■ ■ 童話の終わるとき


「・・・そういうわけでね。貴方の刺客は口を割りましたよ。」
不穏な言葉とは裏腹な、のんびりした口調で魔導士は続けた。
口元にうっすらと微笑さえ浮かべているが、その黒目がちな瞳には常ならぬ酷薄な光が宿っている。
足の爪先まで隠す長い漆黒のローブに草色のマント、腰まである長い濃紺の髪を束ねただけのその姿は、ことさら華美な貴族達の中にあっては異様な風体といえる。
彼の名はシオン。若くしてクライン王国の宮廷筆頭に名を連ねるやり手の魔導士だ。
彼は、長年の政敵であった初老の男に静かに告げた。
「貴方の処分については追って決まります。
じたばたせずにお待ちになることですね・・・部屋の外には私の部下が控えております。これからお宅までお送りさせますよ。では。」
魂が抜けたようにぼんやりと魔導士の告発を聞いていた男は、いきなり手近にあったナイフを握り締めた。
「こ・・・この、死神め!!」
絞り出すような声で叫ぶと、背を向け退出しようとするシオンに向かいって突進した。
「・・・風よ、刃となりて汝の敵をほろぼせ!!」
「ぎゃぁっ」
呪文に右肩を切り裂かれ、男は刃物を取り落とし悲鳴をあげてうずくまった。
「このシオン様に手出ししようなんざ、百万年早いんだよ。
まぁったく、これ以上手間をかけさせんじゃねーよ。」
振り向きもせず、吐き出すように言うと、シオンは今度こそ部屋を後にした。

待ち構えていた部下達に手早く指示を与えると、足早に王宮の廊下を移動する。とりあえず敵は押さえた。しかし、事態が収束したとは全く言い難い。
「で、二人はまだ見つかんねーのか?」
低い声で傍らを付いてくる側近に尋ねる。
「は。それが・・・お一人だけ。」
予期せぬ答えに、シオンは眉をつりあげた。
「何?」
「ディアーナ姫様を保護いたしました。ただ今、お部屋の方に居ていただいております。しかし、皇太子殿下の方はまだ・・・」

クライン王国の次期国王、皇太子セイリオス=アル=サークリッド。
彼を亡き者とし、あわよくば王国の覇権をねらう動きは、一見華やかな王宮において、いわば通奏底音のように常に存在していた。
シオン達、宮廷魔導士の使命は、あらゆる手を用いてそれを未然に阻止すること。
しかし、彼らの一瞬のすきをついて、それは実行されてしまった。
試みは辛くも失敗に終わり、皇太子は一命をとりとめたものの、刺客の用いた毒に倒れた。
それだけでも前代未聞の失態だ、とシオンは苦々しく思い返した。
暗殺騒ぎの後のごたごたで、ちょっと目を離した間の事だった。
やっと意識を取り戻した皇太子と、彼を看病していた妹姫がそろって姿を消した。かれこれ数時間前の出来事である。
・・・なぜあの時二人を放っておいたのか・・・
いくら後悔しても、後の祭りである。
・・・誘拐か、それとも・・・
最悪の予想が胸をよぎる。とりあえず、敵には暗殺の失敗以上のことを気づかれてはならない。出来る限りの手を打つ一方で、信用のおける部下を厳選して探索にあたらせていたが、二人の行方は杳として知れなかった。
そこへ姫君発見の報告が舞い込んだのだ。
「姫はシオン様にお話されたいことがあるようです。」
「むろんだ。今、行く。」

ディアーナ姫の私室は数人の兵士に守られていた。
絶対に誰も入れるなと念押しして中へ入り、ドアを閉める。
すでに夕刻。西を向いた窓からの夕焼けが真っ赤に室内を照らしている。まぶしさにシオンは目を細めた。
窓辺に腰かける少女の姿があった。身にまとったドレスと帽子は白とセルリアン・ブルー・・・この国の貴色である。少女は窓から外を眺めており、その顔は陰になって見えなかった。シオンは近づこうとして、妙な違和感を感じ、立ち止まった。
「姫さん・・・か?」
ぱっと立ち上がった少女の顔を認め、シオンは凍りついた。
どうやらサイズが合わないらしくずり落ちようとする帽子を、押さえもせずに
少女は右手を高くかざして口早に唱えた。
「・・・風よ戒めの鎖となれッ!!」
「何しやがる!!」
はっとしたシオンはドアに手をやった。開かない。
「何って・・・時間かせぎ。」
にっこりと笑い、少女は帽子を脱いでぽい、と傍らに放った。
肩までのびたつややかな黒髪が、窓からの風にあおられ揺れる。
シオンはまじまじ、と少女を見つめ、それからぐったりと脱力した。

