はじめに
中外医学社から,パーキンソン病ハンドブック製作の依頼を受けて,本書の作成にかかったのは,1999年9月頃であった.どのような本を作ろうか暫く考えたが,次の2点を重視したいと考えた.1つは,パーキンソン病の全てを網羅する本であること,次はできるだけ客観的データに基づいた記載をこころがけ,エビデンスに基づかない主観的意見の主張は排除した本にしたいと考えた.そこで最初「EBM(Evidence Based Medicine)に基づくパーキンソン病ハンドブック」という本の題名を考えた.EBMというと普通は,治療法の選択に関して使われる言葉であるが,疫学,臨床症候,検査所見,発症機序なども,できるだけエビデンスに基づいて,即ち科学的研究データに基づいて,できるだけ定量的に記載することが望ましい.そういう点から本書は治療のみに限定したハンドブックではないが,EBMを使用させていただくことにした.
ただ2000年8月から日本神経学会で主な神経疾患の治療ガイドライン作成がEBMに基づいて行われるようになったので,この本の企画の方が早かったのではあるが,神経学会の企画を前にして,似たようなタイトルの本を発行することに多少躊躇を感じたので,本書のサブタイトルは,最終的に「EBMのコンセプトを取り入れた」と変更させていただいた.神経学会の企画に多少遠慮をした点をくみ取っていただければ幸甚である.
本書は,パーキンソン病に関連した臨床・基礎の最新所見がほぼ網羅されるように配慮した.執筆は,順天堂大学医学部脳神経内科教室及び関連施設の先生方に分担執筆していただいたが,できるだけ記載方法の統一がとれるように心がけた.1つの施設を中心とした書物であるから,他の施設の方からみると,ご批判のある部分もあるかもしれない.それは甘んじて受けるつもりでいる.ただ我々はパーキンソン病をこのように理解し,このように治療し,このように研究しているという点を紹介したつもりであり,そのように読んでいただけると大変ありがたく思う.自画自賛で恐縮であるが,本書の分担執筆を依頼した,教室の人達は,臨床や研究の忙しい合間をぬって,文献を多数渉猟し,しかも,全体のスタイルを統一するよう最善の努力をしてくれた,十分読み応えのある原稿を書いてくれたと思う.
本書を出したもうひとつの目的は,むしろこちらの方が重要であるが,パーキンソン病治療の標準化である.欧米ではパーキンソン病の治療の進め方に関して,ほぼコンセンサスが得られ,70歳以下で痴呆を伴っていなければドーパミンアゴニストで治療を開始し,70歳以上か痴呆を伴っていればL-Dopaで治療を開始というのが,スタンダードになっており,パーキンソン病の専門家であれば大体誰に聞いても同じ答えが返ってくる.これは,大規模臨床研究の結果得られた成績から,ドーパミンアゴニストで治療した方が,wearing offやジスキネジアの発生頻度が低いというデータから導かれた結論である.ところが,本邦ではまだそこまではいっておらず,L-Dopaを年齢によらず第一選択としておられる方が少なくない.また各薬物の維持量も低く,そのために十分な改善を得られない患者さんも少なくない.これは長年外来をやっていて受ける印象である.これは一例であるが,L-Dopa治療に伴う種々の問題点の治療方法に関しても,大体コンセンサスが得られている.そのような治療に関しても,最新の動向を読者に伝えたいと考えた次第である.
本書の性格からして,4〜5年に1度は改訂が必要であろうと思う.万全を期したつもりではあるが,内容の偏り,見落としている部分,ミスプリントなど何でもお気づきの点はお知らせいただけるとありがたい.改訂の際の参考にさせていただきたく思う.
最後に,中外医学社のスタッフの方々が本書の製作に献身的努力を捧げてくださったことに厚く御礼を申しあげる次第である.
