もう20年余り前のことになる.私が精神科医になりたての頃,「精神科の臨床はchlorpromazine,amitriptyline,diazepamがきちんと使いこなせれば90%以上はできる.しかしこれらについては効果や副作用を熟知しなければならない」と教えられた.ひるがえって最近は新しい抗うつ薬と抗精神病薬が続々と発売されており,しばらくはこの傾向が続くようだ.「治療手段は多い方がよい」という一見正しそうな主張もあるが,多くの種類の薬剤を使うが,どれも使いこなしているとはいえない精神科医にしばしば出会うのが現実である.また医療費削減で本当に必要な治療すら受けづらくなっている時代において薬価の著しく高い薬剤を安易に用いる傾向も気になる.
 このような状況で本当に必要な向精神薬は何かを見直すことが本書の趣旨である.もし何らかの事情で用いうる薬剤の種類を減らさざるをえなくなった時,最終的にどの薬剤を残したいか,可能な限り少ない数の薬剤を選ぶとしたらどれを選ぶかという視点での検討を各執筆者にお願いした.選択すべき薬剤を絞ることで各薬剤の特徴が明らかになるであろうし,似て非なる薬剤をどう使い分けるべきかも明確になるはずである.選択の根拠について,精神科領域ではまだまだ充分なevidenceがない薬剤が多い.ところがevidenceとよべるデータが存在する薬剤のみ選択すると,研究資金の豊富な会社が発売している薬剤がとりあげられやすいという問題も出る.よって臨床経験もふまえてご自分の意見を書いていただくよう依頼した.
 本書の次の段階でとりあげるべきは日本の治験や発売に至る承認のあり方である.治験が限られた精神科医の判断に頼って実施されていたり,承認の基準がきちんと開示されないとすればゆゆしき問題である.今後とりあげるべき課題としたい.
 本書が精神科臨床における必須薬を考えるたたき台となることを願う.本書作成にあたり気長に編者を支えてくれた中外医学社 小川孝志氏に感謝する.
  2004年11月
    宮岡 等


目次

A.必須薬の考え方 <熊谷雄治>  1
  1.WHO必須医薬品モデルリストとは  2
  2.必須医薬品選定の基準  4
  3.モデルリスト使用の利益と不利益  5
  4.診療ガイドラインと必須医薬品  6
  5.個人における薬剤リスト  7

B.精神疾患治療薬  11
 1.統合失調症(精神分裂病) <久保田正春>  12
  1.最近の状況から  12
  2.ブチロフェノン系とSDA  14
  3.フェノチアジン系とMARTA  16
  4.コンプライアンスの低下に対して  18
  5.賦活系について  18
  6.今後の課題  18
  7.まとめにかえて  19
 2.双極性障害 <鈴木映二・早馬 俊>  21
  1.躁病期の治療  21
   a.躁病期の治療に用いられる治療薬  21
   b.気分安定薬  22
   c.抗精神病薬  26
   d.ベンゾジアゼピン  27
  2.うつ病相の治療薬  27
  3.寛快期の治療  29
  4.双極性障害の必須治療薬  30
 3.うつ状態,うつ病 <森田幸代・下田和孝>  36
  1.三環系抗うつ薬と選択的セロトニン再取り込み阻害薬の比較  36
   a.paroxetineとamitriptylineとの比較  36
   b.paroxetineとclomipramineとの比較  38
   c.paroxetineとimipramineとの比較  39
   d.paroxetineとTCA全般との比較  42
  2.三環系抗うつ薬とセロトニン─ノルアドレナリン再取り込み
    阻害薬の比較  42
    milnacipraneとTCA全般との比較  44
 4.不安性障害 <張 賢徳>  47
  1.なぜSSRIが第一選択薬なのか  48
  2.BZDは本当に第二選択薬あるいは併用薬なのか  49
  3.BZDは本当に危険な薬なのか?  50
  4.BZDは急性期治療の第一選択薬である  52
  5.SSRIとBZDの併用療法の思いがけない利点  52
  6.BZDの頓服使用について  52
  7.tandospironeについて  53
  8.薬価について  54
  9.まとめ  55
  10.臨床への示唆  56
 5.アルツハイマー型痴呆と脳血管性痴呆 <内門大丈・井関栄三>  59
  1.痴呆性疾患の診断について  60
  2.高齢者の薬物治療の注意点  60
  3.ATDの薬物治療  61
  4.VDの薬物治療  63
  5.BPSDの薬物治療  65
 6.せん妄 <萬谷智之・岡本泰昌>  70
  1.薬物療法を行う前の留意点  70
  2.薬物療法の基本的な考え方  70
  3.せん妄治療に使われる薬物  71
   a.抗精神病薬 71
   b.ベンゾジアゼピン系薬物  74
   c.鎮静作用を持つ抗うつ薬  74
   d.鎮静作用を持たない薬物  75
  4.薬物選択  75
 7.睡眠薬 <向井淳子・井上雄一>  80
  1.睡眠薬開発の流れ  81
  2.睡眠薬の処方の実状と問題点  82
  3.睡眠薬の選択と副作用,処方時の注意点  83
   a.睡眠薬の開始と適応について  83
   b.睡眠薬の副作用  85
   c.睡眠薬の選択と注意点  88
  4.睡眠薬の中止・減薬方法  90

