■ ■ A kiss on a cloud (2)



「…シオン、心当たりって…なに?」
部屋を出る二人の友人を見送ってからメイが小声で尋ねると、シオンはニヤリと笑い答えた。
「まずは、お前さんの話を聞かせてもらわないと、なんとも言えないな」
「なあに、話って……や、やだ、来るなーーーっ!」
「はあ?」
近づこうとした足を止めて不審そうに自分を見るシオンに、メイは真っ赤になって一言言い足した。
「下に来ないで」
一生懸命にスカートの裾を両手で押さえながら涙目で訴える少女に、シオンは苦労して笑いをかみ殺した。
「こりゃ失礼。なんだ、えらく居心地悪そうだな……」
あたりを見回して床に転がっていたクッションを拾い上げると、手近にあった木製の椅子に乗せてぽんぽんと叩いた。
「椅子を勧めもしないで、悪かったな」
シオンが口の中で何か唱えると、椅子はクッションを乗せたまますーっと宙に舞いあがり、メイの目の前の空中にぴたりと停止した。
「どうぞ」
「あ、ありがと」
メイはおっかなびっくりな様子で椅子に捕まると、少々苦戦した後クッションごと椅子の背に抱き付くような形で横向きに座った。座るというよりはしがみつく、といった風である。
椅子に預けるだけの体重はカケラも残っていないかのように、彼女の体は椅子の座面からほんの少し浮き上がって見えたが、 なにはともあれ体を預けるものが出来た安心感でか、はたまたシオンの無遠慮な視線からスカートの中が遮られたせいか、 少女はやや落ち着きを取り戻したようだった。

「何か飲むかな……茶でも入れるか」
「え、いいよ、シオン」
「いいからそこに座ってろって」
まるで普通の客を迎えるのと同じ調子でいそいそとお茶の支度を始める部屋の主に、少女は黙り込んだ。
しばらくして用意の出来た客用のティーカップは受け皿ごと、やはり魔法によって少女の手元まで運ばれ、まるでテーブルの上に置かれているかのようにゆるぎもせず、空中に鎮座した。
その中味が一滴もこぼれていないのを見て、メイはほおっと吐息をもらした。
王宮の筆頭魔導士が自ら魔力を行使するのを見る機会はそうあるものではないから、実際を目のあたりにすると自分の立場も忘れてつい感心してしまう。
「まだ熱いから、気を付けろよ」
「うん」
少女はこっくりと肯いたが、カップに手を出そうとはしなかった。
シオンの方はというと、ちょうどメイと正面に対するようにソファの位置を調整すると、どかりと座り込んで自分用に入れた茶を啜っている。上と下に分かれてのお茶会。妙な図式である。


□ ■ □


「あーあ、なんでこんなになっちゃったかなあ」
メイは重々しくため息をつくと、ぼやくように言った。
いつも超がつくほど元気な少女も、この事態にはさすがにしおれているらしい。
「シオンはどう思う?やっぱり、あたしが異世界人だから…それで精霊が言うこときかないから…
だからなのかな…」
「あの、『エーベ神の加護を外れた』ってヤツか。長老の爺様たちの言いそうなことだな…。
いいか、メイ」
シオンは急に真顔になると、言った。
「魔導には精霊の力は不可欠、それは本当だ。だがそれが全てじゃない。
精霊は触媒みたいなもんだ。いや、正確に言えば、力を供給するのは精霊だが、力の働く方向を決定するのは俺達人間の意志だ。少なくとも俺はそう思ってる。でなきゃ俺はこの道に入っちゃいないさ」
「……」
「つまり、原因はメイ、お前さんの中にちゃんとある。それを取り除けば元に戻る。
研究院の奴らについていえば、俺は大いに不満だね。何が異世界人だから、だ。
何の根拠もなく簡単に言いやがって」
「シオン…もしかして、怒ってる?」
「怒っちゃいない。納得いかないだけだ。お前さんもお前さんだ。何故俺を最初に頼らない?
そんなに俺は頼り甲斐ないか?」
「ごめん…だって…」
しゅんとしてしまった少女に、シオンはやや表情を和らげた。
「メイ」
「…うん?」
「お前、俺のとこに来いよ」
「だから、来たじゃない」
「そうじゃない」
シオンは立ち上がると、またもや何か呪文を唱えた。そのとたん
「きゃあっ!」
メイは叫び声をあげて椅子の背に固くしがみついた。
メイを乗せた椅子が突然ジェットコースターのように急降下したのだ。
芸が細かいことに、椅子は空気中でキキーッというブレーキ音を立て、立ち上がったシオンの目の前で止まった。

