序文

  約10年前,中外医学社から腫瘍免疫に関する単行本の編集・執筆についての御誘いを受けたがその際は時期が適切ではないとして丁重にお断りした.その当時は腫瘍免疫の暗黒時代の真っ只中にあった.腫瘍免疫を専攻していた著者などは,ある大先生より,「癌抗原などあるものか! にもかかわらず癌免疫もどきの実験をしている君は,市民権を失うぞ!」といった辛辣な言葉を頂戴したことを今でもはっきり覚えている.それから10年,免疫学の進歩はいうまでもないが,免疫学のなかで腫瘍免疫の領域にも格段の進展がみられることになった.癌抗原の存在が確立され,腫瘍免疫は初めて学問として認知されるようになり,もはや上記のような言葉を浴びせられる時代ではなくなった.時同じくして免疫系の機能を賦活する物質も発見され,しかもその作用が免疫学的に理にかなった作用であったため,腫瘍免疫学の研究が急に活気づくことになった.最近のこのような時代的背景が,著者の何でもやりたがる好奇心をあおり,本書の執筆が始まった次第である.

 腫瘍免疫学の専門書はこれまで国内外を通してほとんど存在せず,果たしてどのような構成であるべきかといった問題から考えねばならなかった.しかしながら著者のような未熟者が完全な「腫瘍免疫学」を上梓できるはずがないと逆に開き直り,著者流の構成と記述で第一版をとりあえず刊行することになった.したがって本書は腫瘍免疫学に魅せられ,それに入り込み,悩み,苦しみ,時には喜びつつ歩んできた四半世紀の歴史のようなものである.浅学非才を顧みずの冒険であり,独善的な構成と記述に多くのご叱正を頂くことが随処に存在することと思われる.この点,読者各位の御意見,御指導を賜われば著者の望外の喜びである.

1998年夏

著者識


あとがき

 癌塊(癌組織)は宿主に寄生した,あたかも独立した一個体であるかのように傍若無人に振る舞う.さらに宿主からの干渉をあの手この手ですり抜けようと多くの“企み”を働かせている.このような悪性の寄生物である癌の治療は何と難しいことであろうか.しかしこの寄生物にも弱点が全くないわけではない.微弱ではあるが,宿主の攻撃の対象となる標的(癌抗原)が存在することが最近になり確立されたが,このことは非常に意義深いことである.ここに宿主の本能的な生体防御能が働くチャンスがありうることになる.宿主の生体防御能についての著者の私見を最後に述べておきたい.

 十数年前,集中治療医学を専攻している同級生から言われた.「免疫の専攻者は“人は今何によって(何が原因で)死ぬのか”を知っているのか」と.彼は彼の専門分野で感染症,とりわけ弱毒菌感染症が原因で患者さんを救えないケースが意外に多いことと宿主抵抗力(生命力)の重要性を訴えたかったのである.その当時,限られた時間の臨床の場で2例の悪性リンパ腫の患者さんに遭遇した.紹介した大学病院で化学療法を受けてもらった.腫瘍に対してあまりにも効果的な化学療法の結果,予期した通り(?)重篤な感染症にかかった.1例はサイトメガロウイルス肺炎で,他例はカリニ肺炎であった.2人も原病ではなく感染症の故に生死の間をさまよった.幸いにも主治医の献身的な努力と患者さん自身の生命力(生体防御能)により回復してくれたがその際,同級生に言われたことを思い出し,身につまされた.

 免疫抵抗性,生体防御能は,“神”から授けられた生命力または個体の維持機能の一つであろう.医者は治療するも,最終的に治しきる,つまり癒す力はこの生命力であろう.これは決して感染症の治療/治癒に限られたことではない.腫瘍の治療と治癒にも該当する,またはされるべきものと信じたい.

 癌の免疫療法が癌治療の上で外科切除療法,化学療法,物理学的療法などとの併用療法として,あるいはさらに発展した独立の療法体系を築くことができるかどうかは今後に残された問題である.しかしながら免疫機構−異物を非自己として認識し,これを体外に排除して生体の恒常性を維持する−が生体に備わっている限り,この生体防御機構の存在は無視されるものではなく,またその増強の重要性はいかなる状況においても揺らぐことがない本質的なものであろう.


