神山篤志の憂鬱

「おつかれさまでした」
早期警戒機ピースキャリーでの調査を終了すると、チームシーガルリーダー・神山篤志は、24時間の非番に入った。
 XIGの勤務形態は、基本的に地上の警察と同じ、2勤1休...2日間の日勤の後、続けて夜勤に入り、それが終了すると24時間の休みに入る。だが、デフコン3発令等の非常事態は例外となる。特に、チームシーガルリーダーとピースキャリーパイロットを兼任する神山は、この例外が多く、この3週間休みらしい休みを取ったことがなかった。
 ...とにかくシャワーを浴びて、誰にも邪魔されずにベットに入りたい。
 私室へと向かう通路をゆっくりと歩きながら、神山は頭の中でこの言葉を何度もはんすうしていた...。28歳の若い強靭な肉体の持ち主でも、特にこの3日間の徹夜は堪えた。

 根源破滅招来体の来襲以来、こんな生活の繰り返しが続いている。この1年で神山の人生も随分変わったような気がする。
 私室に入り、ヘルメットとコンバーツの上着を机の上に投げ出すと、がっくりベッドに腰をおろした。靴を脱ぐ気になれない...だが、神山の性格では、靴のままベッドに横にはなれなかった。そのまま、身体を折曲げ、頭を抱えるような姿勢で目をつぶる。
 特にこの3日間、考えたくなかったことが頭の中を駆け巡る。
『この果てしない戦いはいつ終わるのだろうか?』

 そして、自分が目のあたりにする多くの人々の苦しみ...特に怪獣災害は悲惨なものが多い...たとえ自分が命を救い出せたとしても、どうにも出来ない苦しみが人々の上に降りかかる。
 そればかりではない。神山はピースキャリーのパイロットとして仲間の命も預かっている。この戦いに仲間を無事送り込むのも彼の大切な仕事の一つだ。だが、その仲間が必ず還ってくるとは限らない。他の者より辛い場面に立ち合うことも多い。
 今日はガードの1部隊が全滅した。陸戦部隊だったが、神山が防衛隊で新人訓練を受けたときの仲間が何人か含まれていた。...この間はガード時代の上官が再起不能の怪我を負い、退役していった。目の前で撃墜されたガードヨーロッパの戦闘機には、ガードレスキューの同僚の妻が搭乗していた...彼女は戻ってこなかった。今年に入って、何人の友人、知人が自分の前から消えてなくなったか...。
 今日、一緒にピースキャリーで出動した高山我夢が言っていた。
「人類という種はもう黄昏に入っているのでしょうか」
 我夢はアナライザーで歳に似つかわしくない知性と知識を備えている。どちらかと言うと学者みたいな者だと神山は考えている。そして、その知性と深い思慮に神山はこの若い上官に一目置いてさえいる。その我夢も言いのようのない不安に駆られている...しかし、自分のそれとは違うことも神山はわかっている。...神山は漠然とした未来への不安で苛立っているのだ。
 だが、それを神山は口に出すことはできなかった。自分が弱気になれば、まだ経験の浅い松尾やマイクルに悪影響があるからだ。松尾もマイクルも優秀な人間だが、人が良すぎるのが難点だ。人の不幸を自分の事の様に感じる優しさを持っている。ただ、それが脆さに繋がることが往々としてある。
 こんなとき、会いたい人間が一人だけいた。「いた」で、「いる」ではない。今も顔を見て、話しをして、日常的な時間を共に過ごせば、この「心の闇」は少し晴れるに違いないことは分かっている。でも、今はできない。その名前をつぶやいて見る。
「麗香...」
 そのまま、しばらく眠ってしまったらしい。気が付くと部屋に戻ってから30分たっていた。しつこく入口のブザーがなっている...それで目が覚めたのだ。
「神山!戻ってるんだろ!おーい、寝てるのかぁ?」

 ブザーに答えないでいたら、今度は大声を上げて、ドアを乱暴に叩き始めた。チームハーキュリーズの桑原孝信だ。しぶしぶ腰を上げて、ドアをあける...桑原は人なつっこい笑顔を見せて立っていた。
「あ、悪い!寝てたのか?」
 桑原は遠慮なしに部屋に入ってきた。
「おまえにしちゃめずらしいな、着替えもしないで寝入るなんて」
「...何だ?」
 疲れている上に寝入りを起こされて、さすがの神山も不機嫌な口調になった。
「同窓会の返事、どうした?」
「え...同窓会?」
 桑原の口から意外な言葉が出てきて、神山は返事につまった。...同窓会?そんなことあったか?
「幹事の加藤さんに返事を聞いてこいって頼まれたんだ...案内はもらってるんだろ」
 桑原は断わりなしにさっきまで神山が座っていたベットに腰を降ろした。神山はごそごそと机の引出しを探し始めた。...たしかしばらく前に配達されて、目を・した覚えがある。が、すっかり忘れていた。それにどの同窓会だ?
「お前、任務はちゃんとこなすくせにこういうことはズボラだよな」
  桑原はおかしそうに言った。

