緒 言

 マニュアル本やハンドブックが大流行の時代である.コンビニエンスストアーやハンバーグ店でマニュアル通りに応対をする店員を揶揄した文章を見かけた人も少なくないとおもう.語源的にはマニュアルやハンドブックは“手作り”のはずなのに忙しさにかまけて手作りの暖かみがなくなり,オートマチックにながれてしまっていることへの批判であろう.私どもの医療現場はまさに“手作り”であり,真の意味のマニュアルでないといけない.しかしながら人口に膾炙した意味でのオートマチックにながれるマニュアルも存在しないと,すべての医療を“手作り”にしたのでは医療を粛々と進めていくことはできないし,医療経済・病院経営は成り立たない.
 大胆にもこの2つの相反するマニュアルに整合性をもたせようとしたのが本書である.つまり,私どもの国立循環器病センターでレジデント・スーパーレジデントという医療の第一線において“手作り”で現場の対応にあたっている若い循環器専門医が大規模研究に基づいたエビデンスやガイドラインというマニュアルをとりいれて本書を仕上げてくれた.現場の患者さんの個別性・特殊性と医療としての総体性・均一性のはざまで本書が誕生しているわけで,2つの相反するマニュアルがうまく融合されたハンドブックであると自負している.
 本書は,症候,病態,疾患と大きく3つの部分に大別される.循環器病に興味を持つ学生・卒業したての若い医師,他科の専門医で循環器病を復習しようという先生方が抵抗なく入っていただけるようにまず,循環器病に特徴的な症状から何を考えるかを記載していただいた.そのあと,循環器疾患の共通かつ最終像と認識される心不全について記載し,そしてそのおのおのの病態を構成する疾患について記載した.この並び方も,本書が循環器病の一般的な教科書と違い,第一線でまさしくマニュアル本,ハンドブックとして仕上げられた面目躍如たる点である.しかし,従来のマニュアル本と異なるのはその中に循環器専門医の苦悩が書かれている点であろう.その行間を読み取っていただければ幸いである.最後には,循環器病学の基礎となる予防医学に言及した.今日の医療従事者のありかたを考えればはずすことのできないポイントであろう.
 本書は循環器病学の辞典としてもまた手軽な読み物としても十分にその内容は耐えうるものと考える.もし,本書で啓発された学生・若い医師のかたで本書を物足りないと思われる方はぜひ私どもの国立循環器病センターで働いていただきたい.豊富かつ多彩な症例とそれを体験してきた指導者に出会い循環器病学の楽しさのとりことなること間違いなしである.本書が若い方々の循環器病への興味の引き金になれば望外の幸である.

2007年盛夏に記す
国立循環器病センター心臓血管内科部長 北風政史



本書編集にあたって

 国立循環器病センターには,一般臨床病院では,なかなか拝見しない心疾患を患った方が多く訪れる.しかし,虚血性心疾患をはじめとした,よくみる心疾患の数も並大抵ではない.レジデントは日々,その身を粉にして「今まで見たこともない疾患」と「数多くの患者」の診療に当たっている.その超多忙な毎日の中で,いかに質の高い医療を提供できるのか,それがレジデントのメインテーマである.
 また,診療についてのカンファランスの多さも,国立循環器病センターのひとつの特徴といえる.そこでは共通の言語や思考がトレーニングされる.「発熱を認めるので解熱剤を使いました」では許されない.カンファランスでは,個別の病態解析と疫学的な検討をふまえて,その患者に最良の治療を検討する.治療開始後も細かくその効果を判定し,必要ならば適宜,軌道修正をする.レジデントはその診療方針および経過を,多くの同僚,スタッフの批判にさらされ,時には厳しく激励されながら,3年間かけて診療の思考過程を鍛えられていく.本書はそのような環境の中で蓄積された「レジデントによる循環器診療のエッセンス」である.
 当初は「循環器マニュアル」のような名前を考えていたが,あるレジデントから,
『個別の病態を考えてオーダーメード診療を信条とする我々の本には「マニュアル;流れ作業」という言葉はふさわしくないのではないか』
と指摘され,本書は,真の意味での「マニュアル;手作りの品」である事から,誤解なきよう「ハンドブック」と冠することとした.
 この本の構成は「症候」→「病態」→「疾患」→「予防」となっている.これは我々レジデントが訴えを持った患者を診察し,診断し,治療を行い,最後には二度と同じことが起こらぬように指導する,という一連の診療の流れをなぞっている.
 循環器疾患においては,ときに反射的な処置が求められる.「症候」の章ではフローチャートを使用して,どのように鑑別を進めていくかを明記した.「病態」の章では主に心不全を扱っている.心不全治療については,同じ症状であっても,その病態によって違う治療を考えなければならない場合がある.特に昨今,急性心不全治療においては「長期予後を考えた急性期治療」が求められている.従って「病態の把握」こそが急性心不全治療の成否を決定付けるといえる.また,慢性心不全の章では,重症心不全患者に対する左室補助人工心臓;LVASについても記述した.「疾患」の章では,比較的よく診る疾患を取り上げ,その診断と治療におけるガイドラインおよびエビデンスを豊富に掲載した.最後の「予防医学」の章には十分な分量を割いた.昨今の医療経済を鑑み,再入院率を下げる事はもとより,そもそも病気にかからないことこそ,真に患者のための医療であると考えるからである.加えて,各執筆者には「メモ」として日常診療のコツを,また「Pitfall」として経験からの注意点を思いつく限り記載してもらった.
 最後になりましたが,実に多忙な中,熱心にご指導いただいた北風政史部長をはじめ,スタッフの先生方の情熱に心より感謝いたします.また,本書が循環器診療にあたる全国のレジデント,研修医の方々の一助になれば幸いです.

