序
近代の医学の進歩は一つには個体レベルの観察から臓器,組織,さらには細胞レベルへとその解析対象がミクロ化したこと,他方では消化器,循環器系といった各機能系へと専門分化が深化したことと軌を一にしている.本書のテーマである内分泌・代謝もともすればホルモンの生理的意義およびその作用の異常による病態を扱う領域とみなされることがある.すなわち甲状腺や副腎といった内分泌臓器の機能異常あるいは糖尿病,高脂血症といった代謝疾患を扱う領域に限定するものであり,臓器別に分類された一診療科とみなされるものである.しかしこのような視点は学問としての内分泌学の正しい位置付けとはいえない.
内分泌学の嚆矢となったlandmarkは腸管上皮に由来する物質(secretin)が膵臓の機能を刺激するという事実の発見である.これは20世紀初頭であり,その後約100年の間に内分泌学は想像を絶する発展を遂げた.その間に内分泌学はいわゆる古典的ホルモンからparacrine,autocrineといった作用様式を有する物質までを包含する学問分野と変容を遂げた.これに伴い内分泌学はいわゆる内分泌臓器に由来する限られた物質の作用を扱う学問から血中または組織中に存在する諸種の物質による細胞間同志あるいはこれらの物質を産生する細胞自身の増殖や機能発現の調節系を研究する学問分野へと大幅な変貌を遂げてきた.細胞間のcommunicationの制御システムは,全身の組織や臓器に普遍的かつ本質的な要素であり,内分泌学はもはや前述のごとく身体の一つの機能系にとどまる学問から脱皮し,各機能系を横断的に交織する学問へと位置付けられるようになった.従ってそこで扱われるトピックも発生,成長,老化,あるいは腫瘍発生といったあらゆる生命現象やその破綻を含むものであり,生命現象のダイナミズムを包括的に理解するための不可欠な考え方を提供するものといえる.
このように内分泌・代謝領域を今日的視点でとらえつつ,新たに発見された調節因子の生理的意義やその分子細胞学的作用機序などの紹介を通じ,生命現象の本態に迫りかつ各種疾患の病態の理解につながることを企図しつつ本書を編集した.最近の新知見を精選し,しかも各領域のexpertに執筆を依頼しており,内分泌・代謝領域の動向を俯瞰できる最適の書といえるものと確信している.
また今年度より各項目冒頭に「key words」を英語で掲載しており,重要な用語が一目で把握でき,しかもインターネット検索を容易にするものである.
各々の専門分野に応じて幅広く役立てていただければと希望している.
1999年12月
編者一同
金澤康徳 田中孝司 武谷雄二 山田信博 編集
著者
西田 誠 船橋 徹 福本誠二 大橋 健 石川冬木
小林 正 岩田 実 春田哲郎 井藤英喜 田嶼尚子
岩本安彦 南 康文 楽木宏実 荻原俊男 佐川典正
由良茂夫 小川佳宏 中尾一和 三村純正 藤井義明
平田結喜緒 小林淳二 森崎信尋 塚本和久 竹内二士夫
重松陽介 藤澤和郎 白石彰彦 井原 裕 清野 裕
葛谷英嗣 柴崎芳一 本宮哲也 北村信一 松田昌文
加来浩平 佐藤祐造 梶 龍兒 則武昌之 桂 善也
角 誠二郎 槇野博史 和田 淳 四方賢一 江草玄士
亀谷 純 若林一二 鴨井久司 田村哲郎 阿部好文
岩下光利 多賀理吉 町田稔文 岩泰 正 吉田昌則
三橋知明 高須信行 小林信や 伊藤研一 丸山正幸
天野 純 竹内靖博 森田浩之 安田圭吾 蘆田健二
後藤公宣 高柳涼一 名和田 新 高崎 泉 塩之入 洋
野城孝夫 北村雅哉 奥山明彦 太田博孝 田中俊誠
八重樫伸生 上原茂樹 児島将康 松尾壽之 小原孝男
寺岡秀郎 小池健太 梶原 博 長村義之
目 次
I.トピックス
A.代 謝
1.肥満治療薬の最前線 <西田 誠 船橋 徹> 1
肥満治療薬の現状 肥満に関わるその他の分子 肥満症治療薬の新たな方向
2.ビスフォスフォネート経口剤と骨粗鬆症の治療 <福本誠二> 9
ビスフォスフォネート製剤の閉経後骨粗鬆症に対する効果 ビスフォスフォネート製剤の老人性骨粗鬆症に対する効果 ビスフォスフォネート製剤のステロイド骨粗鬆症に対する効果 ビスフォスフォネート製剤の副作用
3.新しい機序による高脂血症治療−MTP阻害薬 <大橋 健> 17
MTPの構造と機能 無βリポ蛋白血症とMTP MTP阻害薬 動物モデルでの有効性 高脂血症とMTP 臨床応用の可能性と問題点
4.老化とテロメラーゼ <石川冬木> 24
末端複製問題と細胞老化 テロメラーゼ テロメア長が細胞老化を誘導する直接的な証拠
B.糖尿病
1.インスリン抵抗性改善薬の最新動向 <小林 正 岩田 実 春田哲郎> 29