「・・・」
 お前に言われたくはないよ...と喉元まで出かかった言葉を神山は呑みこんだ。だが、見かけによらず桑原は、人付き合いなどに良く気の付く質だ。どんなに多忙を究めようと、ハードな任務の中でも、知人への時候の挨拶状を忘れず、上官には盆暮れの挨拶は欠かさない。・・・あの荒くれのハーキュリーズでもうまくやっているのは、その気配りと愛想の良さだと神山は思っている。そして、その性格を羨ましく思うことさえある。
「あった」
 机の中の諸々の郵便物(大体がくだらないダイレクトメール類だったが)の中に、往復葉書が紛れ込んでいた。...県立   高等学校同窓会...神山と桑原の母校の同窓会だ。
「加藤さんの話しだと、お前、今まで出欠の返事さえ出したことがないらしいな」
 桑原がやっぱりというような顔をして言った。...高校時代3年間、防衛隊・XIGをあわせて10年間の付き合いだ。行動のパターンを読まれている。
「言い訳は嫌いだが、何だかここのところえらく疲れててな...いろんなことに気が回らなくなった」
「らしいな」
 確かに神山の部屋は彼の精神状態を表すかのように散らかっていた。神山にしては珍しいことだ。...神山たちレスキュー・陸戦部隊出身の人間は新人訓練で整理整頓を訓練の一貫として徹底的に身に付けさせられている。物の置き方さえ決まっていた。そうすれば真夜中の緊急出動であっても、何の苦もなく身支度を最小限の時間で出来るからだ。
 神山がそれを出来なくなっている...桑原には彼の精神状態が分かる気がした。
「夕飯食ったか?」
「いいや」
 神山の疲れは分かっていたが、桑原はとにかくカフェテリアに連れ出すことにした。腹が減るとろくな事を考えない...桑原の持論だ。それに桑原自身も勤務明けで、まだ食事をしていなかった。それに場所を替えて、もう少しリラックスした状態で神山と話しをしたかった。高校時代のクラスメート、防衛隊時代の同期といっても、今の神山は桑原にとって上官にあたる。非番の時でもなければ、打ち解けて話すことも出来ない。
 しぶしぶついてきた神山を席に座らせて、桑原は二人分の食事を勝手にとってきた。そして、神山から預かったIDカードと自分のを使って缶ビールを2本貰ってきた。XIGでは非番の成人の隊員に限り夕食時に・ビールを出していた。そのためにIDカードが必要なのだ。(ハーキュリーズの吉田悟リーダーや志摩貢はしばしば1本ではなく数本持ち出していたが...)
「やるよ」
 桑原はさも当然と言うように、ビールを2本とも神山に手渡した。
「いいのか?」
「ああ」
 神山はあっという間に1本飲み干し、2本目のプルトップを開けた。桑原は神山が自分から話し出すのを待っていた。
「俺、何やってるんだろうな」
 神山の口から出たのは、彼らしくない弱音だった。
「すごく無力だって感じる...」
 多少アルコールが入ったせいだろうか、神山はさっきまで考えていた自分の不安を桑原に話し始めていた。桑原は食事する手を止めて、真剣に聞き入っていた。だが、桑原にもその答えは分からなかった。

「気持ちも身体も疲れているんだよ。少しは休むことも考えてみろよ」
 神山はそれには答えなかった。桑原もそれ以上は口を開かなかった。
 桑原は神山らしい向上心が神山自身を追い詰めているのだと思った。自分の能力以上のものを自分に求めるから無力感を感じるのだと...。桑原自身は自分の能力以上のものを自分に求めない、自分のできることを勢一杯することを良しとしているので、神山の様な無力感は感じない。確かに、将来に対して言いようのない不安を抱えているのは同じだ。任務の違い、責任の違いがあるだろうから、桑原は余分な事が言えないとも思った。だが、これだけは確かだ。神山に休養は必要だ。
 桑原はまた同窓会の話しやとりとめのない雑談を始めたが神山は上の空だった。
  神山にとって、缶ビール2本・で酔うとは思いもよらないことだった。桑原と別れて、部屋に戻ってから、シャワーも浴びずにそのまま寝てしまった。それくらい体調が悪いということだろう。そして、夢を見ていた。...おっとりと優しく微笑む一人の女性がいた・・・神山は誰よりも彼女のことを良く知っていた。彼女のほうも神山のことを誰よりも知っている。神山は彼女の膝枕でまどろんでいた。
 「休んだら...そんなに疲れているんだもの」

 優しく彼女は言った。神山もそうしようかなと思った。そして、彼女に声をかけようとして目が醒めた。目が醒めた後、何かとても切ない気分になっていた。夢の中の甘い気分は、現実の中ではもう既にないせいだろうか。だが、いやに生々しい夢だった。彼女の膝の柔らかい感触が頬の上に残っている。...時計は午前6時をさしていた。
 頭をはっきりさせるために熱いシャワーを浴びて、髭を剃る。そして、私服のまま、コーヒーを飲むためにカフェテリアに向かった。少しばかり早すぎたせいか、まばらにしか席が埋っていない。神山は、外を見渡せる席に陣取ると、コーヒーを前にしてぼーっと快晴の空を眺めてみた。まだ、頭の中には昨夜と同じ恐れや不安が渦巻いている。ちょっとやそっとで解決できる問題ではない。だが今は、夢の中の優しい声も頭の中をよぎる。・・・疲れているときは休むべきなのだ。
「...行ってみるか」
 もうしばらくここで時間をつぶしてから、桑原を起こしに行こう。あいつも非番のはずだから、同窓会の幹事の女の子に連絡をとってもらおう。...神山は新聞を取りに立ち上がった。

