■ ■ 一緒に帰ろう


メイがその仔猫を見つけたのは偶然だった。王宮からの帰り途、いつも前を通る街路樹の根元に、小さな白いものがちらちらと動くのを見つけてつい足を止めたのだ。それは白地に薄茶のまだらのあるふわふわした毛のかたまりで、捕まえると両手にやっと余るくらいの大きさだった。
「まだ赤ちゃんじゃない、この子。可愛ーい!」
歓声をあげる少女に向かって仔猫は「にゃあ」と弱々しく鳴いて答えた。
「こんな小さいのに一人でいるの?お前、お母さんはどこ?」
周囲を見回しても、飼い主らしき人は見当たらない。仔猫の首には首輪もない。
「もう夕方だし、どんどん寒くなるのに、このまま外にいたら風邪をひいちゃうよ?」
ただでさえ最近は日が落ちるのが早い。少女も季節に合わせて衣がえし、この世界に来てからずっと着ていた制服ではなく、目のつんだ生地で作った紺色の「冬服」の上に小さなマントをまとっている。
「どうしようか?あんた、あたしと一緒に来る?
…あたしってば居候の身の上だから、あんたを連れて帰ってもいい顔されないだろうけど。」
メイは仔猫を腕に抱えるようにして、そっと抱きしめた。
「にゃぁっ」
抗議するような鳴き声に、自然と笑みがこぼれる。
「わー、あったかい…」

「何やってんだ、あいつは。」
夕暮れの大通り、研究院へ帰る道の途中で、キールは見覚えのある少女の後ろ姿を見かけた。
メイは道端に立ち止まり、熱心に自分の手の中の何かを覗き込んでいるように見えた。
見習い魔導士である彼女が院の門限に間に合おうとするなら、今この時間、この道を全力疾走していなければならないはずなのだが。
黒っぽい服装の少女の小さなシルエットは夕闇にまぎれて目立たない。家路を急ぐ人の波は、ぽつんと一人佇む少女に少しも注意を払わず置き去りにして通り過ぎて行く。
それなのに自分が彼女にすぐに気付いたこと、通りの反対側に立つ彼女の姿が目にまっすぐ飛び込んで来たことを、彼は少々不思議に思った。
そういえば、最近は研究院のどこにいても、まず彼女の声を耳が拾ってしまう。その姿を目が探し出してしまう――。
彼は元々他人への関心が薄い方だ。長ずるにつれてその傾向はますます高まり、夜になって思い返してもその日誰と会ってどんな会話を交わしたか思い出せないことがしばしばある程だった。だから、彼にとって、メイの存在はこれまでに経験したことのないもの、たぶん非常に珍しい「例外」に違いなかった。
――きっと、あいつがまた何かやらかすんじゃないかと無意識に警戒してるんだな。だからいつもあいつがどこにいるか確認せずにはいられないんだ。
彼はそう思った。
研究院に居座った「小型台風」としてすでにその名が定着してしまった少女。
彼の考える「常識」から十歩も百歩もずれた思考回路と、いっそ男らしいほどに思い切りの良い性格。さらに意外や意外――非凡といえるほどの魔法の才能。メイはそれらの持ちあわせフルにを駆使して(実際そうとしか思えない)「どうしたらこんなことが?」と呆れ返るような――それも「研究院の一棟を魔法で半壊」を一例とするバイオレンスな――事件を時折引き起こしては、その度に院の長老や王宮の皇太子に強い印象を与えていた。
そのしわ寄せは、彼女の「保護者」代わりの彼に当然のごとく巡ってくるわけで。
「全く、一体何をやってるんだ。」
彼はいまいましそうにもう一度呟くと、通りを突っ切って彼女の方に向かった。


「あたしも失敗しては怒られる毎日だからさ〜。ここにいたって何かの役に立つわけじゃないし。それでも生活費ってやつは人並みにかかってるし。
ただでさえ周りに迷惑かけてるのに、あんたを飼いたいなんて言えない…よねぇ。」
そう言って少女は幾分所帯じみたため息をついた。
「にゃあ」と仔猫が相づちを打つ。
「ごくつぶしは一人で充分だっ!って怒鳴られるかもしれないよ?ああ、でもそんなこと言われたらあたしきっとカッとして言い返しちゃうな。そんなに言うなら出ていってやるわよ!とかなんとか。
でもって、アイツもきっと売り言葉に買い言葉で、お前がいなくなれば研究も倍はかどる、どこへでも行け!……な〜んて。……どうせ面倒ばっかりかけてるわよ、あたしは!!」
誰との会話を想像しているのだろう。考えるうちに腹が立ってきたのか、メイは憤然として仔猫に訴えた。
「なにかって言うと研究研究、課題課題ってさ!うるさいったらないのよー!!」
「にゃああ!」
仔猫もさもありなん、という風に一声大きく鳴いた。
――何を往来で叫んでるんだ、あの馬鹿!
声を掛けそびれたまま少女の独り言を立ち聞きしてしまったキールは、しかし、少女の次の言葉を聞いて、怒鳴ろうとして開いた口をゆっくりと閉じた。

