poomaniac Masabumi Kikuchi Official Site
Top News Concert Information Discography Biography Archive Link Contact
安住しちゃいけないんだよ。アーティストは。
Out there(以下OT) 菊地さんが使われる場合の「音楽家」という言葉の意味は?
菊地(以下K) まあ一般論というか、ジェネラルロジックとして俺はあんまり音楽家ってものを考えたことはないね。 音楽家って自分中心にものを考えるでしょう。音楽というのは結局、自分の感じているものを具現化することだろうし、音楽家というのはうまく言えないけど自分の安住できるところを持てない人たちといっていいかな。安住しちゃいけないんだよ。 まあアーティストは皆そうあるべきかもしれない。マチスもそうだったし、音楽家ではストラヴィンスキーかな、マイルスもそうだったよね。 俺には俺の体質みたいなものがあってさ、「何かやれた」という気持ちが長く持続できないのよ。因果な性格だと思うんだけど・・・。 要するに一つの演奏をする時にその前の準備というかプロセスがあるんだけど、音を出した時点で結局はおしまいなんだよね。 その間は充実しているというか、自分が生きている、そういうのを実感できる。でも終っちゃうとまた不安になるんだよね。 うまくいった場合でも結局、自分ではオブジェクティヴにはなれないし、つまり良くても悪くてもオブジェクティヴになれないわけだから、自分が見えなくて不安になる。音楽に対してそういった俺の感じ方をシェアできる人が果たして世の中に何人いるのかわからないしね。 俺一人かもしれないし・・・。チャレンジしている時が一番充実しているっていうのかなぁ。ただ最近終ってから落ちこめるのは、自分では幸せじゃないかなって思えるようになってきたよ。辛いけどね(笑)。 落ちこんだ時にまたやる気っていうか「あっ、これやりたいな」とか、そういう小さな希望が見えるのね。で、嬉しいからまたそれに対してチャレンジしようと思う。 要するにそれの繰り返しだよね。生きることを続けるセレモニーみたいなものかな、音楽は俺にとって。 本当はフィーリングがアップ・ダウンする状態じゃなくてね、コンスタントに感情の起伏がなく、スーッとやれれば一番幸せなんだろうけど・・・ 俺は無理だから。それは俺の宿命みたいなもんだし・・・。つまるところ感情がでかいんだろうね。
音楽というのはスピリチュアルな“きしみ”だ。
OT 菊地さんの昔のインタビューを読んでいたら、「センチメンタルな部分が濃い」という発言をされていましたが。
K それはギル(エヴァンス)が言ったことなのよ。 彼はけっこう俺のロフトとかブルックリンのスタジオに遊びに来てたけど、あれは83年頃かな。彼が79丁目にアパートを借りて家族と別々に暮らすようになってから、もっと頻繁に来るようになって、その日も俺の部屋に入ってくるなり、「お前の音楽にしても俺の音楽にしても、センチメンタルだから売れにくい。 でもマイルスのもセンチメンタルだけど、彼のは売れたな」っていうようなことを言ったのよ(笑)。でもギルって本当に素敵な人だよね。 一挙一動がアーティストなんだよ、あの人は。俺もニューヨークへ移り住んでからいろいろなアーティストに出会ったけど、彼が一番俺の理想とするアーティストのイメージに近かったな、今でもギルが生きていてくれればと思うことがよくあるよね。 まぁそれはともかく、その後なぜマイルスのは売れたのかってギルといろいろ話したんだけどね、何を話したかはよく覚えていない。 でも、今考えてみるとマイルスが売れたのは、そのスター的な外観は置くとしてもその音にこめられたナキ(泣き、啼き)の大きさとメロディーの強さじゃなかったのかと思うね。だから人の心を打つんじゃないかな。 それよりも今回帰ってきて感じたことは、日本にはそういった意味で音楽は存在しないよね。すごく殺伐な状況っていうか、すべての意味において音楽が存在していないような気がする。 