■ ■ プレゼント


1月のとある夕方のこと。
「やっほー、イーリス!」
ぱたぱたと騒々しい足音と一緒に、冬服の少女が通りの向こうから駆けて来る。
魔法研究院のメイだ。腕に抱えた皮装の本が重いのか、ずり落としそうになるのを時々持ち直しつつ、彼の注意を惹こうと手を振り回している。器用なことだ。
冬の日が落ちるのは早い。その日の稼ぎを数え終え、いつもの仕事場である噴水の前を立ち去ろうとしていた吟遊詩人は、少女の姿を見てもう一度座り直した。
「こんにちは、メイ。」
「あー良かった、間に合って。」
走って来た少女は息を切らしながらそう言うと、彼の横の席にへたりこむように座った。ちなみにこの時、イーリスを遠巻きにして眺めていた娘達の集団にざわめきが起こったことに、二人とも気づきもしなかった。


「間に合うもなにも、もう店じまいの時間ですよ。」
「ごめんごめん。今度ゆっくり聞きに来るからさー。」
「そう言っておいて、最近ちっともいらっしゃらないじゃありませんか。お忙しいんですか?」
言葉が含むかすかな棘に少女が気づいたかどうか。彼女は屈託なく笑って舌を出してみせる。
「降誕祭に新年祭ってお祭りが続いたせいか、気を抜いたら課題が溜まっちゃってさ〜。しばらく外出禁止だったのよ。
今日は王宮の図書館で調べ物だったの…ってそんなことはどーでもいいのよ!
あたし、イーリスに聞きたいことがあるの!」
「はあ、なんでしょう?」
どうやら、また何か新しい遊びを思いついたらしい。興奮に顔を輝かせ、ずいっと身を乗り出してくる少女に、イーリスは密かに苦笑した。メイがこういう表情で話す時は、その内容がかなり突拍子もないことが多いのだ。もちろん当の本人はしごく真面目に言っているらしいのだが…。
全く、どう欲目に見てもただの騒がしい子供に過ぎなのに。
少女の怒ったり笑ったり素直な感情の起伏が、彼の固い水面のような心に徐々に小さなさざ波を立てつつある。そのことに嫌でも気づかざるを得ない。


「えっとね。イーリスが今一番欲しいものってなに?」
「?」
突然の質問に、イーリスは軽く目をしばたたかせた。
「あ、言っておくけど『大金が欲しい』とか『時間が欲しい』とかそういうのはナシね。ちゃんと手に持って触われるモノ、限定。あと、あんまり高価いものも却下。じゃないとあたしが買えな…う、げほげほ」
最後は失言だったのか、わざとらしい咳でごまかそうとする。全く見え透いている。
「欲しいものね…。別にこれといってないですよ。
最近はお天気も良いし、実入りの方もまあまあですし。誰かさんが顔を出さないから仕事をじゃまされることもありませんしねえ。」
当てこすりにメイは顔をしかめる。
「だから悪かったってば。そんなにイジワル言わなくたって…。ねえ、本当に何もないの?」
「そんなこと聞いてどうするつもりです?…まあ、しいて言えば。」
思い付いたように言うと、メイは案の定膝を乗り出してくる。
「え、なになに?」
「私は、身に付けるものが好きなんです。」
予想通りの反応に心の中でにんまりながら澄まし顔で説明すると、メイは得心したように肯く。
「アクセサリーとかだよね。うーん、いつも一杯つけてるよねー。
指輪もほとんど全部の指にしてるし、イヤリングもペンダントもだし…。似合ってるけど。」
「好きなものはいつも身に付けておく主義ですから。」
「こんなに持っててまだ欲しいんだ?」
「好きなものならいくら持っていても嬉しいものですよ。」
「好きなもの、かあ。イーリスの好みってキビシそう。
ねえ、今貰うとしたら、どんなのが欲しい?」
「そうですねえ。やはり貰うなら宝石がいいですね。」
「げっ、宝石?」
高いものは困るとはっきり顔に出す少女に、イーリスは当然、という風に微笑む。
「とても奇麗な宝石(いし)があって…ちょっと色目は変わっているし、固くて細工には向かないんですが、私は気に入ってるんですよ。
そばにあるだけで不思議と気持ちが落ち着くような気がします。
今持っている物を全部手放しても欲しいのですけど、ね。」
イーリスの台詞にメイは目を丸くした。
「へえ、そんなに気に入ってるんだ。何ていう宝石なの?」
「メイ。」
「ん?なあに?」
呼ばれた思って返事をするメイに、イーリスは身を屈めて少女の耳元でささやいた。
「メイ、というんですよ。その宝石の名前。変わった名前でしょう?」
「…イーリス!?」
急に抱き寄せられてメイが慌てた声をあげる。彼女がバサバサと持っていた本を取り落としても、捕らえた腕は少しも動じない。
「からかうの、やめてよ」
「からかってなど。欲しいものを聞かれたから正直に答えたんでしょう?
ちゃんと『手で持って触われるモノ』ですしね。」
「冗談でも怒るよ?」
「冗談でなく欲しい、と言ったら大人しく貰われて下さるんですか?」
「〜〜〜なんでそうなるのよ〜〜!」
顔を真っ赤にしてじたばた暴れる少女の頭に軽く口付ける。
「どんな日だって、あなたがいなければ特別でもなんでもありません。
逆にあなたがそばにいてくれれば、その日一日は私にとって光輝いて感じられる。
私にとって一番のプレゼントはあなたですよ、メイ。」
それだけ言って名残惜しく思いつつも解放してやると、少女は驚くべきスピードで落とした本を拾い上げ、ほとんど飛びすさるようにして彼の腕から逃れた。
――おやおや。嫌われてしまったかな。
そう思って見ていると、少女はやおら腰に手をあてて彼を睨みつけた。
「やっぱり本人に聞くなんて、止めておけばよかった。
いい?あたしが最初にイーリスにお誕生日のプレゼントをあげるって決めたの。
だからプレゼントもあたしが選ぶんだから!」
「…はあ、光栄です。」
少女の剣幕に押されて、つい間の抜けた返答をしてしまうイーリスであった。
「わかったら首を洗って待ってるように!いーわね!?」
どこかずれた啖呵を切ると、メイは踵を返して、やはりパタパタと足音高く帰っていくのだった。それでも、帰る前には一言ぽつりと、
「あ、明日も来るから…。」
と小声で付け加えたのを、吟遊詩人の敏い耳は聞き逃さなかったのだが。


「…本当に、負けず嫌いなんですよねえ。」
メイの後ろ姿を見送りながら、心底おかしそうに呟く彼の姿に、遠巻きにして見ていた娘達の一団が一人残らず悔し涙を流したことを、これまた全然気づかない二人なのだった。


おわり




★Presented by HENNA ★2000/07/07★
★ for Ms. なな@Lover's Room★



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