目次

はじめに  1

1.腫瘍抗原(癌抗原)

 A.腫瘍(癌)抗原存在の古典的な証明  2

 B.腫瘍抗原の由来  3

  1.分化関連腫瘍抗原  3

  2.誘発腫瘍抗原  3

 C.癌抗原遺伝子とその抗原ペプチド  4

  1.癌抗原遺伝子の単離  4

  2.現在までに同定されたヒト癌抗原遺伝子  5

  3.癌抗原ペプチド  6

 D.ウイルス腫瘍における癌抗原ペプチド  8

  1.SV40誘発腫瘍のCTL認識ペプチド  8

  2.フレンド白血病細胞上でのT細胞認識エピトープ  9

  3.ヒトウイルス腫瘍のT細胞認識抗原  10

 E.癌抗原としての癌遺伝子産物  10

  1.Ras癌遺伝子  11

  2.HER2/neu癌遺伝子  11

 F.癌抗原の細胞内局在  11

 G.CD4+T細胞に認識される腫瘍抗原  11

 H.癌抗原ペプチドによる免疫誘導に関する免疫生物学的考察  12

  1.癌抗原に対するT細胞レパートリー  12

  2.ペプチドワクチンの免疫効果  13

 サイドメモ  1-1.腫瘍抗原に対する様々な用語  4

  1-2.MHC分子と結合ペプチド  9

2.一般抗原に対するT細胞の免疫応答

 A.免疫システムにおける免疫担当細胞の役割  17

  1.単球,マクロファージ系の細胞群  17

  2.T細胞とB細胞  18

  3.γδ型T細胞  18

  4.ナチュラルキラー(NK)細胞  19

  5.NK1.1陽性T細胞  19

  6.その他の免疫系細胞  19

 B.T細胞の活性化様式  20

  1.ヘルパーT細胞の抗原認識と活性化  20

  2.エフェクターT細胞の抗原認識としての活性化  21

 C.T細胞活性化における抗原提示細胞の役割  22

  1.抗原提示細胞による抗原提示機構  23

  2.costimulatory signal  26

 D.ヘルパーT細胞の機能的多様性  29

  1.Th1細胞とTh2細胞  29

  2.Th1/Th2への分化の制御  31

 E.免疫応答のエフェクター相  32

 サイドメモ  2-1.CD8+CTLの活性化におけるAPCとCD4+Thの役割  22

  2-2.innate immunityとacquired immunityの接点  30

3.T細胞の腫瘍抗原認識および活性化機構

 A.クラスTMHC拘束性CD8+CTLによる腫瘍抗原認識  37

 B.クラスUMHC拘束性CD4+T細胞の腫瘍抗原認識と活性化  39

 C.抗腫瘍CD8+CTL前駆細胞の活性化  41

 D.担癌宿主における抗腫瘍T細胞の感作  44

  1.腫瘍免疫誘導におけるAPCの役割  45

  2.担癌宿主におけるAPCの腫瘍抗原提示  46

  3.担癌宿主における抗腫瘍T細胞の感作  47

  4.抗腫瘍T細胞の活性化(感作)部位  49

 サイドメモ  3-1.腫瘍細胞内における癌抗原の存在場所  37

  3-2.腫瘍抗原反応性CD8+CTL-pの活性化  44

4.抗腫瘍エフェクター機構

 A.抗腫瘍エフェクター細胞の種類  53

 B.NK細胞とNKT細胞  54

  1.NK細胞  54

  2.NKT細胞  56

 C.抗腫瘍エフェクター細胞の活性化機構  59

  1.CD8+CTLの活性化  59

  2.NK(NK1.1+CD3-)細胞の活性化  59

  3.NKT(NK1.1+CD3+)細胞の活性化  61

  4.マクロファージの活性化  62

 D.腫瘍細胞傷害の分子機構  62

  1.キラー細胞(CD8+CTLおよびNK/NKT)による傷害  62

  2.キラー細胞以外のリンパ系細胞による傷害  65

 E.腫瘍塊におけるin vivo腫瘍拒絶機構  66

  1.腫瘍特異的T細胞の腫瘍塊への浸潤  66

  2.in vivoにおける腫瘍細胞排除機構  67

 サイドメモ  4-1.CD1分子  57

  4-2.NK/NKT vs CD8+T細胞  59

5.腫瘍免疫の炎症的側面

