レジデンツとは?

ユマーク・マザーズバーの筆によるCryptic Guide To THE RESIDENTSのカヴァー絵

 CD-ROM・FREAK SHOWで、デジタルの分野でもすっかりポピュラーになったレジデンツ。いったい彼等は何者なのか? それは、誰にも解らない事になっている。そもそも、地球人であるかどうかすらアヤシイとさえ言われているのだから。

 彼等は長らく「変態ミュージシャンズ・ミュージシャン」として、世界中の変わり者バンドに愛され続けてきた。テクノポップの王様DEVOをはじめ、エイフェックス・ツイン、デア・プラン、XTC、日本でもエキスポ、電気グルーヴ、ピッキーピクニック(ex.久保キリコ)、アポジーズなど数え挙げたらキリがないほどの有名・非有名ミュージシャン達が、大きく影響を受けたということを恥ずかしげもなく漏らしているから恐ろしい。

 そんな彼等の、謎に包まれた神秘のヴェールを剥ごうとする試みは、野暮というものだ。ただ確実なのは、謎な4人組が、超越した独自性をもつ謎な芸術活動を行い続けているという事実だけだ。それは時として世間の流れに先駆けた革新的なものであり、時として地球上の時間軸の流れを全く無視した独自の小宇宙内での活動である。いずれにせよ我々の人智の遠く及ばぬような精神世界上で、我々にある種の「暗号」を発振仕続けているのだ。およそ20年以上もの長きにわたり、そして恐らくこの先も永遠に。

 レジデンツの誕生は、1970年ごろサンフランシスコで、音楽家ではない4人の若者によって、テープをコラージュするといったような方法論からスタートしたと言われる。当時のプログレ/エレクトロニックミュージックシーンと似て明らかに異なるその音楽性は、彼等の徹底したニヒリズムと超俗的ユーモアセンスにあったと言える。これは彼等がサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」をバイブルとし、全ての表現活動の源としている故との事だそうである。ちなみに結成当初はTHE RESIDENTSというグループ名はまだ命名されておらず、THE NEW BEATLESなどといったイイカゲンな名前を仮に語っていたらしい。

 ある程度の作品がたまると、彼等は積極的にレコード会社へとデモテープを送り始める。その中で、ワーナーブラザーズ宛手紙の差出人氏名をウッカリ無記名としてしまったため、「当該番地の住民(RESIDENTS)」宛の返事が届くことになり、これがレジデンツのグループとしての方向性を偶然にも見事に指していたような気がしたことから、ここにきてグループ名をTHE RESIDENTSと決定したのだった。

 ややあって1972年、自らのレーベルRalph Recordsを興したレジデンツは、2枚組み7インチEP「SANTA DOG」を制作し、クリスマスカードと称してフランク・ザッパ、ニクソン(当時)大統領、ビリー・グラハムなどのビッグネームに堂々と送りつける。がしかし悲しいことに誰1人としてこの無名なミュージシャン達に返事を書くことは無かった。最も望みが濃かったであろうザッパには、住所違いで辿り着かなかったというから悲劇も極まれりである。
 その後、ビートルズのジャケットを悪辣にパロった1st.アルバムMEET THE RESIDENTSをリリースすると、破竹の勢いで年1作ペースのアルバムリリースを始める事になる。しかしマイナーなディストリビューション形態のためもあり、当時の音楽業界ではさほどこれといった注目を浴びることはできなかった。
 その時期と平行して彼等は自主制作映画VILENESS FATSの撮影を進めていたが、撮影の60%をようやく終えた時点でフィルムの長さが100時間近くにもなり、収拾がつかなくなり完成を断念した(後にダイジェスト版Whatever Happend to VILENESS FATSがリリースされた)。映像の世界でもレジデンツは独自の世界観を構築しており、この撮影経験が後のビデオクリップの製作に多いに役立つこととなるのであった。

