sanchuが使ったパソコンたち
パソコン歴のスタートが1982年ということもあり、これまでに自宅、学校、会社で様々なパソコンを使ってきました。
このページでは、それらを紹介していきたいと思います。操作したことのあるマシンは、
それこそ山のようにあって思い出せないので、「それなりに使い込んだ」マシンのみ挙げてみます。
Last update 2000/5/20
機種(メーカー)使った期間
PA-7010/PASOPIA (東芝) 1982年秋〜1987年秋/自宅
私のパソコン歴のスタートを飾るマシンで、親父が突然買ってきました(笑)。
当時としては結構高性能な機種だったんですが、悲しいかなマイナー化し、
ゲームもないので当然のごとく BASICのプログラミングに走る結果に。(笑)
HB-F1XD (SONY) 1987年秋〜1991年6月/自宅
ソニーのMSX2機。松下との競争真っ盛りの中で登場した、MSX2最後の機種です。
当時はなんといってもフロッピーディスクの速度に感動。しかも、当時出たばかりの「Ys」にハマり、
ようやくゲームの世界へと本格的に突入することに。
まあ、BASICも相変わらずいじってましたが……
FM-R50 (富士通) 1991年4月〜1992年2月/学校
正確な型番は忘れました(^^;)。
大学1年のコンピュータ演習で使ったマシンで、CPUは286だったと思います。
演習はTURBO PASCALのプログラミングが主体で、BASICで蓄積した知識が結構役に立ちました。
当時はオリジナルのシェルが動いていたのですが、
コマンドラインに降りて操作するのが「通」とされていたような記憶があります(笑)。
「poff」コマンドだけで電源を落とせるのも、当時の私には衝撃的でした(笑)。
PC-9801DA/U2 (NEC) 1991年6月〜1995年6月/自宅
初めて自腹を切って買ったマシンで、それだけに思い入れもいちばん強いマシンです。
386DX-20MHz搭載という当時の最上位機種(H98除く)で、
かつPC-KD881(15インチフラット管)と組み合わせるという豪華な(笑)買い方をしたので、
親父(電器屋に勤務)経由で値切って37万くらいしました。
しかも、5インチ全盛のこのころ、3.5インチモデルを買ったもので、最初はいろいろと苦労しました(笑)。
MSX使いだったので、特に3.5インチに対する抵抗はなかったんですよねぇ……
結果的には良い判断だったと思っています。
プログラムのコンパイルが、学校のマシンよりも数段速いのも感動的でした(当たり前といえば当たり前ですが)。
そしてこのマシンは、メモリを上限いっぱい(13.6MB)まで増設したうえ、
CyrixのCx486DLC(40MHz)やコプロ、
そして往年の名機といえるグラフィックアクセラレータGA-1280ALを装備し、
Windows3.1まで快適に動かしてくれました。
クロックアップなんて工作を初めて施したのもこのマシンで、なにがあっても手放せないマシンです。
PC-286STD model 0 (EPSON) 1992年4月〜1995年/学校
PC-286VF (EPSON) 1992年4月〜1995年/学校
うちの大学は当時、1年次は千葉の校舎、2年から神田(東京)の校舎というシステムで、
神田の部室(私は天文学研究部に在籍していました)にあったのがこのマシンです。
両方とも卒業生が寄贈したもので、286STDは前年の春、VFはこの時に部室に来ました。
当時はこのマシンで「KATALITH」(テトリスもどきの対戦ゲーム)にハマりまくったものです(^^;)。
さらに、このマシンで動いていた流星観測データ解析プログラムがBASICだったので、
またもやBASICをいじることに。
PC-486SR (EPSON) 1993年春〜1995年/学校
同じ部室で活動していたソフトウェア研究部が導入したマシンで、結構いじらせてもらいました。
当時、私がいじることのできるマシンとしては最高速で、なにかとお世話になったものです。
PC-9821Xa/U1 (NEC) 1995年6月〜1997年9月・1999年11月〜/自宅
BBSで、新宿のソフマップで新古品が12万で出ていると聞き、翌日駆けつけて最後の1台を購入。
分割払いの申込書を書いているところを知り合いに発見されるという、
笑えないネタまで提供してしまった思い出があります(笑)。
雨の中、新宿から神田の部室まで運んだあと、興味津々な部員たちの前でいきなりバラすという荒業も。