 A.担癌宿主リンパ臓器T細胞の腫瘍局所浸潤  73

  1.腫瘍塊におけるリンパ系細胞の浸潤  73

  2.担癌宿主T細胞の腫瘍局所浸潤能  74

  3.腫瘍周辺の間質組織と血管系  76

 B.接着分子  77

  1.リンパ細胞と血管内皮細胞の相互作用  77

  2.セレクチンファミリー  78

  3.インテグリンファミリー  80

  4.接着分子の発現制御と機能調節  81

 C.ケモカインとケモカインレセプター  82

  1.ケモカインの産生  82

  2.ケモカインの機能  83

  3.ケモカインレセプター  83

 D.腫瘍局所へのT細胞浸潤における接着分子とケモカイン  84

 サイドメモ  5-1.interleukin-12(IL-12)  74

  5-2.腫瘍周辺ストローマ組織  76

6.担癌状態の免疫抑制機構

 A.担癌状態の免疫動態  89

 B.担癌宿主の免疫機能を抑制する種々の機構  91

  1.T細胞活性化機構の修飾  91

  2.宿主の免疫応答componentsによる抗腫瘍免疫の制御  91

  3.腫瘍細胞による宿主免疫応答抑制機構  92

 C.担癌状態におけるT細胞活性化機構の修飾  92

  1.T細胞レセプター(TCR)の構造的または機能的異常  92

  2.costimulatory機能修飾による免疫抑制  93

 D.液性免疫応答componentsによる抗腫瘍免疫の制御  95

  1.IL-12およびIFN-γ産生の細胞性・分子機構  96

  2.B細胞によるIL-12産生の制御機構  98

  3.Th2タイプのサイトカインによるIL-12/IFN-γ産生の制御  99

 E.腫瘍側因子による宿主免疫応答抑制機構  103

  1.腫瘍細胞が産生する因子による免疫抑制  103

  2.腫瘍細胞が発現するFas ligandによる免疫抑制  107

 サイドメモ  6-1.ITAM  93

  6-2.TGF-β(潜在型・不活性型)  105

7.腫瘍の免疫療法

 A.受動的腫瘍免疫療法  113

  1.抗腫瘍抗体を用いる方法  113

  2.腫瘍抗原特異的,非特異的活性化細胞あるいは活性化因子を移入するアプローチ  113

 B.能動的免疫に基づく腫瘍免疫療法  114

  1.担癌状態で抑制されるT細胞機能の回復  115

  2.抗原修飾腫瘍細胞を用いたactive immunizationとimmunotherapy  116

  3.subcellular腫瘍抗原によるactive tumor immunization  119

  4.腫瘍抗原ペプチドを用いた特異的免疫療法  121

 C.biological response modifiers(BRM)による腫瘍免疫療法  122

 サイドメモ  7-1.理想的な腫瘍抗原ワクチン  115

  7-2.BRMの効果  122

8.IL-12の生物学と抗腫瘍効果

 A.IL-12とそのレセプター  125

  1.IL-12の分子的特性  125

  2.IL-12レセプター  126

 B.IL-12の産生と生物活性  128

  1.IL-12の産生  128

  2.IL-12の生物活性  130

 C.IL-12の抗腫瘍効果  131

  1.IL-12の全身的投与による固型腫瘍の拒絶  132

  2.IL-12投与による転移の阻止  133

 D.IL-12による原発固型腫瘍の拒絶機構  135

  1.拒絶機構の概略  135

  2.IL-12によるT細胞の腫瘍局所浸潤増強機構  137

  3.IL-12投与中の担癌マウスにおける腫瘍塊内免疫応答  141

  4.IL-12の腫瘍拒絶効果におけるIFN-γの役割  142

 E.IL-12奏効性,非奏効性腫瘍系  144

 サイドメモ  8-1.サイトカインレセプターのシグナル伝達  127

  8-2.IL-12によるin vivo IFN-γ産生  136

あとがき  152

索 引  153