「メイ」
「な、ななななな、何よ、いきなり!」
びっくりして半泣きになりながらメイは、少しも悪びれた風のない魔導士を睨んだ。
少女は気づかなかった。口元をからかうような笑みで歪めつつも、彼の目がこの男には珍しい
真剣な色を帯びていることに。
「お前、俺の家に来い。研究院じゃ色々面倒だろ。な、そうしろよ」
「へ、へ……?」
「実は、お前がこうなった原因に心当たりがあるっての、ありゃー嘘だ」
「う、うそぉ?」
「そうだ。自慢じゃないが、さっぱりわからん。だが、俺が必ず何とかする。
それまで少し時間をくれ」
「……」
「俺んとこに来れば多少の不都合ならカバーできるぜ。頭がぶつかって困るなら二階の床をぶち抜いて吹き抜けにするも良し。二階の窓に玄関を作るも良し。お前の自由だ。
俺には力があるし、多少は金もある。ついでに言えば、俺はお前を愛してる。
どーだ?こんないい条件はそうそうあるもんじゃないぜ?」

メイはシオンの言葉が進むにつれ、捕まっていた椅子の背をそろそろと離し、シオンに向き合った。
じっと不思議そうに彼の顔を見詰めていたが、シオンが口をつぐむと、さっと顔を赤らめて口篭もるようにして言った。
「な、何の話、してるの…?」
「愛の告白って奴♪…聞いててわかんないか?」
「ば…ばっかじゃないの?なんで今そういうこと、言うのよ」
「だって、今なら競争率低そうだからなー。
だいたい、俺以外の誰が、空を飛びっぱなしの女なんか貰うと思う?」
「だ、誰があんたなんかに貰われるかあ!!」
「ぐっ」
最初にクッションが、シオンの顔を直撃した。そして次に
「う、うわー、待て待て!早まるなー!」
「問答無用!」
「うげっ」
呆れたことに、少女は空中に仁王立ちになると、自分の座っていた椅子を掴んで相手めがけて投げつけたのだった。シオンがとっさにしゃがんで攻撃をよけたため、椅子は壁に当たって大破した。
「…危ねー。お前、俺を殺す気かよ。物理法則もとことん無視しやがって……って、何やってんだ」
シオンは呆れたように、この場から逃げ出そうとしてばたばたともがくメイに手を差し伸べた。
「自分じゃどうしょうもないってのは本当らしいな。いつもの逃げ足の速さも今日は役に立たないってか…。 ほらよ、メイ」
少女は無駄な努力を諦めると、差し出された手をまじまじと見詰めた。
「……来いよ」
少女は少しばかりのためらいの後、今度はごく素直にその手を取った。


□ ■ □


腕を絡めて引き寄せ、小さな体を抱きしめる。
「軽い、な」
二人の身長差のため、少女の足の爪先は床からかなり離れたところにあったが、それでもなお、腕の中に何もないのではないかと錯覚してしまうほど少女の体は軽かった。
「…さっき初めてお前が浮いてるのを見た時、またやられたと思った。
全く、何回厄介事を持ち込めば気が済むんだか」
「わ、悪かったわねっ」
「そしてこうも思った。
ある日突然、人が来てお前に何かあったと知らされる。そんなのはもう御免だ。
俺以外の奴にお前のことをとやかく言われるのもお断りだ」
まだ何か言いたそうな少女の唇に、そっと触れあわせるだけのキスを落としてから、顔を近づけたまま囁く。
「だからお前は、俺のところに来い。俺のものになれ。…言ってること、わかるよな」
「シオン…だってあたし、ずっとこのままかもよ?」
「女神を信じて、俺を愛せ。そうすりゃきっと治る」
「…むちゃくちゃ言ってる…」
「俺はお前が何をしようが、例え空を飛ぼうが地に潜ろうが、驚いたりしない。
雲や風に一々驚いてたら身が持たないからな。お前はそのままでいい。ただ、そのままで来てくれればいいんだ。…駄目か?」
「シオン…あたしは」
少女の腕が彼の首に回り、きつく抱きしめた。
「あたしも…あの…あんたのこと…」
声はだんだんか細く頼りなくなり、やがては聞こえない程小さくなったが彼の耳はかろうじて
最後の言葉を捕らえた。
「…好き」

