■ □ Good night, darling


「ねぇねぇ、リュクセル!」
 夕食の後、皿を洗いながらメイが台所から声を掛けてきた。
―――聞いてよ、いいこと思い付いちゃった♪
 そんな内心の声が聞こえてくるようなはずんだ呼びかけに、少年は読みかけの本からゆっくりと顔をあげた。いやな予感がする。
「久しぶりに今日は一緒に寝ようか?」
……予感、的中。

 少年の名前はリュクセル。現在は姉代わりのメイと二人暮らし。十六で成人と認められるここクライン王国でも、彼はまだかろうじて「子供」の範疇に入る。
 今のところ、二人の生活費はメイが王宮で働いて賄っている。彼女の職業は「王宮付き魔導士」で、腕はなかなかいいらしい。
 少年の名誉のために言っておくが、仕事から帰った姉に家事をさせて自分はのほほんとしているわけでは、もちろんない。日々の炊事・洗濯・掃除から家計簿つけまですべて彼がやっているのだから。メイの担当はもっぱら食後の食器洗いだけ、である。

「明日はあたしもお休みだしさ。たまには二人でゆっくりしよ♪」
 少年がメイの楽しそうな声にはっと気が付いた時には、彼女は既に皿を片づけ終わり、たったかと自分の寝室へ向かうところだった。
 頭の中で色々な言葉がぐるぐる回って考えがまとまらないが、それはひとまずそのままに、彼は急いでメイの後を追った。
「うっ重い……ちょっと手伝って?」
 見ればメイは自分のベッドからマットレスを引き剥がし、居間に運び込もうとしている。
「メ、メイッ」
「こっちで寝よ。窓開けてお月見しながら、ね?」
 今日は満月。まだ夏の熱気を覚えている肌に、九月の夜風はひんやりと心地よい。
「……」
 ぽすん、とマットレスを押し付けられて、条件反射のようにメイに手を貸してしまう。
居間の椅子やテーブルを脇にどけて強引に場所を作り、マットレスを置きその上に洗い立てのシーツを敷く。
「これで良し、と。あ、枕とタオルケットは自分の持ってきてね」
 今日は夜更かしするぞ〜とばかりに、メイは鼻歌まじりに枕元に本など積み上げている。
「……メイ……」
「ふふっ本当に久しぶりよね。一緒のおふとんで寝るの」
「メイ!」
「ん?なあに?」
 床にしゃがみこんだ姿勢のまま顔上げたメイの、あまりにも嬉しそうな笑顔に少年は一瞬怯んだが。
「メイ……僕は、一緒に寝るなんてやだからね」
「……なんで」
 とたんに曇る表情。
 時々信じられなくなる。
こんなにくるくると怒ったり笑ったり忙しい人が、僕より六つも年上だなんて。

「なんでって……この年で家族と寝る奴なんていないよ」
「いいじゃん、別に。人様は人様、ウチはウチよ」
「とにかく……駄目だから」
 踵を返して自分の部屋に引っ込もうとすると、
「……冷たい…」
 地の底から吹き上げるような冷気を感じさせる声に、少年はびくりとして思わず足を止める。
「この世でたった二人の姉弟(きょうだい)なのにさ。あ〜あ、昔が懐かしい…。昔は良かったよ。リューがこんな冷たい子になるなんて、あたしは夢にも思わなかった……」
「……」
「いいんだ……リューはもうあたしのことなんて好きじゃないんだ…」
「……枕…持ってくる」
 ぼそりと呟いて歩き出す少年の背に、メイの憎らしいほど朗らかな声が追い討ちをかけた。
「タオルケットもだよ〜。ちゃんと歯みがいてこないと入れてやんないぞっ」
 はいはい、お姉様…。


 君子危うきに近寄らずとばかりに、リュクセルはメイが眠りにつくまで側に近付くまいと決めた。
 それまで読書でもするつもりで窓辺にもたれ、膝上に本を開いてみたが、もちろん本の内容なんて一行も頭に入ってこない。