 夕方、神山はコマンダーに休暇届けを提出していた。
「同窓会か...君はこの1年休暇らしい休暇をとったことがなかったな。良い機会だ、ゆっくりしてこい」
 意外にもコマンダーはあっさりと神山の休暇を認めた。
「桑原もいっしょらしいな」
「はい」

「君の代理にはチームローグの高倉寺リーダーに来てもらう」
 チームローグ...XIGでありながらその本拠はジオフロントに置いているレスキュー・陸戦の補充・教育部隊の名称だ。何かの事情でシーガルとハーキュリーズに欠員ができた場合、その補充の人員をエリアルベースに上げてくるチームだ。また、ガードのメンバーの中からXIGの候補生を選びだし、教育を施し、エリアルベースに送り込む任務も請け負っている。現在、メンバーは5人、その他にXIGカデットと呼ばれる候補生が10人いる。
 このチームの特色はそればかりではない。メンバーは各自特殊な能力を持っている。たとえば、今、名前が出た高倉寺麗香リーダーは、爆発物取り扱いのオーソリティーで、その解体作業で数多くの実績を上げている。彼女にかかれば線香花火から中性子爆弾まで手に負えない爆発物は無いとまで言われている。
 また、高倉寺麗香は神山と桑原の防衛隊時代の同期で、1年前まで9年間、神山とずっと一緒にレスキュー活動してきた。チームシーガルは元々神山と麗香の2人で始めたものだった。ある意味神山の代理としては最適の人物だ。
 だが、高倉寺麗香は神山にとって、それ以上の意味を持つ女性だった。...彼女は彼にとって最愛の女性だった。そして、彼にしてみたら、一言言えなかったために離れ離れになった恋人だった。
 麗香がやってくることを知って、神山の心にさざ波が走った。だが、彼はいつものクールな表情を崩すことはなかった。
「了解しました。許可いただいてありがとうございます」

 さっと敬礼をすると、神山はコマンドルームを出て行った。
「神山リーダーが休暇なんて珍しいわね」
 神山が出て行くのを見届けると敦子が口を開いた。

「うん、特に高倉寺さんがいなくなってからね」
 ジョジーも口をはさむ。2人とも気にしていないようだったが、我夢は神山の様子が普段とほんの少し違うことが気になった。

 神山はそのままシーガルフローターの格納庫に向かった。自分の休暇を松尾とマイクルに伝えなければならない。
 2人はいつもの通りフローターの前で装備の手入れに励んでいた。レスキューなどという部門はその装備の手入れと訓練が大切な任務だ。そうしょっちゅうお呼びがかかるようではならない。...そう1年前のあの日もそうだった。

 ...神山と高倉寺麗香はここで装備の手入れをしていた。まだ、XIGが発足したばかりで、シーガルフローターは配備されていなかったし、チームもあとから補充人員がやってくる予定にはなっていたが、暫定的に2人で活動することになっていた。
 神山と麗香は18歳のときからずっと一緒にやってきた。防衛隊の新人訓練にはじまって、レスキュー部隊・GUARDレスキューでもずっとパートナーとして活動し、XIG発足の際も2人で志願してやってきたのだ。

 神山は麗香を全面的に信頼してきた。男と同じ訓練を積み、体力的な問題は何もなかったし、判断力にも優れていた。負けん気の強さは人一倍で、女だからと言われ、任務を軽くされることを一番嫌っていた。だから、彼女は誰にも負けない技術を身につけた...爆発物の解体だ。
 しかし、その反面、彼女は女性特有の優しさを持っていた。...激流の中から救い出した赤ん坊を服の中に入れ、自分の肌身で暖めてやるなどということは男の神山には思いつかないことだった。
 自分より弱い立場の者を思いやる気持ちが強く、自分の力が至らないとよく泣いていた。神山が仕方ないと諦める事でも麗香は泣いていた。とにかくよく泣く女だった。泣きながら任務を続行していた。優しくても、芯が強く、自分の職務に責任と誇りを持つ優れたレスキュー隊員だった。  
 また、麗香は任務についているときは決して化粧をしなかった。レスキューや陸戦隊員はパイロットやオペレーターと違って、男性隊員と狭い空間に長時間一緒にいる。甘いにおいなどさせたら、判断力に支障がでる。...新人の頃に教官に言われたことを10年近く立ってもちゃんと守っているのだ。髪形も同じ位変えていない。肩まで伸びた髪をうまく髪止めで上げてまとめてある...身なりもレスキュー隊員としての心意気だった。
 だが、彼女には別の顔もあった。任務を離れると麗香は、その強さをどこかへ置いてきた様な優しいふわふわとした存在になっていた。顔つきまで変わってしまう。...プライベートな麗香は神山にとって心休まる存在だった。
 あの日、東京の郊外・MS地区で大規模な突然の地盤沈下・崩落の一報が入ったのは、昼ごろの事だった。防衛隊が住民の救出に向かったとのことだったので、神山も麗香もテレビでその様子を気にしながら作業をしていた。最初は局地的な直下型地震だと思われたが、だいぶ様子が違うようだ。
 神山はコマンドルームに詳細を問い合わせたが、自然災害のようだという答えしか返ってこなかった。
 時間が経つにつれ、死者50人、負傷者158人...時間を追うごとにその数は増えていく...4を越える大災害の様子が明らかになっていく。ヘリコプターのテレビカメラが映し出したMS地区は都市全体が巨大な蟻地獄に呑み込まれたようになっていた。建物がことごとく倒壊し、道路ががれきの山に化している。高速道路が橋脚のみをのこして崩れ落ち、そこからこぼれ落ちた数多くの自動車が炎を上げている...そして、停車している車も次々と誘爆を起こし、炎の帯が高速道路だった橋脚ぞいに伸びていく。火災はそればかりではなくMS地区の各所で起こっている。二人は即座に出動の用意を始めた。 +「1時間経っても出動要請がでなかったら、独断で出動するぞ」
「了解」
 しかし、30分後、2人の許に防衛隊からの出動要請が入った。神山と麗香はピースキャリーに急いだ。
「なんで災害にXIGが出動せにゃならん!!」