C.向精神薬の副作用治療薬  93
 1.パーキンソン症状 <森 和彦・堀口 淳>  94
  1.抗パーキンソン薬とその特徴  94
  2.薬原性錐体外路症状とそれに対する各薬剤の効果  96
   a.パーキンソニズム  96
   b.アカシジア  96
   c.ジストニア  97
   d.ジスキネジア  97
  3.各薬剤の副作用  97
  4.抗コリン薬の投与方法とその留意点  98
 2.起立性低血圧 <佐藤清貴>  102
  1.起立性低血圧の症候  103
  2.起立性低血圧の原因  103
  3.薬剤性起立性低血圧  104
  4.起立性低血圧の治療  105
  5.起立性低血圧の薬物治療  106
   a.必須薬  108
   b.その他  109
 3.便秘 <塚田信廣>  112
  1.便秘の定義  112
  2.排便のニカニズム  114
  3.便秘の分類  115
  4.便秘の診断  116
  5.治療  116
   a.生活指導  116
   b.心理療法  116
   c.運動療法  117
   d.食事療法  117
   e.薬物療法  117
   f.外科的治療  122
  6.精神神経疾患患者の慢性便秘  122
   a.便秘発症のメカニズム  122
   b.予防と治療  124

D.病棟,病院別にみた必須薬  129
 1.老人専門病院 <磯野 浩>  130
  1.老年期に多い精神疾患・精神症状  130
  2.せん妄  132
  3.うつ病・うつ状態  134
  4.妄想(幻覚)  135
  5.その他  138
 2.小児精神科医療施設 <新井 卓>  140
  1.小児精神科外来治療における必須薬  140
   a.チック症  141
   b.夜驚症  141
   c.多動性障害  142
   d.神経症性障害  142
   e.広汎性発達障害  143
   f.統合失調症  143
  2.小児精神科入院治療における必須薬  144
   a.摂食障害  145
   b.行為障害  145
   c.強迫性障害  146
   d.その他の疾患について  147
  3.まとめ  148
 3.緩和医療を含むがん治療専門病院 <大西秀樹>  150
  1.がん専門病院(緩和医療を含む)における
    精神医学的治療に関する問題  150
  2.がん患者において入院時,終末期にみられる
    精神医学的な疾患  151
  3.がん医療における精神科治療の特殊性  151
  4.緩和医療を含むがん治療専門病院において必須である薬剤  152
   a.抗不安薬,睡眠薬  152
   b.抗精神病薬  152
   c.抗うつ薬  153
   d.抗てんかん薬  155
   e.特に必須の頻度が高い薬剤  155
  5.緩和ケアチームで活動する際に知っておくべき薬剤
   --オピオイドとステロイド  156
   a.ステロイド  156
   b.オピオイド  156
   c.使用されるオピオイド  157
 4.アルコール症治療専門病院 <村山昌暢>  159
  1.アルコール急性中毒/離脱に対する治療薬  159
   a.diazepam(セルシン)  160
   b.haloperidol(セレネース)  162
   c.糖質・電解質輸液薬  163
   d.ビタミンB群  164
   e.強力ネオミノファーゲンシー  164
  2.断酒維持に関する治療薬  164
   a.cyanamide(シアナマイド)  165
   b.disulfiram(ノックビン)  165
   付.naltrexoneとacamprosate  166
  3.まとめ  167
 5.精神科救急医療 <長谷川朝穂>  170
  1.精神科救急における治療方針  170
  2.薬物療法を行う前に  170
  3.薬物療法の実際  171
 6.精神科外来クリニック <住吉秋次>  175
  1.統合失調症  175
  2.気分障害  180
  3.不安障害  181
  4.睡眠障害  182
  5.てんかん  184
  6.まとめ  184
 7.企業の医務室 <田中克俊>  186
  1.抗不安薬  186
  2.抗うつ薬  189
  3.睡眠薬  191
 8.プライマリケア,内科外来 <犬尾文昭・堀川直史>  194
  1.プライマリケア,内科外来における精神医学の重要性  194
  2.プライマリケアを受診する精神疾患患者の頻度と診断分布  194
  3.プライマリケアにおける精神疾患の診断方法  195
  4.プライマリケアにおける精神疾患の治療  196
   a.プライマリケア医による治療が望ましい精神疾患  196
   b.向精神薬療法が有効な精神疾患  196
   c.精神科への紹介  197
  5.プライマリケアにおける向精神薬療法  197
   a.向精神薬の分類と概説  197
   b.プライマリケアにおける向精神薬使用の原則  200
   c.個々の精神疾患の向精神薬療法  200
 9.救命救急センター <上條吉人>  206
  1.diazepamとmidazolam  206
   a.不穏や興奮に対して  208
   b.アルコール離脱症状に対して  209
   c.けいれん発作に対して  210
   d.悪性症候群に対して  210
  2.haloperidolとrisperidone  212
    せん妄の治療に対して  212

E.新医師臨床研修制度と必須向精神薬 <宮岡 等・齋藤正範>  215
  1.新医師臨床研修制度  215
   a.主な目的  215
   b.研修科目  216
   c.精神科と関係の深い研修課題  217
  2.研修医にとっての必須薬選択の指針  217
   a.必須薬に関する知識  217
   b.国際性  219
   c.保険適応  219
   d.研修期間  219
   e.治療を求められる精神疾患の範囲  220
   f.治療ガイドライン  220
  3.必須薬について  221
   a.抗精神病薬  221
   b.抗パーキンソン病薬  221
   c.抗うつ薬  221
   d.抗不安薬  223
   e.睡眠薬  224
   f.その他の薬剤  224

索引  226