2007年8月15日
国立循環器病センター心臓血管内科 加藤真帆人


目次

1章 症候群
 1.胸痛 〈松浦祐之介〉
   1.定義
   2.まず救急外来で行うべき処置・検査
   3.鑑別診断
 2.呼吸困難 〈加藤真帆人〉
   1.定義
   2.まず救急外来で行うべき処置・検査
   3.鑑別診断
 3.動悸 〈大郷 剛〉
   1.定義
   2.まず救急外来で行うべき処置・検査
 4.めまい 〈大郷 剛〉
   1.定義
   2.まず救急外来で行うべき処置・検査
 5.失神 〈山田優子〉
   1.定義
   2.まず救急外来で行うべき処置・検査
   3.病歴から考える鑑別診断
 6.むくみ 〈神谷千津子〉
   1.定義
   2.まず救急外来で行うべき処置・検査
   3.鑑別診断

2章 病態群
A.急性心不全症候群
 1.総論 〈加藤真帆人〉
   1.概念
   2.症状
   3.診断
   4.病態生理の把握
   5.臨床検査
   6.治療目標
   7.急性期管理
 2.新規発症の急性心不全 〈松浦祐之介〉
   1.概念
   2.検査および診断
   3.治療
 3.慢性心不全の急性増悪 〈加藤真帆人〉
   1.概念
   2.検査および診断
   3.治療
 4.高血圧性急性心不全(拡張期心不全) 〈分野正敢〉
   1.概念
   2.検査および診断
   3.拡張不全に基づく急性心不全の治療
 5.心原性ショック 〈高濱博幸〉
   1.定義と病態
   2.概念
   3.検査および診断
   4.治療
 6.高心拍出性心不全 〈佐々木英之〉
   1.概念
   2.検査および診断
   3.治療
 7.右心不全―肺動脈性肺高血圧症を中心 〈種池里佳〉
   1.概念
   2.問診
   3.診察
   4.確定診断(検査)
   5.治療
B.慢性心不全
 1.総論 〈加藤真帆人〉
   1.慢性心不全
   2.重症度分類
   3.慢性心不全の病態
   4.慢性心不全の診断
 2.治療
  a.薬物治療 〈塚本 蔵〉
   1.慢性心不全の病態
   2.慢性心不全治療の目的
   3.慢性心不全の治療方針と適応
  b.LVAS装着患者の管理 〈眞野暁子〉
   1.左心補助人工心臓 (Left Ventricular Assist System:LVAS)とは
   2.LVASの適応
   3.LVASの種類
   4.LVAS systemの選択
   5.LVAS管理のポイント
   6.LVAS離脱の可能性
  c.その他の治療 〈安部晴彦〉
   1.CRT(Cardiac Resynchronization Therapy)
   2.ICD(Implanted Cardiac Defibrillator)
   3.運動療法
   4.温熱療法
   5.睡眠時無呼吸症候群の治療
 3.合併症例への対応
  a.糖尿病・耐糖能異常 〈中野 敦〉
   1.概念
   2.症状
   3.診断
   4.耐糖能障害と心不全
  b.高脂血症 〈八木秀介〉
   1.概念
   2.問診
   3.身体所見
   4.診断手順の流れ
   5.食事療法・運動療法
   6.薬物療法
   7.薬剤の概要
   8.処方例
  c.腎疾患 〈又吉哲太郎〉
   1.概説
   2.電解質異常
   3.酸・塩基異常
   4.腎不全時の薬物使用
  d.脳血管障害 〈尾原知行〉
   1.概念
   2.診察・検査
   3.治療
   4.慢性期管理

