序
生活習慣病とテーラーメード医療
最近のハリソンの教科書には以下のような記載があり,欧米における生活習慣改善の困難さを垣間見る.−糖尿病合併症は血糖コントロール状態と関連しているため,正常血糖値またはそれに近いレベルにコントロールすることが望まれるが,ほとんどの患者では不充分である−.このように糖尿病診療で痛感することは,生活習慣とくに食習慣の改善の困難なことに基づく血糖管理の不良である.
代謝疾患の診療では,臓器障害の発症を予防することが大きな目標の一つであることはいうまでもない.多くの専門医は患者との息の長い診療を通じて,糖尿病,高脂血症,高尿酸血症,肥満などの管理のノウハウを身につけ,合併症の発症を未然に防止している.大変に地味な努力であるが,日本人の健康を守るということを考えたとき,最も重要な努力となりつつある.糖尿病,高脂血症,肥満は虚血性心疾患や脳血管障害の主要な原因であり,糖尿病は失明,腎透析,下肢の壊疽の主要な原因であることから,代謝疾患の適切な診療,生活習慣是正のテーラーメード医療こそが日本人の健康寿命を延長するために切実に求められる.
代謝疾患診療では臓器障害を生じるまでには時間的余裕があることと,検査所見などの病態に関する情報が蓄積していることが通常である.にもかかわらず,代謝疾患は現在では日本人の健康障害の主要な原因となってしまっている.臓器障害までの時間的余裕と蓄積した病態情報をもっと有効に利用したいものである.代謝診療は臓器障害を対象とした予防医学,危機管理でもある.患者への適切な情報伝達とそのためのスキルが重要であり,より多くの専門医の養成が望まれるとともに,非専門医においても初診時における適切な危機管理のための情報伝達が望まれる.
代謝疾患の多くは生活習慣の欧米化や加齢とともに発症している.従って,生活習慣あるいは加齢という負荷がどのようなメカニズムで代謝疾患の発症に関与しているかを知る必要がある.詳細な病態メカニズムを知るために,従来よりゲノム解析,SNP解析,プロテオーム解析がなされており,新しい疾患感受性遺伝子や機能蛋白の存在,遺伝子発現転写調節ネットワークが示されつつある.基礎研究を臨床現場へ還元するためのトランスレーショナルリサーチの重要性はいうまでもなく,多様な素因,多様な生活習慣,多様な世代に対応する,いわゆるテーラーメード医療が近未来の目標となりつつある.本書を是非,活用して頂きたい.
2004年12月
編者一同
[編集者]
金澤康徳 武谷雄二 関原久彦 山田信博
[著者]
海老原 健 日下部 徹 中尾一和 宮田哲郎
寺本民生 酒井寿郎 中崎満浩 中田正範
矢田俊彦 小川 渉 井上 啓 春日雅人
佐藤寿一 葛谷英嗣 荒木信一 羽田勝計
吉村道博 西川哲男 荻野伊知朗 井上登美夫
原田 省 安藤寿夫 藤原 浩 山下静也
前田和久 船橋 徹 鴨田知博 高橋和眞
岡 芳知 森 保道 坂田宗昭 横野浩一
伊藤千賀子 曽根博仁 叔 みょう 飯田薫子
山田信博 丸山太郎 中村二郎 畑 快右
佐々由季生 石橋達朗 横手幸太郎 前澤善朗
曽根崎桐子 齋藤 康 井上郁夫 田中敏章
沖 隆 宮本高秀 佐久間康夫 岡垣竜吾
石原 理 村瀬孝司 大磯ユタカ 中村浩淑
小原孝男 井上大輔 松本俊夫 山田佳彦
関原久彦 水木一仁 柳瀬敏彦 茂庭仁人
浦 信行 島本和明 成瀬光栄 田辺晶代
長田太助 高野加寿恵 前田雄司 高 栄哲
並木幹夫 新家利一 中堀 豊 藤田敏郎
安東克之 戸田晶子 横溝岳彦
目次
I.トピックス
A.代謝
1.脂肪萎縮症のレプチン治療 <海老原 健 日下部 徹 中尾一和> 1
レプチン過剰発現トランスジェニックマウスの開発
レプチンの糖代謝改善作用メカニズム 脂肪萎縮症 脂肪萎縮症モデルマウス
レプチン過剰発現トランスジェニックマウスと脂肪萎縮性糖尿病モデルマウスの交配実験
脂肪萎縮症におけるレプチン臨床試験
2.下肢閉塞性動脈硬化症の遺伝子治療・幹細胞療法の現況 <宮田哲郎> 9
遺伝子治療・蛋白治療の現状 幹細胞療法の現状
3.新しい高脂血症治療薬─エゼティマイブ <寺本民生> 15
高脂血症治療の現状 エゼティマイブの新規性と作用点
エゼティマイブの吸収と分布 エゼティマイブの効果
エゼティマイブの副作用
4.核内受容体(PPARδ)と脂質糖代謝 <酒井寿郎> 22
脂質および糖質代謝との関連 PPARs PPARδ,脂肪燃焼と肥満
PPARδアゴニストの抗肥満効果
PPARδアゴニストのインスリン抵抗性改善効果 PPARδの生理的役割
B.糖尿病
1.インスリン分泌調節ペプチドの生理的意義と治療応用
<中崎満浩 中田正範 矢田俊彦> 30
GLP-1,GIP: 腸管由来ホルモン(インクレチンincretin)
PACAP: 膵神経および膵島細胞由来ペプチド
2.糖代謝における肝STAT3の役割 <小川 渉 井上 啓 春日雅人> 38
肝臓特異的なSTAT3欠損はインスリン抵抗性を誘導する
STAT3は糖新生系酵素遺伝子発現を抑制する
肝のSTAT3シグナルの増強は糖尿病マウスの代謝異常を改善する
肝臓のSTAT3はいつ,何によって活性化されるのか?