 一緒に呼び出されたチームハーキュリーズの吉田リーダーは不機嫌にどなっていた。
「すまん。訓練の一環だと思ってくれ」
 一緒に出動する堤チーフがなだめていた。まだ根源的破滅招来体がまだ来襲していないこの時期、XIGの任務の一つに防衛隊のバックアップが含まれていた。特にレスキュー部隊はトップの2人の隊員を引き抜かれたのだ。それが神山と麗香のXIG移籍の条件の1つにもなっていた。
 その間にも神山と麗香は出動の準備を進めていた。神山がピースキャリーの発進準備を進め、麗香が防衛隊救助本部のブリーフィングを受けていた。堤チーフと神山がすぐに行動ができるよう情報を収集しておくのだ。まだ、神山がピースキャリーを出すのは訓練以外では3回目...本来は準備を進めながらブリーフィングを聞かなければならないのだが、まだ余裕がなく、麗香が自主的にその役目を引き受けていた。
「どうだ」
 発進準備の手をとめて神山が聞く。
「MS地区のの中心部から高速道路の走っている周辺部にかけて幅2キロ、長さ10キロの帯場に地盤が沈下しています。この地区の行政・警察・消防・通信すべての機能が中心部に集中していたため、災害の救助活動等は停滞している模様です。防衛隊救助本部も設営されたばかりで、まだ、機能ははたしていません。GUARDレスキューも到着が遅れています」
「良くないな...ところで原因は何だ?」
「まだ不明です」
 麗香の報告に、神山の表情が曇った。自分たちが呼び出されるようでは、状況が悪いことになっているのは分かっていた。だが、ここまでひどい状況だとは...。一刻も早く事故現場に行かなければ...。
 そこへ堤チーフが入ってきた。麗香は堤にも状況を報告し、自分の席に戻って行った。堤は自分のシートにつくと神山に声をかけた。
「行くぞ」
 ピースキャリーはA-1デッキに運ばれていく。オペレーターのジョジーの声が神山の耳に飛び込む。計器のチェック、オールグリーン。気象状況、気流の状況...、同じくオールグリーン。やはり発艦のときはひどく緊張する。
 デッキの天井が開き、強烈な太陽の光がコクピットに差し込む。スロットルを握る手に不必要な力が入っていることに、自分でも気が付いている...神山ははやる心を抑えるために、緊張を解くために、大きく深呼吸してから言った。
「ピースキャリー発艦します!」
 ピースキャリーは轟音をあげてエリアルベースから飛び立った。
 ...上空から見たMS地区は、無数の蛇がのたうちまわっているように見えた。崩壊した高速道路から落ちた車が火を吹き、建物に引火しているのだ。それだけではない。地盤崩落によって剥きだしになったガス管に残った都市ガスにも飛び火し、土煙をあげて、地面がまた崩れ落ちている。次々とあらゆるものに誘爆がおこり、無数の蛇は赤い大蛇へと変貌して行く。
 神山は事故現場を上空からこうして見るのは厭だった。彼にはその炎の下で助けを求める人々の叫びが聞こえてくるのだ。耳を塞ぎたい気分だったが、今はそういうわけには行かない。
「おい、神山!消火弾は使えないのか!」
 あまりの惨状に驚いた吉田リーダーが叫ぶ。神山も出来ればそうしたいと思っている。
「搭載されている消火弾は酸素を封じ込めるタイプなので、人がいる場所では使用できません」
 神山の気持ちを察した麗香が代わって答える。
「俺が、ガキの頃にジイさんから聞いた話しだがな...」
 突然、黙ってMS地区の惨状を見ていた志摩が口を開いた。

「ここは第2次世界大戦の時、地区全体が軍事工場だったんで、アメリカ軍の爆撃をうけてな...一晩に何千もの爆弾が爆撃機から投下されたそうだよ。ジイさんは、それをウチから見ていて、炎の蛇が町を喰っているようだと...」
「志摩さんは隣の地区の出身でしたよね」
 桑原も窓の外に目をやってつぶやいた。
「この平和な時代に、ここが同じ目に遭うなんて、ジイさんが生きていたら何ていうだろうな...」
 堤はピースキャリーを現場から1キロばかり離れた場所に着陸させ、そこからは2台のベルマンに分乗して移動した。ハーキュリーズはそのまま堤の指揮下で後方支援に入り、神山と麗香はレスキュー本部へ急いだ。二人はレスキュー部隊の沢村隊長の指揮下に入る。
「チームシーガル到着しました」
 二人が本部へ到着したとき、沢村隊長は机の上にMS地区の地図を広げ、若い女性と初老の男性と打ち合わせをしている最中だった。
「ご苦労」
 隊長は二人の肩をぽんと叩いた。
「待ちかねたぞ、ウチのエースども」

