黄昏時の旅行者たち (3)



 キールに連れて行かれた店は、あたし達が馬車から降りた場所と同じ通りにあった。
あの読めない看板を下げた店の一つに入っていくキールの後を、あたしはおっかなびっくり付いて入った。
さほど広くない店内にカウンターがひとつだけという簡素な作りだったが、落ち着いた内装で、外のごみごみした雰囲気に不釣り合いな品の良さが感じられる。
「ねぇ、キール?」
店主が出てくるのを待ちながら、あたしはキールの服のそでを引っ張って聞いた。
「なんだ」
「ここが本屋さん?」
「そう見えるか?」
本を一冊も並べていない本屋がもしあるなら、だけど。
 キールにつつかれてあたしは慌てて黙った。店の主人(太って陽気そうな女の人だ)が奥から現れてキールに挨拶する間も、あたしは入り口近くに張り付いたまま、こっそりあたりを見回していた。
「メイ」
呼ばれて二人の方に行くと、女主人が何やらカウンターの下から出すところだった。
「さあ、これがご注文の品ですわ。どうぞご覧になって」
 どういうことなの、とキールに目で尋ねると、彼はただ肯いてみせた。女主人に促されるまま、あたしは彼女のが出してきた小箱をどきどきしながら開けた。
「キール……これ……」
 出てきたのは、細い銀色の輪に白く光る石の嵌まった指輪だった。
「お前、もうすぐ誕生日だったろ」
照れくさそうに視線を逸らす緑の瞳に、あたしはどんな言葉も出てこなかった。

「この店の宝石(いし)がいいって兄貴から聞いたことがあったんだ」
「王室にも納めさせていただいてますのよ。卸し専門なので通常は細工はしないんです」
それで宝石店なのにディスプレーがないのか。この通りに沿って集まっているのは、このあたりで採れる宝石の卸商だということだった。
にっこり笑って代金を受け取ると、(それは袋に入っていてわからなかったが結構なお値段じゃないかとあたしは思った)女主人はどうぞまたご贔屓に、とあたし達を見送った。
「それじゃあ、本を買いに来たっというのは……」
「こんなところで魔導書が手に入るワケないだろう」
ウソをついておいて、それって随分な言い草だと思う……。



