Stormy Angel






  Wild Nights ― Wild Nights !
  Were I with thee ―

   嵐の夜 ― 嵐の夜!
   お前と共にあるのなら ―
                 (E.Dickinson)



 支柱のゆるみをチェックし終わったところで、上に向かって声を掛ける。
「メイ、そこはもういいぞ。」
「んー、もうちょっと…」
 応じる少女は、背の高い脚立の上に陣取っている。先程まで勇ましく木槌を振るっていた手は止めたものの、羽目板をさかんにガタガタいわせて、何やらまだ作業中であるらしい。
「いいから。その辺にして降りてこいって。風が強くなってきやがった。」
 さらに呼びかけたが、少女は少しも慌てることなく自分の仕事を続け、やがて納得したように肯くと、ようやく腰をあげた。
 まずは使っていた道具袋を注意深く下に落とし、次に自分が降り始める。

 手の届くところまで降りてきたところで手を貸してやる。無言のまま、彼の腕に素直に体を預けてくる少女を、ほとんど抱き抱えるようにして地面に降ろす。
「お前さん、ちゃんと食ってるか?軽すぎるぜ。」
「嘘!」
「嘘なもんか。」
 にやっと笑って顔を至近距離まで近づけても、少女の負けん気な瞳は微塵も逸らされることがない。それを心密かに賞賛しつつ、肩を抱いたまま目と目の間に軽くキスを落とす。
 不意打ちでキスするといつも、少女は目を閉じるのを忘れてしまって彼が指摘するまで気付かなかったりするのだが、この時もまた、驚いたように目を見開き体を固くしたまま、しばらく棒立ちになっていた。以前のように反射的に避けられることはなくなったが、それにしても慣れない反応である。
―まあ、野生動物を手なずけているようなもんだから。
 ごく親しい友人たち(彼らは少し前まで少女を巡っての恋敵でもあったのだが)に対して彼は少女をこう評したが、それはかなりのところ彼の本音だった。

「さーて、早く帰ろうぜ。お前が風にさらわれちゃかなわないしな。」
「…お花、大丈夫かな。」
 心配そうに揺れる瞳の先を追って、彼もまた顔を上げる。
 ここは彼のお気に入りの温室。彼の手がけている中でも特に珍しい植物や栽培の難しい植物を選んで置いてある場所だ。温室の片隅では魔法実験の材料になる薬草を育てていたりもする。
 王宮の敷地内でもかなりはずれにあるこの場所に、彼が他人を連れて来ることは滅多になかったが、メイだけは別だった。彼は今まで誰とも分かち合うことのなかった彼自身の秘密を、付き合い始めてまだ日の浅いこの年若い恋人に、ひとつひとつ明け渡していくことに不思議な安らぎを覚えていた。それが彼にとってどれほど大事な意味を持つ行為か、当の少女の方は今ひとつわかっていないようであったが。

「結構頑丈に出来てるから心配するな。それに、やれることはやったしな。」
 なおも心配そうな少女の表情を見て付け加える。
「お前も手伝ってくれたんだし。」
「うん、そうだね。」
 肯いて少女は、風に乱された髪を押さえつつ上空を見上げた。西の空 ― 海のある方 ― からどす黒い色の雲がすごい勢いで押し流されて来るのが見える。
 嵐が来るのだ。
 午後からの急な気温と雲行きの変化から、王宮でも通いの官吏やメイド達は早々に帰宅するように申し渡されていた。青年はといえば、偶然執務室に遊びに来ていた少女を送って行くのを口実に、さっさと自主休業を決め込んだ。そして、帰途につく前に少女を付き合わせて温室の様子を見に来たのだった。
「急いで帰らないと雨に降られちゃうね。」
「わかったら早く行こうぜ。」
「うん。」

 来た道を戻らずに、そのまま庭を突っ切って裏門を目指すことにする。その方が馬車の停車場までさほど歩かずに着くからだ。城の主だった建物は自然の丘陵を利用してやや高い位置に建てられており、そこから城下に通じる門までは、ゆるやかな緑の斜面につけられた道を下ることになる。頭上を面白いほどの速さで駆けていく暗雲に急かされるように、二人は先を急いだ。

 風をちょうど背中に受ける形で歩くことになったのは偶然だった。
 道の途中、傍らの少女が突然足を止めて背後を振り返った。彼女はまた一段と激しさを増した風にまともに顔をなぶられて目を細めた。
「メイ、どうした?」
 風の音に掻き消されないように、ほとんど叫ぶようにして問い質す。
「ねえ、シオン!」
 少女も叫び返すと、彼に向かって両手を広げてみせる。まるで舟の帆のように、彼女の服の袖や裾が風を孕んでふくらむ。
「すごい、風!」
 ぶつかってくる空気の流れを肌で味わうかのように、しばらく少女はそのままの態勢で立ち尽くす。乱れるスカートの裾を押さえもしないで。興奮に顔を輝かせて。
――ったく。本当にまだまだガキだよなー、こいつって。
 ため息をつきつつ、早く来いという風に手を差し伸べたとたんのことだった。
 風に背中を押されるようにして、少女が突然、勢い良く駆け出した。すれ違いざまに朗らかな笑い声だけを残して、彼女はすぐさま後ろ姿となった。
「おい、待てよ!」
 声をあげて制しても、彼の方を振り返りもしない。まるで翼でも持っているかのようにやすやすと風に乗り、夢中で駆けて行く姿に、彼も我知らず走り出していた。



