ステント型人工血管は,1991年にアルゼンチンのDr. Parodiが腹部大動脈瘤の治療に最初に用いて以来,低侵襲の手術治療法として血管外科領域および放射線科領域で注目を浴びるようになった.わが国でもここ数年の間に十数カ所の施設で臨床的に用いられはじめ,学会,シンポジウム等も企画されるようになってきている.そして医師の側からは創意工夫をこらした報告例が相次いで出されるようになり,メーカー側もテクノロジーを駆使して新しい,より使いやすい,確実性の高い器具の作成に挑戦している.しかし現時点でなお,これらの手技にせよ器具にせよ一長一短があり,また夥しい情報の飛び交う中で,正しい,正確な情報をとらえ,これを理解することは仲々難しいのが実状である.このような問題を解決し,正しい行くべき方向を見定めるためには,装置の開発の歴史と考え方の変遷も振り返り,現状を有の儘に基礎から臨床に至るまで,理論的,実践的にこの新しい課題について明らかにしておくことは極めて必要かつ重要なことと思われる.

 ステント型人工血管植え込み術は,手術部位への経路,到達方法が特徴で,使い方によってはこれまで困難とされてきた,もしくはかなり無理な術式を採用せざるを得なかった人工血管植え込み術が容易に行い得る可能性を持っており,適応を選べば有用な血管外科手術術式となり得るものである.

 ステント型人工血管挿入術は,通常の人工血管置換術に比べると,操作は単純ではあるが,術式が開発されて未だ日も浅く,手技の修得が不充分なことや装置,器具の完成度の低いこと,手術手技が未だ完全には確立されていないことなどから,成功例の中にも単純な合併症の発生の報告が見られるのが現状である.また本法を用いたために,従来のような手術法ならばそれほど困難もなく人工血管置換術が行われたであろう症例に,予期せぬ合併症が発生したという報告も聞かれる.現時点では詳細な検討はできないが,従来の人工血管置換術に比べて合併症の発生率が高いように思われる.その原因が器械器具によるのか,手技の未熟によるのか,適応によるのかについても充分検討されていない.

 ステント型人工血管は本格的な外科手術手技を必要としないこともあって人工血管についての基礎的知識がなくても施行が可能である.しかし本手術はあくまでも人の体内への人工血管の植え込みである.従って植え込まれた人工血管が術後短期および長期にどのような状態になるのか,10年,20年後にはどのような状態が予測されるのか,といった長期の経過についても,今日得られるすべての知識に基づく予測をした上でステント型人工血管を使用すべきであろうと思われる.

 以上のような状況の中にあってステント型人工血管が正しく理解され,将来にわたって安全に使用されるために,今日の時点でのステント型人工血管に関する知識を総ざらいし,良好な経過を辿った症例,合併症を起こした症例,手術が困難であった症例などを具体的に示すことが必要であると考えられる.外科学の領域に限らず,問題点をすべて明らかにし,知識を互いに共有することは学問の進歩・発展に必要なことであり,これにより全体の技術的レベルを向上させることは極めて重要なことと考えている.さらに本法の利点と欠点を充分に理解し,今後の進むべき方向を定めるべきである.このことが,今後手術中に起こるかもしれない不測の事態に対しても正しく対処し,合併症の発生を未然に防ぐための知識,技術として役立つものと考えられる.そもそも医療は最終的には,安全,確実,簡便,普遍的である必要がある.例えば手術は,一定の経験を積めば,誰が行っても確実に一定の成績が得られなければならない.一方,手術には具体的に仲々表現し難い「こつ」があるのも事実である.本書はこれらのすべてが満足されるように企画し,書かれている.ステント型人工血管挿入術をすでに経験されている方,またこれから手術をはじめてみようと思っている方々にも必ずお役に立てるものと思っている.