3.我が国における糖尿病予防 前向き研究(JDDP)の意義 <佐藤寿一 葛谷英嗣> 44
諸外国における糖尿病の疫学 糖尿病予防の効果を実証した研究
我が国における糖尿病予防研究
4.糖尿病性腎症関連遺伝子の解明 <荒木信一 羽田勝計> 50
腎症感受性候補遺伝子解析 ゲノムワイドSNP解析
DNAアレイ法による新たな試み
C.内分泌
1.ホルモン産生臓器としての心臓: アルドステロンを中心に <吉村道博> 56
RALESとEPHESUS試験が火付け役となったアルドステロン研究
副腎外で合成されるアルドステロン: 心血管ホルモンとしての位置付け
心臓アルドステロン合成: 促進因子と抑制因子は何か
アルドステロンは心血管系に直接影響を与える 塩とアルドステロンの密接な関係
心臓に存在するMRに結合するのはアルドステロンかコルチゾールか
genomic effectとnon-genomic effect
心臓微量ステロイド合成系の存在: アルドステロン研究からDHEA研究へ
2.高血圧症に占める原発性アルドステロン症の頻度─決してまれではない─
<西川哲男> 62
原発性アルドステロン症の頻度と特徴 PAの病型分類別頻度
原発性アルドステロン症のスクリーニング法
3.前立腺癌の陽子線療法の意義 <荻野伊知朗 井上登美夫> 68
X線を用いた外照射治療 125Iを用いた前立腺小線源治療 陽子線治療
4.子宮内膜症とサイトカイン <原田 省> 73
子宮内膜症とサイトカイン 子宮内膜症合併不妊とサイトカイン
子宮内膜症の増殖とサイトカイン 子宮内膜症細胞におけるサイトカイン産生とその調節 子宮内膜症患者の血中IL-6濃度
5.アミノペプチダーゼと生殖生理 <安藤寿夫> 79
子宮内膜とアミノペプチダーゼ 卵巣とアミノペプチダーゼ
卵管とアミノペプチダーゼ
6.着床現象の新たな側面─母児間の免疫内分泌学的相互作用 <藤原 浩> 85
月経黄体から妊娠黄体への分化・維持における免疫内分泌学的相互作用
胚着床機構における免疫内分泌学的相互作用 HCGの免疫系に対する作用
II.代 謝
1.高脂血症─治療 <山下静也> 93
臨床試験による新たなエビデンス 大規模臨床試験のメタアナリシス
高脂血症治療に関するNCEP-ATPIIIの改訂版
日本動脈硬化学会高脂血症治療ガイドの発行
2.肥満・エネルギー代謝異常 <前田和久 船橋 徹> 102
脂肪組織と寿命 摂食調節および肥満の治療 脂肪細胞の分化
筋肉でのインスリン抵抗性 糖新生
3.先天性代謝異常 <鴨田知博> 107
酵素補充療法 肝移植および肝細胞移植 成人発症II型シトルリン血症(CTLN2)
有機酸代謝異常症のマススクリーニング
III.糖尿病
1.成因と病態
a.成因 <高橋和眞 岡 芳知> 112
1型糖尿病 2型糖尿病
b.病態 <森 保道> 116
脂肪細胞からの糖代謝・脂肪酸代謝シグナル IRS-2に関する新知見
2.疫学 <坂田宗昭 横野浩一> 120
1型糖尿病と小児糖尿病を取り巻く状況
超少子高齢化社会における2型糖尿病とその合併症
3.治療
a.食事療法 <伊藤千賀子> 126
食事療法とは 食品交換表による食事療法
糖尿病性腎症を合併した場合の食事療法
b.運動療法 <曽根博仁 叔 みょう 飯田薫子 山田信博> 131
疫学的研究 運動の具体的内容に関する研究 運動療法の奏功機序に関する研究
c.薬物療法 <丸山太郎> 136
経口血糖降下薬 インスリン療法
4.合併症
a.神経 <中村二郎> 142
成因と治療 対症療法
b.網膜症 <畑 快右 佐々由季生 石橋達朗> 146
成因 病態 治療
c.腎症 <横手幸太郎 前澤善朗 曽根崎桐子 齋藤 康> 151
成因 診断 治療法
d.動脈硬化 <井上郁夫> 156
疫学的研究 糖尿病患者でみられるリポ蛋白異常 発症機序
糖尿病患者の動脈硬化とその評価
IV.内分泌
