■ ■ たったひとつの冴えたやり方


「リュクセルさまー!」
一人の少女が大声で呼びながら、ゆっくりと斜面を下っていく。
襟元のつまった黒のワンピースに糊のきいたエプロン、 そして真っ白な三つ折りの靴下にやはり黒いエナメル靴――― 少しばかり時代錯誤な格好が、やや幼い顔立ちの少女にはよく似合っていた。
子供っぽく見えるがこれでも今年で18歳。肩の線で切り揃えられた栗色の髪をトレードマークの白いレースのカチューシャできりりとまとめている。
足元に注意しつつ少女は雑草に覆われた土手を降りた。下は草地になっており、目の前を細い小川が流れている。

「リュクセル坊ちゃまー、どこー?」
もう一度呼ぶが答えはない。
それでも別に気落ちした風もなく、自信に満ちた足取りで川沿いにの小道を歩いて行くと、少女は大きな松の木の下で立ち止まった。曲がりくねった太い枝が川に向かって張り出している。
「もう、やっぱりいるんじゃない。返事くらいしなさいよね!」
少女が下から大声で呼びかけると、先程から枝の上に寝そべっていた人影が起き上がり、彼女を見下ろした。
「言ったでしょ、メイ? その呼び方には返事しないって。」
「だぁーって、仕方ないじゃない。誰が聞いてるかわかんないんだし。」
「知らない。」
ぷい、と横を向いてしまう少年に、メイは苦笑した。
彼は口数が少なくてあまり感情を表に出す方ではないが、そのくせ頑固で言い出すときかない。甘やかさないように厳しく接しようとしても、いつも折れてしまうのは彼女の方だった。
「もう、早くそこから降りてきてよ。皆様お待ちなんだから。ねえ、……リューったら!」
いつもの愛称で呼ばれたとたん少年は、おもむろに枝の上に立ちあがり身軽な動作で目の前へ飛び降りてきたのでメイはどきっとした。
「もう……びっくりさせないで!……あ〜あ、黒い服のままで木登りなんてして。
しょうがないな、着替えてる暇ないよ?」
口煩くいいながら少年の体についた小枝や枯れ草を払ってやる。

少年の名はリュクセル=フォン=ブラウエン。名門ブラウエン家の若き当主である。
少女の名はメイ=フジワラ。少年の家に住み込みでメイドとして働いている。
家族もなく素性もはっきりしないメイを、少年の父親であるヘル=ブラウエンがなぜかいたく気に入り、母親を亡くした少年のお守り役も兼ねて雇ったのがかれこれ三年前である。
「できるだけ家族のように接してやって欲しい」という父親の頼みもあって、メイは少年にとっては実の姉のような存在となった。
だからいつもは彼に対して敬語なぞ使わないのだが、少年の親戚縁者が大勢集まっている今日はそういうわけにもいかない。
昨日そう彼に話して、しばらくは「様」付けで呼ぶことにする、と宣言したメイを、リュクセルは
「絶対にいやだ」
と突っぱねたのだった。

「これでよしっ!」
ぽんぽん、と少年の服を芝居じみた手つきではたくと、メイはそのまま両手を彼の肩にのせて腰を軽く落とし、視線を少年と同じ高さにした。
「大丈夫? いけそう?」
心配そうなメイの表情に、リュクセルは生真面目に肯く。
「メイこそ。ここんとこあんまり寝てないでしょ。大丈夫なの?」
「あたしは平気よ。鍛え方が違うもん。」
「そうじゃなくてさ……」
上手く言えそうになくて少年は黙った。心配なのは体よりも心の方。
あの日から一滴の涙も見せず気丈に自分を励ましてくれるメイが、彼としては非常に気がかりだった。
(でもそう言えば、心配かけまいとしてもっと明るく振る舞うに決まってる)
そんなメイの姿を見るのは辛い。
「……」
結局彼は何も言わず、メイの手をとると、引っ張るようにして屋敷へ戻り始めた。
「こらこら、そんなに引っ張らないでよ。もー!」
文句を言いながらメイは笑ってついて来る。
(ああ、いい人なんだけど、鈍いんだよな、メイは。
僕の気持ちなんかちっともわかってくれやしない)
そう思ってリュクセルは密かにため息をついた。

少年の父であるヘル=ブラウエンが一ヶ月前に亡くなった。
元気だった彼は仕事中に突然倒れ、そのまま帰らぬ人となった。
あまりのことにあっけにとられている間に、葬式が出され弔問客が山ほど来て、メイもリュクセルも忙しさに悲しんでいる暇などないほどだった。
そして今日、彼の親戚が集まって話し合うというのだ。彼の今後の身の振り方を。

