■ ■  ターニング・ポイント


「ただいまー。今帰ったぞー。」
騒々しい声とともにばたん、と玄関のドアが開き、声の主が入ってきた。
時計を見ると深夜をちょっと回ったところ。
僕はため息をついて読みかけの本にしおりをはさんだ。
といっても、彼女を待つ間読もうと思って開いた本は結局1ページも進んでいない。
「メイ、遅い。」
「ごめんごめん、ちょーっち、残業。ふーっ寒いーっ。」
メイは濃紺のコートを脱ぐと、なにやらばたばたとはらっている。
「うわっ、雪まみれじゃない。どうしたの。馬車に乗らなかったの?」
「んー、ちょうど出たとこでさ。次の馬車まで半刻もあるんだよー。歩いてきちゃった。」
「ばっか。なにやってんの、風邪ひくよ。風呂わいてるから早く入って。」
「へいへい。」

「ねーねー、タオルとってくれるー?」
メイの声。僕はうんざりして、またも本にしおりをはさんだ。
タオルをもってバスルームに行くと、ドアの隙間から出した手をぶんぶんと手を振りまわしている。
「おっ、サンキュ!!」
タオルをつかんだ手はドアの向こうに引っ込んだ。
いい年して一挙一動に女らしいところがかけらもないんだよな。ため息が出てしまう。

やー、生き返るなどといいながら、部屋着に着替えた彼女がキッチンに入ってきた。
「何か、食べる?」
「いいよ、気ぃ使わないで。もう遅いもんね。」
といいながら彼女はキッチンの椅子に腰掛ける。すぐ寝るつもりはないらしい。
「だめだよ、何か胃にいれないと。体に悪い。」
「じゃ、ミルク。あったかいの。」
「了解。」
小なべにミルクを入れて火にかける。そうだ、クラッカーの残りがあったっけ。
「最近、遅いね。」
火加減を調節しながら、さりげなく聞いてみる。
「そーなのよ。新年祭の準備にこき使われてんのよ、気の毒なお姉さまは。
シオンのやつ、めんどくさい仕事はみんな押し付けるのよねー。」
大変だよ、ほんと、とぼやきながら、口調は結構楽しそうだ。
僕はムッとする。この一週間というもの、彼女は夕食の時間に間に合ったことがない。


僕は6つ年上の姉であるメイと2人暮らしだ。
僕は学生の身の上であり、今のところ生計は宮廷魔導士であるメイの給料でまかなっている。
彼女は魔導士としては王宮でもなかなかのものらしい。
筆頭は彼女の上司であるシオンだが、セカンドは彼女じゃないか、という噂なんだ。普段うちでぐうたらしている彼女を見慣れている僕にとっては、とうてい信じがたい事実だ。
我が家では料理・洗濯など家事全般は僕の担当だ。
元々がさつでおおざっぱな性格のメイは、家事の腕前に関しては僕にてんで及ばない。

僕らはお互いを除けば天涯孤独の身の上だ。
僕は小さいときに両親を亡くした。
彼女は両親と死別したわけじゃなく、訳あってただ一人この国に連れてこられた異邦人だ。
つまり、僕らに血のつながりはない。

メイはいつもの調子で、今日王宮であったことを面白おかしく脚色して話し始める。
適当にあいづちを打ちながら、僕は話を聞いているふりをする。

いつからだろう、彼女と2人でいるこんなふとした瞬間に、しびれるような胸のうずきを感じるようになったのは。
それは、苦しい、それでいてどこかあまやかな痛みを伴って僕の身の内側を食い荒らすかのようで。

「はい、できたよ。」
温めたミルクに少しだけブランデーを注いで置いてやると、メイはにっこりほほえんだ。
「ありがと、リュー」
僕をリューと呼ぶのは彼女だけだ。
その、ちょっと笑いを含んだような、はにかむような彼女の声が、僕は好きだ。僕はまたあのうずくような痛みを感じて、そっと胸を押さえた。


