本書は,医学,歯学,薬学,看護学,およびその関連分野の人々,いわゆるメディカルサイエンスあるいは,ヘルスサイエンス領域で活躍する人々を対象とした統計学の入門書である.

 とかく統計学は難しい,難解だ,などと言われ,敬遠される学問領域に属している.しかし,小規模な調査や実験,あるいは,自分達がデータを保持・保存している臨床データから臨床疫学的なまとめをしたとしても,それを学会,研究会や地方会などで報告する場合には,統計的処理がなされていないと,意味がないとか,科学的でないといった非難・批判を受ける場合も間々みられる.そういった批判が必ずしも的を得ているとは限らないが,本書は,そのような状況に対応できるように統計学,特に医学統計学の基礎的手法,標準的方法を中心に解説したものである.

 実際,統計が必要な場合,われわれが問題とするのは「推定と検定」が中心であり,大部分である.しかし,今までの統計の教科書や解説書では,その目次,構成はほぼ似たような形をとり,「統計とは」ではじまり,母集団と標本,度数分布,代表値,散布度,確率分布,順列組み合わせなどが綿々と連なり,テキストの1/3あるいは半分がその内容に費やされ,その後にようやくお目当ての「推定と検定」が登場する.しかし,ここまで到達する人は全体の半数以下ではないかと思う.そしてかりに「推定と検定」の章に到達できたとしても,自分のデータにはどのような統計手法が最適なのか,なかなか自信を持って判断できないことが多く,結局うやむやに終わってしまうか,統計手法の適用をあきらめてしまうことが多い.せっかく自分の実験や調査結果に対して統計的な検討をしてみようと思っても,こうして挫折してしまう場合がかなりの数に上るという.そして,ますます統計学は難しい,難解だ,統計の専門家しか理解できないなどと思われるようになるのである.

 そこで本書では,今までのテキストで多くのページを費やしてきた,統計とは,母集団と標本,度数分布,代表値,散布度,確率分布,順列組み合わせなどの解説を極力少なくし,「推定と検定」にほとんどのページをさき,具体例を中心とした解説をし,図も多用しているのでイメージとしても理解しやすいと思う.

 私のように疫学,医学統計学,医療情報処理を専門とする人間は日本ではまだ少ない.アメリカではepidemiologist; 疫学者,biostatistician; 生物(医学)統計学者,medical information scientist; 医療情報学者の数も多く,世の中でも相応の位置を占めている.しかし日本では数が少ないこともあり,万屋的な商売となっている.そして,日常的に多くの臨床家や,基礎医学研究者から種々雑多なデータが持ち込まれ,その問題解決,時には研究の指針まで提供する立場に立たされてしまう.そんな中で他の研究者と一緒に悩んできた過程を,端的にわかりやすく解説していきたいと思う.

 こうした現状の下,本書は医学,歯学,薬学,看護学,およびその関連分野の人々を対象とした統計学の入門書で,標準的な手法を理解し,医学統計の常識を身につけ,さらには,統計の誤用・悪用をなくし,「統計の正しい利用法」を身につけられるようにしてある.

 そしてその特長は;

I「推定と検定」に重点をおく.

II 難しい数式を少なくし,イラストなどを増やす.

III 例題を多くし,解説をていねいにする.

IV 「統計の正しい利用法とEvidence Based Medicine」を解説する.

である.

 “I「推定と検定」に重点をおく”については,統計学の基礎的・入門的・標準的手法の中でも特に「推定と検定」の解説に力点をおくということである.医学・医療の研究や実験的研究,地域での研究を進める場合にはさらに複雑な手法,例えば多変量解析などが必要となる場合もありうるが,その際には他の参考書を利用されるか,生物統計の専門家に相談する必要があるであろう.

 “II 難しい数式を少なくし,イラストなどを増やす”については,数式の記述もできる限りコンパクトにし,文章による説明も最小限とした.あまり長い文章だとかえって混乱を来たし,どこまで覚え,理解すべきかわからなくなり,理解不能に陥るという人が多いからである.また理解の助けとしてイラストを用いイメージ的に解釈できるようにした.

 “III 例題を多くし,解説をていねいにする”ことで,実際自分たちの直面する問題についても応用が簡単にできるものと考えられる.各章・節ごとに各種検定法に対応した例題を取り上げ,計算の仕方も含め詳しく解説している.

