改訂3版にあたって

 前回改訂から15年経過した.前回の経験から,血液ガスのテーマは古くなりにくいことは判明しているが,それでもいくつか問題があっていろいろと変更を加えた.
 第1章では,「単位の問題」をしっかりした項目として書き直して「ヘクトパスカルの採用」を促した.
 温度補正の章は前回の改訂でも短縮したが,今回はさらに簡略化した.装置自体が温度補正を完璧に行うので実際的な意義は乏しいからで,ただ基礎の論理だけを伝えるように心がけた.
 付け加えたことも少しある.機器では手持ち式の小型のものと経皮電極の記述を少し増やした.「新しいことはすぐ古くなる」ので,あまり新しいことを盛り込み過ぎないように注意はしたが,それでもインターネットに無料公開されている論文やエッセイなどは念のためにURLを示した.ノーベル賞委員会やいくつかの学会のホームページなどである.無料公開がいつまで続くか不明の要素もあるが,信頼できる組織のサイトなので永続することを期待しよう.
 6章の「測定」に“9.モニターと測定”として,「モニター」と「測定・検査」の違い,「モニター機器」と「測定器・検査機器」の違いを考察した.血液ガスは従来から「モニター」的な意義も大きかったが,パルスオキシメーターが普及して「モニターの考え方」を明確にする必要が大きくなった故である.今の自分の気持ちは,この部分を独立した章としたいくらい強いが,あまり大声をだすよりも自然に知らせるつもりで,短い記述と表1つだけに留めた.なお,内容の一部とくに測定の部分に関して,ラジオメーター社の柳澤仁志氏に教えを頂き,新しい装置に関して学ぶところが多かった.
 付録として「血液ガスと呼吸管理関係の年表」を掲載した.当初は自分用のメモとして作成したのだが,何人かの方々から便利というコメントを頂いたので今回はじめて掲載した.

 本書の初版はもちろん手書きであり,2度目の改訂の際は当時としては新鋭であったノートパソコン(東芝の初代 Dynabook)に手で入力した.当時は日本語OCRはパソコンレベルにはなく,それに著者はスキャナーをもってもいなかった.その際の原稿がファイルに残っていたので今回の改訂にも使用した.ミスが多数みつかったものの,一方で有用性も痛感した.
 最初の執筆が1975年で,以来丁度30年経過している.学術的な内容のものでこれだけ永い寿命を保てているのは,たまたま取り組んだテーマに恵まれた点はもちろんだが,世代が変わりながらも愛読して下さっている読者の方々の御支持があってこそである.さらに,当初からの盟友である荻野邦義氏をはじめとする中外医学社の方々の努力にも大きく依存している.あらためて感謝の意を表したい.

