卒業してまもなくの頃でした.麻酔前訪問で病棟を訪れ,廊下を歩いている時に呻き声に混じって「痛いー!」という声を聞いて立ち止まりました.研修生の私でさえ,患者が痛みに苦しんでうめいている事は容易に理解できましたが,廊下を通る看護婦や医者も,病室の前にたたずんで耳をそばだてる私をとがめるような目つきで見据え,立ち去れ!というような仕草をしたのです.声の主とお会いする事はできませんでしたが,これが私とがん患者の痛みのとの出会いでした.今から30年前,1971年の秋の事でした.
 それから11年後,がんの痛みの治療に神経ブロックとブロンプトンカクテルを用いていた頃だったと思います.学会の途中で,淀川キリスト教病院を訪れ敬愛する柏木哲夫先生にお会いした時に,素晴らしい人柄に触れて舞い上がっていたこともあって「少し前までは,がんの痛みが治らないものですから,これが効かないと次にはこうしようと思いを巡らせ,凄く元気が良かったのですが,最近,多少技量が上がったのか,すこしづつ痛みが消失する患者が出てきました.すると,回診のときなど痛みとは関係のない症状や,時には死生観などを聞かれて,青菜に塩のような状況になってしまうんです」と自らの至らなさを話しました.しかしこの話を柏木先生は,癌性疼痛の治療から,緩和医療そして緩和ケアへの目覚めとして,講演会などで高く評価して下さったと聞いています.
 一般医師のほとんどが,癌性疼痛に苦しむ呻き声を聞いて,がん患者の痛みの治療に邁進して,そこから一歩進んで,あるいは成長して,緩和医療そして緩和ケアへと進んできたと思っています.
 かつて癌性疼痛の治療で仲間意識を持たせていただいた多くの方々の貴重な体験と豊富な知識に裏付けられた玉稿が,今回の「緩和ケア」の本を作る計画のために寄せられました.
 編集という役目がら義務感も禁じ得ないまま,本書のために寄せられた原稿を読み進むうち,最初の不埒な想いは消え去り,本邦における緩和ケアの歩みを余すところなく表した素晴らしい本ができると確信しました.しかし,本書を誉める資格があるのは,玉稿を寄せて下さった方々と苦労をともにした時代の人々だけではないでしょうか?
 本書が如何に素晴らしいものであっても,これから本書を読んで下さる多くの方々は,本書を絶賛したり,満足すべきではないと思います.読者は,本書から学ぶだけではなく,学んだものを直ぐに自らの血や肉に変え,本書では物足りなくなるのが義務だと考えられるからです.新しいメンバーによって早急に書き直されてこそ,本書の真価が発揮されるのではないでしょうか?それは,緩和ケアの分野は,非常に奥深い分野でありながら,現段階は,やっとよちよち歩きができるようになったに過ぎないからです.
 本書は,本邦の緩和ケアをここまで進歩させて来られた方々の全てがそそぎ込まれたといってもいい過ぎではない素晴らしい書であり,編集させていただいたことを心から感謝致します.また,本書を上梓するにあたって努力を払われた中外医学社の青木三千雄社長および久保田恭史氏を始めとする編集部の方々に深謝の意を表します.

2002年9月
東北大学付属病院緩和医療部 山室 誠


目 次

I.緩和ケアの概念 <石谷邦彦> 1
 1.ホスピスケアから緩和ケアへ  1
 2.日本緩和医療学会の創設  2
 3.緩和ケアのパラダイム  2
 4.明日へ  3


II.緩和医療とEBM <瀬戸山 修,石谷邦彦> 4
 1.臨床における意思決定とEBM  4
 2.緩和医療における臨床研究の現状  5
 3.意思決定に関与するEBMと臨床倫理学  8
 4.緩和医療研究の発展にむけて  8


