■ ■ A kiss on a cloud (1)



「好き」とか「愛してる」って言葉は、重ねがけ有効な呪文の一種なのかな?
最初は大して気にもしてなかったのに、何度も何度も繰り返されるうちに
気持ちが動いちゃうなんて、不覚。
やたらに整った顔にも、甘い声にも、気を付けなさい、本気になっちゃだめって
心の中の誰かが告げているのに。

最初はただの好奇心。お子様は守備範囲外とばかりに気楽につきあってた。
元気のいい小犬を見守る母犬の気分だったな。
百の言葉にもなびかずに笑って駆け去っていくお前に、
本気になったのはいつからだろう。
絡めとり、縛り付け、無理矢理奪う白日夢を弄びながら、
それでも手を出せないでいる自分には笑うしかない。
全く、こんな事態になろうとは、人生ってのは侮れないね。


□ ■ □


――また、やっちゃった…。
夕暮れ時、門限に合わせて帰って来た研究院の自室で少女が一人、たそがれていた。
――なんでいつもいつも、こうなっちゃうのかなあ?
どうしても顔を見たくなって会いに行く。
顔を合わせれば軽口とじゃれ合いの応酬。
…そして(何故か)最後は相手を張り倒して逃げ帰る。
これが彼女と、王宮の筆頭魔導士シオン=カイナスとの、毎度お馴染みのパターンなのである。
どんなに腹を立てて帰って来ても、しばらくするとまた引き寄せられるように会いに行ってしまう。
シオンはシオンで、前回の別れ際のことなどすっかり忘れた様子で、にこやかに彼女を迎える。
そして、また…という繰り返し。
これは一体何のゲームなのだろうと思う。
特に最近、このパターンの繰り返される間隔がどんどん短くなっているような気がしてならない。
少女にはその自覚があった。何といっても、嫌なら会いに行かなければいいと
指摘されればその通り、と言わざるを得ないのだから。
彼の方はどう思っているのだろう。確かめたくても上手くいかない。
問題は、すぐに彼女をからかって遊ぼうとする彼の態度と、それに過激に反応してしまう自分の短気さ。

――少なくとも、殴って逃げちゃうのだけは止めないと…ってどうしてあたしがこんなことで
悩まなくちゃならないの!?シオンのバカ〜〜!
心の中で毒づきながらも、けなげな少女は窓辺にひざま付き、手を組んで思わず祈った。
『この世界の神様。エーベの女神さま。
どうかあたしがあいつから逃げないですむようにしてください。
逃げないでとことん問い詰めて、聞き出したいの。
あいつがあたしのこと、どう思ってるのか…』
ここで自分の方から告白しようなどと夢にも思わないところが、初心者ながらも恋する女の打算という奴かもしれない。
…そうすれば、あたしの気持ちも伝えられるかもしれないのに。
ここまで考えて、自分の心の中の呟きに赤くなる。
――や、やだな、あたしったら。何馬鹿なこと言ってるんだろ。
『それがお姉ちゃんの願い事?』
「え?」
耳元で声が聞こえた気がして、少女は思わず聞き返した。
もちろん、その場には少女のほかに誰もいない。窓の外にも人影は見えない。さわさわと庭木の梢が風にこすれる音だけが聞こえる。
――へんなの。空耳だなんて。
そそくさと窓辺を離れた彼女は見ることはなかったが、その時、窓の外、夕闇せまる空で一際大きく輝く星がきらり、と強くまたたいた。
まるで悪戯を思い付いた子供の瞳のように――。


□ ■ □


「シオン様−−っ!」
「いるならここ開けてください、シオン様!」
彼の執務室には時折変わった客がやって来るが、その日の訪問客はいつにも増して珍妙だった。
ドアを開けてやると、転がり込むようにして入って来た一人目は眼鏡の青年。
いつもならおよそシオンの執務室およびその周辺、加えて彼がいる(かもしれない)と思われるエリア一帯には寄り付きもしないこの後輩の魔導士が、今日は自分から顔を見せたばかりか、 よほど急いで来たのだろう、息まで切らせている。
「失礼します、シオン様」
礼儀正しく挨拶してから入って来た二人目は騎士服の少女。彼女の方はしばらく前に
性別が決定してからというもの、周囲が色々と入れ知恵した(その筆頭がここにいる青年ではないかとシオンは疑っていたが)その結果、やはり自分から彼のところに来ることは最近途絶えがちになっていた。

――この辺が「珍妙」の「珍しい」の方。そして何が「妙」かといえば。

「なんだ、キールにシルフィスじゃないか。どうした、そんなに……」
そんなに慌てて、と続けようとして、シルフィスに肩を抱きかかえられるようにして最後に入って来た人物に気づき、シオンは言葉を止めた。
「…メイ?」
「あはは…やっほー」
特大の冷や汗を額に浮かべ、引きつった笑みを顔に貼り付けたメイは、奇怪なことに両腕をシルフィスに巻き付けるようにしてぴったりと抱き付いたまま、部屋に入ってからも一向に離れる気配がない。
抱き合う二人の美少女。
一人は抜けるように白い肌、流れる金髪、緑の瞳のシルフィス。以前街中で、見知らぬ老婆に「女神様」と間違われ拝まれてしまったという逸話まであるアンヘル種の娘である。
一人はさらさら黒い髪、薔薇色の頬が愛くるしい異世界出身の少女メイ。
その可愛らしい外見と破壊的なまでに思い切りのいい性格とのギャップに嵌まる者多数。
王宮内から魔法研究院、果ては騎士団にまで幅広いファン層が存在するという。
弱り果てた、というような二人の表情を除けば、非常に心和む(?)美しい光景であった。

