この寺の始まりは、きわめて古く正歴1年(990)智弁阿闍梨(ちべんあじゃり)によって開創されたと伝えられている。大井1丁目の経塚から土中の読経を聞いて掘り起こされたとされる延命経読地蔵が本尊とさえている。 かつては、日本の東西を結ぶ古い道の近くにあり、眼下に海を見下ろす台地のはずれに位置していた。梶原稲荷神社も境内の一部だったことを考えると、広大な寺領をもった大きな寺院であったことが推測される。 昭和20年(1945)の戦災で、本堂、書院、宝庫など広大な建物を失ったが、昭和27年(1952)に本堂、47年(1972)には客殿が再建された。本尊と共に戦災を免れた山門および聖天堂は、建立後140年という古い建物。