 2005年冬
 帝京大学 諏訪邦夫


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 初版のまえがき

 血液ガス,すなわち血液における酸素と炭酸ガスとpHの生理学の確立と測定法の普及とは,1960年頃からの医学・臨床医療における重要な前進拠点であったといえよう.肺結核にかわって登場した慢性肺疾患の診療と,外傷・手術などによる急性呼吸不全の管理(Respiratory Care Unitの使用)の双方は,この血液ガスの進歩があって初めて可能であったことである.
 したがって血液ガスの知識は,急性呼吸不全患者や慢性肺疾患患者の診療にたずさわる医師やICUのナースには絶対に必要なものである.それにもかかわらず,この方面の教科書はきわめて少い.本書はこうした若手医師とナース,および臨床医学のこの領域に関心をよせる医学生のために著わしたものである.
 本書執筆を決断してから完成するまでの速度はかなり迅速であった.これは一つには著者自身がこの面の仕事を専門にして資料もそろっており,今までに雑誌に寄稿したものや,講義案などがあって,それらを一部採用したことなどにもよるが,何よりも著者自身の内的な欲求,「臨床医の役に立つ血液ガスの教科書をかこう」という欲望がつよかったためである.
 本書は「基礎的教科書」の立場上,標題のすべてを網羅するという形をとっていない.何よりも基本的な事項を迫力をもって読み,理解してもらうことを目的としている.参考文献なども逐一掲げていない.数多く挿入した「註」と「メモ」とはどうしても無味乾燥になりがちな記述のオアシスのつもりである.
 巻末に参考文献をその内容とともに紹介したが,これは第IV部とともに,今後血液ガスをもう少し深く追求したいと考える人達に役立たせる目的である.
 本書の完成に当っては数多くの人達の助力をうけた.ハーバード大学とカリフォルニア大学において前後6年半の間,初めは教えをうけ,後には討論の相手となり,著者の思考活動を助けてくれた現コロンビア大学麻酔学教室のH.H.Bendixen教授,著者のこの面の仕事を支持・助力して下さった東京大学山村秀夫教授を始めとする教室諸兄,血液ガスに関して種々の具体的な助言をいただいたハーバード大学麻酔学教室M.B.Laver教授などは直接の助力者である.肺機能セミナー勉強会を始めとする各種研究会,学会などを通じて知りあった日本における呼吸生理の研究者の方々,Federation MeetingでのRespiration Dinnerやハーバード大学でのガスクラブなどで知った米国での呼吸生理学者達にも啓発されるところが多かった.
 中外医学社の荻野邦義,高橋衛両氏はじめスタッフには本書の成立に大変に骨折っていただいた.ここに述べて感謝の意を表したい.

 1976年 春 東京にて
 諏訪邦夫


目次

  改訂3版にあたって  i
  初版のまえがき  iii
  本書の通読にあたって  v
  語彙と正常値  vi

I ◆生理
§1.“PaO2=100mmHg”とは何のことか  1
 1.血液の“ガス分圧”とは何か  1
 2.ガス相における気体の分圧  1
 3.大気と吸入気・水蒸気の取り扱い  2
 4.“液体のガス分圧”とは  3
 5.酸素分圧PO2と酸素含量CO2との関係  4
 6.1.34か1.39か  4
 7.酸素飽和度とPO2  5
 8.酵素解離曲線の憶え方  6
 9.酸素の血漿溶解度  7
 10.圧の単位に関して  8

§2.PaO2を規定する因子  10
 1.PIO2と換気  10
 2.肺胞から肺毛細管への酸素の移動  13
 3.フィックの原理  13
 4.肺のガス交換効率の評価:理想的な肺の場合  14
 5.効率0%の肺 ----これでは生きられない!  16
 6.ガス交換効率の表現:シャント率  17
 7.シャント率の測定と計算:シャント式  18
 8.A-aDO2という指標とシャント式のグラフ表現  22
 9.Pao2/Fio2  24
 10.肺での酸素摂取障害発生のメカニズム  25
 11.解剖学的シャント  25
 12.無気肺  26
 13.拡散障害  26
 14.換気血流比の不均等  27
 15.「効率」に対する換気量・血流量・吸入気酸素濃度の作用  30
 16.メカニズムの分析はガス交換データからは無理  31
 17.酸素摂取効率を表すその他の指標  32

§3.PaCO2を規定する因子  34
 1.PACO2とPaCO2とは等しい  34
 2.換気と二酸化炭素呼出 ----0.863の意味  34
 3.肺胞気式 ----理解記憶に便利なわかりやすい形  36
 4.二酸化炭素呼出の効率 ----呼吸死腔  38
 5.生理的死腔=解剖的死腔+肺胞死腔  40
 6.解剖的死腔 ----気道容積の指標だが機能的概念である?!  41
 7.肺胞死腔  41
 8.a-ADCO2とは ----この矛盾した表現----
          呼気終末Pco2の意義  43
 9.換気停止と血液ガス  44
 10.〈無呼吸酸素化〉とPaCO2  45