2001年4月
水野 美邦
目 次
I.臨床編
1.Parkinsonの生涯とパーキンソン病の発見 <水野美邦> 1
2.疫 学 <林 明人> 5
1.頻 度 5
2.性 差 5
3.年 齢 7
4.人種差 7
5.発症に関わる危険因子 7
6.危険因子の相互作用と疫学的アプローチの重要性 8
3.病 理 <森 秀生> 10
1.神経変性 10
2.レビー小体 12
4.病態生化学 <近藤智善> 16
1.パーキンソン病のアミン低下 16
2.TH活性,AADC活性,DBH活性 19
3.DA受容体の変化 21
4.神経ペプチドの変化 22
5.その他の神経伝達物質の変化 22
5.病態生理 <三輪英人> 27
1.大脳基底核の解剖・生理 27
2.無動・動作緩慢の病態生理 28
3.固縮・振戦・姿勢反射障害の病態生理 30
4.固 縮 30
5.振 戦 30
6.姿勢反射障害の病態生理 31
6.臨床症候 <田中茂樹> 37
1.運動症状 38
2.自律神経症状 41
3.精神症状/高次脳機能障害 42
7.画像所見 <田中茂樹> 46
1.Structual imaging(形態画像): CT,MRI 46
2.Functional imaging(機能画像) 47
3.画像鑑別 51
8.診断基準と評価スケール <金澤 章> 58
1.パーキンソン病の診断基準 58
2.パーキンソン病の評価スケール 61
9.鑑別診断 <卜部貴夫> 76
1.パーキンソン病の神経症状からの鑑別 76
2.パーキンソニズムを呈する変性疾患の鑑別 78
3.症候性パーキンソニズムの鑑別 83
10.治 療 94
A.Evidence based medicineによる治療方針のたて方 <水野美邦> 94
B.レボドーパ(L-dopa) <古川芳明> 99
1.レボドーパの薬理学的特徴 99
2.レボドーパの有効性に関する報告 99
3.レボドーパ治療の背景 99
4.レボドーパ単独療法の時代 99
5.レボドーパと末梢性ドーパ脱炭酸酵素阻害薬の併用 100
6.レボドーパの開始時期は? 102
7.レボドーパはPDの進行を助長しないか? 103
8.レボドーパ論争は終結したのか? 104
9.レボドーパの有効性に関する結論 104
10.レボドーパの投与法 104
C.Dopamine agonists <大熊泰之> 108
1.ブロモクリプチン 108
2.ペルゴリド 113
3.カベルゴリン 114
4.タリペキソール 117
5.プラミペキソール 118
6.ロピニロール 120
D.抗コリン薬 <杉田之宏> 128
1.トリヘキシフェニジル 128
2.ビペリデン,プロフェナミン,ピロヘプチン,メチキセン,マザチコール 131
E.塩酸アマンタジン <宮下暢夫> 133
1.偶然の発見 133
2.抗パーキンソン病作用のメカニズム 133
3.薬理学的特徴 134
4.Clinical studies 134
5.結 論 136
F.MAO-B阻害薬(monoamine oxidase B inhibitor)--セレギリン <佐藤健一> 138
1.歴 史 138
2.薬物代謝 138
3.Clinical studies 138
4.セレギリンと死亡率の関係 145
5.結 論 145
6.副作用 145
7.使用指針 145
G.COMT阻害薬 <野原千洋子> 148
1.カテコール-O-メチル転移酵素(COMT) 148
2.カテコール-O-メチル転移酵素(COMT)阻害薬 148
3.Clinical studies 149
H.DOPS <本井ゆみ子> 162
1.パーキンソン病 162
2.起立性低血圧 164
I.アルゴリズム <水野美邦> 167
1.アルゴリズムとは 167
2.薬物療法の開始時期 167
3.何から開始するか 168
4.パーキンソン病治療のアルゴリズム 171
J.レボドーパ長期投与に伴う問題点とその対策 <田久保秀樹> 174
1.レボドーパ長期投与に伴う問題点 174
2.レボドーパ長期投与に対する対策 174
