから,病院内で感染症になるのも仕方がないということではありません.そのため,十分な院内感染対策を行って,外来や入院中の患者を守らなければならないのです.それだけではなく,いつも病院職員は感染症のリスクのもとに働いており,職員に対しても効果的な感染予防を行う必要があります.
 川崎医科大学附属病院では全国的にも早くから院内感染対策委員会が設置され,いろんな取り組みがなされてきました.病院機能評価機構の認定も受けています.院内感染対策室ではホームページや感染対策ニュース,職員教育講演会などで啓発するだけでなく,「院内感染対策マニュアル」を作り,「抗菌薬使用マニュアル」とともに抗菌薬使用規制も実施しています.しかし,毎年多くの新人の医師や看護師が入って来られ,新人研修では知らなくてはならないことが多く苦労しているようです.我々は,新人たちにマニュアルをはじめから終わりまで読むことを要求するのでなく,まず「何をしてはいけないのか」を知ってもらい,効果的に新人職員教育を実施しようと考えたわけです.院内感染対策の本は多く出版されていますが,残念ながらコンパクトに必要なことを書いた本はほとんどありません.「それじゃあ,自分たちでその本を作ろう」と取り組むことになり,幸い中外医学社の方が興味を持たれ出版の運びとなりました.
 院内感染対策としての必要で限られたエッセンスを取り出すことが,もっとも大変な作業でした.その中で,『ICD テキスト』(メディカ出版),『病院感染対策ガイドライン』(じほう),『エビデンスに基づいた感染制御』(メヂカルフレンド社)などを参考にしました.強く要求されている項目や今後必要となると思われる点を中心に項目を選びました.「べからず」の項目とともに,key wordsやべからずの解説をできるだけエビデンスに基づいた形で行いました.我々は,新人職員だけでなく,すでに経験のある方々に対しても院内感染対策の必要なエッセンスをお伝えできたのではないかと自負しております.しかし,感染対策に対する考え方もどんどん変化しています.読者の皆様からどんどんご意見をいただき,改訂が可能であれば新しいものにして行きたいと考えています.
 最後に,お世話になった中外医学社宮崎雅弘氏,上村裕也氏に感謝いたします.

2006年3月
川崎医科大学附属病院院内感染対策室 寺田喜平

『院内感染べからず集』の発刊によせて

 このたび,院内感染対策委員会のメンバーとして日頃活躍し,さらに院内感染対策マニュアルを2005年に改訂したメンバーが中心となり,『院内感染べからず集』を上梓することとなった.
 この本のまえがきを頼まれた時,私は著者の岡田晴恵氏(国立感染症研究所ウイルス第三部研究員)から贈呈された筑摩書房発行の『感染症は世界史を動かす』を読んでいた.七章まであるが,第六章は新型インフルエンザの脅威,第七章は21世紀の疫病として,やはり新型インフルエンザをとりあげていた.皆様もご存知の様に高病原性鳥インフルエンザ(H5N1型)が東南アジアや中国,ロシアそしてヨーロッパに至る広い地域で流行し,ついには去る2月8日にアフリカ初のH5N1型ウイルスがナイジェリアの鶏で確認された.この事はウイルスがアフリカに入れば,そこでは防御できる術がなく,鳥の感染拡大が止まらないことを意味する.岡田氏は鳥インフルエンザから新型インフルエンザが出現し,「制御不能」の事態に陥れば,約1週間で世界中に伝播され,大勢の患者が医療機関に殺到し,続いて患者に接する医師や看護師がウイルスに曝されると予想している.この時を想定して,病院は危機管理計画を立てているかどうかを問うた第六章の233頁から234頁にかけて,これを病院あげて取り組んでいるとして私達の川崎医科大学附属病院をとりあげてくれていた.その一節を紹介すると,「川崎医大病院では,新型インフルエンザ発生時を想定して,大学内にインフルエンザウイルスの検査体制を作り,抗インフルエンザ薬や医療用マスク,ゴーグル,手袋,ガウン等を事前に準備している.しかし,この抗インフルエンザ薬も特効薬ではない.感染や発症の阻止はできないが,感染早期に服用することで症状を軽減することは期待できる.病院の機能をできうる限り維持するための努力を事前に怠らない姿勢こそ,医療現場を守る医師の精神である.」と記されていた.この詳細については,寺田医師が本書の 8.飛沫感染予防策に,新型インフルエンザ対策(川崎医科大学附属病院)として記述しているので一読願いたい.
 今回,2005年に院内感染対策マニュアルをリニューアルして発刊しているのに,なぜ,本書が必要なのかを寺田医師に尋ねてみた.マニュアルは手順書で,現時点でのエビデンスを基本に書かれているので,関係者は全員読んで理解しておくことが必要である.しかし毎年,医師,看護師を含め,180人ほどの新入職員が入職するような現場で,マニュアルを渡して,それを読んで,自らが理解して間違えずに実践していただくことは,並大抵の事ではない.その時本書があれば,新人にとって,してはいけないこと(すべきこと)が眼に飛び込んでくるので,大変覚えやすく,すぐ実践できると考えたからとの返事であった.それを聞いて,この本を読みなおすと,まず“べからず”の言葉は使われていないが,すべきことが箇条書きにされている.次いで,“なぜ避けるべきか”“KEY WORDS”“関連する院内感染対策の具体例”と続き,最後にその根拠とした“文献”を載せ,すべてが見開きの書式に統一されてすっきりとまとめられていることを確認した.また,絵や表を取り込んで見易く工夫されていることもわかった.これなら新人でもとっつきやすく読んでくれるであろうし,頭に入って,行動にも結びつくであろうと納得した.ひるがえって,マニュアルも読破してくれることになるだろうと思ったしだいである.職員一人一人が,“べからず”を自分だけの知識とせずに,お互いに共通の話題としていただき,患者さま,そして職員自らの感染対策に利用されることを期待する.
2006年3月
川崎医科大学附属病院病院長 角田 司