音楽というのは結局スピリチュアルな“きしみ”というか“ナキ”でしょう。 “CRY”といってもいいかな。そこから発している音楽がないよね。スピリチュアルなところから出している音楽がほとんど見あたらない。 それとこれはグローバルなことだけど、JAZZは50〜60年代で終わってしまったような気がする。 そして50年代末期にはそれらのJAZZに対するアンチテーゼとしてアバンギャルドのムーブメントが始まったわけだけど、今のアヴァンギャルド・ジャズにしても最初のアンチテーゼのフォームをひきずっているだけで・・・素(元)がないからアンチテーゼが成り立たないんだよね、今は。敵が見えないから。 敵が見えればそれが一つのインスピレイションにもエネルギーにもなるんだろうけど、それがないからすごく寒々とした状況だよね。 最近つくづく感じるんだけど、人間社会においての音楽のもつ意味が変わってきているんじゃないかね。 まぁそれにも関わらず俺一人で音の意味合いにしがみついているのかもしれないけど。でも、俺は俺でしか生きられないと思う。 俺はもう28年くらいニューヨークに住んでいるわけだけど、いや隠遁してると言ったほうがいいか(笑)。 最近はトータルして年に3〜4ヶ月日本にいることが多くなってきているよね。だからだと思うんだけど、アメリカと日本の違いがけっこうよく見えるんだな。 それでこのところ切実に感じるのが、コンサートとかライブ・スポットでのオーディエンスのスタンスの相違なんだよ。まぁアメリカでも音楽の世界には二つのサイドがあって、ひとつは真摯でクリエイティヴなもの。 もうひとつはお金に代表されるというか、ラス・ヴェガスのショーみたいにGLOSSYな顔を持っているもの。 後者に出かけていくオーディエンスに限っていえば、日本でもアメリカでも基本的にほとんど変りないと思う。 ただその人たちのリアクションが日本の場合は少し慎ましやかで、アメリカの場合はもっと外向的だよね。 一方、前者の真摯なパフォーマンスに出かけていく人たちはどうかというと、アメリカの場合・・・もちろんそういう人たちばかりでなく、観念的な人もけっこういるけど、なにか音楽のMOMENTというか心に触れてくる音楽との出会いを期待して出かけてきたように感じるね。 その上、ありがたいことにその人たちはとてもオープンなマインドを持っているようが気がする。 だから俺なんか演奏する前から、この人たちだったら俺のやることを正当に評価してくれるんじゃないかな、と思って燃えてくるわけよ。 もちろん日本にもそういった人たちがいるにはいるけど、余りにも数が少ないよね。 そして日本のそういった人たちがアメリカの同じスタンスを持った人たちと決定的に違うのは、音楽家の成長して行けるようなスペースというか、時間を与えてくれないんじゃないかなと思うね。
音楽は環境にインスパイアされる生きもの。
K つまりこういうわけよ。昔ギルが俺に「音楽の世界で“傑作”といわれるものはチャレンジして成功したものだ」と定義づけてくれたことがあったけど、マイルスもそうだよね。 彼の発表されていないTAPEを大量に聴く機会があって、確かすべてSTUDIO録音のもので全部で15時間分くらいあったかな。 うち4分の1くらいはその後発表されたんだけど、とにかく全部が全部すごいわけじゃない。なかにはつまらないものもある。 彼のLIVE PERFORMANCEにしてもそうだよね。LIVEの成功率は30%ぐらいかな。マイルス・デイヴィスにして30%だぜ。 その後マイルスとやるようになって、彼自身俺に言ったことがあるのよ。「俺(マイルスのこと)のアルバムにいいコーラス(=ソロをとる際、テーマのコードを基にインプロヴァイズをくり返すが、くり返しなしのテーマと同じ長さをコーラスという単位名で呼ぶ)が一つあれば俺は幸せだ」というようなことを言ったんだけど、それには後日談があって、10年くらい後にそのマイルスが言ったことをゲイリー(・ピーコック)に話したら、「マイルスは幸せだ。