「ねぇ、リュー」
「なに?」
「黙ってないで、何か話してよ」
「駄目。読書中」
「けち」

 メイの方はといえば、枕元に用意した本をぱらぱらとめくっていたが、すぐに飽きてそれを放り出すと、マットレスの上に無造作に横になった。
 本を読むふりをしながら、リュクセルはメイを横目でそっと見た。
 パジャマ姿のメイなんて見慣れているはずなのに、今夜はいつもと少し違う気がする。
 白地に赤のパイピングを施したパジャマは、文句なしにメイに似合っていた。
 サイズが心持ち大き目なのか、動くたびに襟ぐりの隙間から胸元が見えそうになって、少年は慌てて目を逸らした。

「じゃ、その本読んできかせてよ」
「……先に延べた理由により主鏡には球面収差を補正した放物面鏡が一般的である。ここで問題となる色収差の補正方法については事項で述べる。代表的な性能値には以下がある。有効径、倍率、口径比、集光力、分解能、極限等級……」
「…ぐー」
 わざとらしく寝たふりをするメイ。

「ねえ、メイ」
「ん?」
 メイが目を閉じたまま返事をする。
「メイは僕のこと、どう思ってるの?」
「……どうって?」
「家族? たった一人の身内?」
「そうよ。いつもそう言ってるじゃない」
 メイの本当に家族は別にいる。彼女は自分の家族、いやそれだけではなく故郷、生まれた世界全体から切り離されてたった一人でこちら側にいる異邦人だ。
「……血は繋がってない」
「そうね。でも、それは問題じゃない。あたしはあんたが一番大事。それじゃ足りない?」
 足りない。
 思わず口が勝手に動いたが、声にはならなかった。

「……もう明かり消すよ」
 代わりに何とか紡いだ言葉は、からからに乾いた喉に引っかかって妙にひび割れて聞こえた。
「ええ〜? まだいいじゃん。もっと話、しよ」
「駄目。もう半分眠ってるくせに」
 呑気な抗議の声をあげる彼女を無視して灯を消すと、隣りに横になる。

 窓辺から室内に侵入する月光が、彼女を薄いベールのように包み込んでいた。
 白い光に浸された彼女は目を開けると、彼に向かってまぶしそうに微笑んだ。こういう時、この人は何もかも知っているんじゃないかと思う。彼の気持ちに気づいていてはぐらかしてるんじゃないか、と。そんな器用なことが出来る人じゃないとわかってはいるけれど。

「リュー?もう、寝ちゃった?」
「何、メイ?」
「ずっとそこにいてよ?どこにもいかないで」

 抱きしめてキスしたい。そんな単純な、しかし激しい衝動と戦ってねじ伏せる。
 彼女を困らせたくない。僕はまだほんの子供で。力も何もなく、ただ守られるばかりのガキでしかなくて。
 せめて見ていてあげる。眠る君を何も邪魔しないように。
 月の光がまぶしいなら、僕がこの手で君の瞼を覆ってあげる。
 そんなことしか僕には出来ないんだから――。
「おやすみ、メイ」


「つまり……昼間聞いた怪談が恐くて……それで一緒に寝ようなんて言い出したわけ!?」
 翌日、連れ立って街へ買い出しに行く途中で、しぶしぶ白状したメイの話を聞いてリュクセルは呆然とした。寝不足のせいで時々もれる生欠伸が恨めしい。
「だって。すっごく恐い話だったんだよ〜?」
 赤くなってむくれるメイは、いつものように憎らしいほど可愛い。
「……やっぱり襲うんだった」
「ん?何か言った?」
「……何でもない」
 何やら口の中でもごもご言っている少年にちょっと首をかしげてから、メイは晴れやかに笑った。
「リューが側にいてくれたから、よく眠れたよ。変な夢も見なかったし……」
「メイ、僕は……」
 いきなり立ち止まった少年に肩を引き寄せられてメイは沈黙した。
 リュクセルはしごく真面目な表情で顔を近づけ、彼女の耳元に口を寄せると、すっと息を吸い込んでから大声で言った。
「もうぜーったい、一緒になんか寝ないからね!」

――それでも、少年の受難の日々はまだ続く模様。



END.


★Presented by HENNA★1999/09/10★
★ for 松前杏子さま★




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