 ステント型人工血管の血管外科領域への応用の日が未だ浅く,その手技が未だ確立されているとはいえず,器具も未だ改良途上にある今日にあって,本書では不完全な記述に終わらざるを得ない部分や,器具の発達や考え方の変化なども予想されるが,それであればこそ尚更,今日の時点で本書を繙けば,今日までの全ての研究成果を知ることができ,今後の方向も知ることができ,読者がそれぞれ自分なりの理解を得ることができるものと期待している.

 ステント型人工血管挿入術は概念としては外科手術に属するものかとは思うが,その手技,適応等は外科手術とは全く異なるものであり,新たな概念として理解されるべきものと思われる.従って外科医にとっても内科医あるいは放射線科医にとっても,この点を充分に理解,納得しないと,新たな発展展開は望み得ないことになる.本書はこのことに関してもお手伝いができるものと自負している.

1999年1月

松本 昭彦

目 次

総 論

  I.歴 史…〈鈴木伸一〉 2

     1.開発の歴史… 2

     2.報告書にみる研究過程―ステントグラフト論文集… 5

       A.腹部大動脈瘤にステント治療を開始したParodiの代表論文… 5

       B.ステント治療開始後早期の報告… 9

       C.bifurcated graftによる治療… 10

       D.胸部大動脈瘤… 14

       E.大動脈解離… 18

       F.adenosine投与心停止下でのステントグラフト留置術… 20

       G.ステント固定部分の組織学的変化… 21

  II.治療法の考え方…〈近藤治郎〉 22

     1.thromboexclusionの意義と問題点… 22

     2.ステント型人工血管の血管外科手術における位置… 28

       A.腹部大動脈瘤… 28

       B.胸部大動脈瘤… 28

         1.動脈硬化性… 29

         2.解離性… 29

  III.病態生理… 31

     1.ステント型人工血管挿入による血管壁の病理学的変化… 31

      a.基礎的アプローチ…〈鈴木慶二,小島 勝,西川 邦,野一色泰晴〉 31

       A.正常大動脈… 31

       B.粥状硬化症… 34

       C.大動脈閉塞症… 34

       D.粥状硬化性大動脈瘤… 36

       E.炎症性大動脈瘤… 38

       F.解離性動脈瘤… 38

       G.ステント型人工血管挿入により起こるべき血管壁の病理学的変化… 41

      b.臨床的アプローチ…〈由谷親夫,伏見博彰,虎頭 廉,加藤雅明,金香充範〉 44

       A.概 念… 44

       B.適 応… 46

         1.inclusion criteria… 46

         2.exclusion criteria… 46

       C.病理解剖学的考察… 46

         1.対象と方法… 46

         2.代表例の呈示… 48

       D.病理学的にみたステントグラフトの問題点… 51

         1.ステントグラフトの材質の問題… 51

         2.ステントグラフトの径に関する問題… 51

         3.endovascular leakの問題… 52

         4.shower embolismについて… 52

         5.bare stentによる血栓形成… 52

       E.ステントグラフトと血管壁の病理学的所見… 52

     2.ステント型人工血管の血流に及ぼす影響…〈狩野 猛〉 55

       A.バルーニングおよびステンティング終了後の血流再開時の問題… 55

       B.ステント型人工血管挿入後の血管内の血流状態… 55

       C.ステント挿入血管において血流によって生じる諸問題… 57

       D.ステント型人工血管挿入後の遠隔期における諸問題… 63

     3.治癒過程からみたステント型人工血管…〈野一色泰晴〉 65

       A.文献にみられるステント型人工血管の治癒過程… 65

       B.人工血管における新生内膜形成遅延… 66

       C.悪循環を絶つ方法… 67

       D.人工血管周囲の変化… 68

       E.ステント型人工血管の断端部の治癒過程… 68

       F.断端部以外での内面の治癒過程… 68

       G.真性瘤における治癒過程… 69

       H.endoleakを合併した真性瘤の場合における治癒過程… 70

       I.大動脈解離に用いたステント型人工血管の治癒過程… 70

       J.ステント型人工血管における治癒の特異性… 71

       K.合併症発生時の治癒特性… 71

     4.血液性状に与える影響…〈中村光哉〉 76

  IV.生体工学的展開… 80

     1.ステント型人工血管への細胞増殖因子,遺伝子工学の応用…〈高橋和裕〉 80

       A.ステント型人工血管への細胞増殖因子の応用… 80

       B.ステント型人工血管へのgene transferの応用… 81