「俺の部下の目は節穴か・・・お前さんのどこが姫君なんだ?」
「相変わらず失礼なやつ。」
少女は窓辺に仁王立ちしたままむっつりと言った。
もちろん彼女がディアーナのはずはない。少女の名はメイ。魔法研究院の見習い魔導士のひとりで、姫の友人だ。
「あーのーなー、俺は忙しいんだ。嬢ちゃんの遊びにつきあってる暇は、ない。」
「これが遊びに見えるっての?・・・来ないで!!」
メイは近づこうとするシオンを鋭い声で牽制した。どうやら本気で喧嘩を売っているらしい。
「悪いことは言わん。ここを開けな。」
メイの放った呪文で、扉は固く封印されている。もちろん筆頭魔導士であるシオンの術をもってすれば開放は容易だが、術をかけた当人との力の押し合いになる。その際、術者同志の力の差が大きければ、力の弱い方の命は保証の限りではない。メイにもそれくらいの知識はあるはずなのだが・・・
「だめ、開けない。」
メイは断固とした調子で言い放った。
「暴力は嫌いだが、力ずくで開けさせてもいいんだぜ?」
「手出ししたら、この窓から飛び降りるよ?
そしたら、わからなくなるんだから、二人のこと。」
メイの最後の一言に、シオンは表情を引き締めた。
「・・・何の話だ?」
「とぼけなくてもいいよ。殿下とディアーナのこと。聞きたくないの?」

夕日は、西の町並みの向こうに完全に沈もうとしていた。
シオンは観念した、という風に両手を挙げてみせ、短く言った。
「説明してみな。」
それを聞いて、メイは目に見えてほっとしたようだった。
しかし、それでも油断ならない、という様に、シオンを睨み付けたまま
その手を自分の胸元に伸ばし、赤いリボンをするり、と抜き取った。
「・・・なにすんだ、お前? 色仕掛けか?」
「ばか、何考えてんの!!」
少女はあわてたように言うと、胸元から小さな包みを取り出し、シオンの足元に
放った。
「あんたの部下ってチェック甘すぎ。ま、お姫様の胸に触っちゃマズイか。」
シオンは包みを拾い上げ、開けてみた。中からは、銀の鎖のついた小さな青い宝石が転がり出る。
セイリオスの額飾り。王家の世継ぎの証だ。
「殿下からの伝言よ。
許してもらえるとは思っていない。でも、友人としてお前を大事に思っていた。今までのことは本当に感謝している・・・って。
落ち着いて聞いてね、シオン。あの二人、駆け落ちしたのよ。」

「・・・まさか!!」
「ほんとのことよ。
錠前亭に怪我人がいるっていうから行ってみれば、殿下のことなんだもん、びっくりよ。これから二人で逃げる、見逃してくれって泣き付かれちゃってね。不肖、このメイさんが助っ人を買って出たってワケ。
ま、おとりになってディアーナの服を着てうろうろするだけだから、どれだけ役に立つか不安だったけど、その様子じゃ、二人はまだ捕まってないみたいね。」

シオンは無言だった。手の中の石を見つめたまま身じろぎもしない。
メイは辛そうな表情でシオンを見つめていたが、やがて、ぽつりと言った。
「シオンは・・・知ってたんだってね。二人の血が繋がってないこと。」

そう、自分は偶然知ってしまった。クライン王室最大の秘密を。
本物の世継ぎの王子が幼くして亡くなったため、どこからか連れてこられた身代わりの少年。それがセイリオスであることを。彼に王家の血など、一滴も流れていないことを。
知ったとき、逃げよう、殺されると思った。
しかし、守られねばならない秘密は、彼を殺す代わりに王宮に縛り付けた。
お前は有能だ。身分も地位も望むならば与えよう、ただし。
王国を一歩でも出ることは、かなわない。
お前は常に監視されるだろう。
少しでも裏切れば、お前自身はもとより、大貴族であるお前の父や兄にも累は及ぶ、と。
声高に、ではないが、極めて効果的なやり方で脅迫され、従わされた。
セイリオス自身はその事実を決して知ることはなかったが・・・
もともと王宮には何の興味もなかった。貴族という人種も、吐き気がするほど嫌いだった。貴族の姫君としての生き方を強要され、まだ少女の年齢で自分を産んですぐ死んだ母親のことが引っかかっていたせいかもしれない。
研究院を出たら、この国を出よう、一緒に他の国々を見て回ろう。
親友とそう約束してもいた。彼は、シオンが自由より権力を選んだと誤解して去っていった。