『よかった。願い事、かなったね、お姉ちゃん』
「え?……あんたまさか、アリサ?……きゃあっ!」

突然メイの体が従来の「重さ」を取り戻したため、もともと不安定な体勢だった恋人達はバランスを崩して床に倒れこんだ。
そしてもちろん、メイはとっさに、シオンをしっかり下敷きにした。


□ ■ □


がたーん!
部屋の中で何かが倒れる大きな音が聞こえ、扉の外で待っていたシルフィスはびくり、とした。
つい先程も、何か重いものが壁にぶつかって壊れる音が聞こえた。 その時は、一旦シオンに任せたのだから水を差すことはすまいと、声をかけるのを我慢したのだが。
今度はメイを気遣う気持ちが勝って、シルフィスは扉を叩き、中に向かって呼びかけた。
「どうしたんです?何かあったんですか?」
一拍置いてから、慌てたようなシオンの答えがあった。
「何でもない!まだ入ってくんな!」
「でも、シオン様〜」
「大丈夫だって……お〜ま〜え〜なぁぁぁ〜!何でそこでいきなり治るんだ!?」
後半のセリフは部屋の中の誰かに向かって怒鳴っているようだった。シルフィスは訝しんだ。
――治った?もしかして、メイが、だろうか?
「あ、あたしに聞かないでよ!どうして元に戻ったんだか、こっちが知りたいわよ!」
対してぎゃあぎゃあと喚いているのは、確かにメイの声だ。
一緒に外で待っていたキールも、部屋の中の騒ぎに眉をひそめる。
「一体どうしたってんだ…?」
言い争う声はさらに続いた。
「訳わかんない女だ、お前は!だああ〜!いつまで上に乗ってんだよ!」
「きゃっ!やだ、離して!」
「ダメだ。お前は俺のものになるって決まったんだからな。…取り消しはきかないぜ?」
「やあっ!重い、重いったら、重いーー!!どいてったらあああ!」
「何やってるんですか、シオン様ーー!」
聞こえてくるセリフの尋常でなさに、思わず扉を開け、中に押し入ったシルフィスだったが。
彼女は部屋に入ってほんの十数秒で、すぐに大慌てで出てくると後ろ手に執務室の扉をバタンと閉めた。その顔は真っ赤に染まっている。
「シルフィス?どうなってるんだ?メイは……?」
「い、いいんんです、キール。メイなら…だ、大丈夫です。
あ、あとはシオン様にお、お任せして、私たちはか・帰りましょう!」
どもりながら早口に告げると、シルフィスはキールの腕をとり、ものすごいスピードで歩き出した。
「お、おい、シルフィス?」
「いーんです!も、もうメイもシオン様も、勝手にすればいいんだ!」
「お前、何怒ってるんだ?」
「なんでもありません!!」
キールは、激昂する金色の少女に引きずられるようにして帰っていった。


□ ■ □


その間にも、友情に厚く温和なアンヘルの乙女を激怒させた二人はといえば、閉まった執務室の扉の向こうで まだ会話を続けていた。その声は今はもう低く囁くようで、時折途絶えがちであったけれども。

「ねえ…離して?」
「ダ・メ・だ。また飛んで行っちまわないように押さえとかないとな…」
「…バカ」
「メイ、愛してる…」
「……あ、やぁん」
「嫌じゃないだろ?」
「イヤ」
「嫌じゃないって…」


術者の最後の集中力が別の方向に向いたのだろう。それまで空中にピンで留められたようにぴたりと張り付いていた客用のティーカップが、突然落下し、床にぶつかって砕け散った。
そして、その鋭い音に注意を払う者は、その部屋には今や一人として存在しなかった。




□ ■ END




★Presented by HENNA★1999/11/15★
★ for Ms. 加奈 as a momento of 5000 Hits of LOVERS BOARD出張版



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