3章 疾患群
 1.虚血性心疾患とその合併症 〈北田修一〉
  a.急性冠症候群
   1.急性冠症候群の概念
   2.急性冠症候群への初期対応
   3.急性冠症候群へのCCUでの対応
  b.冠攣縮性狭心症
  c.安定狭心症
   1.安定狭心症の概念
   2.狭心症の診断
   3.狭心症の管理
   4.狭心症薬物療法およびフォローアップの実際
  d.無症候性心筋虚血
 2.徐脈性不整脈 〈宮本康二〉
  A.総論
  B.各論
   1.洞不全症候群(SSS;sick sinus syndrome)
   2.房室ブロック(atrioventricular block)
   3.徐脈による症状が診察時にある場合の処置
 3.頻脈性不整脈 〈岡村英夫〉
   1.危険な不整脈か? 頻脈性不整脈の分類
   2.心室性不整脈
   3.上室性不整脈
 4.弁膜症 〈田中 旬〉
  a.弁膜症(総論)
   1.問診
   2.視診と触診
   3.聴診
   4.検査
   5.治療
  b.僧帽弁狭窄症(MS)
   1.病因
   2.病態
   3.自然歴
   4.診断
   5.治療
  c.僧帽弁閉鎖不全症(MR)
   1.病因
   2.病態
   3.自然歴
   4.診断
   5.治療
  d.大動脈弁狭窄症(AS)
   1.病因
   2.病態
   3.自然歴
   4.診断
   5.治療
  e.大動脈弁閉鎖不全症(AR)
   1.病因
   2.病態
   3.自然歴
   4.診断
   5.治療
  f.連合弁膜症
   1.概念
   2.ASとMSの合併
   3.ASとMR
   4.ARとMS
   5.ARとMR
   6.MSとTR
 5.感染性心内膜炎 〈田中 旬〉
   1.病態生理
   2.診断
   3.治療
   4.予防
 6.心筋症 〈岡崎英俊〉
   1.定義,分類
   2.肥大型心筋症
   3.拡張型心筋症
   4.拘束型心筋症
   5.不整脈源性右室心筋症
   6.特定心筋症
 7.心筋炎 〈瀬口 理〉
   1.概念
   2.分類
   3.診断
   4.臨床症状
   5.原因検索
   6.治療
   7.その他の心筋炎
 8.肺血栓塞栓症 〈小野文明〉
   1.急性肺血栓塞栓症
   2.慢性肺血栓塞栓症
 9.血管疾患 〈神津英至〉
  A.大動脈疾患
   1.大動脈解離
   2.大動脈瘤
   3.その他特殊な動脈瘤・血管疾患
   4.ステントグラフト
  B.静脈疾患
   深部静脈血栓症
  C.末梢動脈疾患
   ASO

4章 予防医学
 1.高血圧 〈又吉哲太郎〉
   1.疫学
   2.機序
   3.予防・治療法
   4.二次性高血圧症
 2.糖尿病 〈中野 敦〉
   1.疫学
   2.予防・治療法
 3.高脂血症 〈八木秀介〉
   1.概念
   2.動脈硬化の発生機序
   3.予防,治療方法
 4.腎疾患 〈又吉哲太郎〉
   1.疫学:慢性腎臓病
   2.機序:心腎関連(Kidney-Heart Interaction)
   3.予防・治療方法
 5.メタボリックシンドローム 〈中尾一泰〉
   1.概念,歴史
   2.診断基準
   3.疫学
   4.診断
   5.予防
   6.治療
 6.心疾患と妊娠・出産 〈神谷千津子〉
   1.心疾患患者での妊娠の許可条件
   2.主な心疾患ごとの妊娠・出産管理の仕方
   3.主な先天性心疾患の遺伝率

索引