しょぼいPC歴など

長文です
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なぜに突然ぴーちくぱーちくこんなページを作ったかと申しますと、プレゼンページなんだなあ。
いかに力がないか、行間から類推していただきたいと、そんな風に思ったりしております。が、
「無理矢理やらせればできるんじゃないか?」というような、誤解に基づく期待もありがたく頂戴したく思っております。
お仕事めぐんでくださる方は、参考になさってください。参考になりませんか?

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子供の頃、父が大型コンピュータで打ち出したプログラムや計算結果の反古紙を、お絵描き用に大量に持って帰ってきてくれていた。裏の白い方を使っていたのだけれど、白い方が表だと思っていた。文字が打ってあると鬱陶しかったので、何も印刷されていないとありがたかった。そういうページが結構あったような気がするが、これ以上はつっこまない。

当時の大型だからフォートラン(綴りは知らない)だったと思うのだが、それでいったいどうやっていたのか英数字の濃淡でモナリザを打ち出したものを持って帰ってきたりして「おとうさんたちはかいしゃであそんでいるのだなあ」と思ったかどうかは忘れてしまった。


中学の時、兄がマイコンを組み立てていた。目的は学問を装ってゲーム機をつくるためだったとにらんでいる。実は手作りな生活だ。正直興味はひかれなかった。当時はいわゆる電化製品はみんな苦手だった。


高校の時、電算室という部屋で、これがコンピューターだ!といってマイコンそっくりのものを見せられる。いまひとつぱっとしない、という印象でおわった。

この辺りまで、コンピュータは恐いものだと思っていた。というか、コンピュータをやっている人が恐かった。自分は死ぬまでさわることはないだろうと思っていた。


大学の時、必要にせまられて BASIC(初心者用プログラミング言語) にさわる。BASIC に始まり BASIC に終わった
機種は NEC98 の無印から VX くらいまで大学にごろごろあって、早いもの勝ちでいいマシンをとる方式だった。フロッピーは8インチから5インチ。MS-DOS が3くらいの時代。

BASIC だけだったけれど、TOSHIBA のマシンがなぜか自宅にあったので、T-BASIC(つまり東芝-BASIC)でプログラムを書いて、大学の 98BASIC( N88-BASIC とかいう名前だったような)に手打ちで落としてバグをとっていたので、機種依存というものの不条理さはちょっとだけ経験した。
それにしても、同じ時期ターボC が出ていたんだから、C にさわっておけばよかったと思う。あれは頭のいい人がやるもんだと思って敬遠していた。つーか、まるでわからなかったんですが、オブジェクト指向ってなんですか?

BASIC でもきれいなプログラムは書けるはずだーということを色んな師匠に教えてもらったので、とにかくコメント文だけは大量につける癖がついた。あれは、言い訳や泣き言を書いてはいけないところなんだろうか。こういうバグがあって、どうにもこうにもとれません、ということをコメントに残した記憶がある。あ、それは ReadMe に書くべきなのか。関係ないがリードメと読んでいた。英語ができないのがまるわかり。しかし父は Adobe をアドベと読んでいた。血筋か?

大型にもちょっとさわった。SAS という統計解析プログラムパッケージを使う必要があったので泣く泣くだ。
一度、仲のよかった4人組で大量に酒を飲んだ翌日に、4人揃って大型の講習を受けた。その日教わったことは何もおぼえていない。仲間のうちの一人は、そのあと血をはいて大学のソファーで寝ていたような気がするんだが、君は本当に講習を受けたんだっけ?ねえ、根津くんよ。

プログラム以外では、松と鶴というのと、一太郎と花子というワープロ + お絵描きソフトがあって、鶴で鶴を描いて、花子でなんかくだらないものを描いた。私のことだから花子を描いたのかもしれない。プリンタはインクリボンだったから、色はめろめろだった。ドットで絵を描く方式だったのでドットで人物画を描いたが「いかんこれでは卒業までに完成しない」と途中で気がついてやめた。あの時、一生分の点を打ったような気がする。(大げさ)

忘れがたいのは、Mac の初期モデル(2代目くらいだと思うんだけれど)が大学にあって、師匠である先生が「好きに使っていいよ」と貸してくれたこと。ちっこい白黒モニタだったけれど、あまりの素晴らしさに感動した。あのデザイン、あのアイコン。そしてマニュアルを貸してくれたんだが英語だった。マニュアルを大切に引き出しにしまい、そのまま卒業してしまった。


製版屋に勤めて、フォトショップみたいな画像修正ソフトに初めて触れる。面白かった。

しかし、勤めてみればエロ製版が午後からの主な仕事になるので、半年でやめてしまった。やめた理由は色々あるが、仕事のないときにも座らせてくれなかったことも癪にさわった。癪ってどこだ?生理のたびに貧血おこしてトイレでゲロはいてゲリして、結局家に帰るというのを6回やったら懲りた。ゲリとゲロはあちらたてればこちらがたたないので両立させるのは困難です。身体の弱い人、ということになっていたらしいが、毎月同じような日にたおれてんのに、あんたらなんで気がつかない。

