品川百景第二十九番『天妙国寺の山門と無縁仏』



天妙国寺

 京都妙満寺末の法華宗汁門流の寺院。江戸時代には塔頭が4院あって江戸触頭三ヶ寺として汁門流寺院を統括する大きな寺であった。弘安8年(1285)に日蓮の直弟子天目上人が開いた寺と伝えられている。その後各時代において品川地域の有力者の保護を受け、室町期の永享6年(1434)には品川の豪族、品川八郎三郎国友がこの寺に所領の一部を寄付したという。そして永享8年に前上総介定景が、また永享10、11年の2度、憲泰(上杉氏と思われる)がそれぞれ畠地を寄進したので、地域もかなり広くなっている。
 文安1年(1444)には豪商鈴木道胤父子が七堂伽藍の建設を思い立ち、17年後の長禄1年(1457)にこれが落成している。戦国時代、後北条氏が関東を制覇してからも、北条氏綱が大永4年(1524)高輪原の合戦のとき境内において狼藉を禁止する制札(立て札)を出すなど、後北条氏はその後も天文〜永禄年間(1532〜70)にかけてこの寺を保護するための制札を出している。
 天正18年(1590)、徳川家康が江戸に入る際この寺に宿泊したので、将軍家との関係ができ、翌19年には10石の寺領を受け朱印状を交付されている。現在の本堂は18世紀中頃に再建されたもので今日も堂々たるたたずまいを見せている。


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