1.視床下部-下垂体
a.成長ホルモンとグレリン <田中敏章> 164
non-GHD低身長児に対する成長ホルモン治療 成人GHDのQOL
IGF-Iとサイトカインの罹病率,死亡率に及ぼす影響
Prader-Willi症候群(PWS)とグレリン
b.ACTHとCRH <沖 隆> 168
CRH・ACTH分泌調節の生理 Cushing病
c.TSHとTRH <宮本高秀> 174
TRH・TSHのネガティブフィードバック機構 TRHの発現と機能
TSHの発現と機能
d.ゴナドトロピンとGnRH <佐久間康夫> 179
視床下部-下垂体-性腺系の最終共通路 GnRHニューロンの細胞生理学的研究
GT1細胞 プロモータトランスジェニック動物
e.プロラクチン <岡垣竜吾 石原 理> 185
トランスジェニックマウスからの知見の集積 PrlKOマウスに関する報告
PrlRKOマウスに関する報告 PRL過剰発現マウス
PRLにより制御される遺伝子群の探索 卵巣におけるPRL作用と遺伝子発現
乳腺におけるPRL作用と遺伝子発現 PrlR short formの機能についての考察
ヒトにおける高PRL血症とそのリスク
f.バゾプレシン(AVP) <村瀬孝司 大磯ユタカ> 193
AVPの合成と分泌 AVPの作用 臨床と関連した話題
2.甲状腺
a.甲状腺機能低下症と甲状腺炎 <中村浩淑> 200
潜在性甲状腺機能低下症 妊娠・授乳と甲状腺 T4・T3併用療法
新しい甲状腺ホルモン製剤 甲状腺炎
b.甲状腺腫瘍 <小原孝男> 206
BRAF遺伝子変異と乳頭癌 Galectin-3と濾胞癌 サイログロブリン(Tg)測定
新しい癌危険群分類 遺伝型髄様癌の早期手術 未分化癌の新治療
3.副甲状腺および骨・カルシウム代謝 <井上大輔 松本俊夫> 211
副甲状腺機能亢進症 副甲状腺機能低下症 骨粗鬆症
4.副腎皮質
a.副腎アンドロジェン <山田佳彦 関原久彦> 215
代謝疾患への作用 神経系への作用 心血管系への作用
炎症性疾患,免疫系への作用 その他の作用
b.糖質コルチコイド <水木一仁 柳瀬敏彦> 221
糖質コルチコイド受容体(GR)の作用機構
11β-hydroxysteroid dehydrogenase(11β-HSD)と疾患
糖質コルチコイド受容体(GR)の合成リガンド Cushing症候群
副腎腫瘍 糖質コルチコイドと骨粗鬆症
c.レニン-アルドステロン-アンジオテンシン
<茂庭仁人 浦 信行 島本和明> 226
アンジオテンシン産生系 アンジオテンシン受容体
ACE2とアンジオテンシン(1-7)
心血管局所におけるアルドステロンの生成と臓器障害
RAA系とインスリン抵抗性 RAA系と治療
5.副腎髄質 <成瀬光栄 田辺晶代 長田太助 高野加寿恵> 237
褐色細胞腫感受性遺伝子の変異 褐色細胞腫のスクリーニングに関して
褐色細胞腫の画像診断 悪性と良性の鑑別点に関して
6.性腺─男子 <前田雄司 高 栄哲 並木幹夫> 242
PADAM 精子形成
7.性分化・発達の異常 <新家利一 中堀 豊> 246
SRYの発現と機能に関する最近の研究 SOX9の機能に関する研究
FGF9と性分化 WNT4トランスジェニックマウス
アンドロゲン受容体のSertoli細胞における働き
8.心血管ホルモン・高血圧 <藤田敏郎 安東克之> 251
レニン-アンジオテンシン(R-A)系 交感神経系
アドレノメデュリン(AM)とナトリウム利尿ペプチド(ANP)
一酸化窒素(NO) 血管の再生医学
9.プロスタノイド <戸田晶子 横溝岳彦> 257
悪性腫瘍におけるCOX-2の関与 妊娠・分娩におけるプロスタグランジンの機能
高血圧におけるTXA2の関与 骨形成におけるプロスタグランジンの役割
免疫におけるプロスタグランジン,COX-2の役割
新たなプロスタグランジンD2受容体,CRTH2の同定
索引 262