2版の序

 戦後60年,物事の価値観がどんどん変化している.バブル経済の崩壊,護送船団方式による経済運営の破綻など,言葉としては知っていたし,景気が悪いことも実感する.しかし,どこか他人事であった.ところが,今や,経済状況,政治状況,社会状況など,どれをとっても大きく変貌している.このような周囲の状況の中で,身近なところに目を向けると,山本周五郎さんが書かれた『赤ひげ診療潭』に感激した昭和40年代が実に懐かしい.『赤ひげ診療潭』は皆に読まれ,三船敏郎さん,加山雄三さん演じた映画も大評判であった.私自身も含め,多くの人々は,ここに医療の原点があると信じたし,今も,大部分の医療従事者は,医療は福祉であり,時には無償の愛であることに誇りを感じているだろう.触発されて医療分野に足を踏み入れた御同輩もいるにちがいない.

 ところが,この医療理念は,なにか大きな力によって利用されたり,時には自らが利用したりしているうちに,少しずつ変わってきたような気がする.最近は,医療の株式化,市場原理導入という概念がしばしば話題になる.それを口にすると,何か格好良く聞こえたりするから不思議だ.ところが,医療理念に対して,誤った方向で価値観の転換を強制されているのではないだろうか.確かに,市場原理導入によるサービス向上・医療の質の向上・安全性の確保といった方向は,病院相互あるいは医師相互が切磋琢磨して医療技術の競い合いを誘発し,結果として,国民に良質かつ適切な医療を提供するであろう.ここまでなら共鳴できる.

 しかし,度を過ぎると,どこかの秘伝スープや絶対に他人に教えてはいけない製法,技術などのように,医療技術もめったには外部の人に教えてはいけない企業秘密のノウハウの中に分類されるようになるという危険性はないのだろうか.場合によっては知的所有権として,他人による模倣を厳しく排除するという時代がくるのかもしれない.そして,未来のある時期には我々は疾患の治癒率,寛解率を争い,相互に,診療ノウハウに対して特許料を払ったり,払わされたりに近い状況のもとで,診療行為に勤しむのかもしれない.

 本書は,まさにそのような専門医による珠玉の透析療法の診療ノウハウを最新知識としてまとめたもので,1997年に初版を出し,途中,最小限の改訂を経て,今回,2版目の出版を迎えることができた.内容としては,6題は全面改訂し,新規に10題の質問を加えた.頁数にして40頁の増となっている.もし今が,未来のある時期なら秘中の秘になることは疑う余地なく,このような図書も誕生しないのかもしれない.

 今生きていることに感謝しながら,多少の不安を抱いている.最後になったが,面倒な質問にも快く回答をお寄せ下さった先生方の日頃のご努力,ご厚誼に深謝するとともに,本書が読者の皆様の日々の診療にお役に立つのであれば,我々の望外の幸せである旨を執筆者に成り代わって申し添えて編集の言葉としたい.

  2003年6月

    間近に岩淵水門を望む荒川土手にて

    佐中 孜

初版の序

 透析療法の進歩はめざましい.今や,透析療法という用語そのものがこの分野での実状を表していないものとなりつつある.このため,施設の名称を透析室あるいは人工腎臓センターから血液浄化療法センターに変更しているところも次第に増えている.しかし,浄化という言葉は,何となく環境浄化とか下水道浄化などを思い浮かべてしまう.あまりにも生活臭く,学問的なイメージが沸かない.10年以上前のことであるが,『血液外科学』なる新造語が話題になったことがある.病巣を取り除くがごとくに,血液から病因物質を取り除くからという訳であるが,いささかパロディーじみているし,当時もそのように受け止められていた.英語にすれば,『haematosurgery』ということになるのか.いずれにしても,今や,透析療法が担う役割は巨大で,社会的な責任も大きい.とりあえずは透析医学を固有名詞と承知することにしてはいるが,用語を再検討する時期にきているように思う.

 さて,透析療法によって生命が維持されている慢性腎不全数は1995年末で154,413名で,その年の年間死亡患者数は,14,406名(9.3%)である.これだけみると,その10年前は透析患者総数が61,616名で,年間死亡患者数が5,460名(8.9%)であるから,年間死亡率も若干増加したことになるが,患者の平均年齢は,1985年度が50.3±13.8歳,1995年度が58.0±13.4歳と,慢性腎不全患者の高齢化が進んでいる点を考慮すると,透析療法の進歩がいかにめざましいかがよくわかる.そして,その陰に高性能膜に代表される透析療法それ自体の技術的な進歩はもとより,遺伝子組み替えエリスロポエチンや活性型ビタミンDをはじめとする周辺技術の開発があることはいうまでもない.

 しかしながら,一方では,患者の寿命が伸び,患者総数が増加した分だけ,透析アミロイドーシス,低回転骨など,これまで誰も経験したことがない合併症に直面する機会が多くなってきた.無論,血液浄化療法の技術も複雑化してきており,分類するだけでも一苦労する.

