本書の目的と構成

 精神科の救急診療場面では,必要に応じて冷静に鎮静処置を行いつつ鑑別のための診察・検査を実施し,同時に全身状態への配慮・潜在する身体疾患を見極めるといった体系立った技術や考え方が必要である.それは精神科医にとって本来当然のことがらであるが,いざ直面すると場当たり的な対応に陥りがちである.そこで本書は,現場の時間の流れに沿った構成をとり,精神科救急専門の現場に限らず,外来,コンサルテーション・リエゾン,当直などあらゆる現場で発生する救急場面での体系的な診療技術の習得を意図した.いずれの現場でも即応性・軌道修正可能・安全性・確実性といったことがらの並立を目指す基本的な考え方や技術は同じであるため,臨床研修医であれば本書を通して精神科診療の思考の流れや技術の学習を,精神科専門医であれば経験や知識の整理を兼ねた利用を願っている.
 本書は,総合病院型の東京都立墨東病院と精神病院型の東京都立松沢病院・北里大学東病院で精神科救急医療に長く携わってきた経験と臨床研究の成果を背景にしている.これらの現場ではいずれも朝8時台から,夜間に入院した症例を中心とした申し送り・検討で仕事が始まる.その緊張感の中で,今そして次の瞬間に何をなすべきかといった診療行為の順序立てや情報処理能力が育まれていくのだろうと思われる.本書に記した事項は,若いうちに志願して救急の現場に身を投じなければ体得することが困難であるかもしれない.しかし,精神科医として医師を名乗り,それで収入を得て社会で生かしてもらう以上,少なくともその領域の急患対応ができなくては社会に対しての背信である.本書を通して,単に小手先の技術のみでなく,短時間に次々に行う医療行為の全体を貫く意識についても理解されることを願っている.

 なお,本書は精神科救急診療のすべてを網羅するものではなく,精神医学的・心理的・社会的特性の評価や支持的介入など現場の医師にとって当然過ぎることは省略した.本書の内容が必ずしもすべての患者に好ましい結果をもたらすわけではなく,患者の個別性,主治医の裁量が優先されることは言うまでもない.本書の内容に関して,いかなる原因で生じた障害,損害に対しても著者は免責される.
 本書刊行に際してお世話になった中外医学社の小川孝志氏・宮崎雅弘氏・井上理香氏に謝意を表する.

2005年10月
著者


目次

第1章◆救急受診の相談に対する電話でのトリアージ  1
1.精神科救急医療における電話の役割  1
2.電話相談の内容別の対応  1
  1)暴力を伴う言動の異常や興奮  2
  2)暴力を伴わない言動の異常・興奮  2
  3)無動,摂食量の著しい低下,奇異な姿態  3
  4)大量服薬による自殺企図  3
  5)大量服薬以外の自殺企図・自傷  5
  6)落ち着かなさ・徘徊を伴う希死念慮  5
  7)落ち着かなさ・徘徊を伴わない希死念慮  5
  8)不安・いらいら  5
  9)身体愁訴  6
3.薬剤の副作用に関する電話相談とその対応  6
  1)アカシジア  7
  2)ジストニア  7
  3)パーキンソン症候群  9
  4)せん妄  10
  5)嘔気  10
  6)ふらつき  10
  7)向精神薬の離脱・中止後症状  11
  8)リチウム中毒  11
  9)薬疹  12
  10)肺塞栓  12
  11)悪性症候群  12
  12)横紋筋融解症  12
4.一般病院・一般医からの大量服薬患者に関する相談への対応  12
  1)身体精査は十分になされたか  13
  2)意識の清明化  14
  3)抜管  14
  4)精神科診察への本人および家族の同意  14
  5)警察への通報について  15
  6)自殺再企図の危険性の評価  15
5.カウンセリング機能  16

第2章◆救急対応に必要な法の適用とインフォームド・コンセント  17
1.踏まえるべき法とその運用  17
  1)診察形態および入院形態  17
   a.措置入院および緊急措置入院  17
   b.医療保護入院  18
   c.応急入院  19
   d.任意入院  19
  2)違法薬物に関連する場合  19
   a.麻薬  19
   b.覚醒剤  19
   c.大麻  20
   d.有機溶剤  20
2.患者・家族に説明すべきこと  20
  1)入院決定前に説明することが好ましい事項  20
   a.治療環境について  20
   b.身体拘束や個室施錠について  21
   c.面会に関する原則  21
   d.転院の可能性  22
   e.入院中の自殺の危険性について  22
   f.使用する薬剤の作用と副作用  22
   g.突然死の可能性について  22
   h.入院させないことで予測される危険性について  22
2)入院決定後に説明すべき事項  22
   a.精神保健福祉法の入院形態に応じた口頭および書面による告知  22
   b.身体拘束あるいは隔離を実施する際はその告知  22