 3rd.アルバムTHE THIRD REICH'N' ROLLのビデオクリップは、当時としては現在のCD-ROMよりもさらに画期的なメディアにイチ早く手を染めた作品として貴重なものであり、ニューヨーク近代美術館にも所蔵されているというから驚きだ。

 世はまさにテクノ/ニューウェーヴ大流行中の1980年が近づくと、レジデンツはESKIMOCOMMERCIAL ALBUMと立て続けに問題作をリリースし、世間をアッと言わせた。この頃登場した、かの有名な「目玉マスク」と、異次元から鳴り響くかのような独特なシンセの音造りから「西海岸ニューウェイヴシーンの代表格」的な存在にまでのし上がることになるのだが、当然彼等はニューウェイヴなどというカテゴリーには余裕で収まり切れない範疇に存在していたことは言うまでもない。

 次なるレジデンツの活動は、大がかりな組曲そしてツアーステージに目玉が向けらることになる。モグラと淡水魚の戦争を延々と描写した「モグラ3部作」では、THE MOLE SHOW TOURとして全米・ヨーロッパなど全32ステージをこなし、巨大なパネルを配した演劇的なステージングは、大成功をおさめた。
 続く「アメリカンコンポーザーシリーズ」では、アメリカの偉大なる作曲家を1アルバムに2人づつ取り上げ、しかもそれを2010年まで続けていくと豪語したものだった。現在までにジョージ・ガーシュウィン、ジェームス・ブラウン、ハンク・ウイリアムス、ジョン・フィリップ・スーザが取り上げられたが、長らくシリーズは停止している。どうなっているんだ。
 1985年からの、デビュー13周年記念ツアー「13th. ANNIVERSARY TOUR」(日本でも初来日公演)が終わると、レジデンツの長年のパートナーであったギタリスト、スネークフィンガーが亡くなった。それと前後して4人いた目玉マスクがロスで1個盗まれた!とのことで1つは代わりにドクロ面に差し替えられ現在に続く、という、暗黙の了解的エピソードも忘れてはならない。

 スネークフィンガーを偲ぶ意味を含めたアルバムGOD IN THREE PERSONSと、プレスリーのカヴァーアルバムTHE KING & EYEも、ある意味アメリカンコンポーザーシリーズと言えるのかもしれないが、それらによる「THE HISTORY OF AMERICAN MUSIC IN 3 E-Z PIECES」 すなわちCUBE Eツアーを終えると、レジデンツはほんの少し活動休止に入ったかのようにみえた。

 がしかし、彼等は活動を停止しているはずもなく、アルバムFREAK SHOWでは、それまでになく対象を明確にしたコンセプトによるプロジェクトをスタートした。それまで暗にほのめかされていた、アメリカンライフスタイルへの強烈な皮肉を、いっきに問題提示のような形で直接的に表現しはじめたのである。これにはイササカ面喰らったものだが、そのテーマで「グラフィック・ノベル」そして「CD-ROM」へまで触手が進むと、これはもう徹底的にテーマを掘り下げるという新手の「皮肉」であることに気付かされた。長年タブー視されつづけた「見世物小屋」の歴史に、彼等は真っ向から立ち向かったのだ。 その中のFREAK SHOW CD-ROMが、デジタルの世界で大ブレイクを起こそうとは、彼等にとっても晴天の霹靂だったのではないだろうか。続くCD-ROM 「GINGERBREAD MAN」は、アミューズメント性を極力抑えた「インタラビデオクリップ」に終始し、にわかファンをまんまと蹴散らすことに成功した。

 そして現在はというと、最新CD-ROMとしては、サーカスの旅芸人を取り扱ったBAD DAY ON THE MIDWAYをリリース。そして96年中に、さらに2枚のアルバムをリリースするという(それは頓挫したとの情報)。あいかわらず世の中の潮流とは違う次元−8次元ぐらいの−位置から我々に電波を送り続けてくれるようだ。おそらくは、この先100年たっても200年たっても、まったく同じ音楽を作り続けてくれることだろう。


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