俺は一瞬でもいいMOMENTがあれば幸せだ」って笑いながら言ってたよね。 あれ、俺、何を話してたっけ?・・・あぁそうか、結局アートっていうのは人間のクリエイティヴな行為でしょ。 そしてそれぞれの時点でいい結果が出せれば、これはもう理想だよね。だけどPREDICTできる結果なんて俺にはあまり魅力ないし、興味もないわけよ。家で寝てた方がマシだよね。他のミュージシャンたちが、これはジャンルに限らずにだけど、彼らがどんなスタンスでどんなプロセスを経て音楽をする場に臨むのか、彼らと話したことがないので俺にはわからない。 俺の場合はできるだけ簡潔なプロットを設定して、あとはインプロヴィゼイションで音楽をふくらませていくのよ。 そしてポイント、ポイントに異なるエレメントあるいはブリーフを投入して、それらの相乗作用でさらに音楽を発展させていくわけだけど、うまくいったらすごいよね。それで同時になにか自分をインスパイアするものをさがすのよ。インスパイアというと普通はみんなもっと具体的、それも音楽的なものと理解しがちだよね。でもそれはなんでもいいのよ。 例えばその日の朝に見た風景とか、好きな女と別れて間もない痛みに近い悲しみとか、自分を崇拝している若者がオーディエンスの中に混じっているとか、とにかくなんでもいいのよ。 自分をヤル気にさせてくれるものであれば。ライヴ・スポットなんかでやる時にセクシーな女が一人ポツンと客席にでも座っていたら、これは燃えるだろうね。ちょっとこれは不謹慎か(笑)。 それと聴きにきてくれた人たちのリアクションが音楽の出来を左右することも往々にしてあるよね。 他のミュージシャンはどうか知らないけど、俺の場合だとその人たちのリアクションがネガティヴでもかまわないわけよ。 っていうのは、俺はそのネガティヴなエネルギーをポジティヴなものに変えて自分を鼓舞するというか、インスパイアすることを長年の経験で学んだからね。 バカヤローとかコンチクショーとか思ってね(笑)。 ここ10年くらい自分の演奏はどんな場合でもDATに録音するようにしているんだけど、そういう時にすさまじい演奏をしていることがあるよね。そういえば3年くらい前かな。神戸でSOLOのコンサートがあったのよ。 400人くらい入れる新しいホールなんだけど、客席が階段状になっていて、すごく感じのいいホールなのよ。 色もなんかブルーがかったグレイでね。これはいいコンサートになるんじゃないかと思ってたんだけど、開幕してみたらお客さんが15人くらいしかいないわけよ。 どうなってんだとマネージャーにあたり散らして、とにかくピアノの前に座って演奏を始めたんだけど、これがまたピアノが鳴らないんだよね。新しいベヒシュタインのフルコンなんだけど、ほとんど使われたことがないらしくて、全然鳴ってこないんだよ。あの時は本当にあわてたっていうか、往生したよね。 それでもとにかく1曲目は終ったわけよ。そしたら今度は拍手が全然来ないのよ。シーンとしちゃってね。 客席が暗いからお客さんの表情は読めないんだけど、気配から察すると唖然としているみたいなんだよね。 もうそれからはなんとかピアノを鳴らそうとなりふりかまわずというか、この世に存在する万物を呪いながら、とにかく無我夢中でファースト・セットを終えたわけよ。 それから、セカンド・セットは少しピアノが鳴りだしたから、割と気持ちよく演奏できて、アンコールなんかもやってコンサートを終えたんだけど、お客さんも25人くらいに増えていたかな(笑)。 それからツアーが終わってニューヨークに帰ってからその時のテープを聞いてみたんだよ。 そしたら割と気持ちよく弾けたと思っていたセカンド・セットが全然良くなくて、悪銭苦闘したはずのファースト・セットですさまじい演奏をしているんだよ。 演奏している時はオブジェクティヴになっているつもりなんだけど、人間の感覚なんて本当に当てにならないよね。 まあ話がずいぶん長くなったけど、要するに俺が言いたいのは、音楽は生きものっていうことよ。
ArchiveMenu pagetop
copyright