第3章◆救急対応に必要な診察・検査・処置  25
1.診察前に行うべきこと  26
  1)状況の把握:警官・救急隊・家族から情報を得る  26
   a.逸脱行動の把握  26
   b.急性発症か?  27
   c.器質因子・薬物因子の検討のための情報  27
  2)安全の確保  28
   a.攻撃性発現の抑止と徒手拘束の段取り  28
   b.その他の留意事項  29
2.診察  29
  1)問診と精神症状の評価:必ず確認すべきことは?  29
   a.判断能力・現実検討能力・病識の程度  29
   b.自殺の危険性  30
   c.見当識障害の有無  30
  2)身体診察:最小限すべきことは?  31
   a.呼吸機能の状態が精神科主体の診療の枠組みで問題ないか?  31
   b.循環機能の状態が精神科主体の診療の枠組みで問題ないか?  32
   c.頭蓋内圧亢進症状はないか?  32
3.鎮静法  32
  1)言語的介入  32
  2)徒手拘束  33
  3)薬剤による鎮静  34
   a.内服による鎮静  34
   b.筋注による鎮静  37
   c.静注による鎮静  38
4.検査  42
  1)器質因子の検討  42
  2)精神科救急患者特有の生理学的異常の評価  44
   a.脱水  47
   b.低K血症  47
   c.高CPK血症など筋原性酵素の高値  49
   d.白血球増多  50
  3)薬物因子の検討  50
5.行動制限  51
  1)身体拘束の適応  51
  2)身体拘束実施上の注意点  53
   a.阻血の防止  53
   b.誤嚥の防止  53
   c.深部静脈血栓・肺塞栓の防止  53
   d.点滴ルートや尿道カテーテルの抜去の防止  54
   e.ストレス潰瘍の防止  55
  3)個室施錠(隔離)  56
6.観察と身体管理・副作用対策  56
  1)必要な身体的観察項目  56
  2)身体管理  56
7.初期鎮静の効果に対する評価と中期的視点の治療への道筋  57
8.自傷・自殺行為に伴う障害に対して:大量服薬  57
  1)必要な機器,設備および技術  58
  2)必要不可欠な観察項目  58
   a.意識水準を評価  58
   b.気道閉塞の存在の有無と呼吸状態を評価  58
   c.嚥下性肺炎の存在の有無を検討  59
   d.循環系の評価  59
   e.低体温  59
   f.高体温  59
   g.けいれん  60
   h.横紋筋融解症  60
  3)胃腸からの薬剤の除去  60
   a.胃洗浄  60
   b.活性炭  61
   c.下剤  61
  4)経過観察  61
  5)その他  61
9.自傷・自殺行為に伴う障害に対して:外傷  62
  1)切創,刺創  62
  2)縊首,飛び降り  62
10.電気けいれん療法  62

第4章◆受診に至った問題点から状態・疾患カテゴリーの特定へ  67
1.興奮・焦燥・行動の逸脱・意味不明の言動  67
  1)せん妄・意識変容状態  68
  2)アカシジア  69
  3)緊張病性興奮  69
  4)幻覚妄想状態  70
  5)躁状態  70
  6)激越うつ・精神病症状を伴ううつ状態  71
  7)情緒不安定性あるいは器質性人格障害などの衝動性亢進  71
  8)精神遅滞・発達障害の不適応反応  71
2.寡動  71
  1)寡活動型せん妄  72
  2)悪性症候群  72
  3)緊張病性昏迷  72
  4)うつ病エピソード  73
  5)解離症状  74
3.自殺企図  74
4.過呼吸・呼吸苦・動悸などの身体愁訴  75
5.奇異な姿態  76
  1)薬剤性ジストニア  76
  2)その他  76
6.振戦・けいれん  77
7.記憶喪失  78

第5章◆特定された状態・疾患カテゴリー別の治療的対応  81
1.緊張病性興奮  81
2.せん妄・意識変容  82
  1)内服ができない場合  82
  2)内服できない理由が拒薬の場合  83
  3)内服可能で興奮を伴う場合  84
  4)内服可能で興奮を伴わない場合  85
3.幻覚妄想状態  86
4.緊張病性昏迷  91
5.躁状態  91
6.激越うつ・精神病症状を伴ううつ状態  93
7.中等症以下のうつ病エピソード  94
8.不安発作・心気・身体化  95
  1)不安発作に対して  95
  2)必要に応じて治療の一般論に関する確認  96
  3)救急対応後に主治医として中・長期的に関わる見込みである場合  96
  4)物質依存の場合  97
  5)高齢者の不安・心気に対して  97
9.解離症状  98
  1)催眠薬静注による面接について  98
  2)治療の枠組みについて  99
10.情緒不安定性あるいは器質性人格障害などの衝動性亢進  99
  1)入院適応の吟味  100
  2)暴力  101
  3)解離症状,不安発作様症状  101
  4)抑うつ様の愁訴  102
  5)薬物療法  102
11.精神遅滞・発達障害の不適応反応  104
12.錐体外路症状  104
  1)アカシジア  104
  2)ジストニア  105
  3)パーキンソン症候群  105
13.悪性症候群  105
  1)惹起薬剤の中止  105
  2)輸液  105
  3)鎮静  106
  4)その他  106
14.リチウム中毒  106
  1)中毒症状  106
   a.神経精神症状  107
   b.腎症状  108
   c.消化器症状  108
   d.循環器症状  108
  2)検査  108
  3)治療  109
15.物質・薬剤の副作用・中毒あるいは離脱症状  109
  1)薬剤  109
  2)覚醒剤  109
  3)アルコール  110
16.てんかん発作  112

第6章◆並存する身体疾患別の薬物療法および薬剤の相互作用  117
1.並存する身体疾患別の薬物療法  117
  1)頭部外傷,脳腫瘍  117
  2)パーキンソン病  117
  3)HIV脳症  119
  4)認知症  119
  5)呼吸器疾患  120
  6)循環器疾患  120
  7)肝機能障害  120
  8)腎機能障害  121
  9)消化器疾患  121
  10)妊娠・授乳期  122
2.薬剤の相互作用  123

第7章◆問題志向型の診療録記載  129
1.カルテは現場的には誰のために書くか?  129
2.見出し式の記載様式  129
3.カルテ性善説・医療者性悪説の司法に対応するために  131

索引  133