はじめに

 筆者が東京都の多摩地区,小平市にある公立昭和病院に脳神経外科の責任者として赴任したのは平成6年9月のことであった.脳外科医になって13年目の秋のことである.かの地は東京都心のベッドタウンとして大変多くの人口を抱えており,症例不足とは無縁の土地柄であった.公立昭和病院は多摩地区の8つの市がお金を出し合って運営されているいわば市立病院であるが,その8つの組織人口は90万人を越えている.この8市の中には他に大学病院や救急医療を司る公的病院はなく,唯一の3次救命センターとしてこの90万の人口を対象に臨床を行っているのであるから,その症例の多さも当然のことであった.実際赴任した初年度は1年間で438例という開頭手術を経験し,脳外科医余りなどどこ吹く風,スタッフわずか6人で日夜脳外科臨床に忙殺されたのであった.

 こうして赴任してから平成14年4月に現在のNTT東日本関東病院(旧・関東逓信病院)に移るまでの7年7ヵ月の間に公立昭和病院で経験した手術症例は総計で3000例に達した.これらの症例は女房役である河本俊介医長(当時)とともに,すべて筆者が責任を持って担当した手術症例である.この間東京大学,昭和大学,日本医科大学,帝京大学などから20名近くの若き脳外科医達が当科に研修に訪れた.ほとんどの先生は認定医前後の研修途上の医師であったが,こうした医師達の手術指導を行っていく過程で,いかに脳外科手術の基本的操作が教えられてきていないかを痛感するに至った.即ち,多くの研修施設では,卒後間もない医師の手術指導というものが経験豊かな施設長により実際に細かく行われるということはほとんどなく,多くの場合は数年研修を行っただけのいわゆる「オーベン」と称する医師が指導しているというのが実態なのである.つまり糸結びに始まり,マクロの剥離操作や止血操作といったごく基本的な,しかし大きな手術に臨むためには絶対的に完璧に習得しておかなければいけない操作が,若い人同士の申し送りのような形で伝聞されているのが現実なのである.

 翻ってみるに,こうした基本手技についての教科書を当たってみると,意外なほど記載がないことに驚かされた.開頭法についてはKempeの有名な教科書があるが,実際の手術手技の基本について記された教科書はほとんど見当たらないようである.

筆者自身は卒後2年間,三井記念病院で福島孝徳部長(現・キャロライナ神経科学研究所教授)に基本手術手技をまさに箸の上げ下ろしから叩き込まれ,次の関東労災病院では馬杉則彦部長(現・横浜労災病院副院長)にマイクロの手術におけるマクロの解剖の重要性を叩き込まれ,埼玉医大では浅野孝雄教授に多くの開頭術のTipsを教えていただいた.幸いに筆者は若いうちから症例の多い病院で研修を積むことができ,これらの先生に教えていただいたノウハウをもとに,自分なりの手術基本手技を構築し,そしてその後の公立昭和病院における3000例の手術経験を通して,通常行われる多くの手術手技に関しては,ほぼ一定した技術とその理論背景を確立するに至った.今回,こうした基本手技をまとめてみたらとりわけ卒後まもない若い先生達に役立つのではと思い立ち,本書の執筆を企画した.

 本書では筆者が公立昭和病院で経験した3000例の症例の中から,多い順に手術術式を選び,各々の手術法における基本的なポイントとさまざまなTipsを記載した.従って一般の脳外科施設で遭遇する症例のほとんどを網羅できたのではないかと考えている.反面,大学病院などでもごくまれにしか行われないような術式,もしくは極めて高度な技術を要する術式に関しては各々に成書や立派な論文があり,こうしたまれな術式にページを割くことは本書の当初の目的からは外れるので意図的に割愛した.

 さらに糸結びや,器械の持ち方,縫合の仕方などのごくごく基本的な手技にも実はひとつひとつ理論があり,ポイントがある.そこで実際の手術術式を述べる前に,こうした基本手技だけをまとめて記載した.これにより止血操作などの重要な基本手技についても我々の考え方に触れていただくことができるように企画した.

 本書は筆者の脳外科医としての23年間に体得した手術技術の集大成であり,そのすべてを伝授した愛弟子である河本君とともにこの世に送り出すことができたのは,ひとえに中外医学社の小川孝志氏の並々ならぬプッシュがあったからこそである.心から感謝を申し上げたい.

 これからさまざまな脳外科手術を習得していくべき若き脳外科医たちにとって,本書が脳神経外科手術におけるスキルアップに役立つことができ,そしてそれがさらにわが国全体の脳外科手術のレベルの向上と患者さまへの還元につながってくれれば,それは著者として望外の喜びである.

 最後に,まだ医学生の時代から今日まで一貫して私を支え続けてくれた最愛の妻 朱実に本書を捧げます.

  平成15年9月

    永田和哉


fundamental techniques

A.基本操作

 1.糸結び  2

 2.手術器械の持ち方と使い方  8

 3.脳外科手術における切開と縫合の基礎  18

 4.軟部組織の剥離手技―気管切開術を例にして  26

 5.止血操作の基本  31

 6.頭蓋骨の切り方  37

 7.頭蓋骨の閉じ方  40

 8.閉創時のtips  43

basic craniotomies

B.基本開頭術

 1.前側頭開頭術Fronto−temporal craniotomy  50

 2.側頭開頭術Temporal craniotomy  57

 3.前頭開頭術Frontal craniotomy

  ―Interhemispheric approach  62

 4.後頭下開頭術Suboccipital craniotomy

  1)Midline approach  67

  2)Lateral approach  72

individual techniques and tips

C.疾患別の手術手技

 1.穿頭術

  1)脳室ドレナージ術―脳室穿刺のポイント  80

  2)慢性硬膜下血腫  84

 2.脳室腹腔短絡術(VPシャント)  90

 3.頭蓋形成術  97

 4.頭部外傷の手術

  1)急性硬膜外血腫  103

  2)頭蓋骨陥没骨折  106

  3)急性硬膜下血腫  110

  4)前頭葉切除術Frontal lobectomy  114

 5.脳出血の手術

  1)皮質下出血  118

  2)CTを用いた定位的(ステレオ)血腫吸引除去法  123

 6.脳虚血の手術

  1)脳血管バイパス術(STA−MCA吻合術)  128

  2)モヤモヤ病の手術

   a)EDAS  138

   b)EMS  143

  3)頸動脈内膜剥離術(CEA;Carotid endarterectomy)  147

 7.脳動脈瘤の手術

  1)後交通動脈瘤  154

  2)中大脳動脈瘤  164

  3)前交通動脈瘤

   a)Pterional approach  174

   b)Interhemispheric approach  182

  4)前大脳動脈末梢部動脈瘤  187

  5)内頸動脈近位部動脈瘤(Dolencのアプローチ)  193

  6)椎骨動脈瘤(Transcondyle approach)  204

 8.脳動静脈奇形(AVM)の手術  212

 9.髄膜腫の手術

  1)総 論  220

  2)Convexity meningioma  224

  3)Parasagittal & falx meningioma  228

  4)頭蓋底髄膜腫  234

 10.グリオーマの手術  239

 11.経蝶形骨洞的下垂体腫瘍摘出術  247

 12.聴神経腫瘍の手術  258

 13.転移性脳腫瘍の手術  269

 14.Microvascular decompression

  1)顔面痙攣の手術  274

  2)三叉神経痛の手術  282

索引  290