K.消化器症状への対策 <下 泰司> 185
1.便 秘 185
2.悪 心 186
3.嚥下障害 188
4.流 涎 189
L.自律神経系障害への対策 <下 由美> 191
1.排尿障害 191
2.インポテンス 191
3.起立性低血圧・食事性低血圧 192
4.発汗異常・体温調節障害 196
M.精神症状に対する対策 <中村真一郎> 198
1.臨床症状 198
2.病態・治療 198
N.定位脳手術と深部脳刺激療法 <横地房子> 214
1.パーキンソン病外科治療の沿革 214
2.大脳基底核機能と定位脳手術 214
3.手術方法 214
4.手術効果の評価 215
5.定位脳手術 217
6.脳深部刺激療法 223
7.ガンマナイフによる治療 227
O.リハビリテーション <長岡正範> 233
1.障害モデルによるパーキンソン病患者の機能的評価 234
2.リハビリテーションで用いられる手法 234
3.リハビリテーションの有効性 236
4.結 論 240
11.予 後 <小宮忠利> 243
1.パーキンソン病の罹病期間,臨床経過,死亡率について 243
2.パーキンソン病における予後の多様性について 245
3.結 論 246
II.基礎編
1.パーキンソン病における神経細胞死 249
A.ミトコンドリア障害 <池邉紳一郎> 249
1.MPTPの代謝と酸化的リン酸化の障害 249
2.パーキンソン病における酸化的リン酸化の障害 250
3.パーキンソン病におけるミトコンドリアDNAの欠失 251
4.パーキンソン病におけるミトコンドリアDNAの点変異 252
5.Cytoplasm hybrid(Cybrid)技術を使った研究 252
6.母系遺伝 252
7.α-ketoglutarate dehydrogenase complex(KGDHC)の障害 253
8.核にコードされるミトコンドリア蛋白遺伝子の関与 254
9.パーキンソン病発症に関する一次的原因 255
B.酸化的ストレス <頼高朝子,望月秀樹> 259
1.ドーパミン代謝 259
2.鉄,鉄代謝 261
3.NO 262
4.スーパーオキシドジスムターゼ(SOD) 263
5.グルタチオン 263
6.脂質過酸化 263
7.8-ヒドロキシグアニン(8-OHG) 264
C.サイトカイン <後藤啓五,望月秀樹> 269
1.GDNF(glial cell line-derived neurotrophic factor) 269
2.ニューロトロフィン 270
3.その他の栄養因子 271
4.TNF(tumor necrosis factor)-αとインターロイキン(IL)群 271
D.アポトーシス <望月秀樹> 277
1.パーキンソン病におけるアポトーシスに関連する病理所見 278
2.その他の神経毒 279
3.bcl-2とパーキンソン病 279
4.カスパーゼとパーキンソン病 280
5.NF-κB 280
6.α-シヌクレイン遺伝子変異 281
E.α-シヌクレイン(α-synuclein) <小林洋和> 284
1.背 景 284
2.局在と機能 284
3.構 造 284
4.パーキンソン病とのかかわり 285
5.病 理 286
6.α-シヌクレイン動物モデル 286
F.ユビキチンとパーキンソン病 <志村秀樹> 289
1.ユビキチンシステム 289
2.Parkinユビキチンリガーゼの異常によって起こる家族性パーキンソン病 290
3.ユビキチン様蛋白質 290
4.脱ユビキチン化酵素 291
G.遺伝的素因 <松峯宏人> 293
1.家族内発症例 293
2.双児研究 293
3.PET研究 293
4.Association study(関連分析)と遺伝的素因 293
5.解毒酵素 294
6.MAO-A,BそしてCOMT 294
7.SOD1,2 294
8.Dopamine transporterとdopamine receptor 295
9.Mitochondrial protein 295
10.α-synuclein 296
11.Apo E 296