§4.PCO2とpH ----酸塩基平衡の初歩  47
 1.二酸化炭素は種々の形で血液中に存在する  47
 2.Henderson - Hasselbalch式はなぜ重要か  47
 3.Henderson - Hasselbalch式を何に用いるか  49
 4.二酸化炭素平衡曲線  49
 5.酸塩基平衡の各種表示  51
 6.酸塩基平衡障害の異常と判定 ----BBとBE  53
 7.BE曲線の意味は?  56
 8.重炭酸イオンとTotal CO2  58
 9.全身の二酸化炭素平衡曲線とBEの使用  58
 10.酸塩基平衡異常の概算  60

§5.酸素と二酸化炭素レベルの異常への反応  62
 1.PaO2低下の検出と化学受容体  62
 2.PaO2低下への反応  63
 3.PaO2低下による反応を患者でみつけるのはむずかしい  66
 4.ハイパーオキシアの障害  67
 5.PaO2の正常なハイポキシア
     ----一酸化炭素中毒・メトヘモグロビン血症など  68
 6.PaO2低下への慣れ ----高地居住と慢性肺疾患  69
 7.PaCO2の検出  70
 8.PaCO2変化への応答 ----換気の制御  71
 9.PaCO2変化への応答 ----換気以外の反応  73
 10.CO2ナルコーシス  74
 11.低二酸化炭素血症  75

II ◆測定
§6.測定の基本  78
 1.何を測るか  78
 2.装置の基本構造  79
 3.PO2電極の基本構造と動作原理  80
 4.pH電極の構造と動作原理  84
 5.PCO2電極の構造と動作原理  87
 6.機種の選択  91
 7.パルスオキシメーター  92
 8.カプノメーター  94
 7.モニターと測定  94

§7.測定の実際  97
 1.動脈穿刺と動脈カテーテル挿入  97
 2.サンプルの取り扱い  102
 3.測定上の注意  104
 4.数値の処理  104
 5.血液ガスの連続測定とパルスオキシメトリ  105

§8.血液ガス値の温度補正  107
 1.温度補正の基本的な考え方  107
 2.温度係数  108
 3.実例による計算  111
 4.PO2の温度係数は一定でない  113
 5.補正はどんな場合に必要か  114
 6.PO2の温度補正のノモグラム  117
 7.温度補正に対する理念的な疑念
        ----温度補正は裸の王様か  117

III ◆演習問題と症例
§9.演習問題と症例  119

IV ◆より深い知識を求める方々に
§10.血液による酸素の運搬 ----酸素解離曲線  147
 1.酸素解離曲線は臨床の医師にも身近なものである  147
 2.ヘモグロビンの分子化学  148
 3.ODCの形とその分子化学的意義  152
 4.ODCの移動(曲線の移動)  158
 5.ODCの測定描記  174
 6.酸素含量の直接測定  175

§11.血液による二酸化炭素の運搬  177
 1.血液による二酸化炭素の運搬は複雑である  177
 2.血液の二酸化炭素に関する正常値  177
 3.二酸化炭素の諸相  178
 4.二酸化炭素諸相の量的割合  182
 5.二酸化炭素含量を計算で出すのはむずかしい  182
 6.ホールデン効果とその本態  183
 7.酸素,水素イオン,二酸化炭素,2, 3DPGと
            ヘモグロビンとの相互作用  185
 8.炭酸脱水酵素  189
 9.血液での重炭酸イオンの生成と塩素移動  191

§12.O2 - CO2ダイアグラムと肺のガス交換  195
 1.O2 - CO2ダイアグラム ----直接臨床の役にはたたないが,
          理解しておくと居心地良いものの例  195
 2.純酸素吸入の場合の肺胞気組成  196
 3.空気吸入時の肺胞気式  198
 4.肺胞気式 ----正しい補正項とその意味  199
 5.血液R線と4象限での表し方  202
 6.ガスR線と血液R線との交点 ----VA/Q線の出現  203
 7.O2 - CO2ダイアグラムの応用  206

参考文献  211
附   血液ガスと呼吸管理関係の年表  216

索引  217