温かい飲み物をすすりながら、メイは目の前の少年を眺めやった。
あれから5年か・・・よくこんなに育ったものよね。
初めて会ったときはまだ10歳のガキだった。
そのころ彼は、彼の後見人である老人と2人で、人里離れた森の奥の古い館で暮らしていた。ある日森のはずれでひとり遊ぶ彼と偶然に出会った。
なぜか彼はメイになついた。最初は警戒していた老人も、やがてメイを友人とみなし、彼らの境遇について語ってくれるようになった。
そして、突然の老人の死。
かけつけた彼女が驚いたことに、老人は彼女宛の遺言を残していた。
少年をよろしくたのむ。できるならば、私の養女となり、少年の身内となってやってほしい。少々の遺産と館の処分は一切彼女にまかせる、と。

なぜ、そんな遺言に従うのかと、周囲の者は皆いぶかしんだが、自分にとっては当然に思えた。
少年と約束したから。いつも一緒にいてあげる、と。
少年は、この異世界にたったひとりぼっちの異邦人であった彼女が、はじめて得た「家族」だった。

それからは大変だった。館を売り、街中に2人で暮らす部屋を借りた。
少年のための遺産に出来るだけ手をつけたくなかったので、働くことにした。
幸い、王宮付きの魔導士が人手不足だったので、なんとか職を手に入れた。
シオンの直属の部下、というのが気に入らない点ではあるが、今の職にはまずまず満足している。
「お前さんは殺しても死なないからな。安心してこき使えるよ。」
とは上司のありがたいお言葉。

あれから5年。
森から一歩も外に出ず、死んだ母親の形見の骨董品に囲まれて暮らしていた少年を、自分は無理矢理外に引き摺り出した。
最初は街になじまず、外で他の子供たち泣かされて帰ってきたり、反抗して家出したりとさんざん手を焼かされた。が、そこは子供のこと、やがて同い年の友達ができ、徐々に周りに慣れていった。
最近ではずいぶん大人っぽくなってきたように思う。背ものびた。声変わりもした。時々彼の端正な横顔に見ほれている自分に気づいてはっとすることがある。

「僕の顔になにかついてる?」
いつのまにか、まじまじと見つめてしまっていたらしい。少年の不機嫌そうな声にメイは我に返った。
「えっ・・・いやいや。じゃなくて。大きくなったよね、リューも。」
「最近、2,3日おきに言ってない?それ。」
「そうかな・・・じゃ、2,3日おきに大きくなってるんだ、きっと。」
「なに言ってんだか。」
「風呂も満足に一人で入れないお坊ちゃま君だったのにさ。いまじゃ家事全般オールマイティーだもんね。偉い偉い。」
「別に好きでこうなったわけじゃないぞ。メイが下手だから僕がやるしかないんだろ。」
「・・・ミルクごちそうさま。さーって、明日も早いし、寝ますかね。」
「ごまかしたな。」
「口も達者になったこと。ほとんどしゃべらない子だったのよ、あんたって。」
「覚えてないよ、昔のことなんて。」
少年は、ぷいっと横を向く。そのしぐさが可愛らしくて、ついかまっちゃうんだよね。
くすくす笑いながら、メイは両腕をのばし、少年を引き寄せる。
「ななな、なにすんだよ!?」
真っ赤になって離れようともがく少年をはがいじめにしながら言う。
「冷たいなー。昔はお姉ちゃん、とかいって甘えてきたのに、最近じゃ呼び捨てだもの。お姉ちゃん、っていいな。ほれ。」
「やめろよー。離せよー。」
「冷たーい!!じゃー、ほっぺにチューは?おやすみのキスしてくんなきゃ。」


いきなり何言い出すんだ、この女は。
僕は心底悲しくなった。悲しみを通り越して、怒りすら覚える。
僕はなんでこんな能天気な女のために、あたふたしなきゃなんないんだ?
帰りが遅いとなれば心配で眠れないから起きて待ってる。
朝は僕が起こしてやらさなきゃ毎日絶対遅刻してる。
しかも、弁当まで作ってやってるんだ、僕は。
その上、昼間はその辺の頭の悪そうな若い男どもから、
「君の姉さんには誰か好きなやついるのかい?」
とか
「おまえの姉ちゃん、最近きれいになったよなー。」
とか、なんで言われなきゃなんないんだ?
あまつさえ、この間は王女様にまでこんなことを言われた。彼女のご婚礼のお祝いに、メイに連れられて王宮へあがった時、退出しようとする僕だけを引き止めてのお言葉だった。
「リュクセル、あんまりメイに心配かけちゃだめですわよ。
メイは、あれで結構モテるのに、あなたが成人するまでは心配でお嫁になんか行けないって言ってますのよ。」