 “IV 「統計の正しい利用法とEvidence Based Medicine」を解説する”については,陥りやすい統計の誤用,解釈の誤り,ふだん統計を使っている時に一般研究者が疑問に思うことなどに関してていねいに解説している.情報化社会の現代・未来を生きていく若い研究者・保健医療従事者としての医学統計学・生物統計学の常識や証拠に基づく医療,正しい研究法の考え方も身につくように心掛けている.

 また本書の記載内容は大きく4つのLEVELに分けて記載してある.各項目のはじめに示してあるので,自修の際の参考にしてほしい.LEVELタ4は最初は読み飛ばして差し支えない.

 実際の必要な場面に遭遇した時,他の参考書と併せて読んで理解していただきたい.

 LEVELの内容は  LEVEL 1 基礎的必須事項 LEVEL 2 基礎的重要事項 LEVEL 3 やや応用的事項 LEVEL 4 応用的事項

となっている.

 おおよその目安として  大学生,専門学校生    LEVEL 1+2+3

             大学院生,若手研究者以上 LEVEL 1+2+3+4

と考えてよいであろう.

 また,各章のはじめにKEY WORDS を設けたので,その言葉の意味内容はしっかり把握していただきたい.

 本書によって,統計嫌いの人が少しでも減少し,医学統計学は便利で有用なものであることを理解してくれる人が増加することを願ってやまない.執筆にあたっては完全無欠をめざしたつもりであるが,不備や欠点がみつかるかも知れない.お気づきの点があれば,遠慮なくご意見,ご批判をいただきたい.次回改訂版作成の際の参考として利用させていただきます.本書が多くの人の目にとまり,教育上,実務・研究上に役立つことを願ってやまない.

 本書を執筆するにあたり,中外医学社の小川孝志氏に非常にお世話になった.また,総武病院社会精神医学研究所の門倉真人医師,東京慈恵会医科大学環境保健医学教室の大学院生西村理明医師,辻洋子医師,浅尾啓子医師をはじめとする皆様にも多大な協力とご援助をいただいた.また,イラストなどの作成においては縣千聖嬢に大きな援助をいただいた.ここに記して感謝の意を表したい.

1997年3月   

著 者   

目次

1.医学統計の必要性                        1

 1.1 統計学とは                         1

 1.2 効果の判定,治療方針の決定                 4

2.推定と検定の基礎知識                      6

  2.1 統計資料の種類                       6

 2.2 分布の表示                         7

  2.3 特性値                       10

    2.3.1 平均値                       10

    2.3.2 順位を示す特性値                  10

    2.3.3 散布度                       11

  2.4 確率分布                      13

    2.4.1 正規分布                      13

    2.4.2 正規分布の性質                   15

  2.5 相関と回帰                       20

    2.5.1 相関係数                      20

    2.5.2 順位相関係数                    21

    2.5.3 回帰直線                      22

3.推定                             24

  3.1 母集団と標本                       24

3.2 点推定と区間推定                     26

 3.3 母平均の推定                       27

 3.4 母(集団)比率の推定                   30

    3.4.1 正規分布による近似                 30

    3.4.2 F分布から算出する方法               31

 3.5 母相関係数の推定                     32

    3.5.1 母相関係数の有意性の検定(ρ=0の検定)      32

    3.5.2 母相関係数の推定(ρ≠0の場合)          33

4.検定 概論                         35

  4.1 仮説検定,帰無仮説,対立仮説               35

  4.2 両側検定,片側検定                    37

  4.3 有意水準,第1種の過誤,第2種の過誤           37

4.4 検出力,標本数                      40

    4.4.1 母比率の検定に必要な標本数             40

    4.4.2 母平均の検定に必要な標本数             41

    4.4.3 2つの標本比率の検定に必要な標本数         42

    4.4.4 2つの標本平均の検定に必要な標本数         43

4.4.5 標本数nが等しくない場合(n1≠n2)       44

5.検定 各論1 度数と比率の検定               45

  5.1 度数の検定                        45

    5.1.1 適合度の検定                    45

    5.1.2 独立性の検定                    47

    5.1.3 Fisherの直接確率法                 50

    5.1.4 McNamar テスト                   52

    5.1.5 関連係数                      53

    5.1.6 Habermanの残査分析                 55

  5.2 母比率の検定                       57

    5.2.1 2項検定                      57

    5.2.2 正規分布に近似する方法               58

  5.3 独立2標本の比率の検定                  59

  5.4 対応2標本の比率の検定                  61

 