12.Apo Eおよびα-synucleinとの相互効果 296
13.UCHL-1(Ubiquitin C-terminal hydrolase L-1) 296
14.Parkin 297
15.Tau 297
H.神経毒 <中村範行,池邉紳一郎> 299
1.MPTP 299
2.テトラハイドロイソキノリン(TIQ)誘導体 299
3.β-カルボリン類 300
2.家族性パーキンソン病
A.分 類 <服部信孝> 303
1.常染色体優性遺伝パーキンソン病(ADPD)およびパーキンソニズム 303
2.常染色体劣性遺伝パーキンソン病(ARPD)およびパーキンソニズム 305
3.その他(ジストニアを主要症状とする一群) 306
B.常染色体優性パーキンソン病 <久保紳一郎> 310
1.α-シヌクレイン遺伝子変異による常染色体優性パーキンソン病 310
2.2番染色体短腕(2p13)に連鎖する常染色体優性パーキンソン病 312
3.4番染色体短腕に連鎖する痴呆を伴う常染色体優性パーキンソン病 312
4.Ubiquitin carboxy-terminal hydrolase L1遺伝子に連鎖する常染色体優性パーキンソン病 312
5.19番染色体長腕(19q13)に連鎖するrapid-onset dystonia-parkinsonism 313
6.遺伝子座不明の常染色体優性パーキンソン病 313
C.常染色体劣性若年性パーキンソニズム <服部信孝> 317
1.常染色体劣性遺伝形式若年性パーキンソニズム(AR-JP)の臨床神経病理学的特徴 317
2.AR-JPの原因遺伝子parkin geneの単離 317
3.Parkin遺伝子の変異解析 318
4.Parkin蛋白の機能―シナプス小胞輸送に関与する? 322
5.Parkin蛋白の機能―ユビキチン-プロテアソーム系に関与する 324
D.家族性前頭側頭型痴呆パーキンソニズム <小林智則> 327
1.疾患概念の確立 327
2.FTDP-17の臨床像 328
3.タウ遺伝子およびタウ蛋白 328
4.FTDP-17のタウ遺伝子異常 329
5.エクソン10の3'下流側のスプライシング調節領域の変異 329
6.エクソン10内のスプライシング調節配列の変異 332
7.アミノ酸配列レベルで変化を起こし,タウ蛋白分子の機能異常を生ずる変異 332
8.タウの変異と神経細胞死 334
9.蓄積タウ蛋白の組成 334
10.神経病理 335
11.病因に対する治療への展望 335
3.二次性パーキンソニズム 339
A.進行性核上性麻痺 <森 秀生> 339
1.有病率 339
2.発症年齢,経過 339
3.家族内発症 339
4.発症要因としての遺伝子多型 339
5.病 理 339
6.異常タウ蛋白の蓄積 340
7.臨床症候 340
8.診断基準 341
9.臨床症状の検討 342
10.眼球運動障害の病理学的背景 342
11.痴 呆 344
12.臨床亜型 344
13.神経放射線学的所見 344
14.治 療 345
B.大脳皮質基底核変性症 <森 秀生> 348
1.臨床症状―古典型を中心に 348
2.臨床亜型 349
3.痴呆と失行について 349
4.画 像 350
5.電気生理 351
6.病 理 351
C.多系統萎縮症 <太田 聰> 354
1.疾患概念 354
2.臨 床 355
3.病 理 362
D.汎発性レビー小体病 <高梨雅史> 370
1.歴 史 370
2.頻 度 371
3.臨床症候 371
4.病理所見 373
5.検査所見 375
6.生化学,分子生物学 375
7.治 療 375
E.その他の変性疾患 <山本剛司> 379
1.線条体黒質変性症 379
2.Shy-Drager症候群 379
3.純粋無動症 380
4.進行性淡蒼球変性症 380
5.Hallervorden-Spatz病 380
6.固縮型ハンチントン舞踏病 380
7.アルツハイマー病 381
8.Wilson病 381
9.地域性のあるパーキンソニズム 382
10.本態性振戦 382
索 引 386