       C.細胞増殖の制御―ステント型人工血管の治癒とballoon injury… 82

       D.遺伝子工学を用いたステント型人工血管の新たな可能性

―endothelializationからfunctional vascular prosthesisへ… 83

     2.ステント型人工血管の構造的問題点…〈野一色泰晴〉 86

       A.ステント型人工血管の特徴と問題点… 86

       B.挿入に関する問題点… 87

       C.ステント型人工血管挿入時のモニタリング問題… 88

       D.金属ステントに関する問題点… 88

       E.人工血管布に関する問題… 89

       F.人工血管布の型くずれと損傷に関する問題… 90

       G.人工血管布とホスト血管壁との密着性の問題… 92

       H.固定性の問題… 93

       I.人工血管の内外側における血栓の器質化と内膜外膜形成… 93

       J.血液の乱流問題および血球破壊と血液凝固系異常… 94

       K.解離の場合におけるエントリー閉鎖不全… 94

       L.endoleak問題… 94

       M.人工血管の変形… 95

       N.血管分枝閉塞に起因する腸管麻痺と神経障害… 96

  V.手 技…100

     1.臨床使用上における一般的手技…〈岩井芳弘〉100

       A.画像システム…100

         1.血管撮影室での画像…100

         2.手術室での画像…101

         3.その他の画像手段…102

       B.デリバリィシステム…102

       C.アプローチ法…103

       D.実際の手順…103

     2.今日臨床で使用されている製品の紹介…〈山崎一也〉107

       A.製品の開発発売状況…107

       B.ステントグラフトの製品の概況…107

       C.実際の製品…108

         1.ballon expanding type…108

         2.self expanding type…109

     3.ステント型人工血管の作成法…〈軽部義久〉112

       A.ステント型人工血管作成における基本姿勢…112

       B.ステント型人工血管作成の実際…113

         1.使用するステント…113

         2.人工血管の選択…113

       C.ステント型人工血管の作成…114

       D.報告例にみるステント型人工血管…115

       E.理想的なステント型人工血管…115

         1.ステント…115

         2.人工血管…116

       F.今後の展開…116

  VI.術中術後管理…〈磯田 晋〉117

     1.術中の患者管理…117

       A.スタッフ…117

       B.手技を行う場所…117

       C.麻 酔…118

       D.透視装置…118

       E.経食道超音波装置(経食道エコー)…119

       F.ステント型人工血管展開中の補助手段…119

       G.降圧法…120

       H.ATP投与…120

       I.ペーシングバックアップ…121

       J.術中管理の実際…122

         1.留置前の造影…122

         2.テンションをかけたガイドワイヤーによる

イントロデューサーの誘導…122

         3.ステント型人工血管のリリース…122

         4.留置後の造影…123

     2.術後の患者管理…124

       A.循環呼吸管理…124

       B.術後造影CT…124

       C.coagulopathyのモニター…124

       D.病棟における管理…125

       E.遠隔期の外来フォロー…125

  VII.評価方法…〈磯田 晋〉126

     1.術前評価…126

     2.術中評価…129

     3.術直後における評価…130

     4.術後評価…132

     5.遠隔期評価…133

  VIII.適 応…〈岩井芳弘〉134

       A.腹部大動脈瘤…134

       B.胸部大動脈瘤…136

         1.真性大動脈瘤…136

         2.仮性大動脈瘤…137

         3.解離性大動脈瘤…137

       C.末梢血管領域…138

  IX.合併症…〈市川由紀夫〉140

     1.報告例にみられた合併症,不成功例の紹介…140

       A.文献上でみられた合併症,不成功例…140

         1.Parodiらの報告…140

         2.Mooreらの報告…141

         3.Yusufらの報告…142

         4.Blumらの報告…142

         5.Naslundらの報告…142

         6.Wainらの報告…143