自分の手を引っ張るようにすたすたと歩いて行く後ろ姿を見て、メイもそっとため息をついた。
少年の父親に可愛がられ、屋敷のほかの雇い人達とも仲良くなって、本当に幸せな三年間だった。そして何よりもこの少年の存在が、彼女にとって大きい。
出会ったときは内気で人見知りの激しい子供だったが、今年でもう13歳だ。
背も伸びたし随分しっかりしてきた。見かけも年齢よりも大人びているし、頭も良い。
議論をすると負けるのはいつもメイの方だ。
あまり感情を出さないので冷たい性格と誤解されやすいが、本当は優しい子なのだ。
今回のことだって、どんなに辛いかしれないのに、自分のことよりも周囲の人間を気遣っている。
行く末が楽しみなような恐いような、そんな少年だ。
漆黒の髪、両目色違いの虹彩を持つ彼はエキゾチックな魅力の青年に成長するだろう。
そして、その時彼の隣りにいるのは……。
(なに考えてるんだろ、あたしったら)
メイはぶんぶんと頭を振った。
今日の親族会議で少年の未来が決まる。未成年の彼は親戚の誰かに引き取られるだろう。
少年の相続する莫大な財産のことを思えば、彼を望む人間はごまんといるに違いない。
(お別れか……。まあ遅かれ早かれこういうことになるとは思ってたけどね。)
なまじ一緒にいて、彼が他の女のものになるのを見なきゃならないよりはいいのかも。
(今日の夜、黙ってお屋敷を出よう。決心が鈍らないうちに。
これ以上、好きにならないうちに……)


□ ■ □


「何で?何で一つしかダメなのよ?」
「ミス・フジワラ。そういうご遺言なのです。」
「納得いかない!ヘル=ブラウエンがそんなこと言うわけないじゃん!」
いきり立つメイド服姿の少女に対して、困ったように言葉を返すのは亡き元当主の長年の友人でもあった弁護士の老人である。
「確かに彼から預かりました。遺言書としては有意なものです。間違いありません。」
「でも……!」
「まぁまぁ、嬢ちゃん。」
面白そうに声をかけるのは、長身・長髪の青年。シオン=カイナスという、ヘル=ブラウエンの甥にあたる男だ。
「黙って最後まで聞こうや。」
「そうですね。それが兄の遺言なら無視できないと思いますわ。どちらかというと、この方がどうしてここにいるかってことの方が疑問じゃありませんこと?」
そう言って優雅な仕草で手を口元に当て、ほほ、と笑う女をメイはねめつけた。
彼女はマダム=エルディーア。ヘル=ブラウエンの実の妹である。
「それは、最初に申し上げた通り、遺言の一部です。この遺言を公開する際には、友人メイ=フジワラ嬢を同席させること。」
弁護士が読み上げる。
「おおっ!いいねぇ。メイドの友人か。俺も一人欲しいな。どお、あんた俺んとこ来ない?」
「シオン…下品ですわ。」
「お前の守備範囲の広さには脱帽だよ、シオン。」
どうやら遊び人らしい青年の軽口に、周囲から次々と非難の声があがる。
メイは怒りに顔を赤くして言い返そうとしたが、とっさに彼女とシオンの間にリュクセルが割り込んだ。少年は背中にメイを守るような態勢でシオンを睨むと、ぽつりと言った。
「話しの続きを。」

ここはお屋敷の中の応接室。
親族会議の場で、突然「ヘル=ブラウエンの遺言」が公開されることになり、メイとリュクセル以外の人々は一同興味深々な様子である。
しかし、その遺言の内容とは……。

「では、もう一度申し上げます。ヘル=ブラウエンのご遺言は
『自分の全ての財産のうち、一つだけを息子リュクセルに与える。』
となっております。」
「一つだけってどういう意味ですの?」
質問するのは、先程シオンをたしなめた娘。年頃はメイとさしてかわらなさそうなこの娘はディアーナといって、リュクセルのはとこにあたるらしい。
「この屋敷、土地、株式などの有価証券、現金、そして数多く所有している法人関係などですな。
すべてリスト化されて添付されておりますので、そこから一つ選んでいただけます。」
「それは、信じがたいな。」
今度は、ディアーナの横にいた青年が驚いたような声をあげる。ディアーナの兄のセイリオス=アル=サークリッドである。
「本当にその中から一つだけ、というのかい?」
「はい、ミスタ=サークリッド。」
部屋に沈黙がおりた。確かにブラウエンの財産のどれひとつをとっても大変な価値がある。
が、「一つだけしか相続できない」というのはどう考えてもリュクセルに不利ではないか。
父親であるヘル=ブラウエンの真意が量りかねる。
それでも、リュクセルを思って抗議の声をあげたのはメイ一人だった。
(まあ、彼もまだ未成年だし。)
(引き取って親身になって世話してさしあげればよろしいのですわ。)
(するとやはり、残りの財産は。)
(次の相続人候補は、やはり実の妹よね♪)
海千山千の親戚達は、密かに胸算用に余念がないらしい。