III.症状緩和  10
 1.がん疼痛対策  10
  a.がん疼痛メカニズム <小川節郎> 10
   1.がん性疼痛の臨床的特徴  10
   2.がん性疼痛の分類  11
  b.がん疼痛のアセスメント <濱口恵子> 17
   1.がん疼痛の発生状況  17
   2.疼痛アセスメントが重要である理由  17
   3.アセスメントの実際  18
   4.アセスメントの工夫  22
   5.疼痛アセスメントにおける課題  23
  c.WHO方式がん疼痛治療法の基本概念 <村上 衛> 25
   1.WHO方式がん疼痛治療の段階的到達目標  25
   2.鎮痛薬投与の基本原則  25
  d.オピオイドによるがん疼痛緩和治療 <樽見葉子> 30
   1.オピオイドの基礎知識  30
   2.オピオイドの使用の実際  32
  e.弱オピオイドの使用法 <小川節郎> 38
   1.薬 理  38
   2.適 応  39
   3.実際の処方  39
   4.治療効果  40
   5.副作用の出現頻度  41
   6.治療継続期間と中止時期  41
   7.モルヒネへの移行  41
   8.効果,必要量,副作用に関する文献的考察  42
  f.非オピオイド(NSAIDs)の使用法 <近藤 仁> 43
   1.使う際の注意事項  43
   2.NSAIDsの作用機序  43
   3.NSAIDsの選択と投与量  44
   4.NSAIDsの相互作用と副作用  45
  g.オピオイドの副作用対策 <松元 茂> 47
   1.基本的な考え方  47
   2.症状別の対策  47
  h.鎮痛補助薬 <樽見葉子> 54
   1.抗うつ薬  55
   2.副腎皮質ホルモン製剤  55
   3.中枢性α2作動薬  55
   4.経口および非経口抗不整脈薬  56
   5.抗けいれん薬  56
   6.バクロフェン  56
   7.NMDA受容体拮抗薬  57
   8.その他  57
  i.緩和困難ながん疼痛の対策(neuropathic painを中心に) <小川節郎> 60
   1.痛みのモルヒネへの反応性  60
   2.neuropathic painの臨床的特徴  60
   3.neuropathic painの治療  61
   4.筋収縮による疼痛  64
  j.神経ブロック <山室 誠> 65
   1.神経ブロックの役割について  65
   2.実際に行われる神経ブロック  67
  k.放射線治療 <喜多みどり> 71
   1.骨転移の診断  71
   2.放射線治療  72
   3.治療成績  74
   4.放射線治療に伴う副作用  74
  l.外科治療 <君島伊造> 76
   1.原発性,転移性腫瘍に伴う痛みに対する外科治療  76
   2.手術により生じる疼痛  78

 2.消化器症状の対策 <前野 宏> 82
  a.嘔気・嘔吐  82
  b.便 秘  85
  c.下 痢  87
  d.消化管閉塞  89
  e.腹 水  91
  f.口腔ケア  92

 3.呼吸器症状の対策 <野村直弘> 95
  a.呼吸困難  95
  b.咳 嗽  98
  c.胸 水  99

 4.その他の症状の対策  101
  a.褥 瘡 <渡辺 正,堀内美喜子> 101
  b.リンパ浮腫  104
  c.かゆみ  105
  d.全身倦怠感 <前野 宏> 106
  e.食欲不振  108
  f.高カルシウム血症  110

 5.緩和ケアにおけるステロイドの役割 <鄭 陽,森田達也,井上 聡,千原 明> 112
   1.薬理作用  112
   2.使用開始の適応  112
   3.投与の実際  112
   4.副作用  114

 6.終末期がん患者に対する輸液治療のガイドライン <森田達也,鄭 陽,井上 聡,千原 明> 116
   1.一般的事項  116
   2.臨床的事項  117

 7.セデーション <樽見葉子> 121
   1.不応性の症状とは  121
   2.セデーションの歴史  121
   3.セデーションの定義  122
   4.インフォームド コンセントと方針決定  123
   5.セデーションの方法  123
   6.生命予後を短縮への懸念  123


IV.がん緩和療法  125
 1.緩和的化学療法 <赤澤修吾> 125
   1.Palliative chemotherapyの概念  125
   2.Palliative chemotherapyの実際  126

 2.緩和的放射線療法 <喜多みどり> 131
   1.放射線治療の適応  131
   2.脳転移  131
   3.Pancoast腫瘍  133
   4.腫瘍からの出血  133
   5.腫瘍による狭窄・閉塞  134

