人工心肺は文字通り,人工的に心臓と肺の機能を代行する装置であり,究極の生命維持装置といえる.人工心肺の運転中に心臓は停止され,拍出されるべき血流は途絶え,その間に外科医は心臓や大血管を修復することができる.人工心肺の登場によってそれまで治療不可能だった多くの人々が救われ,人類は多大な恩恵を受けてきた.心臓血管外科手術の発展は,この人工心肺装置の発達と表裏一体といっても過言ではない.人工心肺装置が安全に運転できることが,治療成績向上の前提となってきた.

 科学技術の発展とともに,順調に発達してきた人工心肺であるが,最近人工心肺に関連した事故の報告が散見される.多くは初歩的な人為的ミスと関連しており,後からみれば防止できた事例が大半である.人工心肺装置の担当者は,事故防止に細心の注意を払うとともに,事故が起こりかけた時には,それから脱出する術(すべ)を身につけていなければならない.トラブルからの脱出に失敗すれば,それは患者の死と直結する.人工心肺の運転は,命がけなのである.

 本書の主要部分を執筆した百瀬直樹主任臨床工学技士は,自治医科大学附属大宮医療センターで3000例以上の人工心肺を事故なく運転してきた現場の責任者であり,安全,確実な人工心肺にするために日々努力と工夫を重ねている研究者でもある.本邦を代表する人工心肺運転のエキスパートが,その実践的ノウハウと理論を詳しく紹介している本書は,これから人工心肺を学ぼうとする学生にも,これまで人工心肺にたずさわってきたベテランにも,納得のいく多くの有用な情報を与えてくれるであろう.本書が人工心肺に関心を持つ多くの医療担当者のハンドブックとして,広く活用されることを期待している.

  2004年1月

    安達秀雄


目次

1.心臓血管外科手術と人工心肺 <安達秀雄> 1

  1.心臓血管外科手術の目的 1

  2.心臓血管外科手術の概要 2

  3.日本における心臓血管外科手術数 4

  4.安全管理の重要性 6

2.体外循環の実際 <百瀬直樹> 8

  1.情報の収集と体外循環プランの作成 9

  2.体外循環回路の組み立て 11

  3.回路の充填 13

  4.各部の点検 15

  5.ヘパリンの投与 16

  6.カニューレの挿入 17

  7.体外循環の開始 18

  8.冷却 22

  9.完全体外循環 23

  10.大動脈遮断 24

  11.心筋保護液の注入 25

  12.体外循環の維持 28

  13.復温開始 32

  14.大動脈遮断解除 34

  15.心拍動再開 37

  16.体外循環からの離脱 38

  17.体外循環終了後の処理 43

3.人工心肺装置 <百瀬直樹> 46

  1.人工心肺装置 47

  2.血液ポンプ 48

  3.人工肺 61

  4.貯血槽 67

  5.体外循環回路 69

  6.付属回路 74

4.人工心肺の安全装置と周辺機器 <百瀬直樹> 81

  1.人工心肺の安全装置 81

  2.冷温水槽 85

  3.自己血回収装置 87

5.体外循環中のモニター <百瀬直樹> 90

  1.患者側モニター 91

  2.人工心肺側モニター 99

6.特殊体外循環 <百瀬直樹> 103

  1.脳分離体外循環法103

  2.部分体外循環法106

  3.左心バイパス法と部分バイパス法107

  4.超低体温循環停止法109

  5.手術中の循環補助法109

7.体外循環のトラブルと安全対策 <百瀬直樹> 111

  1.人工心肺特有のリスクの分析111

  2.安全な人工心肺システムの構築113

  3.安全な体外循環技術と知識115

  4.送血ポンプの停止118

  5.体内への大量の気泡の送り込み121

  6.送血回路や人工肺の破損123

  7.ガス交換の不良125

  8.回路内での血液の凝固127

  9.誤薬と異型輸血131

  10.大動脈解離132

8.補助循環135

  1.PCPS <百瀬直樹> 135

  2.IABP <又吉盛博> 147

9.小児の体外循環 <又吉 徹> 157

  1.新生児開心術の特殊性157

  2.新生児・乳児体外循環の実際158

10.低侵襲心臓手術の体外循環 <又吉 徹> 174

  1.低侵襲心臓手術(MICS)での体外循環 174

  2.Port-Access での体外循環 180

索引  187