6.検定 各論2 平均と代表値の検定              63

  6.1 母平均の検定                       63

    6.1.1 母分散が既知の場合の母平均の検定          63

    6.1.2 母分散が未知の場合の母平均の検定          65

  6.2 独立2標本の平均値の検定                 67

    6.2.1 母平均が既知の場合,μ1=μ2の検定        67

    6.2.2 母平均が未知だが等しい場合,μ1=μ2の検定    69

    6.2.3 母平均が未知で等しくない場合,μ1=μ2の検定   74

  6.3 対応2標本の平均値の検定                 76

  6.4 独立2標本の代表値の検定                 81

    6.4.1 中央値検定                     82

    6.4.2 Mann-WhitneyのU検定                85

    6.4.3 Kolmogorov-Smirnovの検定              88

  6.5 対応2標本の代表値の検定                 90

    6.5.1 符号検定                      91

    6.5.2 Wilcoxonの符号付順位検定              93

7.検定 各論3 相関と回帰における検定            97

  7.1 母相関係数の検定                     97

  7.2 順位相関係数の検定                   101

    7.2.1 Spearmanの順位相関係数rsの検定         101

    7.2.2 Kendall の順位相関係数τの検定          103

  7.3 切片の検定                       105

  7.4 傾きの検定                       106

    7.4.1 連続量の場合                   106

    7.4.2 離散量の場合 Mantel-extension法         114

  7.5 偏相関係数の検定                    118

  7.6 重相関係数の検定                    124

8.検定 各論4 対応多標本の検定              127

  8.1 1元配置分散分析                    127

  8.2 分散の等質性の検定                   134

  8.3 2元配置分散分析                    136

8.4 ラテン方格法                      143

  8.5 Kruskal-Wallis検定                   146

  8.6 Friedman検定                      149

9.Q&A 統計の正しい利用とEvidence Based Medicine の                  発展に向けて                   152

  Q1 平均値を求める場合,計算はどの桁まで行えばよいので

     しょうか.                      152

  Q2 検定を行う前に考えておかねばならないことは何ですか. 153

  Q3 データをまとめる際には 平均値±標準偏差 で表現す

     ればよいのでしょうか.                160

  Q4 標準偏差(SD)と平均の標準誤差(SEM)の違いは

     何ですか.また,どのように使い分ければよいのでしょ

     うか.                        161

  Q5 比,比率で表現するとどんなメリットがありますか.そ

     の時注意しなければいけないのはどんな点ですか.    162

  Q6 どんな検定法により検定を行えばよいのですか.     164

  Q7 正規分布に基づくパラメトリック検定は,データが正規

     分布していないと利用できないのですか.        170

  Q8 検定法により結果に差がある場合はどうしたらよいので

     すか.                        171

  Q9 統計的有意性は本当に意味がありますか.また,その逆

     はどうなるのでしょう.                171

  Q10 対象を変えた複数の調査・実験でまったく逆の結論が出

     た場合,どう解釈したらよいのでしょう.        172

  Q11 予後の生命表解析とか,Kaplan-Meier法とはどんなもの

     なのですか.使用する時の注意もお願いします.     173

  Q12 臨床試験を行う時どんな点に注意して実施すればよい研

     究ができますか.                   178

  Q13 臨床試験のプロトコールを作成した時どのような点に注

     意してチェックすれば完全,またはそれに近いプロトコ

     ールができますか.                  183

  Q14 Evidence Based Medicine とはどのようなものですか.  185

付表 統計数値表

  付表1 対数表                       186

  付表2 二乗表                       188

  付表3 標準正規分布表                   190

  付表4 Poisson 分布表                   191

  付表5 t分布表                      192

  付表6 χ2表                       193

  付表7 z変換表                      194

  付表8 F分布表                      196

  付表9 Wilcoxon符号付順位検定表              198

  付表10 Mann-Whitney U検定表                199

  付表11 2標本Kolmogorov-Smirnov検定表(D)        203

  付表12 Spearman順位相関係数検定表             203

  付表13 Kendall 順位相関係数検定表             204

  付表14 Kruskal-Wallis検定表                205

  付表15 Friedman検定表                   206

  付表16 歪度・尖度検定表                  208

索引                              209