 3.緩和的外科療法 <秋山守文> 136
   1.外科的緩和医療にはどのようなものがあるか  136
   2.外科的緩和療法の実際  139


V.サイコオンコロジー  141
 1.サイコオンコロジーとは <皆川英明,新野秀人> 141
   1.サイコオンコロジーの発展  141
   2.サイコオンコロジーの実際  143

 2.がん患者の精神症状と薬物療法 <岡村 仁,内富庸介> 145
   1.適応障害  145
   2.大うつ病  146
   3.せん妄  147

 3.がん患者の精神療法 <保坂 隆> 149
   1.精神療法の種類  149
   2.精神療法の形態  150
   3.がん患者の精神療法に関する最近の状況  150

 4.オンコロジーソーシャルワーク <田村里子> 152
   1.オンコロジーソーシャルワーク  152
   2.ソーシャルサポート  152
   3.がん患者にとっての対象喪失  154
   4.グリーフワーク  155

 5.音楽療法 <松本典子> 157
   1.音楽療法  157
   2.緩和ケアと音楽療法  158
   3.今後の課題  159


VI.QOL  160
 1.QOLの基礎理論 <清水哲郎> 160
   1.<QOL>とは何か  160
   2.医療におけるQOL  161

 2.QOLの評価法 <石川邦嗣> 164
   1.進行期の緩和ケアのQOL評価  164
   2.終末期の緩和ケアのQOL評価  167


VII.緩和ケアにおける倫理学  170
 1.倫理的問題・評価・指針 <清水哲郎> 170
   1.<倫理>といわれる問題領域  170
   2.倫理原則  171
   3.倫理的問題の性格  172

 2.インフォームド コンセント <末永和之> 174
   1.ICの概念  174
   2.歴史的背景  174
   3.真実を伝えること  175
   4.医療者としての注意点  177

 3.生死に関わる症状コントロール <清水哲郎> 178
   1.WHOの見解  178
   2.延命と縮命の狭間で  179

 4.臨床倫理の実践 <濱口恵子> 181
   1.なぜ緩和医療の分野に臨床倫理が重要なのか  181
   2.臨床倫理とは  182
   3.臨床倫理の機能  182
   4.臨床倫理を分析する枠組み  182
   5.わが国における臨床倫理委員会の活動状況  184
   6.緩和医療の分野でどのような臨床倫理的問題があるのか  184


VIII.スピリチュアルケア <石川邦嗣> 186
   1.スピリチュアルペインの定義  186
   2.spiritual well-beingの評価  187
   3.スピリチュアルケアの実践方法  188


IX.緩和ケアのリハビリテーション <大川弥生> 191
   1.リハビリテーション医学の特徴  192
   2.緩和ケアにおけるリハビリテーションの特徴  193
   3.具体的アプローチ  193


X.AIDSの緩和ケア <永井英明> 199
   1.HIV感染症の予後  200
   2.HIV感染者にみられる症状とその対策  200


XI.小児悪性腫瘍の緩和ケア <伊藤知賀子,恒松由記子> 204
   1.小児のがん死亡の動向  204
   2.診断時の精神的支援  204
   3.緩和ケアへの移行  204
   4.子どものがんの終末期の症状  205
   5.小児がんにおける疼痛のアセスメントとマネジメント  205
   6.がん末期の子どもを援助するためのガイドライン  208


XII.在宅ケア  209
 1.在宅ホスピスケアガイドライン <高澤康子,石垣靖子> 209
   1.在宅ホスピスケアとは  209
   2.在宅ホスピスケアの目的  209
   3.在宅ホスピスケアのガイドライン  209

 2.在宅ホスピスケアマネージメント <濱口恵子> 214
   1.インフォームド コンセント  214
   2.在宅ホスピス患者・介護者の満足度とその影響要因  215
   3.症状緩和  216
   4.精神的・社会的サポート  217
   5.家族のケア  217
   6.在宅ホスピスケアを支えるシステム  218

 3.在宅における看取り <高澤康子,石垣靖子> 220
   1.身体症状の変化とその対応  220
   2.看取り  221

索 引  224