インスリン抵抗性改善薬と肝障害 インスリン抵抗性改善薬の作用機序
2.高齢者糖尿病の治療と管理目標 <井藤英喜> 34
高齢者糖尿病の頻度 高齢者糖尿病と生命予後 高齢者糖尿病とQOL 高齢者糖尿病と身体活動度および高次神経機能の低下 高齢者糖尿病における低血糖 高齢者糖尿病の診断上の問題点 高齢者糖尿病の治療と管理目標について
3.UKPDS-NIDDMの多施設長期大規模試験 <田嶼尚子> 40
University Group Diabetes Program(UGDP) UKPDS UKPDSの評価と今後の課題
4.新しいインスリン製剤 <岩本安彦> 46
超速効型インスリン 可溶性持続型インスリン製剤
C.内分泌
1.分子シャペロン研究−最近の進歩 <南 康文> 54
Hsp60(シャペロニン) Hsp70とHsp40 Hsp90
2.アンジオテンシン受容体拮抗薬 <楽木宏実 荻原俊男> 61
AII受容体の分類とAII拮抗薬の薬理作用 本態性高血圧症患者での適応病態 本態性高血圧症患者に対する降圧作用 本態性高血圧症患者に対する併用療法の効果 AII拮抗薬の心肥大と心不全への影響 AII拮抗薬の代謝への影響
3.レプチンと生殖生理 <佐川典正 由良茂夫 小川佳宏 中尾一和> 68
エネルギー代謝調節因子としてのレプチン 生殖機能調節因子としてのレプチン ヒト胎盤由来ホルモンとしてのレプチン
4.ダイオキシン類の情報伝達機構 <三村純正 藤井義明> 80
ダイオキシン類の毒性作用 AhR TCDDによる薬物代謝酵素の誘導 動物種,系統によるTCDD感受性の違い AhR欠損マウスとTCDD毒性
5.アドレノメデュリン <平田結喜緒> 85
AM遺伝子の発現様式と調節 AMの新たな作用とその情報伝達 PAMPの作用機序 AMレセプター
II.代 謝
1.高脂血症
a.成因と病態 <小林淳二 森崎信尋> 91
sterol regulatory element binding protein(SREBP) peroxisome proliferator activated receptor(PPAR) scavenger receptor class B type I(SR-BI) LDL受容体ファミリーによるリポ蛋白の調節 細胞内脂質代謝関連蛋白 microsomal triglyceride transfer protein(MTP) 家族性複合型高脂血症(FCHL)の成因
b.治 療 <塚本和久> 97
一般療法 薬物療法 特殊療法
2.プリン代謝異常 <竹内二士夫> 107
尿酸と高尿酸血症,痛風 hypoxanthine guanine phosphoribosyl-transferase(HGPRT) adenine phosphoribosyltransferase(APRT) adenosine deaminase(ADA) purine nucleoside phosphorylase(PNP) phosphoribosylpyrophosphate synthetase(PRPPS) xanthine oxidase,xanthine dehydrogenase(XO,XDH) adenylo-succinate lyase(ASL; adenylosuccinase) AMP deaminase(AMPD) methylthioadenosine phosphorylase(MTAP) 低尿酸血症
3.先天性代謝異常 <重松陽介 藤澤和郎> 113
Gaucher病の遺伝子治療 その他の疾患での遺伝子治療 カプセル内封入細胞によるI型糖尿病に対する遺伝子治療 Hurler病に対する骨髄移植 新たなトランスポーター異常症
III.糖尿病
1.成 因
a.成 因(1型,2型) <白石彰彦 井原 裕 清野 裕> 117
1型糖尿病の成因 2型糖尿病の成因
b.疫 学 <葛谷英嗣> 121
2型糖尿病発症予防研究 新しい診断基準をめぐって
2.病 態 <柴崎芳一> 127
インスリン作用または分泌に関する病態 リン酸化イノシトールに結合する蛋白
3.治 療
a.食事療法 <本宮哲也 北村信一> 131
糖尿病の動脈硬化病変合併の発症および進行防止に対する食事療法の効果 腎症における蛋白質と塩分摂取の問題点 食事療法からnutrition managementへ
b.薬物療法 <松田昌文 加来浩平> 136
経口血糖降下剤 新しいインスリン製剤
c.運動療法 <佐藤祐造> 142
身体運動と2型糖尿病─疫学的研究成績 身体運動の内分泌代謝学的効果