「くそっ!!あったま来た!!」
突然僕が大声を出したので、メイはぱっと僕を離した。
「・・・リュー、怒ったの?」
おずおずと聞いてくる。椅子に座った姿勢から、上目使いに僕を見る表情は、まるでしかられた小犬みたいで、僕は思わず吹き出してしまう。
「何よ、気味の悪い子ねー」
「ねぇ、メイ。」
今度は僕の方から手を伸ばして、メイの両手をとり、引っ張って椅子から立たせる。僕の視線は、正面にいぶかしげな表情のまま立ったメイの視線とまともにぶつかった。
「メイ、僕の背、のびたでしょ。春までにはメイを追い越すよ、きっと。」
「そうかもね。」
メイの手をつかんだまま、右腕を外に向かってぐっと伸ばしてみる。
「痛いよ、リュー」
メイが顔をしかめた。
「僕の方が腕が長いんだよ。肩幅も、僕のが広い。」
「・・・そうかも。」
「メイ、僕は来年で16だよ。その次の4月で成人になる。」
「知ってるわ。」
「そしたら、メイは嫁に行く?」
「・・・」
「ディアーナ様が言ってた。メイは僕が成人するまで嫁に行けないって。」
・・・あいつ、よけーなことを、とかなんとか、メイが不敬な言葉をつぶやく。

隙を見てちょっと引っ張ると、メイは体勢を崩し、僕の腕の中に倒れ込んできた。そこをぎゅっと抱きしめてしまう。
メイはぎゃっと声をあげ、逃げようともがいたが、難なく押え込んでしまう。
なんだ、こんなに簡単なことだったのか。僕はちょっと拍子抜けした気分だった。
「リュー、離して。」
「やだよ。」
ふふん、形勢逆転だ。メイはしばらくじたばたしたが、思うように力が入らないらしい。ブランデーが効いたのかな?これはラッキーかも。
「嫁に行くの?誰かメイにプロポーズした?」
「・・・デマだからね、それ。」
「そう?」
「・・・そうよ。もう、いいでしょ。離して。冗談じゃなく、殴るわよ?」
「メイ、ケンカも、もうメイには負けないよ。メイに勝つためだけに鍛えたんだから。」
彼女の顔を覗き込み、睨み返してくる視線を受け止める。
最初に目をそらしたのは、メイだった。
メイは耳まで真っ赤だった。

それがあまり可愛かったので、顔をそっと近づけて、唇にキスした。


「ななな、なにすんの!?」
「おやすみのキス・・・ね、メイの魔法も恐くない。だってこうしちゃえば詠唱ができないじゃない。」
もう一度、キス。


頭が真っ白になった。何も考えられない。
唇に押し当てられたやわらかなものが、しばらくしてそっと離れた。
はっと我に返ると、少年はすたすたとキッチンを後にするところだ。
メイは阿呆みたいにつっ立ている自分にやっと気がついた。

「!!!リュクセル〜っっ!!!」
少年はキッチンの入り口で立ち止まり、くるりと振り向いた。
にっこりとメイに笑いかけ、そして高らかに宣言した。
「じゃあね、メイ、僕がするから。」
「・・・」
「僕がメイにプロポーズする。成人したら。」
「・・・」
「それまで待ってること。いいね?それから。」
「・・・」
「今後、酔っ払って僕のベッドに乱入したりしないように。襲うから。以上。」

少年は意気揚々と自分の寝室に引き上げていった。

後に残されたメイは、しばらく呆然と少年のいなくなった空間を見つめていた
が、やがて気が抜けたようにペタンとキッチンの床にへたりこんでしまった。


自分の気持ちに気づいてしまったら、もう後戻りはできない。
待ってて、僕はすぐに大人になる。
大人になって、君を守る。大人のキスをして、片時もそばから離さない。
僕だけが君を愛してる。




END.


★Presented by HENNA★1999/01/02★
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