はじめに
1998年の日本透析医学会学術総会で発表された本邦の透析患者数は,実に175,988人(1997年末現在)に達し世界第2の透析王国となっている.しかも10年以上の長期血液透析患者はその23%,約4万人に達する.透析患者全体の平均年齢は59歳,1997年度導入患者の平均年齢は62歳と高年齢化している.即ち,本邦の透析患者は長期に亙り透析治療を受けている高齢者が主体である.したがって,その合併症等は長期透析による影響や高齢者特有の性質をそなえていることになる.
本邦の死因統計をみると,1995年時で悪性新生物が28.5%で1位,脳血管障害が15.9%で2位.心疾患が3位で15.1%である.この心疾患の60.8%が虚血性心疾患であるという.同じ1995年の透析患者の死因に関する日本透析医学会の報告をみると,悪性新生物は7.2%,脳血管障害は13.5%で心疾患は実に32.9%(心不全+心筋梗塞)に達し,いかに透析患者の死因で心疾患が多いかわかる.虚血性心疾患による死亡は心筋梗塞と考えると全人口で9.18%になるが,透析患者では7.5%にとどまる.即ち,透析患者では心筋梗塞以外の心不全死が多いことになる.透析患者は一回透析ごとに1.5〜3.5kgの体重増加,即ち容量負荷がかかっている.また,エリスロポエチンを使用しても現在Ht25〜32%位で保たれている患者が多く,貧血による心への負荷は継続していると考えられる.さらに体外循環によるサイトカイン産生,活性酸素の発生等,心循環系にとってマイナス要因があまりにも多い.
このように透析患者は一般健常者に比し著しく心・脈管系疾患が多く,死因の最大原因になっているので,本書ではまず診断治療の基本となる病態の把握について循環器専門家を中心に執筆してもらった.次いで,心・脈管系合併症の具体的対策について専門家にお願いしたが,透析現場で苦労する不整脈について前項とともに重視したつもりである.この2つの章で執筆いただいた循環器専門医はいずれも透析に理解があり,しばしば透析医のコンサルテーションを行っている医師であるので,透析患者に即した記述が可能である.透析を知らない専門医の意見に当惑することはまれではない.その点,本書に執筆された循環器専門医は透析医が受け入れられるような配慮をしつつ専門医の立場で述べている.この点が本書の特徴であろう.
第V章では透析専門医でかつ心・脈管系糖尿病等にきわめて造詣の深い医師に,現場での対応のしかたについて具体的に述べてもらった.本書が透析の現場で,透析患者の心・脈管合併症のリスクを減らし,また合併症の治療に少しでも役に立つことを願ってやまない.
1998年12月
丸茂文昭
目 次
序 説●丸茂文昭● 1
1.透析患者の死因の過去と現在…1
2.心疾患の内容の変化…3
a.心疾患増悪因子の変化…3
b.心疾患治療の変化…4
I.透析患者の病態の把握
§1.最近の心不全の概念 ●大塚定徳・杉下靖郎● 8
1.心不全とは…8
2.心不全の疫学…9
3.心不全の代償機構とその破綻…11
a.Frank-Starling機序…11
b.交感神経系の機能亢進…12
c.腎での体液調節…12
d.液性因子…13
e.心肥大…15
4.心肥大から不全心への移行…16
a.心筋壊死…16
b.心筋構造の変化…17
c.拡張機能の障害…18
d.興奮-収縮関連とカルシウムの異常…18
e.β受容体-G蛋白-アデニレートシクラーゼ系の異常…20
5.高血圧と心不全…20
a.高血圧に伴う心機能障害…20
b.心肥大をもたらす成長因子…21
6.糖尿病と心不全…21
a.糖尿病と心疾患…21
b.糖尿病と高血圧…22
c.糖尿病性心筋障害(糖尿病性心筋症)…23
§2.透析患者の体液量とその調節 ●黒田せつ子・木村玄次郎● 26
1.透析療法の体液生理…26
a.水分バランスと体液の分布…26
b.体液除去と循環血漿量の変化…27
c.透析中の血圧低下…28
2.透析患者のNa+バランス…29
a.透析中のNa+バランス…29
b.非透析間のNa+バランス…31
3.透析療法における体液量のコントロール…32
a.基礎体重の概念と曖昧さ…32
b.基礎体重を設定するための原理…33
§3.透析患者の心機能障害の病態生理 ●廣江道昭● 36
1.長期血液透析患者の循環動態の特徴…36
a.運動負荷試験…40
b.心筋潅流…40
c.心機能…41
2.長期血液透析心にみられる心筋障害の特徴…43
§4.透析患者の動脈硬化の進展と病態 ●白井厚治● 50
1.透析患者の動脈硬化進展の実態…50
a.疫学調査…50
b.生理検査など…51
2.動脈硬化巣の形成機構…53
a.動脈硬化の成り立ち…53
b.透析患者の動脈硬化進展要素…54
3.動脈硬化をみていくための臨床指標…58
§5.透析患者の不整脈の診断 ●相澤義房・筒井牧子● 61
1.不整脈の分類…61
2.不整脈の機序…62
a.徐脈性不整脈…62