 そこで,『コンパクトにまとまっているが,単なるハウツーものではない.しかし,肩の凝る読み物であってもいけない.』と,やや欲張った内容にすることをコンセプトにして本書を企画した.ところが,実際の編集段階に入ると,この分野の進歩が予想以上で,様々なことが問題になってきていることが判明,項目もその都度増え,物理的にも分厚い本になってしまった.お陰で,いまだ我々の気付かない問題があるような気もするが,ひとまずは比較的広範囲にわたる日常診療において,直ちに役立つ書に仕上がった.編集に協力して頂いた先生方,ご執筆頂いた諸先生のご苦労にあらためて,深甚なる感謝の気持ちを表す次第である.

 本書が書棚に積まれているのではなく,臨床の場に置かれ,表紙がすり切れる程,活用されることを祈って,序としたい.

  1997年6月

    佐中 孜,秋葉 隆


目次

§1.透析液

1.低カルシウム透析液の適応  2

2.糖が含まれている理由  4

3.ナトリウムとカリウムの濃度調整  6

4.透析液流量の決め方  8

5.バイオフィルトレーションのやり方  10

6.透析液の電解質濃度の適正値.透析液の組成とその設定濃度の意味  12

7.逆浸透装置が必要な理由  14

8.透析液中のエンドトキシンの除去対策  16

9.透析液のエンドトキシン濃度  19

§2.人工腎臓装置の実際

1.人工腎臓装置の基本構成  22

2.各種透析液の作製原理  24

3.透析装置の消毒方法  26

4.透析装置の安全監視機構  28

5.自動返血・自動血液回収装置  31

§3.いろいろな血液浄化法の原理

1.血液透析,血液透析濾過,血液濾過の原理  36

2.血液濾過における前希釈法と後希釈法  38

3.CAVH, CHFの違い  40

4.透析効率の向上法  42

5.内部濾過促進型ダイアライザー  45

§4.腹膜透析

1.至適透析量の指標  48

2.出口感染の予防法と治療  50

3.腹膜休息の有効性と方法  52

4.CAPD患者の腹膜の耐用年数.継続断念の条件  54

5.CAPDにおける腹膜機能低下の原因と対策  56

6.CAPDでの食事療法の必要性  58

7.CAPDで不均衡症候群は起こらないか  60

8.CAPDにおける栄養面や代謝異常の対策  62

9.残存腎機能の評価と腹膜透析処方の変更  64

10.SMAPによるCAPD  66

§5.ダイアライザーとその準備

1.ダイアライザーの選択基準  70

2.尿素Kt/V,β2−マイクログロブリンの除去率の応用法  73

3.ダイアライザー膜素材の種類と補体活性作用  74

4.ダイアライザー膜素材の表面構造  79

5.ハイパフォーマンス膜の利点と欠点  80

6.透析器II型とハイパフォーマンス膜との相違点  82

7.ダイアライザーの性能評価法  83

8.クリアランスや篩係数の算定法  86

9.濾過膜特性と血漿蛋白や血球成分  87

10.濾過膜の濾過特性の経時的劣化  88

§6.ブラッドアクセス

1.ブラッドアクセスの種類と特性.内シャントの使用可能期間  92

2.留置カテーテルを用いたブラッドアクセスの適応  94

3.人工血管を用いたブラッドアクセスの利点と欠点  96

4.シャントトラブル  98

5.ブラッドアクセス作製の適応基準  101

6.発赤やシャント音減弱への対処  102

7.血管のコブの予防法  103

8.A側,V側の位置の決め方  104

9.緊急用double lumen catheter挿入時の管理法  105

10.穿刺ミスによる皮下血腫に対する処置法  106

11.ボタンホール穿刺  107

§7.透析導入時期

1.透析導入時期基準  110

2.糖尿病患者の透析導入時期  112

3.高齢者の透析導入時期  114

4.透析導入の年齢制限  116

5.不均衡症候群の発生機序と対策  118

6.透析中止を決定するための必要事項と問題点  120

§8.透析患者の合併症対策

A.透析中の合併症

1.常時低血圧患者の透析法の注意点  126

2.エリスロポエチン使用時の高血圧とその対策  128

3.透析中の筋硬直の原因とその対策  130

4.透析中の不整脈に対する緊急処置  132

B.長期合併症他

1.脳血管障害  134

2.低血圧の対策  136

3.抗不整脈薬の使い方  138

4.弁膜症の診断と対策,手術適応  141

5.狭心症・心筋梗塞の予防・治療・リハビリ  142

6.高脂血症患者の治療  146

7.Ca,P,PTH,ALPの関係とデータの読み方  149

8.低回転骨患者の透析液  152

9.長期透析患者のアミロイドーシス  154

10.アミロイド関節症の痛みとその対策  156

11.手根管症候群に代表されるsynovial-ligament-amyloidosis complex