 沢村隊長は二人が新人訓練後最初に配属されたレスキュー教育部隊の教官だった。その当時から二人に目を掛けていてくれて、現在でも親しくしている。二人が恋人同士であることも承知していて、顔をあわせる度に『式には呼べよ。なんなら仲人をしてやろうか』と声を掛けるほどだった。
「保永隊員、シーガルの神山リーダーと高倉寺隊員だ」
 沢村は打ち合わせをしていたジーパンにTシャツ姿の女性に二人を紹介した。Tシャツの袖を肩まで捲り上げた腕が逞しい。
「GUARD地上部隊の保永蓮です。お二人の教育隊の1年後輩に当たります」
 蓮は姿勢を正して敬礼しながら言った。小柄だが、筋肉質のがっちりした如何にも陸戦隊員というタイプ...と言うより女子プロレスラーの様だと神山は思った。そして、すぐに彼女が、現在、開発中のリパルサーリフトを利用した高速空中バイク・XIGスピーダーのテストパイロットに選ばれた保永蓮だと気が付いた。
 蓮はジャージ姿でなぜか防災頭巾を被り、長靴まではいた小柄な初老の男を紹介した。
「父です」
 蓮の父親は黙って頭を下げた。
 彼女は今日、たまたま非番で隣の地区にある実家に帰っていて、この崩落に遭遇した。蓮は、MS地区の行政機関がまったく機能しなくなったのを知り、自分のバイクで父親を後ろに乗せて防衛隊救助本部に乗り込んできた。蓮の父親・保永昇次郎は、今は定年退職したが、3年前まではこのMS地区の土木課長をしていたのだ。
 救助本部でもMS地区の地下構造がわからなくなったため、レスキュー活動に支障をきたしていた。特に旧式のガス管の位置がわからずガレキの下に閉じ込められた人間の救助計画も立てられない有様だった。

「私に記憶は3年前のものだから、役に立つかどうか...」
「何言ってんのよ!あんだけ私にはMSの地下は俺の頭の中にあるって威張ってたくせして...」

「だから、気がすすまんと言っただろうに...」
 どうやら蓮は無理やり父親を引っ張って来たらしい。だが、そうは言ったものの保永昇次郎は広げられた地図に地下の水道管・ガス管・共同溝の配置を大ざっぱだが書き入れ始めていた。
「これは・・・ずいぶん入り組んだ構造になっていますね」
 神山は昇次郎の書き入れた構造図を見て驚いて言った。
「ここは第2次世界大戦の爆撃に焼き払われた後にできた町で...まあ、焼け野原に新しい都市を建設できればよかったんですがね。それより先に生活する人間が帰って来てしまった。...お恥ずかしながら都市計画は私が土木課に配属された当時、無茶苦茶なものでしたよ」
 昇次郎は手を止めて自嘲気味に微笑んだ。

「建物や最新設備なんていうのにはすぐ予算は下りるんですが、今までの設備を新しくしようとすると、耐用年数がどうの、金がないの...結局は後回しになっていました。私にもそんな言葉に流されて...」
「とうさん!、今、愚痴はやめて...時間がないんだから」
 娘の言葉に促されて、昇次郎はまた、手を動かし始めた。

 父親にきつい言葉を投げた蓮だったが、その目は父親を思いやる優しいものだったのを神山は見落とさなかった。そして、彼にも昇次郎の悔しさが少しわかった。
「大変です!」
 そんな中に救助犬を連れたGURADレスキューの隊員が飛び込んできた。K9部隊の隊員だ。まだ少年の様なあどけない男で、ドイツシェパードの相棒がいやに立派に見える。
「地下街の入り口を塞いでいるガレキの向こう側に被災者が集まっています。ガレキ越しに話しを聞いたのですが、集まっているのは30名。みな地下街の従業員です。皆、少しガレキを退ければ助け出せます。すぐ行きましょう!」
 K9隊員は早口にまくしたてた。被災者を目前にして気が逸っているに違いない。
(まだ20歳位か・・・)
 神山にも彼の様な若い頃があり、また、彼の様に気持ちが先行してしまう血気盛んな頃があった。だが、今の神山には長年の経験と分別というものがあった。

「まて!」
 神山は、今にも相棒と飛び出して行こうとするK9隊員をおしとどめた。
「一人で飛び出して行ってどうするつもりだ?。まずは落ち着け...30人の中に怪我人は?」
「いない模様です」
「ガス漏れは...空気の供給はできているのか?」
「ガス漏れに関しては大丈夫です。非常用の自家発電設備で、排気と非常灯の電力を確保しています」
「だったら、まだ時間はある。ちゃんと隊長に報告して、隊を派遣してもらうように要請しろ」
「はい!失礼します!」
 K9隊員は相棒のリードを引っぱると沢村隊長に報告に行った。
「若いな...」
 神山のつぶやきに麗香が微かに苦笑していた。

 チームハーキュリーズとGUARD地上部隊の1小隊が呼ばれ、救助本部にやってきた。彼等に沢村隊長、神山、高倉寺、保永、笹崎恵一(K9隊員)が加わり、地下街に取り残された従業員の救出に向かった。
「ここは単純にガレキを取り除けば済みそうだな」
 地下街の入口を前に沢村隊長は保永昇次郎の書き込んだ地図を手にして言った。だが、辺りのアスファルトの地面はぐしゃぐしゃに波打つように陥没しており、工作機械を入れることはできない。
「じゃ、俺たちの出番だな」
 腕まくりをした吉田リーダーが真っ先に入り口付近に降り、ガレキにショベルを力強く突き刺し始めた。志摩、桑原もそれに続いた。そして、保永蓮が降りて行ったとき...。
「おい!、女!。こんなところでなにしてる!」
 私服姿の蓮を見咎めて、吉田リーダーがどなった。蓮はひるまず、さっと敬礼して言った。