「わかった。一つ選べばいいんだね。」
静かにそう言ってリストを眺めだした少年に、メイはぎょっとした。
「ちょ、ちょっとリュクセル!こんな遺言に従うことないわよ!」
「でも、父さんの決めたことなら、守らなきゃ。」
そう言いながらも、リュクセルは、何もかもがふわふわとして現実感のない不思議な感覚に襲われていた。
今ここで自分の将来が決まるという緊迫感がまるで感じられない。
放っておくと爆発して親戚と大喧嘩をやりかねないメイを牽制するつもりで選ぶと言ってみたものの、この後どうしたら良いかわからなくなってしまった。
しかたなくリストをぱらぱらめくっていた彼は
「…あれ?…」
ある項目に気づいて声をあげた。
(これは……もしかして)
「あの、これ。」
リュクセルの指す先を見て、弁護士は訝しげな顔をした。
「それは、財産は財産でもマイナスの財産、つまり負債のリストですよ。
あなたのお父様が契約してまだ契約料が支払われていないものです。
まあ微々たる金額ですからお気にされることはありません。」
「この内の一つを相続することは出来ますか?」
「それは出来ますが…リュクセルさん、これは負債、つまり借金と同じことなのですよ。」
「わかってます。でも、僕は父から一つだけ相続するとしたらこれがいい。
他には考えられません。」
きっぱりと言い切るリュクセルに、集まった人々はどよめいた。
メイは交わされている会話が理解できずに、リュクセルと弁護士の顔を交互に見ている。
老弁護士は、リュクセルが指した項目をしばらくじっと見詰めた後、にっこりした。
「リュクセルさんがおっしゃりたいのは、つまりこういうことですね。
お父様であるヘル=ブラウエンの全財産の中から相続対象として貴方がお選びになったのは、メイ=フジワラ嬢との雇用契約です。」
「な、ななな何ですって?リュクセル!?」
焦るメイに、リュクセルは落ち着き払って答えた。
「聞こえなかった?」
「ちゃんと聞こえたわよっ!どういうつもりかってきいてるの!」
「メイは父さんと一年単位で契約してた。僕がこの契約書をもらえば、契約は続行するから、少なくとも今年が終わるまでメイはここから出て行けない。…ですよね?」
「そうなりますね。」
少年に老弁護士が肯くが、メイは納得しない。
「だって、おじさん、そんなこと…通るはずないわよ。違う?」
おじさん、と呼ばれたことにいささかムッとしながらも弁護士氏が答える。
「法律的には問題ありません。」
「そんなぁ…!」
「メイ、僕は。」
絶句するメイに、静かな声で少年が告げた。その表情は真剣そのものだ。
「他のことは本当にどうでもいい。
僕がメイを雇えば、メイはどこにも行かずにそばにいてくれるでしょ?
僕はメイがいればいい。他にはなにもいらない。」
シオンがひゅーっと長い口笛を吹いたが周囲から完全に黙殺された。
「あんたは自分の言ってること、わかってない!」
「子供だからって何もわからないわけじゃない。自分が欲しいものくらいわかってる。」
「〜〜〜〜!」
メイは顔を真っ赤にしてさらに抗議しようとしたが次の台詞が出て来ずに口をぱくぱくさせた。
目を丸くして二人のやりとりを見守っていたディアーナはそっと傍らの兄にささやいた。
「…お兄様、これってもしかして痴話喧嘩というものじゃありません?」
「プロポーズともいうんじゃないか?…しぃっ!ディアーナ、弁護士氏の話の続きを聞こう。」

セイリオスに促され、弁護士はこほん、と咳払いを一つして話し出した。
「それでは、ご遺言の次の条項に移らせていただきます。」
「あら、まだあるんですの?」
驚くエルディーアに、弁護士は軽く会釈する。
「はい。リュクセルさんがお選びになった後に発表するように、という指示でしたので。
ええ、では読ませていただきますよ。
『リュクセルが選んだものを除く全財産の半分を、親しい友人であったメイ=フジワラ嬢に贈る。彼女は我が家に明るい光をもたらしてくれた。その全てに感謝をこめて。』」
「ええええ?」
「まさか!?」
今度こそ、その場は大騒ぎになった。怒って弁護士に詰め寄る者。信じられずに何度も遺言状を読み直す者。
さすがのリュクセルもこれには唖然とした。
「…父さん…?」
――父さん、もしかして僕が何を選ぶかわかってたんじゃ…。