         7.Mialheらの報告…143

         8.Lumsdenらの報告…144

         9.Chuterらの報告…144

         10.Kolvenbackらの報告…144

         11.Cutryらの報告…145

         12.Mitchellらの報告…145

         13.Dakeらの報告…145

         14.Katoらの報告…146

         15.Inoueらの報告…146

       B.最新学会における報告でみられた合併症と不成功例…146

         1.Mayらの報告…146

         2.Jacobowitzらの報告…147

         3.Cuypersらの報告…147

         4.Panettaらの報告…147

         5.Chuterらの報告…147

         6.Weverらの報告…147

     2.endovascular surgeryに伴う合併症の理論的検討…148

         1.endovascular surgeryの成功率…148

         2.死 亡…149

         3.エンドリーク…149

         4.破 裂…150

         5.migration…150

         6.グラフト屈曲および閉塞…151

         7.embolism…152

         8.ステント挿入部位の局所障害…152

         9.出 血…152

         10.感 染…152

         11.発 熱…153

         12.腎不全…153

         13.対麻痺…153

         14.脳合併症…153

         15.その他…153

 各 論

  ■我々の施設におけるステント型人工血管を用いた治療

     1.福島県立医科大学医学部心臓血管外科…〈星野俊一,緑川博文〉158

       A.治療戦略…158

       B.適 応…158

       C.器材および手術手法…159

         1.器 材…159

         2.基本的手術手技…160

         3.ステント型人工血管留置術における工夫…161

       D.有効性評価法および臨床成績…167

       E.遠隔期の問題点…168

       F.将来展望…170

     2.横浜市立大学医学部第1外科…〈井元清隆〉172

       A.我々のステントグラフトの適応についての考え方…172

         1.解離性大動脈瘤…172

         2.真性胸部下行大動脈瘤…172

         3.真性腹部大動脈瘤…173

       B.形態からみたステントグラフト留置術の適応…173

         1.解離性大動脈瘤…173

         2.真性胸部大動脈瘤…173

       C.ステント…175

       D.人工血管…176

       E.ステントグラフトのサイズの決定方法…176

       F.手 技…176

         1.シースの挿入…176

         2.術中造影…177

         3.ステントグラフト留置に際しての補助手段…177

         4.ステントグラフト留置直後のendoleakに対する対策…178

       G.有効性の評価方法と術後成績…178

       H.凝固異常の合併症例に対する対策,術後凝固異常発生の予防法…179

       I.合併症とこれを回避するこつ…179

       J.ステントグラフト治療の将来像…181

     3.大阪府立病院心臓血管外科…〈加藤雅明〉182

       A.大動脈解離に対するステントグラフト…182

       B.真性大動脈瘤に対するステントグラフト…192

         1.腹部大動脈瘤に対するステントグラフト…192

         2.胸部大動脈瘤に対するステントグラフト…195

       C.狭窄性血管病変に対するステントグラフト…201

     4.奈良県立医科大学放射線科…〈居出弘一,吉川公彦,打田日出夫〉205

       A.大動脈疾患に対するステントグラフト留置術の適応基準…205

         1.形 態…205

         2.全身状態…205

       B.ステントグラフトの設計と作製…205

         1.ステントグラフトの種類…205

         2.ステントグラフトの形とサイズの決定…206

         3.ステントグラフトの作製…206

       C.ステントグラフトの留置法…207

         1.留置手技の実際…207

         2.動脈瘤の存在部位による留置法の工夫…207

       D.ステントグラフト留置術後のendoleakの対策…208

       E.合併症の対策と予防法…208

       F.遠隔期の問題点…210

       G.将来展望…210

     索 引…213