b.頻脈性不整脈…62
3.不整脈の基盤と誘因…67
4.透析患者の不整脈の診断…67
a.洞不全症候群…67
b.房室ブロック…69
c.脚ブロック…70
d.頻脈性不整脈…70
5.実際の不整脈の頻度と種類…73
II.心・脈管合併症の対策
§1.透析患者の血圧管理 ●浅野 泰● 78
1.高血圧…78
a.透析患者高血圧管理の重要性…78
b.透析患者における高血圧の特性…78
c.維持透析患者の高血圧の成因…79
d.透析患者の高血圧の治療…81
2.低血圧…84
a.透析患者低血圧管理の必要性…84
b.持続性低血圧の成因…85
c.持続性低血圧の治療…85
d.透析中の低血圧の病因…87
e.透析中の低血圧の治療…91
§2.透析患者の心不全の治療
●金子哲也・今井圓裕・是恒之宏・堀 正二● 95
1.維持透析患者の心不全の特徴…96
2.透析患者の心機能評価…97
3.透析患者の心不全症状…99
a.アシドーシス…100
b.カルシウム・リン代謝異常…100
c.β2-ミクログロブリン…101
d.アンギオテンシンU…101
4.透析導入時に既に心不全が存在する場合…101
5.心不全の治療…102
a.体液過剰…102
b.貧 血…104
c.内シャントに起因する心不全…104
d.透析患者の心不全に対する薬物療法…105
§3.透析患者の虚血性心疾患治療 ●大本由樹・田村 勤● 113
1.透析患者の冠動脈病変の特徴…113
2.虚血性心疾患(狭心症)の診断…115
a.病 歴…115
b.心電図…115
c.心エコー図…116
d.冠動脈造影(CAG)…117
e.診断手順,循環器医へのコンサルタントのタイミング…117
3.虚血性心疾患(狭心症)の治療…119
a.非観血的治療…119
b.観血的治療―カテーテルインターベンションと冠動脈バイパス術…120
§4.透析患者の不整脈治療 ●青沼和隆● 133
1.透析患者における不整脈の発生と成因…133
2.臨床的な不整脈…134
a.徐脈性不整脈の治療…134
b.頻脈性不整脈の治療…137
§5.透析患者の脳血管障害の予防と治療 ●平方秀樹● 152
1.慢性透析患者の脳循環動態の特徴…152
2.慢性透析患者における脳血管障害の疫学…153
a.発症頻度・病型・部位…153
b.脳血管障害の前段階と考えられる病態…155
3.危険因子…158
a.是正不可能な因子…158
b.是正可能な因子…159
4.脳血管障害発症時の治療…161
a.急性期の管理…161
b.外科的療法の適応…162
c.慢性期の管理…162
5.予 後…162
III.合併症管理の実際
§1.心合併症をもつ透析患者の透析管理 ●秋葉 隆● 166
1.1回の透析が患者の循環にどんな影響を及ぼすか?…166
2.透析の目的から当然とも考えられる血圧低下とその対策…166
a.水・ナトリウム除去…166
b.カリウム除去…171
c.酸塩基平衡の補正…171
d.カルシウム・リン・マグネシウム補正…171
e.薬物の除去…171
3.体外循環に伴う副作用と考えられる血圧低下とその対策…172
a.透析膜による副作用…172
b.透析液による副作用…172
c.抗凝固薬による副作用…174
d.体外循環血液量による副作用…174
e.その他の体外循環による副作用…174
4.その他の低血圧対策…174
a.腎性貧血の改善…174
b.運動療法…175
§2.糖尿病透析患者の循環器合併症とその管理 ●松本 博・中尾俊之● 177
1.虚血性心疾患…178
a.診断法…178
b.治療の実際…180
2.閉塞性動脈硬化症(ASO)…181
3.血液透析環境の心血行動態への影響…182
a.体液貯留と透析時の血圧低下…182
b.内シャント…183
c.貧 血…183
d.偽性高血圧…184
4.周術期(特にCABG施行症例)の透析管理…184
a.術前管理…184
b.術後管理…185
§3.CAPD患者の心合併症とその管理
●太田 眞・杉本健一・宇都宮正範・川口良人● 188
1.CAPDのあらまし…188
2.虚血性心疾患…190
3.不整脈…193
a.不整脈治療の原則…193
b.CAPD患者の不整脈の治療方針…195
4.心不全…198
5.その他(低血圧,右側胸水)…208
§4.循環器合併症を有する透析患者の手術 ●大平整爾● 210
1.慢性透析患者の特性と手術…210
2.透析患者に多い手術…210
3.維持透析患者の心不全とその原因…211
4.術後の合併症…211
5.術前における心機能の診断…212
6.非心臓手術における心機能危険指数…213
7.自験例の考察…215
a.肺うっ血,肺炎および腹痛(胆嚢蓄膿症)…215
b.心肥大…215
c.洞不全症候群(徐脈,不整脈)…218
d.心外膜炎…219
e.不安定狭心症(冠動脈狭窄症)…219
8.考 察…221
索 引…223