伊勢物語の最終章に,「ついにゆく道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを」という有名な歌がある.この無常観は,「明日は今日の延長にあらず」とも解釈できるだろうか.
 編者が大学を卒業した頃から,少子高齢化時代の到来が社会問題になり始めた.同時に,認知症にとって加齢は最大の危険因子だから今後認知症患者が激増するとも言われるようになった.また有史以来,私的な問題であった高齢者介護が初めて公的問題として注目されるようになった.
 当時は,「まだまだ先のこと,ピラミッド型人口構成はすぐに変わりはしないだろう」と高を括るところがあった.ところが介護保険制度が開始され,65歳以上人口は急増して20%を超え,この人口の10%近くが認知症といわれる今日に至った.流石に「昨日今日とは…」という感慨を抱く.
 この高齢化社会の諸課題の中でも最難題が認知症である.ところが認知症に対する医療も介護保険も甘くはない.削られ続ける診療報酬,2006年の介護保険制度の改定等々,「なんとも厳しくなったなあ」と痛感し続けている.高齢者の医療費無料・バブル経済の時代を経験した者なら誰しも,「明日は今日の延長にあらず」と思われることだろう.
 現時点では,認知症に至れば進行を止める術はない.せいぜい対症療法をしつつ,「呆けてもふつうに生きられる社会を作る」しかない.軽度認知障害(MCI)の概念が注目されるようになった背景には,認知症に先制の鉄槌を下して,当事者,家族そして国が被る被害を最小限に食い止めたいという切なる願いがある.
 本書の編集に際しては,まず認知症に関わるあらゆる職域の人々を意識した.そしてそれぞれに,MCIの正確な知見とすぐに使える技法を得ていただけるよう工夫を凝らした.執筆の先生方には編者のこの希望水準を遥かに超える原稿をお寄せいただいた.お蔭様で本書は最先端の内容と実用性を併せ持つ成書に仕上がっている.認知症に先手を打つ上で,読者の座右の書となることを願っている.

2007年4月
朝 田 隆


目次

基本項目

1.MCIの総論 <水上勝義>
  A.認知症の前駆状態・初期状態に関する概念の歴史
  B.認知症の重症度評価表における認知症前駆状態の位置づけ
  C.認知機能の低下に関する概念
  D.MCI(mild cognitive impairment)
  E.MCIに関する今後の課題

2.MCIの基礎疾患と鑑別診断 <谷向 知>
  A.MCIの多様性
  B.MCIの基礎疾患

3.外来におけるMCI診断のこつ <田北昌史>
  A.「物忘れ」の患者を診たら
  B.急に生じたら身体疾患などに注意
  C.それでも「物忘れ」がある場合

4.画像診断 : 形態・機能画像 <松田博史>
  A.画像統計解析手法の発展
  B.アルツハイマー病における画像統計解析結果
  C.アミロイドイメージング

5.生物学的マーカー <瓦林 毅 東海林幹夫>
  A.CSF Aβとタウ
  B.CSFマーカーの臨床検討
  C.MCIとCSFマーカー
  D.血漿Aβ

6.若年認知症の初期と対応 <宮永和夫>
  A.臨床症状に対する初期の対応
  B.心理面に対する初期の対応
  C.経済面に対する初期の対応
  D.BPSDに対する初期の対応
  E.将来への対応

7.認知症の予防 <布村明彦>
  A.加齢と認知症有病率
  B.血管系危険因子
  C.生活習慣上の危険因子・防御因子
  D.危険因子の重複によるリスク増大
  E.生活習慣改善による認知症予防
  F.薬理学的介入による認知症予防

8.高血圧,糖尿病など生活習慣病とMCI <古賀政利 井林雪郎>
  A.高血圧とMCI
  B.糖尿病とMCI
  C.脂質代謝とMCI
  D.飲酒とMCI
  E.喫煙とMCI

9.認知症の薬物治療 <浦上克哉>
  A.アルツハイマー病に対する塩酸ドネペジルの効果
  B.Very early ADに対する塩酸ドネペジルの効果
  C.MCIに対する塩酸ドネペジルの効果
  D.アルツハイマー型認知症以外の認知症への効果
  E.期待される根本治療薬と塩酸ドネペジルの将来的意義
  F.サプリメント
  G.今後の検討課題