4.合併症
a.神 経 <梶 龍兒> 147
糖尿病性末梢神経障害の臨床診断 糖尿病性末梢神経障害の客観的な電気生理学的指標 イオンチャネルと糖尿病性ニューロパチー 神経栄養因子と糖尿病性末梢神経障害
b.網膜症 <則武昌之 桂 善也 角 誠二郎> 152
基本的病態 網膜症の進展の機序
c.腎 症 <槇野博史 和田 淳 四方賢一> 158
糖尿病性腎症発症・進展に及ぼす遺伝因子の検討 糖尿病性腎症に関与する未知遺伝子群の同定 糖尿病性腎症の発症機序 糖尿病性腎症に対する新しい治療の試み
d.動脈硬化症 <江草玄士> 167
疫学的研究 糖尿病における動脈硬化症の成因に関する研究 糖尿病における動脈硬化症の治療に関する研究 その他
IV.内分泌
1.視床下部-下垂体
a.成長ホルモン(GH) <亀谷 純 若林一二> 173
GHS/GHS受容体遺伝子 GHRH受容体とProp1遺伝子異常によるGH欠損症 先端巨大症 その他
b.ACTHとCRH <鴨井久司 田村哲郎> 180
ACTHの基礎的研究 CRHの基礎的研究 ACTH・CRHの臨床的研究
c.TRH/TSH <阿部好文> 190
TRHの発現と分泌調節 TRHの作用と病態生理 TRHレセプターの機能とその異常 TSHの発現と分泌調節とその作用 TSHレセプターの機能とその異常 TSHレセプター結合以後のシグナル伝達
d.ゴナドトロピンとGnRH <岩下光利> 198
ゴナドトロピン GnRH
e.プロラクチン <多賀理吉 町田稔文> 204
視床下部・下垂体におけるPRL合成・分泌調節 下垂体以外でのPRL合成・分泌調節 PRLの作用 PRL受容体 臨床研究
f.バゾプレシン <岩泰正 吉田昌則> 209
AVPの合成・分泌調節 AVP作用の分子解析 尿崩症に関する話題
2.甲状腺
a.甲状腺機能亢進症 <三橋知明> 216
遺伝子異常による甲状腺機能亢進症 Basedow病病因遺伝子 TSH受容体抗体の測定
b.甲状腺機能低下症; 橋本病と遺伝子異常による <高須信行> 220
橋本病 遺伝子異常による甲状腺機能低下症 治療,その他
c.甲状腺腫瘍 <小林信や 伊藤研一 丸山正幸 天野 純> 227
放射線と甲状腺癌 小児甲状腺癌 甲状腺分化癌の診断 甲状腺分化癌の治療 甲状腺分化癌の転移 甲状腺分化癌の癌遺伝子 甲状腺腫瘍の生化学 甲状腺分化癌の予後因子 未分化癌関連 その他
3.副甲状腺ホルモンとカルシトニン <竹内靖博> 233
PTH/PTHrP ビタミンD Ca感知受容体(CaSR) カルシトニン
4.副腎皮質
a.副腎アンドロジェン <森田浩之 安田圭吾> 239
産生,分泌調節,作用 各種病態とDHEA その他
b.糖質コルチコイド <蘆田健二 後藤公宣 高柳涼一 名和田 新> 245
Cushing症候群 副腎皮質機能低下症 その他
c.レニン-アンジオテンシン-アルドステロン <高崎 泉 塩之入 洋> 250
ACE阻害薬とAIIAの作用機序 ACE阻害薬の臨床的評価 AIIAの臨床的評価 ACE阻害薬とAIIAの併用療法
5.副腎髄質 <野城孝夫> 256
褐色細胞腫 クロマフィン顆粒のexocytosis
6.性 腺
a.男 子 <北村雅哉 奥山明彦> 262
精子形成 内分泌機能 精子卵結合 最近の話題
b.女 子 <太田博孝 田中俊誠> 266
フリーラジカルとは? 一酸化窒素 スーパーオキシド
7.性の分化・発達の異常 <八重樫伸生 上原茂樹> 270
SRY(sex-determining region of the Y gene) SOX(SRY-related HMG box gene) MIS(mullerian inhibiting substance) DAX-1(DSS-AHC critical region on the X gene 1) SF-1(steroidogenic factor-1) WT1(Wilms腫瘍関連遺伝子) Wnt遺伝子ファミリー アンドロゲン受容体 androgen receptor(AR)
8.心血管ホルモン <児島将康 松尾壽之> 277
アドレノメデュリン(AM) ナトリウム利尿ペプチド 新しい血管作動性ペプチド
9.多内分泌腺腫瘍症(MEN) <小原孝男 寺岡秀郎 小池健太> 282
MEN1型 MEN2型
10.内分泌病理学−神経内分泌細胞の機能分化と転写因子; 神経内分泌腫瘍の機能発現− <梶原 博 長村義之> 288
下垂体の発生と転写因子 膵島の発生と転写因子
索 引 295