オシレータ交換で簡単にクロックアップできると聞き、速攻で100MHzにアップ。
これが苦労の始まりで、ベースクロック66.6MHzが微妙に安定せず、
最終的にクロックは66×1.5の99MHzに落ち着きました。
また、あとから買ってきたHDDを電源に繋いだら、いきなりHDDの基板上のチップから煙を吹くという、
冷や汗ものの思い出も。私のパソコン歴において、もっともトラブルに見舞われたマシンです。
現在は、Xt13のピンチヒッターとして復帰……したまま現在に至ります(笑)。
PC-486NAUX2HW (EPSON) 1995年12月〜/自宅、会社
バイト先で使うノートパソコンが欲しいと思っていた矢先に中古屋で6万5000円で見つけ、
その場で衝動買い(^^;)。本来はWindows対応マシンですが、486SX-33MHz、カラー液晶、
メモリ5.6MBというスペックがDOS専用機として申し分ないバランスで、
会社でのVz原稿書きマシンとして活躍。その後パソ通マシンとして運用し、現在は開店休業状態。
PC-9821As/U2 (NEC) 1996年3月〜1997年夏/会社
バイト先での新雑誌創刊にともない、私に回ってきたマシン。ODPが載っていたものの、
DX2-66相当のスペックではとてもWin95を動かす気にはなれないので、5x86のCPUアクセラレータを装備。
発売当初は、かなり欲しかったマシンだったんですがねぇ……(笑)。
CZ-634D/X68000XVI (SHARP) 1996年12月〜/自宅
まさに衝動のままに買ったマシンで、8万くらいしました。しかも、
環境構築する暇がないので部屋のオブジェに(^^;)。
ディスプレイ(CZ-613D)も入手したというのに、敬虔なX68K信者に聞かれたら刺されそうな話ですね。
PC-9821As2/U8W (NEC) 1997年春〜/自宅
DOS専用機として、友人から購入。購入段階ですでにU8Wではなく、
HDDは撤去、CPUは486DX4(100MHz)に換装済みでした。
メモリも13.6MB搭載で、もうちょっと載せる予定です。現在は、メインマシンからDOS環境を引き継ぐべく、
待機状態(早いとこ、なんとかしましょう>自分)。
PC-9821Xt13/C12 (NEC) 1997年5月〜1999年10月/自宅
13万の中古品を衝動買い。なんとなくXtというハイエンド機に抱いていた憧れのようなものもあったのでしょう。
もっとも、いきなり故障してマザボ交換の憂き目にあい(無償修理でしたが)、9月になってようやく稼動(笑)。
この段階で、「K12」相当に変身しています。IDE排除、K6-2搭載、ベースクロック75MHz化など、
様々なパワーアップを経た後、電源まわりと思われるトラブルでリタイア。
PC-9821Xa/U8W (NEC) 1997年夏〜1999年9月/会社
よその編集部の引っ越しで余ったらしいので、Asと交換すべくゲット(笑)。
メモリが4MB×4枚という貧弱な状況だったので、16MBを2枚買ってもらい、
さらに自前の16MB×2枚を足して64MBで運用。だいぶ快適に動かせるようになりました。
さらにデフォルトのグラフィックカードであるMGA-2のドライバがアレなので、DOS/Vパラダイスで
4980円で購入したGA-968PCIを搭載。その後、後述の互換機導入と共にメインマシンの座を退き、
ソフト評価、画面撮影のセカンドマシンとして運用。
組み立てAT互換機 1998年9月〜1999年9月/会社
MMX Pentium-166MHzマシンが出てきたので強奪(笑)。自分用のメインマシンとしては初めて互換機を使うことに。
速い98なんか、なかなか出てこないので(^^;)。
OptiPlex GXMT5166(DELL)2000年2月〜2000年4月/会社
入社した時に、とりあえず回ってきたマシン。メモリは160MB載っていたものの、
非MMXの166MHzではWindows98を動かすのが少々きつかったです。
PowerMacintosh G3(Apple)2000年2月〜2000年5月/会社
初の「自分用Mac」(笑)。DTPデータ用に使ってました。ちなみにクロックは300MHzでメモリが320MB。
OptiPlex GX1(DELL)2000年4月〜2000年5月/会社
GXMT5166との置き換えで導入。PentiumIII-600MHzとメモリ320MBのパワーは快適そのもの。
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