多くの血液疾患に対する起死回生の治療として,造血幹細胞移植が施行されるようになったのは 1980 年代に入ってからである.それから約 25 年が経過し,支持療法の進歩や造血幹細胞ソースの多様化に支えられて,移植件数は着実に増加し,その適応と応用される分野は着実に拡大しつつある.また,移植を受けた多くの症例のデータは詳細に解析され,移植医療の進歩に貢献する新たなエビデンスも日々着実に蓄積されている.このように溢れ出る情報の中から,忙しい移植医が,有用な新知見をタイムリーに catch up していくことが結構大変な時代となってきたように思う.
 エビデンスが医療の標準化と治療成績向上に極めて重要であることは言うまでもないが,エビデンス重視の姿勢の中で,忘れてはならないのが個々の症例であろう.得られたエビデンスを目の前の患者にどのように応用し,出会う患者から何を学ぶかは,エビデンスを見出すこと以上に大切なことである.医師にとって興味のない患者はありえない.“Listen to your patients, they are telling you the truth.”これが医学を学ぶものにとって,最も基本的かつ大切な姿勢である.
 こんなことを念頭において,「症例から学ぶ造血幹細胞移植」を出版することとした.ここでは,まず症例とマネージメントに関する設問を提示し,読者の方々であればどのように対応するかを考えていただいた後に,症例提示をした移植チームがどのように対応したかと一般的な解説を加える構成とした.より臨場感を持って知識と経験豊富な移植チームの経験を共有できることを期待して,著者の方には,実際に移植チームで経験された症例をより多く選択していただいた.また,症例は,典型例から稀な症例,エビデンスはないが日常臨床で実際に対応に苦慮している症例まで,移植を学び始めた若い医師・看護師から経験をつんだ医療スタッフにも役立つよう配慮した.
 本書が移植専門医のみならず,多くの医師,研修医,看護師,パラメディカルスタッフにとって有益かつ楽しい書になることを願うとともに,多忙な折にご執筆を快く引き受けてくださった諸先生方にこの場をお借りして深謝いたします.
 最後に,皆さんが多くの移植チームと共有することが有意義と考える症例のご経験をお持ちであれば,是非第 2 版の作成に参加して頂ければ幸いです.
2006 年 5 月
岡本真一郎


目次

1章■ 移植前
A.造血幹細胞の選択/ドナーの問題
  1.怯えているようにみえるドナー<森 慎一郎> …2
  2.成人造血器腫瘍に対する臍帯血移植に
       どの臍帯血を選択すればよいか<大井 淳> …6
B.患者側の問題
  1.侵襲性アスペルギルス症の既往のある患者の
       同種造血幹細胞移植<福田隆浩> …9
  2.HBs 抗体陽性患者に対する
       同種造血幹細胞移植<小沼貴晶,友成 章> …14
  3.caregiver のいない 47 歳男性<八島朋子> …19
  4.移植後に挙児を希望する 28 歳男性<相佐好伸,淡谷典弘> …25
  5.HLA 適合血縁ドナーがいない Ph‐ALL<神田善伸> …30
  6.成人 T 細胞性白血病/リンパ腫に対する
       同種造血幹細胞移植<加藤光次> …37
  7.治療抵抗性 indolent lymphoma に対する
       同種造血幹細胞移植<伊豆津宏二> …47
  8.血縁者にドナーがいない第一寛解期 AML の中年男性<淡谷典弘> …53
  9.血縁者にドナーがいない第一寛解期 ALL の 25 歳女性<寺倉精太郎> …58
  10.Ph1‐ALL を発症した HIV キャリアに対する
       同種造血幹細胞移植<友成 章> …65
  11.抗 HLA 抗体を持つ患者に対する
       同種造血幹細胞移植<二見宗孔,高杉香志也> …69
  12.自家末梢血幹細胞移植後に M 蛋白が残存した
       多発性骨髄腫<中世古知昭> …72
  13.比較的高齢者の MDS に対するミニ移植<西脇嘉一> …78

2章■ 移植後早期(前処置から生着まで)
  1.臍帯血移植後の造血回復遅延<下袴田陽子,大井 淳> …86
  2.移植後 7 日目に認められた黄疸<大木 学> …93
  3.移植 2 日後に発症した痙攣発作<相佐好伸> …99
  4.口内炎発症のリスクが高い症例への L‐PAM の投与<八島朋子> …104
  5.非血縁者間移植後早期に認められた
       発熱,皮疹,体重増加<久住英二> …112
  6.同種末梢血幹細胞移植(PBSCT)
       7 日後に認められた急速に進行する貧血<田野崎隆二> …117

3章■ 移植後中期(生着から移植後 3 カ月まで)
  1.臍帯血移植後に認められた皮膚 GVHD と
       嘔気・嘔吐<矢島知治,森 毅彦> …122
  2.生着後に認められる持続性の下痢・腹痛<田近賢二> …126
  3.標準量ステロイドに反応しない急性 GVHD<山崎理絵,岡本真一郎> …132
  4.急性 GVHD の治療中に新たに発症した下痢と腹痛<森 毅彦> …138
  5.ガンシクロビル治療中に増悪した
       サイトメガロウイルス抗原血症<友成 章> …141
  6.HLA 一致同胞間移植後の day 25,
       全身の 60%の皮疹出現<大島久美,神田善伸> …145
  7.同種臍帯血移植 22 日後に
       認められた血尿<菊繁吉謙,沼田晃彦,長藤宏司> …152

4章■ 移植後後期(移植後 3 カ月以降)
A.慢性 GVHD
  1.移植 150 日後より認められた
       咳嗽・労作時呼吸困難<清水隆之,岡本真一郎> …162
  2.移植後後期の肝機能障害<横山明弘> …167
  3.非血縁者間移植 124 日後の激しい心窩部痛<土岐典子> …172
  4.非血縁者間骨髄移植 71 日後に認められた
       視力低下と眼痛<二見宗孔,大井 淳> …177
  5.免疫抑制薬減量中に発症した間質性肺炎<仲里朝周> …180
B.再発
  1.血縁者間骨髄移植後の Ph 陽性急性リンパ性
       白血病の再発<酒井美和,坂巻 壽> …185
  2.造血幹細胞移植後に再発し,根治治療が
       選択できない多発性骨髄腫症例<奥脇禎子> …192
C.その他の後期合併症
  1.移植後 1 年して生理がないことを
       相談にきた既婚の女性<岡本真一郎> …200
  2.移植後約 10 カ月で発症した汎血球減少<森 有紀> …203

5章■ その他
  1.慢性 GVHD 治療中に発見された肺結節性病変<島崎紀子> …210

索引 …217