「でもさ…。考えてみればアイツって無愛想だけど――そりゃあもうアイツに比べたら鬼瓦の方がマシって位愛想ないけど!――別に冷たいヤツじゃないんだよねー。」
大声を出して少し落ち着いたのか、メイはため息をひとつつくと、抱いた仔猫をあやしながらまた話し出した。
「しゃかりきになって研究してるのもあたしを元の世界に返すためなんだし。
色々と口うるさいけど、何だかんだ言ってもあたしのこと心配してくれてる――らしいのは、わかってるんだ。顔を合わせると必ずケンカになっちゃうから本人に言ったことはないけど、その辺は感謝してるのよ、一応は。」
仔猫は静かにメイが話すのを聞いている。
「あたしもこの世界に突然放り出されて、アイツに拾われたようなもんだよね。でも、ちゃんと面倒見て貰ってる。一人ぼっちのあんたに愚痴なんて言ったらきっとバチが当るよね。」
「…メイ。」
「あ、だから、アイツにあんたのこと、こう言えばいいんだわ。」
「メイ。」
「一人拾うのも二人拾うのも大して変わらない…って…え?」
夢中になって仔猫に話し掛けていたメイは、やっと名前を呼ばれていることに気付いて振り向いた。
「き、キール!?」
「さっさと気付けよ。」
いつの間にかすぐ後ろに立っていた眼鏡の青年は、居丈高にそう言ってじろりとメイを睨んだ。
「い…いつからそこにいたのよ…」
噂の当人の登場に思わず知らず声が小さくなるメイだったが、キールはその質問には答えず、ちらりと自分の背後に視線を走らせながら言った。
「お前に用があるらしいぞ。」
「え…」
キールに促されてメイも気付いた。二人から少し離れたところに背の低い潅木の茂みがあり、そこに隠れるようにして、一匹の大きな白い猫が様子を伺うようにじっとこちらを見詰めていた。
「キール、あれって…」
「お前の捕まえてるチビと関係があるんじゃないか?」
メイははっとして腕の中の白い仔猫を見た。それから、威嚇するような鋭い視線を送ってくる茂みの中の白い猫とを、交互に見比べた。
「もしかして、あんたのかあさんなの?」
「にゃん!」
たらり、と冷や汗を額に浮かべつつメイが小声で尋ねると、仔猫は元気よくそう返事を返した。


「ごめんなさい!でも誤解だからね!あたし誘拐だなんて滅相もないことはちっとも…」
仔猫を無事に取りかえした母親猫は、ぺこぺこと自分に向かって頭を下げる少女に、ふんと鼻を鳴らして見せた。それから子供の首ねっこをくわえると、悠々と大通りを突っ切って路地の向こうに消えた。
「ああー、びっくりした〜。…寿命、縮んだかも。」
「大袈裟な奴。」
帰っていく親子を見送ってから、気が抜けたようにがくりと肩を落とした少女に、キールは呆れたように言った。
「でも、あの子、ちゃんとかあさんがいたんだね。…よかった。」
その時。小さくつぶやいた少女の顔に、ほんの一瞬だけ強い憧れの表情が――何かに飢えたような表情が浮かんだのを、キールは見逃さなかった。彼女自身にその意識はおそらくないに違いなかったが、それと同じ表情が、何かの拍子に時折彼女の顔を横切ることを、彼はよく見知っていたから。
彼は黙ったまま、おもむろに片手をあげてぽんぽん、と軽く少女の頭をたたいた。
「……?なんで叩くのよー」
メイはむっとしたようにそう言って、自分の頭を庇うように押さえた。キールはつかの間、少女の顔に浮かぶ表情を探るように見詰めていたが、すぐに興味を失ったように視線を彼女からはずした。そして背中を向け、歩き出した。
「ちょっと、キール!?」
慌てて呼びかけるメイの声に、青年はほんの一瞬足を止め、振り返りもせずに言った。
「早く来ないと置いてくぞ。」
「え?」
「もうとっくに門限を過ぎてる、って言っている。」
「あ……ああ〜〜〜!?」
突然、今の時間に思い至ったメイは大声をあげた。ばたばたと走ってキールに追いつく。
「どうしよう?門限のこと、すっかり忘れてた!」
「どうしてそういう大事なことをすぐ忘れるんだ、お前は。」
「だってー」
「仕方ない。今日は特別に一緒に帰ってやるよ。…俺と一緒なら、門から入れる。」
研究生としても破格の位置にいるキールには、見習いなんかよりもずっと多くの特権が与えられている。メイはほっとして肯いた。
「だいたいこんな時間までどこをほっつき歩いてたんだ?今日の課題はもちろん、終わってるんだろうな?」
――あちゃー。出たよ、課題終わったか攻撃が。
メイは心の中で舌を出したが、今日ばかりはごまかして逃げ出すわけにも行かない。一緒に帰らないと門から中に入れないのだ。
「あ、ははははは。それは、もー」
「ほー。それは楽しみだな。あとでしっかり報告に来いよ。」
「…はーーい」
「返事は短く。」
「はいっ!」
いつものごとくのやり取りをしつつ、青年の横に並んで帰り道をたどりながら、メイはこっそりと自分の頭に手をやってみた。
さっきキールに叩かれた場所。
あれはなんだか、嫌じゃなかった。むしろ、その逆で。
暖かくて甘い飲み物を飲んだ後のような、とても優しい、いい気分だった。
――もしかして、なぐさめてくれたの?
いつも通り、不機嫌そうに押し黙ったまま隣を歩く青年の横顔をちらと盗み見る。
――まさか…だよね。


「ねえ、キール。夕ご飯まだだよね?帰ったら食堂で一緒に食べない?」
「……。」
「お礼にあたしのおかず、半分ゆずってあげるからさ。」
「いらない。」
「えー?いいじゃん。ね?そうしよう?決ーめた!」
「勝手に決めるな。」


――覚えてろよ。
――忘れないよ。
春に初めて出会って、今は深まりゆく秋の季節。
一緒に歩けば歩いた分だけ
忘れられない思い出が増えていく。




END.




★Presented by HENNA★2000/11/16★
★ for Ms. Maki Hisakata@P.Cross★




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