 あたし達は乗り合い馬車を待つためのベンチに並んで腰掛けていた。
そろそろ夕暮れが迫り、海の方角に沈む太陽が、古ぼけたタスの街をまばゆい薔薇色に染め上げている。
キールは手の中の黒い小箱をもてあそんでいた。
「どうしようかと思って、ここに来るまでずっと悩んでた。お前に何と言って渡そうかと思って。
本当は、これを手に入れてからゆっくり考えるはずだったのに、誰かさんのせいで計画が台無しになったからな」
「は、ははは……」
あたしは力なく笑った。それでずっと妙な雰囲気だったんだ。プレゼントを渡すくらいでそんなに悩んじゃうなんて、キールらしい。
「ただの誕生日プレゼントでもいいか、と思った。でも……」
どきん。
そう言ってこちらを見た彼の、熱いような冷たいような眼差しに、あたしの心はざわざわと波立った。
「お前が色々と迷ってることは知ってる。俺がそれをどうこう言える立場じゃないことも。
それに……俺も昔、家族を失くしたことがあるからな。どうしたって割り切れるようなもんじゃないってよくわかるんだ」
「キール……」
言葉を挟もうとしたあたしの唇にそっと手をあてがって黙らせる。
「何も言わないで聞いてくれ。全部聞いたその上で断られるなら仕方ないと思ってるから。
俺は力も何にもないただの男だ。だけど、こちらの世界では……」
そこで一旦、彼は言葉を捜すように黙った。あたしもただ黙って彼の横顔を見つめた
「ここでは、俺くらいお前のことを思っている奴はいない。それだけは自信がある。
だから、それを上手く伝えられずに手をこまねいてて、お前を失うのだけは避けたいと思った。
どれだけ一緒にいても、体が……そばにあっても、どんなに想っても。伝えられなくちゃ意味がないよな……」
あたしはぼんやりとさっきのことを思い出していた。
隣にいて手をつないで、何よりもお互いのことだけを思っていたのに、すれ違った心。
「こんな物でお前を繋ぎ止められるとは思えない。でも、何か証しになるモノが欲しかったんだ。」
彼の口元がまるで自嘲するようにゆがんだ。
「キール……」
「お前……ずっと、ここにいてくれないか。ここに。俺のそばに」
「それって、帰るなってこと?」
「そうだ」
これこそが、もしかしたらずっと待っていた言葉じゃないか、とあたしは突然思った。
この言葉を聞くために、あたしはこの世界に来たんじゃないか、と。
「あたし……さっき海を見たよ」
「メイ?」
あたしの唐突なセリフに、キールが軽く眉をあげた。
「海を渡ったら別の国があって、やっぱり大勢の人が住んでて……それってあたしが前にいた世界とおんなじ。
世界を二つ合わせただけの人がいる中で、あたしはあんたと会えたの。
巡り合ってお互いに好きになって……すごい偶然だよね」
あたしは、さっき海を見ながら感じた眩暈をまた感じて、軽く目を瞑った。
「もしかしたら会えなかったかもって想像するだけで、とても怖い」
「……」
「元の世界に帰りたいのは本当なの。でも、それが少しでもキールを傷つけるなら、あたしは帰らない」
そう言ってしまってから、そっと胸を押さえてみた。まだ少し痛い気がする。
そんなあたしを、キールの腕がそっと引き寄せた。
キールの暖かな体温が、胸の痛みを和らげてくれる気がした。
「帰らない。ここにいる。キールのそばにいる」
「じゃあ、いいんだな?」
「うん」
あたしは左手をキールに差し出した。さっき店で試したときは、右手に嵌めてみたんだけど。
「俺も覚悟決めるからな。お前を俺から引き離そうとするものには、俺は容赦しない」
そう言ってキールはあたしの薬指に銀の指輪を嵌めた。


 キールは半年前にラボを開けてから、二日続けて休みをとったことがない。だから、王都に戻る最終の馬車が来たとき、彼がとった行動はあたしをとても驚かせた。
「キール、馬車が来たよ」
あたしは立ち上がろうとしたけど、キールは動かずに、ただあたしの肩に乗せた腕に力を込めた。
「キール?」
「慣れないことをしたら腹が減った」
「へ?」
「これから戻ったら夕飯を食いっぱぐれる」
「でも……」
「たまにはいいだろ。明日ゆっくり帰ればいい」
「え、じゃあ?」
「シーズンオフだからな。宿も空いてるみたいだったし」
どうやらチェック済らしい。あたしはくすくす笑った。
「かなりの出費だね」
「また稼ぐからいいさ」
それはいつものキールのセリフとも思えなくてあたしは目を丸くした。

 あたしたちは並んで、馬車が出ていくのを見送った。
 その後街中に戻ると宿はすぐ見つかった。一旦荷物を置いてから外出し、晩ご飯に良さそうなレストランを探しながら、あたし達は街灯の点り始めたタスの街をぶらぶらした。
「それにしても、この指輪あたしの指にぴったり。あたし、サイズ教えたことあったっけ?」
「いや」
「じゃあ、どうして?」
「測ったんだ」
「ええ?いつ?そんなことあったっけ?」
キールはにやっと口の端をゆがめると、あたしの耳元で囁いた。
「お前が寝てる間に」


あたしの左手に光る指輪。右手にはしっかりと握ったあなたの手。
それは、証し。もう保留も延期もない。二人で生きると決めた証し。
あたしはもう二度と自分から彼の手を離すことはないだろう。



      =END=





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