戸越公園は寛文2年(1662年)、肥後の国熊本藩主細川越中守重利が下屋敷として、この付近の地と共に拝領し、寛文11年(1671年)当時の武家屋敷を代表する数奇屋造りと庭園からなる戸越屋敷として整備した庭園の一部であります。天明4年(1784年)松平雲州公の屋敷となり、さらに松平隠岐守の手にと渡りました。明治の変革により久松家などの手を経て、明治23年(1890年)三井家の所有となりました。
昭和7年(1932年)三井家が現在の戸越小学校の一部と共に別邸の庭園部を旧荏原町役場に寄付しました。東京市域拡張の際、旧荏原区に引き継がれ、昭和9年東京市は公園の整備を行い、昭和10年3月に完成し東京市立戸越公園として開園しました。
その後、東京都に引き継がれ、昭和25年10月に品川区に移管された区内でも由緒ある公園です。その後区では数次にわたる改修を重ね、歴史的な風情を復元させ武家屋敷の雰囲気をかもしだすよう、正門を始め施設の再整備を行い現在に至っています。
戸越屋敷は、江戸滝の口の上屋敷及び芝白金の下屋敷とは性格が異なり、鷹狩りやきじ狩り、あるいは茶会等を行う別荘風の邸宅であったとされています。
したがって、この戸越屋敷に設けられていた武家屋敷門は、上屋敷あるいは芝白金の下屋敷に構築されていたと推定される長屋門とは異なり医薬門、冠木(かぶき)門等の簡素なものが中心であったと考えられています。
以上の歴史的背景をふまえ簡素で質実剛健な様式であり、本公園の正門にふさわしい点から平成4年4月にこの医薬門を、平成2年3月には東門として冠木門を構築しました。
医薬門のいわれは医師の門として使われていたことからこう呼ばれていたようです。
主材としては台檜(台湾檜)、三州日本瓦などを使用した本格的な造りとなっています。