――畜生。なにやってんだ、俺は。この歳で追いかけっこかよ。
 これほど全速力で走ったのは何年ぶりだろう。これほど馬鹿みたいに真剣に、わき目もふらずに。それも端から見ればさぞかし滑稽に映ることだろう。王国の筆頭魔導士たる彼。右手に炎、左手に氷、強大な魔力を意のままにする者として国の内外にその人ありとうたわれるこのシオン=カイナスが。
 その彼が、息を切らせて追い掛け回してるのがこともあろうに年端も行かない、どこにでもいそうなただの小娘なのだという事実。
――だいたい、いつの間に俺は追っ掛けられる方から追っ掛ける方に回ったんだ?
 納得いかないことこの上ないのだが、それでも、前方を軽やかに行く青い服の小柄な姿に、何故かあと数歩で追いつくことが出来ない自分に、焼け付くような焦燥感ばかりが募る。
――まるで本当に風がさらって行くみたいだ。
 急にそんな思いに捕らわれてぎくりとする。―何なのだ、この身が空ろに感じられるほどの圧倒的な不安感は。
  (無我夢中で駆けて。)
いつもいつも腕に抱いて、そこにいることを確かめなくては。
  (息を止めて。)
そうしていないと、気が狂いそうになる。  
  (手を伸ばす。)
いや、もう既に狂っているのかも―。



「あははは…!捕まっちゃったー」
 背後から突然肩を掴まれて強引に引き止められた少女は、勢い余って彼の胸に倒れ込んだ。そのまま弾けるように笑い出す。そんな少女の体を、魔導士の両腕がすっぽりと包んだ。
「息あがってるよ、シオン!最近、運動不足なんじゃないのかなー?」
 彼の胸に顔を押し付けて、少女がくつくつと笑う。
「煩いんだよ、お前さんは」
 憮然とした表情で呟きながら、彼はやっと手元に取り戻した存在を確認するかのように、さらにきつく腕の中に彼女を抱き込んだ。そのまま黙って柔らかい絹糸のような髪に顔を埋める。
「こら、なつくな!苦しいでしょー?」
「……」
 いつもの軽口と小競り合いの応酬を予想してか、少女の声は笑いを含んでいる。そんな彼女を、彼は何も言わずにいきなり抱き上げた。突然のことに驚いて彼の首にしがみついてくるところを、そのまま軽々と両腕に抱え、移動を再開する。
 最初の驚きがおさまったらしく、少女が抗議の声をあげ始めた。そのほとんどが上空で荒れ狂う風の音に掻き消されて彼の耳に届かない。いつもなら平手や蹴りを食らわせる位平気でやってのけるのに、不安定な態勢から下に落ちまいとする本能が勝ったのか、少女がそれ以上のはっきりした拒絶をみせることはなかった。
 さっきまで熱い奔流となって身も心も焼き尽くさんばかりだった焦りが、少女を腕に捕らえたとたん嘘のように消え去ったのを感じて、彼は風に向かって鋭い笑い声をあげた。
「離して…!シオン…!」
「メイ、お前、責任とってくれよな…!」
 彼にしがみついたまま、必死に声をあげる彼女に、彼は叫び返した。
「俺を…この俺を…こんな気持ちにさせといて…」
「ねぇっ!シオン…ってば…!」
「まさか、俺を置いて…一人で…こんな日に…帰ったり…しないよな…!」
「なあに…?風の音がうるさくて聞こえないー!」
「嘘つけ!」
 怒鳴り返してから、彼は突然立ち止まり腕の中の恋人を睨みつけた。予想に反して、メイは怒っても泣いてもいなかった。ただ、徐々に暗くなっていく空の色を映したような不思議に深い瞳をして、ぽつりと言った。
「髪、ほどけちゃったね。」
 先程走ったときに結び紐がゆるむか切れるかしたのだろう。ほどけて風に弄られる彼の長い紫紺の髪を、片方の腕を彼の首に巻きつけたまま、メイは手を伸ばして漉こうとした。その手を押さえ、自分の肩に捕まらせるようにしてから、彼はゆっくりと顔を近づけて彼女の唇に口付けた。

 顔を離すときに、少女の唇が動いて言葉を紡いだ。それはすぐそばにいる者の耳にだけ、かろうじて届くほど小さなかぼそい声だったが、彼にとっては充分すぎる答えだった。

――あたしを離さないで。ずっと捕まえておいて…。



結局のところ、この異界から来た天使をさらって行ったのは、海から来た嵐ではなく
深海色の髪をした魔道士だったことを、翌朝以降人々は知ることになる。





  Ah, the Sea!
  Might I but moor―Tonight―
  In Thee!

   ああ、海よ!
   ただ願う。どうか。碇をおろしたい、今夜 ―
   お前の中に…!






 ―END―





★ 引用はE.Dickinsonの詩の一部。訳は超・適当なので間違いがあると思いますが、大意は合っている…ハズ(ちょっと小声)。


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★Presented by HENNA★2000/07/13★
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