  syndrome(SLACS)やアミロイド関節症(関節炎)の内視鏡手術  158

12.悪寒・発熱の原因と対策  162

13.頑固な皮膚のかゆみの原因とその対策  165

14.MRSA保菌者の対応  168

15.HCV陽性者の対処  170

16.透析患者の妊娠,分娩の現状,予後および管理上の注意  173

17.心胸郭比が改善しない場合の対策  176

18.無痛性心筋梗塞の早期発見と対応  177

19.口臭を消す方法  180

20.口腔領域の合併症の対応,注意点  182

21.長期臥床患者の合併症と対策  184

C.精神的諸問題

1.拒否的態度をとる患者の心理と対処  186

2.イライラしている患者への接し方  188

§9.糖尿病性腎症

1.血糖コントロールの指標  192

2.インスリンの使い方と注意点  193

3.導入時期のタイミング  194

4.血液透析・CAPD・腎移植の決定基準  196

5.透析日と非透析日のインスリン量  198

6.食事指導の考え方  199

7.起立性低血圧の治療法  200

8.壊疽の予防と治療  201

§10.透析患者の手術

1.手術のリスクと説明法  204

2.透析患者の全身麻酔  207

3.緊急手術時の術前透析の決め方  212

4.手術と貧血の補正  213

5.抗凝固法選択の基本的方針  216

6.手術前後の輸液計画  218

7.消化管手術の際の点滴計画  220

8.全身麻酔を必要とする手術における血液浄化療法,CAPDの選択  223

§11.透析指標

1.透析指標の特徴と使い分け  226

2.透析前の血清Cr, BUN値の意味  230

3.透析指標と予後の関係  232

4.週あたりクリアランス,Kt/V, PCRの算出法  236

5.dry weightを決める指標  238

§12.抗凝固薬の使い方

1.抗凝固薬の特徴と使い分け  242

2.ヘパリンの投与量の決め方  244

3.消化管出血患者や頭蓋内出血合併患者の抗凝固薬の選択・投与量・期間  246

4.糖尿病性網膜症と抗凝固薬の選択  248

5.透析器残血がひどい症例の対処法  250

6.ヘパリンの副作用  252

§13.透析患者に対する薬の使い方

1.薬の選択,投与法における注意点  254

2.薬物血中濃度モニタリングを要する薬  259

3.過量投与によって副作用の出やすい薬  262

4.リン吸着薬の特徴と選択基準  264

5.活性型ビタミンD製剤投与の適応と用法,用量,治療目標  267

6.エリスロポエチン製剤の投与方法と注意点  269

7.エリスロポエチンの効用と不応症例  271

8.抗生物質の投与方法と留意点  273

9.降圧薬療法の選択と血圧目標値  275

10.透析中低血圧に対する薬物療法  277

§14.高齢者透析の注意点

1.高齢者の透析導入時期と導入期透析の注意  280

2.血液透析とCAPDの選択基準  282

3.通院介助のための公的・私的サービス  284

4.腹膜透析維持可否の判断  286

5.痴呆透析患者の対策  288

6.透析頻度の考え方  289

7.植物状態患者の透析の考え方  292

§15.小児の透析

1.血液透析か腹膜透析か  300

2.栄養や透析法の注意  302

3.食事療法の留意点,透析前後の生化学データの読み方  306

4.運動,学校の体育参加に対する注意点  308

5.成長ホルモン治療の適応と使用法  310

6.先天性腎尿路疾患を合併した小児透析患者  312

§16.食事療法の問題

1.「透析食」の計算指標  316

2.低栄養透析患者の診断と治療  321

3.「透析食」のスタンダード  323

4.蛋白制限の期間  325

5.透析患者のアルコール摂取  327

6.カルシウム製剤は透析患者に対して必要か  329

7.高脂血症を示す透析患者の栄養指導  331

8.リンを制限できなかった場合  333

§17.透析中の事故と対策

1.血液透析中の人為的な事故  338

2.透析中に点滴ラインがはずれた場合の緊急対策  341

3.ダイアライザーおよび回路の凝固時の対応  342

4.透析中に意識が急に低下した場合の対処と安全監視装置  344

5.血液透析中のショック状態の処置  345

6.人為的ミスの防止法  346

7.針刺し事故の対策  348

§18.透析室における災害対策

1.新鮮凍結血漿の安全性  352

2.停電時などの透析緊急中断時の処置法  355

3.地震で水と電気が停止した場合になすべきこと  356

4.震度3の地震の際になすべきこと  357

5.透析患者の透析関連個人情報  359

6.災害に対する患者教育と災害対策訓練  362

7.災害時の緊急マニュアル  365

8.病原性大腸菌(O-157)対策  368

索 引  370