そこの会社ではすげーものをいっぱい見た。当時のビニ本に入れるための画像だったんだから結構やばい系だったのだろう。外人は大味だ、ということで、同僚の男の子と意見が合った覚えがある。外人というのは白人のこと。白人と言わず外人と言ってしまうのは非常に問題だ。国際化社会だというのに。そういえばコロコロコミックのカラーページの製版の仕事もあったので、すごい漫画家さんの生原稿を見ていたはずなんだけれど、誰のだったかよくわからない。小林よしのりさんのだったような気がするが、違うかもしれない。PC とはまるで関係ない話だなあ。


専門学校入学前に右手親指の生づめをはがした。もとい、父のつてで建設会社でバイトをさせてもらった。設計図を見ながら、建物の外観をハリボテ方式で作るというもの。面白かった。Windows マシンだったけれど。

この時この職場で、進化した Mac に再会。びっくりした。あれは何のソフトだったんだろう。店の内装のデザインを誰かが Mac で作成していて、私も使わせてほしかったのだけど、さすがにそれは無理だった。照明を物体に当てることができるので、すごいと思った。映り込みなんかも計算させることができるので、ますますすごいと思った。テクスチャの貼り付けもできるというので、信じられないと思った。というか、よくわからなかった。


専門学校では、何もさわらなかった。冗談でなく、本当にナタをふるっていた。


デザイン会社時代。色々あったが今は言うまい。私もわるかった。

個人でMacを購入しないとどうにもなんねーと思って、生まれて初めて自分でパソコンを購入。二階から飛び下りるくらいの気持ちだった。うそだ。お金もらっても飛び下りない。マシンは PowerMac 6100/66。ソフトはイラストレータとフォトショップ。これで何を描いていたかというと、猿とぶたを描いていた。宝の持ち腐れ。ついでに花札を描いている最中に会社を辞めてしまった。

会社ではクウォークなんかも使っていた。あとディメンジョン。これはほとんど使っていなかったけど。デジタル製版の普及するちょっと前にやめてしまったので、その辺がまるでわからないのは惜しかった気もするが、まあいいや。

会社では、社長がいなくなると SimpleText で、書いたテキストを英語で読み上げさせる機能 ( Text - to - Speech だったかな)、あれで遊んだりしていた。外人のしぶい発音で、た〜んた〜んた〜ぬき〜の、○○○〜○わあああああああああ、とか喋らせて同僚に聞かせて大ひんしゅくを買っていた。

また外人と書いているなあ。またしても白人である。たぶん、そんな感じの名前がついていた。スティーブか?違うなきっと。

むぅかし〜むぅかし〜そうのむぅかし〜、おじぃさんとおばぁさんがすんでいまぁした。おじぃさんはやまへ、し〜ばかぁりに〜、おばぁさんはかわへ、せんたぁくに〜。という、けっこう長い物語を作ったこともあった。というか、ただのモモタロウじゃねえか。途中でめんどうになって、桃がどんぶらこぅどんぶらこぅと流れていってしまった、というベタな終わりにした覚えがある。くそ忙しいのに、そんなもん聞かされた同僚はたまったものではなかっただろう


今までの人生全体を通して、どちらかというとマイクロソフト製品の方がいつも身近にあったのは非常に遺憾です

知っている人は知っているが今は別れた元夫も Windows の人間だった。父も Windows の人間だ。人間だ、って断定しちゃいけないか。父は 98 の人間だと自分では言っていたなあ。でも家にあるのは FUJITSU と Compac だ(すみません、Compaq だそうで。zero さまありがとうございます)。どうも読んでくれているのでツッコミを入れにくい。お父さん、こんなところまで読まなくていいのよ。一太郎くんにもお世話になった。ATOK にも。ジャストシステムありがとう。いまはことえりにお世話になっている。ATOK を入れたというのに宝の持ち腐れが多い人生だ。


ところで、家族が父しか出てこないので、そんなことはないと思うが父娘家庭だと誤解する人がいるかもしれないので書いておくと、母も祖父母も健在だ。昔はもっといた。11人いる!ではなくて11人家族だった(萩尾望都さんのまんがを知らない人にはなんのことかわからないフレーズだ)。弟の存在も記しておこう。今や一国一城の主である。腹違いの兄弟がいると母にだまされたこともあった。あ、違う、私が腹違いなんだとだまされたんだった。何がしたかったのお母さん。同居問題については、私は中立的な立場です。

無理矢理話を元にもどすと、PC を使う人が今のところ父しかいないだけの話。I am happy so much. である。非常にめでたいことだ。この程度の英語を間違っていたらどうしよう。


あ、いらないかもしれませんが、しょぼいパソコンの絵と壁紙も使いたい方がいたらどうぞ。直接リンク現金じゃなくて現金じゃなくて厳禁。

しかしまったくプレゼンになっていないなあ。不評だったらすみやかに削除いたします。

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