目 次

◆ 1 章 標準予防策(二木芳人)  2
べからず1■一行為一手洗いを怠らない
べからず2■目にみえる汚れがある場合,擦式消毒用アルコール製剤は用いない
べからず3■血液や体液,排泄物で汚染されたものは,手袋なしで処理しない

◆ 2 章 感染経路別対策(寺田喜平)  8
【A】空気感染予防策
べからず4■空気感染する麻疹・水痘・結核は大部屋で管理せず,個室隔離する
      空気感染する患者の部屋のドアを開けっ放しにしない
べからず5■感染の可能性のある時には室外に出さない
      面会者および家族の面会を制限する
【B】飛沫感染予防策
べからず6■患者の1m以内の範囲ではマスクを忘れない
      手洗いを忘れない
べからず7■感染の可能性のある時には室外に出さない
【C】接触感染予防策
べからず8■手袋の着用を忘れない
      手洗いを忘れない
      空気感染や飛沫感染でも手洗いを忘れない
      手袋のままドアノブや周囲の環境表面を触らない
べからず9■手荒れを防止する

◆ 3 章 病原体別対策  20
【A】結核対策(小橋吉博)
べからず10■抗酸菌塗抹陽性を結核感染に直結させない
      抗酸菌塗抹陽性患者はただちに隔離する
べからず11■喀痰採取は風通しの悪いところでとらない
      喀痰検体は開放容器にとらない
      ツベルクリン反応陰性の医療従事者は結核患者と接触しない
【B】ウイルス感染対策(寺田喜平)  24
べからず12■既往歴や予防接種歴だけで麻疹・風疹・流行性耳下腺炎・水痘の免疫の有無を推定しない
べからず13■免疫のないことが判明している医療従事者を担当にしない(とくに妊婦は注意する)
      感染した職員は就業させない
べからず14■風疹および流行性耳下腺炎では,接触早期の緊急ワクチン接種やガンマグロブリン投与は効果が期待できない
【C】レジオネラ対策(吉田耕一郎・二木芳人)  30
べからず15■レジオネラ属菌が分離された環境は適切な対策がとられるまで使用しない
      加湿器には水道水を使用しない
【D】アスペルギルス対策(吉田耕一郎・二木芳人)  32
べからず16■建物の改修工事の際には,免疫抑制患者へのアスペルギルス症予防空調対策の強化を怠らない
【E】流行性角結膜炎対策(坂井 譲)  34
べからず17■入院患者で流行性角結膜炎が発生した場合,大部屋管理をしない
      発症した入院患者には充分な説明の上,自由な行動をとらせない
べからず18■手洗い・消毒せずに患者を診察しない
      医療従事者が感染した場合,就業させてはいけない
べからず19■疑わしい症例に対してはアデノウイルス迅速診断キットを躊躇しない
【F】疥癬対策(稲沖 真)  40
べからず20■角化型(ノルウェー)疥癬は大部屋管理しない
      角化型疥癬では使用後14日間はマットレスを使用しない
      角化型疥癬で部屋を移動する場合は,患者だけを移さない(ベッドごと移動すること)
べからず21■疥癬患者に接する場合は手洗いを怠らない
      通常疥癬は角化型疥癬と異なり,通常隔離,予防衣の使用は不要である

◆ 4 章 医療器具関連の感染予防対策
【A】尿路カテーテル関連(常 義政)  44
べからず22■失禁患者に尿路カテーテルを装着しない
      採尿バッグは膀胱より高い位置に置かない
べからず23■日常的な感染予防としての膀胱洗浄はしない
      尿路カテーテル留置患者に抗生物質の予防投与は行わない
      尿路カテーテル留置感染症ではカテーテルを抜去する
【B】中心静脈カテーテル関連(平野一宏)  48
べからず24■挿入時は皮膚消毒だけで行わない,高度バリアプリコーションが必要である
べからず25■中心静脈カテーテル挿入前後の予防的抗生物質投与は行わない
      抗生物質ロックは行わない
べからず26■挿入箇所の剃毛を行わない
      抗生物質軟膏やポビドンヨードゲルなどは用いない
べからず27■カテーテル感染を疑う時は血液培養とカテーテル抜去を躊躇しない
【C】人工呼吸器関連肺炎(谷崎真輔)  56
べからず28■人口呼吸器回路の加湿を忘れない
べからず29■人工呼吸器関連ディスポ製品は再利用しない
べからず30■抜管時やカフをゆるめる場合は,カフ上部貯留物の吸引を忘れない
べからず31■ストレス潰瘍防止を目的としたルーチンなH2ブロッカーの投与は行わない

