品川百景第八十六番『戸越八幡神社』


 


戸越八幡神社

 大永6年(1526)の創立と伝えられる戸越村の鎮守。境内はそれほど広くないが、古木が繁り、都市化した近隣とは隔絶した時代を感じさせる。銅板葺きの社殿は安政2年(1855)今から140年程前の建築で、小型ながらしっかりとした落ち着きをみせている。  隣接の行慶寺は、以前戸越八幡神社の別当をつとめた寺。現在はルンビニ幼稚園を併設している。


奉納絵馬

 社殿内のなげしには全部で25面の絵馬がかけられている。そのうち記年銘のあるものは21面。最も古いのは安政4年(1857)のものである。奉納社はいずれも戸越村の村長。図柄は神功皇后出陣などこの神社の祭神応神天皇にかかわるものが多い。安政5年(1858)奉納の「天岩戸開図額」、「神馬図額」はともに大型で、浮世絵風に描かれていて注目すべきのも。また同年奉納の「社殿上棟図額」は社殿の建築年代を明らかにする資料として価値がある。


石造狛犬

 境内にある一対の狛犬は、延享3年(1746)に戸越村の村民によって寄進されたもの。区内で最も古い狛犬である。左右の台石には207名にのぼる人名が刻まれているが、これは当時の戸越村の村民のほとんどの氏名といえる。『新編武蔵風土記稿』(文化年間1804〜18)以前の住民構成を知る資料として貴重なものである。


戸越八幡神社と行慶寺の話

 むかし、戸越のあたりは住む人が少なく、わずか5、6軒の家しかありませんでした。しかし、伊豆・相模へ通じる道があったため人々の往来はありました。この道に沿った池の上というところに一見の草庵があり、行永という人が住んでいました。  慈悲深い行永は、旅人の難儀に心を配り、夏はすぐそばの泉から湧き出る冷たい清水を、冬はあたためたお湯をあたえて感謝されておりました。  大永6年(1526)のある夏の日、一人の山伏が立ち寄り行永から清水の施しを受けました。案内を乞い清水の源を訪ねた山伏は「あなたが永い間よいことをなさっているので神がこの泉を与えて下さっている。その中にあなたを護る神が現れるでしょう。」と、ていねいに拝んだ後、立ち去りました。  この年の8月15日の夜、空は晴れて星が見えていました。ところが突然、不思議なことに、この泉が大きく湧き立ち、土や砂・水を噴き上げて、中から一体の神像が出現しました。行永が伏し拝んでよく見ると、この像は八幡大菩薩の神像でした。  草庵に持ち帰り、たいせつに安置しましたが、この像に祈願すると願い事が必ずかなうというので参詣する人が次第に多くなりました。そしていつしかこの草庵を成就庵と呼ぶようになったそうです。  成就庵は寛永11年(1634)、行慶寺として、ご神体と共に現在地へ移り、さらに元禄1年(1688)には社殿を造立してここにご神体を祀りました。これが戸越八幡神社です。  この神社と八幡山成就院行慶寺の誕生の由来および、「戸越」の地名が「江戸越え」からきたことを伝える次のような古い歌が残され、神社の碑に刻まれています。

 江戸越えて 清水の上の成就庵 願いの糸の とけぬ日はなし


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