それが、今更何だ? 駆け落ちだ?
俺を捨て、すべてを捨てるだけでは飽き足らず、王家の本物の世継ぎである姫をかっさらってお前はどこへ行こうというのか。
セイル!!
それならば、お前を守るためだけに生きてきた今までの俺の人生は、一体なんだったんだ?

「もう、十分だ。ここを開けな。」
突然口を切ったシオンの押し殺したような冷たい口調に、メイは一瞬言葉が出なかった。既に日は完全に落ち、部屋は夕闇に包まれていた。彼がどんな表情をしているか判然としないことが、恐怖心を一層あおった。
「・・・だめ。開けたら、二人を捕まえに行くでしょう?」
自分の声が震えるのがわかる。しかし、退くわけにはいかなかった。
シオンが動けば二人が捕まるのは時間の問題だ。自分に出来るのは、少しでも彼を足止めすること。
「―――――!!」
シオンが何か唱えた・・・と思うまもなく、自分の周りの空気がどろり、と動き、体にからみつくのを感じた。
「う・・・あぁっ」
あっというまに全身を強い力で縛りあげられ、メイは悲鳴をあげた。がくり、と床に膝をつく。ぎりぎり、と音がするかと思うほどの力で体がねじふせられる。

「本当の力は、こうやって使うもんだ。」
耳元で静かな声がした。
「愚かで未熟なお前には考え及びもしない、魔導の真のあり方だよ・・・
メイ、たとえお前でも、邪魔することは許さない。
セイルのことは、この国の未来に関わることだ。部外者のお前に面白半分に関わってもらっちゃ困るんだ。」
「・・・・・・・・・!!」
苦痛のあまり声を限りに叫んでいるはずなのに、耳には自分の声が届かない。

かわりに、なつかしい、やや舌足らずな少女の声が聴こえたような気がした。

「ごめんなさい、メイ。わたくし、あなたに迷惑をかけてしまう。」
泣かないで、ディアーナ。あんたの泣き顔なんて見たくない。
「わたくし、セイルを愛してますの。幼い子供のころからずっとずっと・・・セイルだけを愛していましたの。」
初めて二人を見たとき、おとぎ話の主人公かと思った。幸せな王子様とお姫様。
それがどう。今のあなたたちは傷だらけで裏切りと汚名にまみれている。
それでも、あたしの目には今のあなたたちが、これまでで一番光輝いて感じられるよ・・・

急に戒めを解かれ、メイは床にはいつくばった格好のまま、荒い息をついた。
目から涙がとめどなく流れ落ちる。
飛んで行こうとする意識を必死に繋ぎ止めながら、メイは逃げようとあがいた。
しかし体を動かそうにも、指一本さえ彼女の意のままにならなかった。

「次は、手加減なしだ。」
やさしいほど静かな声。
恐い声だ。
敵対するものを躊躇なく排除する者の声。花園にわいた害虫を駆除するのと同じくらい容赦ない方法で、人を狩ったことのある者の声。
でも、悲しい声だ。この人、泣いているみたい。なぜそう思うのかわからないけど。

「・・・どうしようもなかったの・・・」
つぶやくような少女の声にシオンは瞠目した。
あれだけの攻撃を受けて、まだしゃべる元気があるとは、あきれた精神力だ。

「あたしにとってあの子は、姫君じゃない。ただの友達だもの。
・・・殿下も姫もいなくて、この国はだめになるかもしれない、
戦争になって、たくさんの人が死ぬかもって思ったけど。
あの子の思いつめた顔を見たら、あたし何も言えなかった。
それであの子が幸せになれるなら、何でもしようって思った。
あたしはあの時、皆よりたった一人の友達を優先したの。
だから、これは・・・罰なの。」
少女は、シオンを真っ直ぐ見つめて、ささやいた。
「あたしを殺して、ここを出ていって。」