「こりゃまた、相変わらず仲のよろしいことで。女同士で駆け落ちしたい、とかいう相談なら余所でやってくれよ」
「そんなんじゃありません!」
噛み付くように言ってシオンを睨み付けつつ、キールが開いたままのドアを乱暴に閉める。
「シオン様、実はお力を借りたいんです。…メイのことで」
慌てて口を挟んだシルフィスの言葉に、シオンの目がすっと細められた。
「何かあったのか?」
「ええ。少し、いえかなり困っているんです。
…メイ、見て戴いた方が早いと思う。離しますけど、いいですね?」
シルフィスが低い声で囁くと、メイはごくっと唾を飲んでからこくりと肯いた。


□ ■ □


「やーー、こりゃあ……」
呆れたように間延びしたシオンの声に、キールとシルフィスは仲良くため息をついた。
三人の視線の先、仰角45度、床からちょうど大人一人分の背丈の高さあたりに、ぽっかりと浮いた少女の姿があった。
シルフィスにしがみついていた手を離したとたん、メイはまるで糸の切れた風船のようにふわふわと上昇してしまたのだ。
「お前、なんだそりゃー。何やってんだ」
「あたしが知るわけないでしょーっ!別に何もしてないよ。気が付いたらこんなになってたんだい」
声だけは元気のいいメイの返事をきいて、シオンは傍らのシルフィスに思わず確かめた。
「…これを、俺に相談したいってか」
「はい。どうも自分ではどうにもならないみたいなんです。何かに捕まらないとあそこから降りてもこられないんです」
シルフィスは心配でならない、という風に、ふわふわと浮きながら空中でバランスを取ろうとやっきになっているメイを見詰めた。
「痛みとか、体に特に変調はなくて、ただ単に」
「体が軽くなったみたい、なんだそうです」
キールが後を引き継いで説明する。
「ってことは、浮遊の術か? だが、見たところ、嬢ちゃんに外から働いている力は一つもないぜ?」
「え……」
シオンの言葉に、キールははっきりと落胆を見せた。どうやらシオンの魔導を見極める目に望みをかけていたらしい。
「どういうことですか?」
全く魔力のないシルフィスにとってはさっぱりわからない会話だ。
「つまり、誰かが嬢ちゃんに術をかけてこうなったわけじゃないってことさ。
だったら、こんな力の流れにはならん。だろ?」
空中のメイにざっと視線を走らせてからシオンが事も無げに言うと、キールも肯いた。
「やはり、シオン様もそう思われますか。…だとしたら事は一層やっかいですね」


メイの説明はシンプルこの上なかった。異変の起こる前に何か特別変わったことがあったわけではないし、変なものを食べたわけでもない。
「でね、初めておかしいなと思ったのは、おとといの夜。なんだかフワフワして地面に足が着かない、みたいな。それで、次の日の朝起きてみたら」
「文字通り、地に足が着かない状態だったと…」
「そおゆーこと」
丁度その日一緒に遊びに行く約束をしていたシルフィスが、なかなか起きてこないメイを心配して無理矢理部屋に入って事態は発覚した。すぐにメイの「保護者役」であるキールが呼ばれたのだが。
「術者自身が宙に浮くっていうのは、ほとんどメイのオリジナルの魔法です。もしそれが暴走したとしたら、俺に原因がわかるわけがない」
キールの悔しそうに言葉に、シルフィスもうなだれて言った。
「研究院の長老様たちにもご相談したのですけど、なんだか議論になってしまって…」

まず、メイが新種の魔法――物体を宙に浮かせる「浮遊の術」からさらに発展して、自分自身を宙に浮かせる魔法――を実験していたという事実が、長老達の逆鱗に触れた。
院生の研究内容は、すべて報告する義務があるのを怠ったというのだ。
正確にいうとメイはただの「見習い」であるからその必要はないはずなのだが、すっかり臍を曲げた老人達は聞く耳を持つ状態ではなかった。
加えて、メイが重力に逆らって浮いたままの状態である原因については、激しい議論になった。
やはり異世界人にこの世界の理(ことわり)を教えるなどもっての他だったのだ、とメイの処遇を巡る初期の議論を蒸し返す者。
大地の王と空の精霊のどちらにも拒まれるとは。エーベ神の加護を欠いているとしか思えない、とおぞましい物でも見るような目で見る者。
しかし、肝心のメイを元の戻す方法については、皆押し黙るばかりで一向に埒があかない。
結局、キールとシルフィスはメイを連れてその場を逃げ出してしまったという。


□ ■ □


「それで、最後に俺にお鉢が回ってきたってことか」
「浮遊の魔法について、メイに色々吹き込んでたのはシオン様じゃないですか。
こんなことになったのも…」
「俺のせいだってか?そりゃあ、嬢ちゃんに聞かれて助言はしたが、大した内容じゃないぜ。
まあ、心当たりがないわけじゃないが…」
「「本当ですか!?」」
「ないわけじゃないが、あるともいえん。…とりあえず、しばらく俺と嬢ちゃんの二人にしてもらえるか?」
「……」
シオンの提案に、金の髪の少女と亜麻色の髪の青年は顔を見合わせた。
色々と芳しからぬ噂の絶えない筆頭魔導士ではあるが、ここまで来たら彼に頼る以外道はないのだ。
「わかりました。俺達は少しはずしますよ」
渋々答えるキール。
「どうかメイをよろしくお願いします」
そういって頭を下げるシルフィスの顔色もまた、心持ち蒼ざめていた―。






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