■ ■ Milk-holic


「ねえ、あたしにもそれちょうだい!」
遅い夕食の後、取って置きのリキュールを楽しんでいたシオンは、差し出されたおおぶりのマグカップを疑わしそうに睨め付けて言った。
「おいおい、いつの間にそんなに飲むようになったんだ?」
「やだ、少しでいいんだよ?」
なるほど。鼻先に持って来られてわかったのだが、カップには暖められたミルクがなみなみと入っていた。ハチミツが加えてあるらしく、漂う湯気はほんのりと甘く香っている。


「なにをごそごそやってるかと思えば。それも自分の分だけ作ったのかよ。」
ぶつぶつ言いながら、ねだられるままミルクに酒をたらしてやる。
「作ってあげたって飲まないクセに。」
カップを抱えたまま彼の隣に陣取ったメイはふふん、と鼻先で笑うと、楽しそうにミルクをスプーンでかき混ぜ出した。
彼女は、寝間着代わりに彼のパジャマの上着だけを借りて着込んでいる。
湯上がりのさっぱりした横顔。ソファの上であぐらをかくように座るので、上着のすそから形の良い脚が伸びて、なかなかになまめかしい眺めだ。
しかし――嬉しそうにミルクを飲む女に手を出すなんてのは、母親の乳を吸う赤ん坊を邪魔するのと同じようなもんじゃないか?
ちょっと想像してみてもサマにならないことこの上ない。
毒気を抜かれた彼は、飲む手を休めて傍らの少女を観察することにした。


「いいにおい!うーん、ちょっと大人の香りよね〜」
カップから立ち上る強く甘い芳香に少女の頬がほんのりと紅色に染まる。
「なーにが大人なんだか。早く一緒に酒を飲めるようになってくれよな。」
「こっちの方がおいしいもん。」
「…コドモ」
「うっさいわね!」
彼のからかいの言葉を取り合いもせず、メイは少し眉をひそめてカップの中の液体を二口、三口すすった。
それから、目を細めてカップを大きく傾けると、いかにもうまそうに残りを一気に飲み干した。
のけぞる形になる首から鎖骨、胸元へのラインが白く目を射て――彼は無意識にごくり、と唾を飲んだ。


「ぷっはー、うんまいっ!」
「お、嬢ちゃん案外いける口だな。もう一杯いくか?」
「あのさ、シオンって時々すっっっごく!」
「何だ?」
「オヤジくさいよね。」
「うるせーよ」
十も年下の恋人にそう言われればぐうの音も出ない。
彼は片手で酒瓶を取り上げると、自分用にさらに一杯つぎ足した。
「あはは。拗ねない、拗ねない。」
メイは悪戯っぽく笑うと、ぽすん、と頭を彼の肩にもたせかけた。
彼女は最近、こういう親愛の情を以前よりもごく自然に表に出すようになった。
一緒に時間を過ごすうちに、そして今夜のように二人だけの夜を重ねるようになって、少しずつ彼女の中にあった緊張がほぐれてきたのかもしれない。
試しに、さり気なく腕を相手の肩に回してみたが、払いのけられることも蹴りやパンチをくらうこともなかった。それどころか、安心しきったようにさらに体重を彼に預けてきたので、彼は心の中で感涙にむせんだ。
「…なぁに?」
気配を敏感に読んだのか、メイが不審そうに尋ねてくる。
「いや、お前さんもだいぶ慣れてきたなーと思ってさ。
願わくば、もう少し頻繁に甘えてくれた方が、俺としては嬉しいんだが。」
「な、なに恥ずかしいこと言っててんのよっ!」
急に我に返ったのかメイは慌てて逃れようとしたが、彼の腕はびくとも動かない。
「こらこら。このままでいいって言ってんだろうが?
…別に遠慮する仲でもないんだし。」
「うーーーーー」
自然と彼の肩に顔を埋める形になって、じれた仔猫のような唸り声をあげる少女に、彼は音もなく笑った。
そのまま、体を曲げて少女の髪に軽く唇を落とす。次に耳に、そして頬に。
早く受け入れて、ドアを開けて中に入れてと誘うように請うように、次々に落とされるキスに、ついにはメイが音を上げた。
「シオン、あのね、あの――きゃっ!?」
顔をあげたところで有無を言わさず口付けられそうになるのを、急いで押し止める。
「あの…あのね…あたし…」
「――なんだよ」
手のひらで口を蓋される格好になったシオンの恨みがましい視線に気付く風もなく、メイは一生懸命に言葉を探しているようだった。


「あたし本当は、甘えたりとか、そういうのヤなんだ。」
しばらくして意を決した風に口をきったメイの言葉に、シオンはすっと目を細めた。
「俺相手にそんな気になれない?」
「違うの!そういうんじゃなくて…あんたってあたしのこと際限なく甘やかしそうなんだもん。
あたしはまだまだ半人前だから、そんな風にされたら絶対シオンを頼ってばかりになっちゃう。」
「…それじゃ駄目なのか。」
「頼るだけなら他の普通の女の人と同じだから。
あたしは、あんたの方があたしを頼りにできるような、そういう風になりたいの。
じゃないと、あんたはあたしに嘘ばっかりつくでしょ?」
――揺るがない真摯な瞳。ああ、この瞳だ、と彼は思い出した。
ミリエールを無事に故郷に帰してやることができたあの日、彼は約束通り、メイに何もかも包み隠さず話した。彼とミリエールの因縁のこと。ミリエールを止めるために結局メイを利用したことまで。メイは黙って一部始終を聞いた――聞き終わった後一発殴られたが。
その時の彼女の不思議に静かな瞳の色、全てを聞いて、結局全てを受け入れた強さを見た時、急に何をおいても自分のものにしたいという思いに囚われた。
気がついたらその場で口説いてた。自分を利用した、と告白した男に、今度は俺の女になれと迫ったも同然だ。OKする方がおかしい。メイもさぞかし驚いたろう。当然、こっぴどく振られた。
だがそれでも諦められなかった。ただの女に対する所有欲・征服欲とも違う、そんなものとは比べ物にならないほど強い焦燥感に急き立てられるように、必死に追いかけて、そして捕まえた――。


「嘘の全部が全部悪いってことはないんだぜ?騙されてた方が幸せなこともある。」
「そんなこと言って脅かしたってダメだからね。…もう決めたの。
お願い、あたしには何も隠さないで。
良いことも悪いことも、あんたのこと、全部知りたいから。」
「…上等だ。」
今度こそ、と抱きしめて唇を重ねる。腕の中にすっぽりおさまった小さくて暖かな体全体から、優しいミルクの香りがした。


  白くてなめらかでとろけるように甘い、優しい舌触りに騙されて
  気がつくと酔わされてたのは俺の方。こんなにも駆り立てられて
  恥ずかし気もなく「愛してる」を呪文みたいに繰り返すしか能がなくなってる。
  もうお前なしではいられない。
  ――これって中毒って言わないか?


END



★Presented by HENNA★2000/09/15★
★ for ファンタ再販記念企画(主催:月見里様@東の月 2000/9/15〜2000/10/15)★





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