言葉がナイフのように胸につき刺さるのを感じた。
あの時、セイルの秘密を知った時、逃げようと思った。と同時に、彼のそばにいてやりたい、と思った。どちらも真実。
自分の出生を知りながら必死に王子としての矜持を守ろうとする少年に、正直、惹かれた。自分にはないその魂の美しさ、気高さを、世界中を敵に回してでも守ると、誓ったはずだったというのに・・・
いつのまにか、彼を、ではなく、王家自体を守ることに心を砕くようになっていた。
「本末転倒。すさまじきは宮仕えってな。」
シオンは自嘲するようにつぶやくと、そっと少女を助け起こした。
「メイ。大丈夫か、メイ?」
「う・・・」
「すまんかったな。」
いたわるようにつぶやいて、少女の体を自分の胸にもたせかけてやる。
少女は、ふーっとため息をつくと、常にはない素直さで体重を彼に預けた。
「悪かった。完全なやつあたりだ。」
「嘘吐き。本気で殺そうとしたでしょ。」
シオンの胸に顔を押し付けたまま、くぐもった声でメイが答えた。
その口調はなじるようではなく、むしろどことなく面白がるような響きがあった。
「お前さんを殺したら一生祟られそうだもんな。そんなおっそろしーこと、出来ませんって。」
「やっぱり、失礼なやつ。」
メイは、ちょっと笑ったようだった。そして、急に肩をふるわせると、堰を切ったように泣き出した。

シオンはしばらく無言で固まっていたが、やがて、泣きじゃくる少女の背中に手を回し、あやすように優しくなでながらささやいた。
「そんなに気に病むな。あいつらは、あいつらの道を選んだ。おまえはおまえで自分の信じることをやった。それだけのことだ。
それだけのことで、俺達がどうにかなるはずがない。
誇り高い騎士団がいる。優秀な文官もいる。研究院には長老のじいさん達も、キールもお前もいる。王族なんていなくても、俺達は大丈夫さ。」
「・・・二人を探しに行かないの?」
驚いたようにメイが涙に濡れた顔をあげた。
「馬に蹴られんのは、やだからな。」
「ありがとう、シオン。」
「礼を言うのはこっちだ・・・うまく説明できないが、俺はもう少しで取り返しのつかないことをするところだった。お前は間に合って俺のところへ来た。そしてそいつを止めてくれた・・・ありがとな。」

真っ暗な闇の中で、二人は抱き合うような形でしばらく寄り添っていた。
不思議、とメイは思った。ほんの少し前、本気であたしを殺そうとした人なのに。あの時感じた恐怖を、ありありと思い出すこともできるのに。
今、こうしていることが、こんなに心地良いなんて、不思議。

「これからどうすんの?」
「どうすっかな? ま、何はともあれ、あいつの代わりを探さんとな。
いきなり王族はいらんといってもすぐには通らんだろうし。傀儡でいいけどな。」
「・・・」
「怖いか?・・・俺も怖い。」
「あんたが怖いなんてことあるの?」
「そりゃな。今度ばかりは、俺もそれほど自信があるわけじゃない。あいつの後ろ盾が無い以上、俺もただの青二才に過ぎん。蓋を開けてみれば、全て失くして王宮を放り出されて終わりかもしれない。この部屋を出たら、修羅が待ってると思うとな。」
シオンはそっとため息をついた。
「じゃーさ、あたしと一緒に逃げる?」
シオンは驚いて、胸の中の少女を見た。彼女の表情はわからなかったが、声は真剣そのものだった。

「はは、それもいいかもな。ま、最後の手段かな?」
縛られ凍てついた心が、解放されていくのがわかる。
と、同時に、もっと違う何か、もっと甘やかな何かに囚われるのを感じる。

「もし俺がギブアップしたら、俺をさらって逃げると約束してくれるか?お前は」
メイは、大きな手が彼女の髪に触れ、続いて頬にそっとあてがわれるのを感じた。
「俺をそばで見ていてくれないか、最後まで。」
「しょーがないね。お付き合いしましょ。」
「退屈だけは、させない。」
「あんまし、嬉しくないな、それ。」
げんなりしたように言う少女を、シオンは軽い笑い声をあげて抱きしめた。



END.




★Presented by HENNA★1999/01/12★
★ for Ms. Masanori@Fantastic Fortune 〜 メイド派遣協会〜★




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