「ガード陸戦部隊所属、保永蓮です。今日は非番でしたが急を聞いて駆けつけました」
「保永...蓮?!」
 その名前を聞いた志摩の表情が見る見るうちに笑っているような、泣いているような不思議なものに変わって行った。
「おおい、お前さん、蓮坊か?あの凱の妹の...?」
 蓮も不思議そうに志摩の顔を見た。
「志摩...さん?」
「そうだよ!志摩だよ!...立派なりやがったなぁ。凱の葬式のときは、まだセーラー服だったもんなぁ。兄貴が生きていたらさぞや...」
 志摩は蓮に駆けよると、子供にする様にくしゃくしゃになるまで頭を撫でた。
「おい!、志摩!、誰だ?」
 志摩の喜びように唖然としていた吉田リーダーだったが、気を取り直して声をかけた。
「リーダー、俺の若い頃の戦車乗り仲間だった保永凱、覚えてませんか?」
 吉田にも覚えがある名前だった。たしか10年前に白血病で急死した...。

「奴の妹ですよ!。兄貴と同じ戦車乗りになりたがっていた...」
「おぉ!」
 そういえば何となく目許に兄の面影がある。志摩は蓮の肩を抱いて吉田と桑原の傍に連れてきた。志摩は服を通してもわかる蓮の肩から腕の筋肉の状態に満足していた。
「さぁて、蓮坊のお手並拝見と行こうか!」
「了解!」
 蓮もツルハシを手にするとガレキの山に果敢に挑んで行った。志摩は満足気に微笑み、吉田はその男に負けない働き振りに関心していた。桑原はその横で「変わった女の子だ」と苦笑しながら一緒に作業していたが、自分に遅れを取らない蓮がだんだん「女の子」として気にならなくなって行った。
 神山と麗香はハーキュリーズの奮戦の横でガレキの下から出ている携帯電話の電波の傍受に成功した。
『助けてくれ...早く!早く!』
「落ち着いてください。今ガレキの除去に当たってます。すぐに皆さんを救助できますから」
 麗香がなるべく落ち着いた事務的な口調で話しかけた。こういった状況では女の声の方が被災者を落ち着かせる事ができるのを神山は知っていた。彼はとにかく被災者をなだめるように麗香を促した。
「防衛隊レスキューの精鋭が救助活動に当たっています。怪我をなさっている方はいらっしゃいませんね。地下街で入口以外に破損しているところはありませんか?」
『怪我人はいませんが、Bー5通路で火災が起きてBー5西側とBー6東側の防火扉を閉めました。ろくに消火活動ができませんでしたので、少し不安に思っています』

 声が警備員らしき男に変わった。神山は図・で確認する。防火扉が閉まってさえいれば類焼する恐れはない。自然鎮火する可能性さえある。そのとき、神山は別の地点から発信された携帯電話の電波を傍受した。
『...けてくれー!...出口がないんだ!』
 ガレキの向こうよりも切羽詰まった声だ。だが、電波の状況が良くない。

「どうした!こちらは防衛隊レスキューだ!」
 今度は神山が呼びかけた。必死に電波のバンドを調整する。
『俺たち3人、防火扉の間にいるんだ!どちらも火が廻っている!』
 神山は何とか相手を落ち着かせて、3人がいる場所を聞き出した。さっきの警備員が防火扉を閉めたBー6通路の途中にある警備員の仮眠室からの様だ。Bー6通路は一番東側と西側で防火扉を閉められ孤立しているようで、3人の警備員は仮眠室に取り残されている。神山は沢村隊長に報告に向かった。そのとき、歓声が突然上がった。
「おぉーい!助けに来たぞぉ!」
 ハーキュリーズの吉田リーダーの叫び声が聞こえる。地下街入口のガレキ除去が終了したようだ。30人の人々がぞろそろと上がってくる...そして、救助された被災者の安堵の声、歓びの泣き声、拍手...悪くない音だ。
(さぁて、これからが俺たちの出番だ。)
 神山は右の拳を握り締めた。

 沢村隊長は神山、麗香の他、GUARDと防衛隊のベテランレスキュー隊員5名を召集した。取り残された3人を助けるための特別隊を編成したのだ。
 神山と麗香はコンバーツの上から念のための防火服、エアボンベ、保護マスクを身に着けながら、沢村隊長のブリーフィングを聞いた。保永昇次郎が書き入れた地下図・のおかげで、火災が起こっている付近に旧式のガス管が通っていることがわかった。また、Bー5東側とBー6西側の防火扉で挟まれた空間は酸素が燃え尽きたために鎮火した恐れがある...そこをあけると急激に新しい酸素が入り込んで爆発を起こすバックドラフトが起こる可能性がある。そして、もちろん新たな地下街の崩壊を注意しなければならない。最小限の人数で行動するのがこの場合有効だ。
 K9の笹崎が志願したのだが、沢村は経験不足を理由に彼を加えず、本部での待機を命じた。隊歴2年で、彼の専門とする捜索活動はこの場合不要だったからだ。また、ハーキュリーズのメンバーと保永蓮が合流を希望したが、レスキュー経験のない彼等を連れて行くことはできなかった。
「吉田リーダー、堤チーフから繁華街の消火活動の増員要請が入っている。そちらを頼む。それから、保永隊員、君は父上の作られた地下地図をこれから私が指示する各拠点に運んでくれ」
「了解」
 4人は敬礼すると自分の持ち場へと急いだ。
 神山は助けを求めているのは、今、自分が向かう地下街ばかりではないと実感した。レスキューは一人一人でも確実に命を救うのが任務だ。
 (ここが終わっても次がある)...神山は心のなかでつぶやいた。
 二人の支度が一段落したところで、沢村が声を掛けた。