◆ 5 章 職業感染対策
【A】針刺し事故防止(千田美智子・平田早苗)  64
べからず32■リキャップをしない
      安全器材導入を無視しない
べからず33■血液を扱う際は素手で行わない
べからず34■針刺し事故後対応を遅らせない(48時間以内ならいつでもよいわけではない)
【B】予防接種(寺田喜平)  70
べからず35■予防より治療に重点をおいてはならない
べからず36■血液を取り扱う医療従事者はB型肝炎(HB)ワクチンを無視しない
      医学部学生および看護科学生もB型肝炎(HB)ワクチンを無視しない
べからず37■医療従事者および実習学生は麻疹・水痘・流行性耳下腺炎・風疹の抗体検査とその後の予防接種を無視しない
べからず38■抗体陰性の職員や実習学生を接種勧奨だけで放置しない

◆ 6 章 抗菌化学療法(二木芳人)  78
べからず39■感染症の確認なしで抗菌薬を使用しない
べからず40■抗菌薬の選択は漫然と行わない
      抗菌薬保険適応の有効菌種にも注意が必要である
べからず41■抗菌薬の投与法・投与量は画一的にしない
      PK/PD分析を考慮して投与法,投与量を決める
べからず42■抗MRSA薬の使用の際は TDM(血中濃度測定)を忘れない
べからず43■不必要な抗菌薬投与は行わない

◆ 7 章 滅菌・消毒・洗浄
【A】消毒(原 景子)  88
べからず44■イソジンは濡れたままで処置しない
      イソジン塗布後2分以内に処置しない
      できるだけハイポアルコールで脱色しない
べからず45■アルコールは濃度が経時的に低下し効果が減弱する(できるだけ単包化アルコール綿を使用する)
べからず46■一般病棟での床や壁の清掃に消毒薬のルーチン使用は避ける(特にグルタラールは使用しない)
      グルタラール使用の際には換気に注意する
べからず47■経腸栄養投与容器やチューブを繰り返し使用する場合は水洗だけでなく消毒を忘れない
      粉末製剤の溶解後や液状製品の開缶(または開封)後は8時間以内に投与を終了する
【B】手術関連(平野一宏)  96
べからず48■術前にカミソリによる体毛の剃毛はしない
べからず49■手術時の手指消毒は長時間のスクラブ(ブラッシング)を行わない
【C】ネブライザー(吉田耕一郎・二木芳人)  100
べからず50■ネブライザーの洗浄は滅菌精製水で行い,水道水を使用しない
      ネブライザーの蛇管は別患者に使い回しをしない
【D】病院環境整備(角田美代子)  102
べからず51■血液や体液で汚染された環境表面を放置しない
べからず52■噴霧・散布・燻蒸(ホルマリン)および照射などによる消毒は行わない
べからず53■空気感染入室者の部屋の清掃は,退室後すぐに行わない

◆ memo
ハンドケアについて(千田美智子・平田早苗)
コンピューター画面上の培養検査データの確認(寺田喜平)
ディスポ製品の繰り返し使用について(寺田喜平)
針刺し事故報告の必要性(千田美智子・平田早苗)
院内感染対策による費用削減(1) 滅菌セットの見直し(寺田喜平)
改修に伴うアスペルギルス症の有効なサーベイランス方法(寺田喜平)
院内感染対策による費用削減(2) 滅菌単包化不織布への変更(寺田喜平)
グルタラールの交換(原 景子)
疥癬の流行 -- 診断ミスと安易なステロイド外用(稲沖 真)
この患者に尿道留置カテーテルは本当に必要なのか? (常 義政)
院内感染対策による費用削減(3) 作りおきから個別包装アルコール綿に変更(寺田喜平)
抗生物質の無謀な使用方法(平野一宏)
アルコールの消毒力と水分の関係&コスト(原 景子)
内因性感染の予防(吉田耕一郎・二木芳人)
院内感染対策による費用削減(4) 消毒用イソジン綿棒の導入(寺田喜平)
院内感染対策による費用削減(5) 消毒薬の整理(寺田喜平)
職員のインフルエンザワクチン接種率を上げる方法(寺田喜平)
抗菌薬規制と耐性菌の減少(寺田喜平)
院内感染対策による費用削減(6) 紙マスクを立体裁断マスクに変更(寺田喜平)
イソジンの副作用(原 景子)
除毛クリーム(平野一宏)
手術時手洗いの統一化(平野一宏)
イソジンの適正使用のポイント(原 景子)
次亜塩素酸ナトリウム使用上の注意(原 景子)
院内感染対策による費用削減(7) 外科用シルク糸を10本から5本入り包装へ変更(寺田喜平)
院内感染対策による費用削減(8) 術前検査の整理(寺田喜平)

索引