「ふ…ふえ…」
突然、メイが顔をくしゃくしゃに歪めたかと思うと、堰を切ったように泣き出した。
「ふえ〜〜ん…ヘル=ブラウエンの馬鹿ぁ〜!」
「メイ…」
リュクセルがそっとメイの肩を抱くと、メイは少年にすがり付くようにして、おいおい泣いた。
「そ…んなことしたって…嬉しくなんかないっ…! 死んじゃったらどうしようもないじゃないっ!」
「メイ、泣かないで。」
「なんで死んじゃったのよぉ〜〜!」
「……」
小さな子供をあやすように、リュクセルは泣きじゃくるメイの背中をさすり続けた。


□ ■ □


「リュクセルさまー!」
一人の娘が大声で呼びながら、川辺への斜面を下っていく。
陽射しを浴びてきらきらと光る川面を眩しそうに手をかざして一瞥すると、彼女は踏みならされた小道をのんびりと歩いて行った。
「リュクセル坊ちゃまー、いるー?」
少年のお気に入りの場所にたどり着くと、いつものように樹上に向かって声をかける。
「メイ、だからその呼び方やめてよ。」
「却下。だってあんたはあたしの雇い主だもーん。」
楽しそうに言い返す彼女の姿を見て、リュクセルは重々しくため息をついた。
「ねえ、いいかげんにその格好もやめてほしい。」
「どおして?」
両手を腰にして彼を見上げるメイは、ばりばりのメイド姿である。

リュクセルの突拍子もない選択に周囲は猛反対したが、故人の遺言を最大限に尊重すべきという意見もあり、メイが少年の後見人におさまることで落ち着いた。
メイに贈られた莫大な遺産を、彼女は放棄しようとしたが、これは少年が断固反対した。
結局メイがリュクセルが成人するまでの管財人となり、本来の相続人である少年が成人した暁には彼の判断に任せようということになった。
メイはメイで、「メイド」としての雇用契約書をきちんと作って少年に渡した。
自分の意志を曲げない頑固な少年へのささやかな意趣返し、というつもりもあった。

(全く、全部自分の思い通りにしちゃうんだから、大した子よね)
メイは思い返して苦笑いした。もちろん彼女自身も、本気で彼を置いて出て行く気ならいつだって出来た。それをしなかったのは、やはり…。
あの日、メイが泣き止まないので親族会議は解散となった。
彼女の深い悲しみを見て、なんとなくばつが悪くなった親戚達は、ぶつぶつ文句を言いながらも意外に素直に帰っていった。
ただ、あのシオンだけは
「やっぱ、声のでかい女っていいよなー。坊主、お前なかなか女を見る目があるぜ。」
などと戯れ言を言い、女性陣から総すかんを食っていたが……。

――あの日、どうにも涙が止まらなくて、泣いて泣いて、頭の中が真っ白になるほど泣いたあと、少年にしがみついたまま眠った。
そして目が覚めた時の安らかな気持ち。自分の居場所を初めて見つけたような感覚。
それを信じてみようという気になったたのだ。

「この服脱がせたいなら、早く大人になってよね♪」
「え?今なんて言ったの、メイ?」
「なんでもなーい!お昼にするから、早く戻っておいでねー。」
「あ、なんだよ。待って。」
リュクセルは慌てて木から降り、くるりと背を向けて屋敷に戻ろうとするメイを追いかけた。
すぐに追いついた彼は、後ろから手を伸ばしてメイの手をとった。
「一緒に行こう!」


一緒に歩くことにした二人。
まだ少し彼女の方が背が高いけれど、彼もすぐに追いつくと思う。
何よりも二人一緒が楽しいし、幸せ。
そんな二人の後ろ姿に、そよ風が祝福の歌を贈った。





END.



*-- 言い訳 --*
某有名SF小説とは何の関係もないお話でごめんなさい(汗)。
海千山千の親族として登場くださった皆様、ごめんなさい(滝汗)。
あと、法律云々の部分は全くの出鱈目ですので、念のため(^^;;




★Presented by HENNA★1999/08/31★
★ for Ms. りよん@峠の茶屋 (Mei Maid Festival協賛品)★




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