「神山、しんがりをつとめてくれ。高倉寺、君は私の補佐だ」
「了解!」
 神山と麗香は敬礼すると、お互いの装備の点検をしあった。そして、神山は周りから見えないようにすっと麗香の右手を握った。...いつもする一種の儀式の様なものだ。
「気をつけてね」
 麗香が一瞬だけ心配そうな表情を見せてささやいた。ふと神山の頭を不安がよぎった。いつもの麗香なら見せない表情だったから...。
 だが、神山はそれに一瞬だけ笑顔を返した。彼には何よりもレスキューとして18の年からやってきた自信と言うものがあった。そして、麗香に対しても自分と同じ力量を持つ同僚としての信頼と沢村隊長が一緒だという安心感があった。
 二人はすぐに任務の顔に戻るとヘルメットをつけ、隊列へと急いだ。麗香は沢村隊長とともに先頭を行き、神山は最後尾についた。
 入口までは、K9の笹崎が隊を見送るように相棒のシェパードと付いてきた。
「笹崎、待機命令が出ているんだろう」
 最後尾にいた神山が注意した。笹崎は不服そうだったがそこで立ち止まった。彼の気持ちは多少わかるので、それ以上神山は何も言わなかった。目の前で助けを求めている人間を助けたいのだ。若いだけにその気持ちが人一倍強いのだろう。
 神山は振り返らずにさっきハーキュリーズが確保した地下街の入口を入って行った。
 地下街は構造物そのままに5メートルほど落ち込んでいた。入り込むのは容易だったが、その壁や床、天井から数種のパイプや電線が飛び出している。
 レスキュー隊のメンバーは全員ガスの検知機と中和剤を携帯していた。漏れ出た都市ガスや地中からしみ出したメタンガスが新たな火災の原因になりかねない。GUARDのジオベースラボが開発した各種ガスを一瞬にして無力化する中和剤が有効になる。
 Bー5西側防火扉に到着するまでに計3回ほど中和剤を使用したが、大事には至らなかった。しかし、防火扉の内側では恐れていたことが起きているようだった。
 Bー5通路を東に向かい、防火扉に到着した特、あたりはいやに静かだった。ガスも漏れてなく、鉄製の防火扉も熱を持っていなかった。
 隊員の一人が扉を無造作に開けようとした。
「待て!」
 沢村隊長はそれをおしとどめ、麗香に命じて外気に触れないように防火扉に穴を開けさせ、中の酸素の濃度を計測させた。

「思った通りです」
 沢村は麗香にもう一箇所穴を開けさせ、中の空気の酸素濃度を扉の外と同じにするために、酸素を送り込むのと当時に中の空気の排気をさせた。(扉の中の膨張を防ぐためだ)そして、他の隊員には一斉に消火をする準備をさせた。神山も消火弾を連射で打ち込むよう専用ランチャーを構えた。
 扉がどんどん熱を持っていく...中の炎がまたもとの勢いを取り戻したのだ。
「酸素濃度同一レベルです!」
「よし!開けろ」
 麗香がバールを使って防火扉をこじ開けた...だが、十分な酸素を与えられていた炎はそのままの位置で勢い良く燃えているだけだ。

「消火!」
 神山たちは一斉に消火弾を連射で打ち込んだ!5秒と立たないうちに炎は小さくなっていく。念のためにおき火になっているあたりを崩しながら消火剤を散布する。わずか到着から5分で決着が付いた。
 念のためBー6東側の扉にも穴を開けて酸素濃度を測定する...こちらには異常がない。
 すぐに防火扉が開けられ、沢村隊長と麗香、2人の隊員が逃げ遅れた警備員を救出しに入って行った。神山は残った2人の隊員と焼け跡でガスの測定とまた発火しないように警戒にあたっていた。
(これはすぐに戻れるな...)
 ふとそんな考えが神山の頭をよぎったとき、Bー6通路の奥の方で天井が崩れる音がし、何か重量のあるものが落ちる音がした。

「何だ!」
 ちょうどその方向に背を向けていた神山が振り返ったとき、彼は猛烈な爆風に吹き飛ばされていた。...そして、彼を追ってくる炎、まるで通路いっぱいに広がった赤い大蛇の様だった。
(麗香!)
 神山の頭の中に一番最初に浮かんだのは、先を進んで行った自分の恋人のことだった。次の瞬間、ガレキの上に強烈な力でたたきつけられ、意識がブラックアウトした...。
 ...水の中から浮かび上がるようにぼんやりと意識が戻ったとき神山が一番最初に見たのは、麗香の煤だらけの泣き顔だった。どうやら、自分に人工呼吸と心臓マッサージを施していたらしい。肩で息をしている。