10.告知と治療・生活指導
 10-1.MCI患者に対する告知と治療・生活指導 <藤本直規 奥村典子>
  A.MCIの告知について
  B.ある初期認知症患者への告知の経過
  C.MCI患者への治療・生活指導
  D.MCIの人の診療で大切なこと
 10-2.Clinical base(精神科)の立場から <尾籠晃司>
  A.告知するか否か?
  B.するならどう説明する?
  C.治療・生活指導はどうする?
 10-3.MCIの告知と治療・生活指導 <繁信和恵 池田 学>
 10-4.MCI状態の人への告知と治療 <山田達夫>
 10-5.MCIの告知 <鳥羽研二>
  A.告知するか否か
  B.説明方法
  C.治療,生活指導
 10-6.MCIへの対応 <朝田 隆>
  A.MCIという概念のメリットとデメリット
  B.基本的な考え方
  C.実際の対応
  D.MCIへの治療法の実際

11.MCIと当事者
 11-1.認知症を生きる―自分らしく生きる <平澤 忠>
 11-2.認知症を生きる―患者のお願い <秋山節子>
 11-3.認知症を生きる―一番欲しいもの <広瀬 好>
 11-4.認知症を生きる―認知症と明るく生きる太田正博氏 <菅崎弘之>
  A.太田正博氏の病状経過
  B.太田正博氏が語る認知症
  C.太田正博氏を通してみた早期診断と告知
 11-5.家族介護者から―MCI当事者本人の気持ちを考える <永島光枝>
 11-6.家族介護者から―若年認知症の早期の対応について
     家族から見た現状と将来へのお願いについて <干場 功>
 11-7.家族介護者から―若年性アルツハイマー病者の家族として <大塚幸子>
 11-8.家族介護者から―MCIの時期に何をしてもらいたいか?(ピック病の場合)
                               <松井文子>

12.地域の予防実践
 12-1.医療の立場から―大崎市(旧田尻町)の取り組み <目黒謙一>
  A.認知症の有病率
  B.MCIおよびCDR 0.5の問題
  C.心理社会的介入
  D.CDR 0.5から認知症への移行
  E.結論
 12-2.医療の立場から―大分県宇佐市安心院地区での取り組み <中野正剛 杉村美佳>
  A.大分県宇佐市安心院地域について
  B.認知症予防介入へ向けての地域調査について
  C.amnestic MCIに対する非薬物的認知症予防介入について
  D.非薬物的認知症予防介入の今後と他地域での展開について
 12-3.保健の立場から―茨城県利根町での認知症予防対策事業 <村田啓子>
 12-4.保健の立場から―大崎市における認知症予防の取り組み <大谷みち子>
  A.暮らしの様子と各種相談の整理から見出す早期発見
  B.認知症予防への対応
  C.まとめにかえて―心理社会的介入の効果

13.認知症患者の受診・相談行動 若年性認知症患者の実態 <朝田 隆>
  A.アンケートの概要
  B.アンケートの集計結果

14.期待の新薬 <渡邊直登 岩坪 威>
  A.従来のMCI薬物治療
  B.MCI治療薬のターゲットとしてのβアミロイド
  C.期待の新薬
  D.Aβワクチン療法
  E.その他の新規薬物
  F.MCI治療薬開発に向けて

注目すべきポイント

15.MCIを客観的に診断する必要性
   <丸山将浩 樋口真人 須原哲也 古川勝敏 荒井啓行>
  A.MCIというヘテロな臨床集団
  B.病理学的変化を標的としたアルツハイマー病
    早期診断治療法の開発

16.ADに進行しないMCI状態
 16-1.脳血管性認知症 <織田雅也 宇高不可思>
  A.Vascular MCIの特徴
  B.大脳白質虚血病変を伴うMCI状態
  C.MCIから脳血管性認知症への進展
  D.Vascular MCIに関する治療介入の可能性
 16-2.うつとMCI <楯林義孝>
  A.うつ病とは
  B.アルツハイマー病に進行するうつ,しないうつ
 16-3.てんかんとMCI <松浦雅人>
  A.発作に関連した一過性の認知障害
  B.治療に関連した可逆性の認知障害
  C.慢性てんかんにみられる持続性の認知障害
  D.認知症と誤られることのあるてんかん病態
  E.まとめ
 16-4.前頭側頭葉変性症の初期 <田邉敬貴>
  A.前頭側頭型認知症と意味性認知症の概要
  B.前頭側頭型認知症早期診断のポイント
  C.前頭側頭型認知症と精神疾患
  D.意味性認知症早期診断のポイント
 16-5.レビー小体型認知症の初期 <小阪憲司>
  A.MCIとDLBとの関係
  B.DLBの初期症状
 16-6.神経原線維変化型認知症とMCI <小阪憲司>
  A.LNTD概念について
  B.LNTDの臨床像の特徴

17.MCIのトライアル―MCIの治療 <朝田 隆>
  A.薬物
  B.食品

 青森ねぶたで跳ねて <柏木とき江>

索 引