「無事だったか...」
 かすれた声しか出ない。麗香は泣き顔で頷くだけだ。
「君が無事なら沢村隊長も...」
 そこまで言うとまた神山は暗闇の中に落ち込んだ。
 次に意識が戻ったとき、神山は桑原の肩に担がれて地下街から出る所だった。
「桑原...」
 身体中に力が入らない、かすれた声を出すのがやっとだ。
「しゃべるな!」
 桑原はそう言って神山を黙らせた。自身も一言も話さない。
 ふと後ろを見ると、麗香が蓮に抱えられるように歩いていた。彼女もどこか怪我をしている様だ。さっきのままの泣き顔だ。
よく泣くヤツだ...)
 だが、彼女が無事だとわかっただけで少し気持ちの固さがとれた...それとともに襲う全身の痛み...。
 救助本部に到着と同時に神山は医師によって鎮静剤を注射され、また、深い眠りに陥った。全身打撲のうえ、右足と左鎖骨の骨折...これから病院で脳波とCTスキャンもとるという。
 眠る前に見た麗香の顔は、今までに見たことがないくらい悲しげなものだった。神山は自分がこんな状態になったのを悲しんでいるためだと思った。神山は麗香に手を延ばしたいと思ったが、全身打撲の身体ではそれはかなわなかった。
 その悲しげな顔が神山が見た恋人の最後の顔になった。

 それから神山は2ヵ月間病院に収容されていた。そのうち、1ヵ月は集中治療室で過ごした。そして、そこであの爆発で起こったことをすべて知った。
 あのときBー6通路の天井から落ちてきたのは、第2次世界大戦中に米軍によって落とされた不発弾だったのだ。心管が生きていたその爆弾が破裂...その威力は大したことはなかったのだか、それがBー6西側の防火扉を破壊、急激な酸素の流入により、バックドラフトが起こったのだ。
 それによって、沢村隊長以下、レスキュー隊員5名は死亡。神山は最初の爆風に吹き飛ばされたことにより、重傷を負うものの助かった。麗香はちょうど仮眠室の前に立っていたところを異変を感じた沢村隊長がそのなかに突き飛ばし、爆風と炎の帯から助かったのだ。ただ、突き飛ばされたときに、左肩を強打して脱臼をしてはいたが。もちろん救助を待っていた警備員たちも全員無事だった。
 麗香があんなに悲しげな顔をしていたのは、自分に沢村が死んだことを言い出せなかったせいだと、神山は悟った。そして、どうして素直に彼女が無事で良かったと言えなかったのかと後悔した。なんで沢村隊長の名前を出したのだろう。
 麗香のことだ、そのことを気に病んでいるに違いない。
 集中治療室を出たら、麗香にそんなことを気にすることはないと、一言言ってやりたいとずっと考えていた。
 ...だが、それは叶わなかった。
 集中治療室から出て、3日目のこと。非番の桑原が見舞いにやってきた。
「思ったよりも良さそうだな。もっと病人臭くなってるかと思った」
 いつもの通り人なつっこそうな笑顔を浮かべて旧友は遠慮ない感想を言った。
「言ってろ」
 まだ、ベッドから身体を起こすことしか許されなかったが、確実に回復していることが神山にもわかっていた。
「まあ、焦るな。リハビリにも時間がいるだろうしな」
 桑原はベットの傍らにあった椅子に腰を掛けた。神山もベッドの端に腰を掛けた。
「ところで、桑原、お前、麗香に何かあったか知ってるか?」
「何かって...」
 神山はため息を付いていた。旧友にしか見せない弱々しい姿だ。
「麗香に連絡をとれなくなってるんだ。電話にはでない、メールには返事をよこさない。この間、思い余ってナビを使おうとしたんだが、着信を拒否された...」
 桑原はちょっと考えるように黙りこんだ。が、すぐに話し出した。
「俺はお前たちの間に何があったか知らない。だから、どうして高倉寺がお前とのコンタクトを拒否しているのかはわからない。これから言うことは、決定した事実だけだ」
 桑原はそう前置きした。
「高倉寺、あの事故の後、辞表を出したんだ」
「なんだって?」
「お前の怪我と沢村隊長の死を自分の責任に思ったからだ。原因が不発弾だったのが、余計にショックだったんだろう。あいつの専門分野だもんな。だが、コマンダーは当然だがそれを受けなかった。ところで、チームローグのことを知ってるか?」
「ああ、俺たちとハーキュリーズの補助チームのことだろう」
「高倉寺はあそこのリーダーに就任した。明日、ジオベースに行く」
 神山は黙ってしまった。なんで麗香は自分に何も言ってはくれなかったのだ。なんで自分一人で苦しみを背負うようなまねをしたのだ。神山の頭のなかで同じ言葉がぐるぐると回っていた。そして、最後に見た麗香の悲しげな顔が目に浮かんだ。
 桑原は一言言い残して病室を去った。
「俺はお前たちのことに口ははさまない。だがな、ちゃんと話し合えよ。俺にとっては二人とも友達なんだから」

「神山リーダー!」
 松尾に声を掛けられて神山は我に返った。装備品の手入れしていた松尾とマイクルが呆然とたたずんでいる神山にいつもと違う雰囲気を感じて声を掛けてきたのだ。
「どうしたんですが?リーダーらしくもない」
 二人とも笑顔で神山の方を見ている。神山も笑顔を返した。
「悪いが休暇を取ることにした...」